ご令嬢は一人だけ別ゲーだったようです

バイオベース

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 ヴェルスト王国は異常な熱気の渦中にあった。
 信仰と希望、そして拭い去れない明日への不安。
 原因不明の魔物の急増と、精霊を従える巫女の登場という二つの相反する事実がそうさせるのである。

 だが王子ビョルンはそれを好意的な方向で受け止めていた。
 その熱気が高まるほど、己が認め、己を支える女性が人々に讃えられる。
 その事実は年若いビョルンに密かな優越感を与えるのだった。

 しかし懸念が無いわけでは無い。
 脳裏に思い浮かぶのは、かつての婚約者エレノアの姿。

「エレノアさん、ちゃんと反省してくれると良いけど……」
「彼女の心配かい? 優しいんだね、カリン」

 二人の恋人は、しばしの間絡みつくように視線を混じり合わせた。

 公爵令嬢エレノア。
 恐れ多くも聖女を苛んだ悪女として、罰を下された元婚約者。
 ビョルンにとっては昔から『倒すべき障害』の象徴でもあった。

 エレノアは子供の頃から聡明で、良く出来た貴族の子女だと言えた。
 明け透けに言ってしまえば保守的で、近年の開明的な思想とはそぐわない古い女。
 旧態然としたこの国の改革を志すビョルンとその仲間たちからすれば、正すべき悪習の権化なのである。

「反省出来るかどうかは彼女次第だけど、きっと平民たちの生活の大変さは知る事が出来るだろう」

 エレノアは殊の外、身分や体制というものを順守していた。
 ビョルンの目にはそれが人間味が無く、不実なものしか映らない。
 だからそれを正しい方向へ導いてやろう、とカリン達と苦慮したものだった。

「身分が大事ってのも分かるけど、そんなモノよりもっと大切な事があるの」
「彼女はそれが分かていなかったね。なに、現実と向き合えばすぐに知るさ」

 民を思いやる聖女としての姿に、王子は目を細めた。

 国と政治は民の為にあるもの。
 その為には彼らとの垣根を無くし、対等な立場で接しなければならない。
 エレノアはそれをないがしろにして、礼節だのしきたりだのを優先していた。

 まるで虚飾で己を隠す詐欺師の所業だ。
 そんな『悪』は正されなければならない。

「殿下、よろしいでしょうか」

 ビョルンが密かに義憤を燻ぶらせていると、不意に外からそんな声が届いた。
 入る様に促すと、するりと優雅な所作で見知った顔が二つ顕れる。
 王宮から学院へ派遣されている執事と女官だ。

「聖女様のお勉強の時間ですので」

 女官は眼鏡をくいと押し上げると、その下の冷たい瞳を鋭くした。
 うへえ、とカリンが嫌そうに舌を出し、それを目にした女官の顔は一層強張る。

 カリンは今ではビョルンの新たな妃候補。
 女官はその為に、宮廷作法の講師として派遣されてるのだった。

「今日のご予定は朝にもご確認された筈ですが」
「きょ、今日ぐらいは良いかなって……」
「マナーに公務の決まり、お教えする事は山のようにございますれば」

 女官は頑として譲らない。
 カリンがこの『お勉強』を抜け出すのは今日が初めての事では無かった。
 このような問答はもはや日常である、と言えた。

「まぁまぁ、古いしきたりもいつかは変えねばならない時が来る。そんなに気を張らなくても良いじゃないか」

 だからビョルンもいつものように口を挟む。
 しかし今日の女官はいつにも増して頑なだった。

「守らねばならない法、正妃となられた後のお仕事の事もございます。これ以上は卒業後のご婚姻にも間に合わなくなりますよ」

 臣下の立場で口にするには少々出過ぎたこと。
 あえてその禁を冒したというのは、それだけ切羽詰まっているという証でもある。

 だがカリンはそれでも助けを求めるようにビョルンを見た。
 野に咲く花のように天真爛漫な彼女のこと、こんな堅苦しいことは心底嫌なのだろう。
 ビョルンはそう内心で同情しながらも、強く女官を諫めることも出来なかった。

「正妃となられれば後宮のお目付けも貴女様の公務の一つなのです。王のお近くのこと、容易に出来るものではありませんよ」
「うう、でもぉっ」
「……エレノア様もご幼少のみぎよりご苦労為されました」

 そして遂に女官はそんな事まで口にした。

「なんて事を言うんだ!」

 ビョルンがカリンの肩を抱くと、女官は深々と頭を下げた。

「申し訳ございません。ただ、並々の事ではないのです。どうかそれだけは御心に御留め下さりますよう」
「僭越ながら私からも非礼をお詫びいたします。彼女はきつく叱っておきますので」

 それに続くように執事も頭を下げる。
 言葉の陰に、連帯して諫言している事が見て取れる。

 結局その後、カリンは気落ちしたまま女官と共に部屋を出ていった。
 残されたのは執事とビョルンの二人。

 ビョルンは悩まし気に頭を掻いた。

 実を言うと、最近こんな事が増えている。
 当初こそ聖女だ何だとカリンを持ち上げていた貴族たちが、隙を見つけては彼女の不出来を責めるのだ。

 至らない所があるのは事実だろう。
 しかしそれをどうか寛大な目で見守って欲しい。
 それがビョルンの正直な願いだった。
 彼女は平民として生きて来た少女で、貴族などではないのだから。

 それを臣下からすら責められるようになったのでは、さすがに気が滅入るというものだった。

「彼女の立場では言わねばならない事だったのです」
「もう良い。カリンも譲ったではないか。最初から出来る人間などいないのだ」
「ええ、まずは簡単な舞踏会などから貴人としてのお振舞いを学ばれてはいかがでしょう。近くリーン伯の催しがございまして――」
「良い、と言った。もうこの話は終わりだ」

 あの聖女はまず基本がなっていない。
 口にしているのはつまりそういう事だった。
 それをわざわざ指摘されるのも、ましてや事ある毎にエレノアと比較されるのも、カリン以上にビョルンが嫌っていた。

 何だかんだと言っても、カリンに否定的な人間もまだ多い。
 きっと平民であることが嫌なのだろう、とビョルン達はそう捉えている。
 形ばかりのマナーやしきたりに囚われた古い考えは、そう変わらないという事だ。

 だがそれは貴族の間の事ばかりでは無かった。
 平民たちの間でも、そうした古い価値観に固執する者はいるのだ。

 あのエレノアを辺境の開拓地へと赴かせる『試練』。
 母方の縁故を理由にシュテルン伯爵領の民がその同行に選ばれたが、実際の所彼らの間ではエレノアに同情的な人間が多いという。

「……度し難いな。血筋に対する敬意は感心すべきなのだろうが」

 実際に会えば幻滅するに決まっている。
 きっと彼らの心の支えがその程度のものしかなく、血の幻想に縋っているだけなのだろう。
 そんな考えに至り、ビョルンの中に彼らに対する同情心が沸き起こって来た。

「爺。エレノアの、あの開拓地の様子はどうなっている」

 きっと辛い目にあっている事だろう。
 エレノアも反省しているのならば、少しばかりの慈悲を送るのも悪くは無い。
 ビョルンはそのように考え、執事に目を向けた。

 しかしどうだろうか。
 執事は何かを言いよどみながら、迷うように口を開いた。
 そしてその話を聞いた後、ビョルンはぽつりとただ一言漏らした。

「……なんだと?」

 そのビョルンの声は、本人も聞いた事が無いような悪意に満ちていた。
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