世界樹の庭で

サコウ

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 ジャン先生が僕と接触を図るだろうとの予言は早々に実現された。
 僕がロジェさんを引き倒そうと奮闘していた矢先、例の老僧が扉をノックしたのだ。
 すでに夜は更けている。僕たちの心配に対しては、
「お心遣いは最もです。お食事もされ十分に休まれたので、調子の良いうちに、とおっしゃっています」
 と静かに返して僕が部屋から出てくるのをじっと待っていた。拒まれることは当然のように想定していない。
「ご無理をさせてはいけない。遅くならないように」
 ロジェさんが僕にか――彼にか、そう言って送り出りだした。
 老僧に連れられて行った先、ジャン先生が長椅子に体を預けていた。それまでの経路はよくわからない。もう一度一人で来てみろと言われても不可能であることだけは確かだ。すでに明かりは落とされていたこともあるが、この屋敷は広すぎる。
「ああ、よく来てくれました」
 ジャン先生が僕の姿をみて顔を綻ばせる。その無邪気な様子にロジェさんに言われたことを思い出して、うしろめたさが沸き上がってくる。この先生が嘘をつくはずがない。言わないことがあったとしても、それはない。きつく教えられてきた。
「こんな遅くに。大丈夫でしょうか。ご無理をされているのでは」
 首を振る。
「もう無理をしても、しなくても同じですよ」
「先生」
「言わないで。あの子たちからも、さんざん聞かされています」
 肩をすくめる先生に、僕もまた首を横に振る。
 その彼らは二人は傍にいなかった。あの老僧も知らない間に姿を消していた。ここには僕と先生だけなのだろうか。
「あまり楽しくなかったようですね」
 膝に置いていた本をぱたんと閉じて、先生は親し気に笑いかけていた。夕食のことを言っているようだ。
「いえ、そんなことは」
「気を使わなくてもいいのですよ。実は私もああいうのは好きになれなくてね。もっと少数で、それこそ親密な人たちだけでゆっくりいただきたいと、常々思っています」
 あんな大きな食堂の主にしては寂しいことを望んでいる。
「そうでしたか。わざわざ僕たちのためにご無理をさせてしまったのでしょうか」
「とんでもない。これでもとても歓迎しているつもりなのですよ。ただ、あなた方だけ、というには力が及ばなかった」
 首を傾げる。晩餐を開くのに、ジャン先生の意思だけで決定できない、ということだろうか。判断しかねている僕にジャン先生はただ寂しげに笑った。
「少し移動しましょう。手を貸していただけますか」
 伸ばされる腕をとる。抱えるように立ち上がるのを待ち、彼に合わせてゆっくりと歩きだした。少し歩くだけで息が上がっている。急かすつもりもないし、前方を確認するついでに内装をまじまじと見ることにする。
 ラウンジのようだが、壁際は隙間もなく本棚が敷き詰められていた。促されるままに扉をいくらか開けて進んでいく。狭い通路だと思っていたのは書棚が整然と並べられているためだと気づく。古くなった紙の甘いとさえ感じるくぐもった香りが幾重にも重なっていた。
「図書館?」
「館というほどもないので、書庫と呼んでいます。まぁ、蔵書の質はどこにも負けていませんが」
 ジャン先生が誇らしげに言う。これがロジェさんが言っていた先生の蔵書。これがロジェさんが望むもの。
「ここなら誰にも邪魔されずに話せる。あの子たちにもね」
 吹き抜けが現れ、書庫が二階にも続いていることを知る。光が届かないまでも、おそらくずっと奥の方まで書物が詰められていることは推し量れた。
「そこでいいでしょう」
 いくつかの書棚の列を抜けて奥まった先、吹き抜けの高さを上から下までを豊かなひだのカーテンが覆っていた。開けばおそらく窓があるのだろう。その手前には堂々としたソファがローテーブルをはさんで向かい合っていた。三人掛けか、四人掛けか。少なくとも二人で座るには広すぎで、装飾も立派だ。天気の良い日などはここに座って景色でも眺めるのだろうか。本を読むためだけには贅沢なつくりに思えた。
 そこに先生がゆったりと座る。僕もその傍に尻を置いた。クッションが沈みながらもしっかりと支えてくる。
「もうあなたにはもう気づかれているかと思いますが、私の立場も微妙でしてね。このようなところで申し訳ない」
 僕はただ首を横に振った。あきれて声も出ない、というわけでもないが、それに近かった。このようなところ、というのなら、僕たちが詰めている兵舎なんて家畜小屋だ。それに先生の立場に気づいていたのは僕でなく、ロジェさんだ。
「公園で妙な人たちに絡まれたでしょう」
 なるほど。あの老僧――ハンスさんだとあとで教えてもらった――に迎えに来てもらったし、気にしていないと答えたが。むしろ僕たちが現れたことでジャン先生の周りが騒がしくなったのかという懸念に関しても、
「遅かれ早かれ」
 と短くため息をついただけだった。
 いろいろと聞きたかったことがあったが、なにやら言いにくそうにしていたから僕はひとまず例の赤い液体の小瓶をテーブルに置いた。
「忘れないうちにお渡ししておきます」
「ああ、それは……ありがとうございます」
「念のためですが、これは大丈夫なやつですか? 毒とかじゃないですよね?」
「ふふ、何を聞かされているのか存じませんが、大丈夫ですよ。確かに、使い方によっては劇物にもなりえますね」
 一息間を置いた後、先生は続けた。
「純粋な魔力です。固めるとか、適当なものに固着させれば賢者の石と呼ばれるものです。それがあれば、大抵のことはできるでしょう。奇跡をかじったことがある人間にとって喉から手が出るほどに欲しい代物です。そんなものを私に持ってきた経緯、聞かせていただけますか?」
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