ご令嬢は一人だけ別ゲーだったようです

バイオベース

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 王都に戻ったビョルンは目的を果たせなかった事を強く責められながらも、大して気に病む事も無かった。
 失敗など後の成果で幾らでも洗い流す事が出来る。
 そしてその道筋は簡単に見えているのだ。

 一連の問題の根など、正体が見えてしまえばどうというものでも無かった。
 世間の評判――要はそんなあやふやで無責任なものの風向きを変えてやれば良いだけだ。

 本来であれば、エレノアは辺境で人知れず一生を終える筈だった。
 それが何の因果か国中に名声を響かせるまでになっている。
 その間違いを本来あるべき姿に戻してやれば良い。

 小細工は必要だが、もうそれを戸惑うビョルンでは無かった。
 そもそも大悪を為すわけでも無いのだ。

「簡単なもんでしたよ」

 ビョルンは学院の一室で上機嫌に小男からの報告を聞く。
 陰で情報を嗅ぎまわり、時には噂の火種を焚きつける。
 そうしたネズミのような仕事を生業としている男だ。

 つい最近までは間諜などという卑劣な行いは王者の関わる事では無いと思っていたが、これがどうして自分で使ってみると面白い。
 こちらの狙い通りに動く者が出た時などは、胸が沸き立つ思いだった。

「あれだけ派手にやってればね、そりゃ妬み嫉みも買うってもんです」

 ビョルンにとって最も興味深かったのは、近隣の他の開拓村の反応。
 彼らはエレノアに少なくない恩義があるようだったが、同時に嫉妬も買っていた。

 ヴァイス村も、他の開拓村も、元を正せば似たような立場。
 それが『罪人』である娘の得体の知れない力で上手くやっている。
 一人二人は不平を唱える者が出て来るものだ。

 もっとも今回はそれを醸成し、あたかも大衆の総意であるように世に広めた者がいるわけだが。

「ご苦労。後は適当に酒場で広めてくれ」

 ビョルンは男に手ずから金貨を渡すと、すぐに興味を無くして窓の外を見た。

 あちらに火を点けたのなら、今度はこちらの火を消す番である。



「どういう事?」

 ビョルンの言葉を聞いたカリンは不機嫌な顔を露わにした。
 口を真横に結んで、子供のように睨み付けている。

「だからみんなに聖女としての姿を見せて欲しいんだよ」

 しかし今日のビョルンは珍しくそれに食い下がって見せた。

「何か民の心を安らげるに足る証明を見せてやってはくれないだろうか。麦を一瞬で実らせろ、なんてことは言わない。夜空に花を咲かせるとか、国中に音楽を奏でるとか、そんな実利も無い見世物でも構わないんだ」
「……エレノアさんに対抗しろって言うの?」

 ビョルンの言葉を聞けば、真意がどこにあるのかなど明らかだった。
 さすがのカリンでも、上がり調子だったエレノアの評判は聞いているのだろう。

 だがその名もまたすぐ失墜する事になる。
 ビョルンはそれに合わせてカリンの名を高める腹積もりだった。
 エレノアが村の信頼を欲で釣ったように、カリンの力で民草の心を掴むのだ。

「良いかいカリン。これはキミの為であり、ボクの為であり、そしてこの国の民の為でもある。王妃となることを決めたその日から、キミはそれだけ多くの責任を負うようになっているんだ」

 ビョルンは子どもをあやす様に、ゆっくりとカリンに言って聞かせる。

「本来それはエレノアが負うべき重荷だった。それをキミのようなか弱い乙女に押し付けるなんて、本当に心苦しい事だと思っている。でもこれはあの時ボクとキミの二人で決めた事だ。キミはエレノアに変わって民に安寧をもたらす義務があるんだよ」

 だがカリンの反応は鈍い。
 束縛を嫌う彼女の事、これぐらいの抵抗はビョルンも計算の内だった。
 だから、敢えて強い言葉を付け喰わる事も忘れない。

「残念ながら貴族の間でのキミの評判は悪い」

 痛い所を突かれ、カリンは「うっ」と唸る。

「それを少しでも解消したいんだよ、ボクは」
「い、言いたい事は分かったけど、それで何でみんなの前でをしなくちゃいけないってなるわけ?」
「君が聖女として力を示せば、エレノアの『罪』は真実だったと皆安心するだろう?」

 現状巷では『カリンがエレノアを嘘で嵌めた』と噂する者すら出る始末。
 そこでカリンが教会で言う所の『心清らかなる乙女』であると証明すれば、得体の知れない憶測も消えるというもの。
 ビョルンは噂の辛辣な部分をぼかしながら、カリンの説得を続けた。

「……それにさ。そうすれば側室のあても出来る、かも」

 そしてビョルンにとっての本題はここだった。

 実際の所、側室を迎えれば今抱えている問題は解決出来るのだ。
 悪評も幾らか和らぐだろう。
 だが貴族の子女に側室に入る事を打診しても、今日まで色よい返事を貰えずにいたのだ。

「は? 何でそこで側室なんて言葉が出て来るの?」

 しかしカリンの反応は冷ややかだった。

「浮気なんてひどい! 最低っ!」
「も、もちろん愛してるのはキミだけさ! カリン!」

 詰め寄るカリンに気圧されながらも、ビョルンに自分の言葉を曲げる気配は無い。

「でもね、王妃の仕事をちゃんと出来るのかい?」
「う……」
「なら代わりにやってくれる人が必要だろう?」

 カリンが聖女としての力を示したのを時機に、側室の打診をする。
 信心深いことで有名な貴族なら断れない筈だ。

 ビョルンは静かにカリンの返答を待つ。
 しかし幾ら経とうとも不貞腐れた表情のカリンは黙したままだ。
 そうして何時まで続くか知れない根競べをしていると、不意に辺りに光が満ちた。

「――先ほどから黙って聞いていれば」

 ビョルンが予想してい通り、蒼い光の中から顕れたのは水の精霊の姿だった。
 水の精霊は虫でも見るようにビョルンを睨み付け、わざとらしくため息を吐いた後に言った。

「我らが巫女に俗世の政に手を汚せと言うのですか」
「人間は何時までも子供のままでは居られないんだ」
「全てアナタ方の勝手な都合ではありませんか」

 しかし今度こそはビョルンも引かない

「おかしなことを言いますね。これはあなた方精霊にも責任のある事ではありませんか」

 精霊は何を言っているのか分からないと、眉根を寄せる。

「あなた達があの弾劾の場でエレノアを責め立てたから皆萎縮してるんだ。アナタ方は信仰の対象である事も自覚して頂きたい」

 エレノアほどの大貴族の娘が罰せられる事など、本来はありはしない。
 それが適ったのは権力と信仰、貴族が守らなければならない二つの大きな力が揃って糾弾したからだ。

「これに関してはアナタ方も責任のある話。しかし精霊は自由の為に、人の俗世には関わらないのでしょう? ならば黙っていて頂きたい」
「……分かりました。ではあなた方人間の欲を満足させるものを見せれば良いのですね?」

 見下したような言い口が癪に障ったものの、ビョルンは鷹揚に頷いて見せた。

 水の精霊はカリンの方を一瞬見た後、何かを確認するように小さく頷く。
 するとまた部屋の中に三色の光が満ちる。
 光が晴れた後、そこには先ほどと同じように、火・風・土の精霊の姿があった。

「ではカリン、我らの力を合わせるので力添えを願います」
「う、うん……」

 カリンは戸惑いながら祈る様な姿勢を取った。
 四種の精霊の力を借り、自在に巡らせる。
 それが伝説に謳われる聖女の力だ。

 ビョルンも実際にカリンがその力を行使する姿を見るのは稀な事だった。

 静かに見守るビョルンの前で、この世の者とは思えない幻想的な光景が広がる。

 万物を構成するマナの光。
 生物の本能を揺さぶる生命の力が色を持ち、一人の少女を中心に渦を巻く。
 それはこの世のどんな名画も及ばない、美しい空間を形作っていた。

「さて、こんなものでしょう」

 水の精霊はそう呟くと、何処からか取り出した小瓶にマナの光を集める。
 四大の精霊の力を注いだそれは、七色の輝きを放つ液体となった。

「これは生命の力に満ちたマナの結晶。一口飲めばあらゆる者はあるべき姿を取り戻すでしょう」
「……どういう意味です?」
「はぁ、つまり傷を完全に塞ぎ、どんな病をも癒し、肉体を最良の状態に保ちます」

 俗な者にほどちょうど良い餌になる。
 水の精霊はそう皮肉気に付け加えた後にビョルンへその小瓶を投げ渡した。

「さすがに我らが巫女を見世物にする事など承服できません。代わりにその長命の薬で良いでしょう。人前で死体でも生き返らせてみせれば、人の世の中では十分に評価されるのではないですか?」
「おお、偉大なる精霊よ! 感謝します!」

 ビョルンは小瓶を凝視しながら内心の喜悦に震えた。
 精霊たちと、カリンの不満げな目など気に留める余裕も無い。

 後はエレノアさえどうにかすれば、ビョルンの悩みは全て解消されると言って良い。
 いや、案外今頃は血気に流行ったバカに誅殺されているかもしれない。
 愉快な結末に喜びながら、ビョルンは小瓶を見つめ続けていた。



「喰らえ! カマこうげき!」
「な、なんだと!?」

  農夫の鎌による斬撃をその剣で受け止め、騎士は驚きに目を見開いた。
 あまりに重く、鋭い一撃。
 どう見てもただの農夫の手による攻撃では無い。

 救世騎士団――そう名乗りを上げヴァイス村で魔女を打ち取ろうとした事を、この騎士は今更ながら後悔していた。
 考えて見れば、魔女の村にまともな平民など住んでいるわけが無いのだ。
 この目の前の農夫も、「お嬢様に会いたくば、まずはオレを倒していけ」などと何処かの悪役のような台詞を吐いてきた。
 きっと姿を偽った歴戦の傭兵とかに違いない。

「――名を聞いておこうか」
「カマこうげき、カマこうげき、もいっちょついでにカマこうげきッ!」
「聞けよッ!」

 農夫の容赦の無い連撃を刀身で受けながら、騎士は顔を引き釣らせる。

 とは言え、騎士である自分が負ける未来などありえない。
 敵の攻撃は苛烈なものだが、慣れれば動き自体は単調なものだ。
 その上自分はこの年でレベルが優に20を越えている。

 そして騎士は勝負を決めるべく、高々と剣を掲げて声を張り上げた。

「せめて我が奥義にて倒れる事を誉れとするが良い! 必殺、ライトニングストラッシュ!」

 技名を叫び、奥の手である魔法剣を放とうと両の手に魔力を込める。
 だが、一瞬。
 騎士の剣よりも早く、農夫の体が素早く滑り込むように距離を詰めて来た。

「稲刈り切りッ!」

 キィン、と甲高い金属の音が蒼天に響き渡る。

「は、え?」

 騎士が音のした方を見上げて見れば、そこにある筈のものが消えていた。
 自慢の緑の大剣――その切っ先が、半ばほどで切断されている。

「なッ! 馬鹿な! ミスリルだぞ!」
「ええ!? あんちゃん、そんな良いもん持ってたのか? 斬った部分クワに出来ねーかな?」
「ふざけるなぁ! 家宝なんだぞ! 父上に殺されるぅ!」

 青く広がる農村の空に、若い騎士の悲痛な叫びが鳴り響く。
 そうして泣きはらしたまま、救世騎士団は何も救わずに村を去ったのである。
 だがこんな騒がしい出来事はこれで終わりでは無かった。

 似たような馬鹿者は、今の世の中ありふれている。

 そしてこの日を境にヴァイス村の日常は変化を告げるのだった。
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