本能のままに

揚羽

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本能寺の変

決断

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1582年6月3日夜 本能寺の変より1日後
この時毛利方面軍の大将である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は京よりの伝令の話を聞いていた。

「何!!信長様が亡くなられただと!!」

「はい、信長様は本能寺にて明智光秀によって討たれました。」

「それは本当なのか!毛利の流した流言ではないのか!」

「秀吉様、これは本当なのではないのでしょうか。」

「なぜそう思う、官兵衛。」

黒田官兵衛、彼は元々播磨(今の姫路付近)で力を持っていた赤松氏に仕えていたが織田家が毛利攻めをする際に秀吉に軍師として従軍していた。

「はい、まず1つ目は毛利であったらこんなにもすぐに答えのわかる流言を流さないでしょう。仮にも毛利元就の創り上げた家でございます。」

「で、2つ目は?」

「はい2つ目はあのときは信長様を討つ絶好の機会でした。織田の重臣たちは明智以外は京から離れたところにおり、さらにあのとき嫡男の信忠様も京におられたはずです。織田政権を止めるには信長様と信忠様の両方を討たねばならぬので、この機を明智は待っていたのではないのでしょうか。」

「なるほどのう。ならば我らがやらねばならんのは1つだな。」  

「はい、今は毛利と講話し明智を討ちに行くべきです。」

「そうだな。であれば、まずはあの湖の中の城に降伏してもらわんとな。」 

このとき秀吉は毛利家臣の清水宗治が籠城する備中高松城を水攻めしていた。


備中高松城内部

「何?秀吉が降伏せよと?」

「はい、秀吉様は今なら宗治殿の首と少しの領土で毛利と講話をするとおっしゃっております。」

「そうか、少し考えさせてくれ。」

「分かりました。なら少し待たせてもらいます。」

(秀吉め、なぜそこまで焦っておる?奴もこの城に兵糧がもう少ないことは知っているだろうに。何を考えておる。)

「宗治様、大丈夫でございますか?」

「あぁ、元行か。」

中島元行、彼もまた備中高松城で籠城をしていた。
 
「いや、この講話。何か裏がありそうでな。」

「確かに少し急いでいるような感じですね。」

「もしかしたら、織田方で何かあったのかもしれんな。」

「何かって、何でしょうか?秀吉が病にでもなったのでしょうか?」

「いや、もっと大きなことが…まさか!」

「どうされたのですか?何か分かりましたか?」

「あぁ、もしかしたら信長が死んだのかもしれん。」

「死んだって、まさか謀反が起きたのですか!」

「おそらくはそうだ。そして秀吉はすぐに京へと向かいたいはず。ならば今我らがやることは…」 


秀吉軍本陣

「何?宗治が拒否したじゃと?」

「はい、『武士として城を枕としてでも戦う。』と言っておりました。」

「くそう!これでは京に向かえないではないか!」

「秀吉様、ここは仕方ないですがすぐに京へと向かうのは諦めましょう。ここで毛利を放置しては明智と本腰を入れて戦えません。」

「仕方ないがそうするしかないか…」 

この清水宗治の決断により史実では秀吉が10日で京へと戻った「中国大返し」は起こらず秀吉は京へと戻るのが大幅に遅れてしまった。これにより明智光秀は京での地盤が整ってしまった。
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