ご令嬢は一人だけ別ゲーだったようです

バイオベース

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 数日前、村に帰り着いたお付きの村娘は街との商談が不調に終わった事を告げた。
 こちらが圧倒的優位な状況であり、しかも値を釣り上げるつもりもない。
 失敗する要素が無い取引で失態を冒し、村娘は首を括りそうなまでに落ち込んでいた。

 そうして止む無く街との取引はエレノアが引き継ぐ事となるのだった。



「……ですからこちらの窮乏も考慮して頂きたいのです」

 街の代官は少しの遠慮も感じさせない眼差しでそう言った。
 椅子に深く腰を鎮め、のんびりと髭を撫でている。

 収穫期前の今は一年の蓄えが尽きる頃合いであり、食料品の値は嫌でも上がる。
 今年はそこに軍の遠征が加わり拍車が掛かるのだ。

 そのような状況下で例年を遥かに下回る値で作物を買い取ろうと言うのなら、額を床に擦り付けて然るべき。
 だと言うのに、この代官はヴァイス村の代表として会談に来たエレノアに不遜な態度を隠そうともしていない。

(なるほどね)

 しかしエレノアは仮面の笑顔を外さぬまま、怒るでもなく納得をした。
 村娘の「失敗」とやらの意味がこれでようやく分かった。
 要するにこんな具合に挑発されて、あの村娘の我慢が限界に達したという事だ。

「しかしこちら提示した値も限界です。これ以上は輸送費だけで赤字になります」
「この国難の時にそのような心無い事をおっしゃらないで頂きたいものですな。ああ、失礼。元ご令嬢の貴方様には下々の苦しみなど分からぬ事かも知れませんが」

 『元』の部分を殊更強調して代官は鼻を鳴らす。
 挑発としては実に分かり安い部類である。

 しかしエレノアには今の状況で相手がこのような強気の交渉の仕方を仕掛けてくる理由が分からなかった。
 相手の心をかき乱して優位に立つ。
 それ自体は基本の手法だとしても、事実上ヴァイス村あいての恩情に縋らなければならないこの状況でそれは悪手でしかない。

 元々この取引は事実上の食糧援助。
 街との関係改善が目的である。
 安値で卸す事に異論は無いが、その相手が居丈高だというのは少々問題があった。
 これに屈するようではまるでヴァイス村が他より遥かに格下の存在であるかのように位置づけられてしまう。
 それは今後他所との関係を鑑みても好ましくない事態だ。

「そうですか、それは残念です。それではこれで……」

 仕方なくエレノアはそこで交渉を打ち切って立ち上がった。
 目的を達成出来なかったことは惜しいが、別段これは必須の事では無いのだ。
 街との関係は切り捨てても、その分他の近しい村々との交流に力を入れれば良いだけの話。

(叔父様からも良いお返事頂いてますしね)

 シュテルン伯はエレノア予想通り、安定した食料供給に飛びついた。
 先の騒動の事を考えれば業腹ものな所もあるが、これはこういう性分の人なのだと思えば我慢が出来る。
 領主としてやるべき事をやっているだけ、とも見れるのだから。

 そしてそうであるのならば、シュテルン伯は何時までも身内の名に傷がついたままなのを善しとはしない。

「ああ、それと先日こちらへお送りした罪人の件ですが」
「罪人? が少し騒いだくらいで何を大げさな……」
「シュテルン伯を通じ、王宮へ公式に抗議をさせて頂きます」

 この地方一帯は王領、この代官の主も王家という事になる。
 そこへ部下の不祥事について問い合わせをすれば、この代官はさぞかし困るに違いない。

「身に覚えがありませんが、どうぞご随意に」

 しかし代官はこれも平気な顔で見送る。
 ここまで来ると却って不気味ですらあった。

「……そうさせて頂きます」
「しかしアナタ様は中々冷静なお方でした。やはり噂など当てにならないようです」
「……何の話ですか?」
「巷を騒がしたエレノア様の婚約破棄の話ですよ。これでお怒りにならない方が、年ごろの少女相手に癇癪を起すようなマネをするとは思えません」

 代官は世間話でもするように茶を啜り、エレノアに再度席につくよう目で促す。
 それに不穏なものを感じつつも、エレノアは言われるがまま腰を下ろす。
 まだ相手の話は終わっていなかったようだ。

 エレノアは手つかずのままだったカップに口を付け、相手の言葉を待った。
 それを確認した代官は、たっぷりと間を開けた後に口を開く。

「この間の村娘などは年相応でしたね。アナタの事を悪し様に言えば、兵を五人ほど戦闘不能に追い込んだ後にコレですよ」

 代官がまくり上げた袖の下には、何重にも巻かれた包帯があった。

「こ、これはとんだ無作法を……」

 冷や汗を掻きながらエレノアは頭を下げざるおえなかった。
 相手に非があったとしても、権力者側の相手にして良いことでは無い。

 一応、村娘本人からそのような騒ぎになったという申告はあった。
 だからこそエレノアがこの場に出たのである。
 しかしそれは本人の談では「指先がぶつかっただけ」だと言うし、代官もここまで何も言及してこなかった。
 そんな小さな騒ぎに過ぎなかったのだと安心していたのだ。

「本当に、凄まじいものでした……。あっという間に五人の体が穴だらけになって……」

 代官は虚ろな目で呟いた後、大きく震え上がった。
 体だけでは無く心にまで傷を負っているようだ。

「その件に付いて今後改めて謝罪をさせて頂きます……」

 だがそうなると、エレノアには増々理解が出来なかった。
 最初からそんな手札を明かしていれば、交渉はアチラの思うようにもっと簡単に終わったはずだ。

「納得がいかない、という顔をしていますな」
「それは……当然の事でしょう?」
「すぐに理解は出来ますよ。効き目は早い方なのでね」

 何を、と問う間も無くエレノアは気が付いた。
 世界が回る。
 否、廻っているのは自分の視界。
 同時に頭に霞が掛かり、体は重くなるばかり。

「く、クスリ……?」

 その怪しい呂律に、曇った視界の先にいる代官は満足げに頷いているようだった。

「アナタが王の任じた代官たる私に無礼を働く。その筋書きの方が拘束する理由としては利口だったのですがね」

 最初から交渉など目的では無かった、と代官は語る。

「アナタの身柄を引き渡し、殿下から兵站と騎士団の派遣を都合していただく。まぁ、そういう茶番ですよ」
「こ、こんな事をして……」
「私が責任を持つ事ではありません。これは殿下の命ですので。個人的には同情致しますが、

 既に暗くなった視界の先で、代官は嘲っているだろう事だけが分かる。

「部下の方には、まぁ適当に誤魔化しておきますよ」

 どうせ気が付いた頃には王都へ向かうグリフォンの背の上だ。
 最後にエレノアの耳に届いたその言葉は、ビョルンの声によく似ていた。
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