解呪結婚

nsk/川霧莉帆

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「気をつけるようにと言ったのに」
 苛立ちのこもった手がパンをちぎる。向かいの席で、ベルタはフォークを置いた。
「アウリス、聞いて。わたしがあの人を見張っておくから……」
「その間に私が打つ手を考えるのだろう? 分かっているとも。そうでもしないとあの司祭には勝てないということくらい」
 先ほどの約束について話してからというもの、アウリスは怒りと不満をあらわにしたままだ。
 ベルタとて司祭の話に乗ることが得策でないことは分かっている。だがこのままアウリスと司祭の睨み合いが続くのは心臓に悪い。
「勝ち負けどころじゃないわ。命がかかってるのよ」
「……分かっているよ」
 アウリスが疲れた顔で茶をちびりと飲む。ベルタは身を乗り出した。
「あなたは自分の命を優先して策を立てて。わたしにできることがあれば、何でも頼んで」
「ああ」
「誓ってちょうだい」
 テーブルの上に腕を伸ばす。アウリスは瞳に苦い色を浮かべたが、やがて手を握ってくれた。
「分かった。誓おう、君のために」
「……ありがとう。わたしも頑張るわ」
 二人は意思のこもった視線を交わした。

 朝食の後に軽く見繕いをしてベルタは喫茶室へ向かった。シムノン司祭は既に部屋の前で待っていた。
「さっきぶりなのにもう懐かしい感じがしますね」
 司祭はベルタの姿を眺めて言う。
 襟の高い長袖のブラウスに着替えてきたのだ。聖職者とはいえこの男の前では隙を見せない方が良い、と勘が訴えていた。
「中へどうぞ。お荷物も多いみたいですし」
 司祭は手提げ鞄一つを持っていた。二人は喫茶室に入り、斜向いになってソファに座る。
「実はこういう分野は私の専門と言っても過言ではないんですよ。父も祖父も、もっと前の祖先も、ずっと研究してきたことです」
「まぁ。魔女狩りについてをですか? 隠された歴史といっても、よく知っている人はいるものなんですね」
「きっと驚かれますよ。ああいえ、驚かそうと思っているわけではありませんよ」
 鞄から取り出されたのはまず古く厚い本。それから古い手帳が何冊か。羊皮紙の巻物数本。本の頁の切り抜きらしきもの。最後に、丁寧に扱われていると分かる革の手帳だ。
「研究中の資料や我が家系が解き明かした真実や、まあそんな感じです。雑多でしょう」
「研究者らしいですね。それで、朝仰っていた話の続きを聞かせてくれますか? この城が魔女のものだった、という」
「奥様も勉強熱心ですね。では早速、これを」
 見せられたのは一本の羊皮紙だ。『審問令』と題されている。
「これは当時の国王がある町の教会へ送った命令です」
「審問、というのは……?」
「実際に行っていたことを言えば、拷問でした」
 こともなげに答えられ、ベルタは背筋が冷えた。
「この書状で逮捕された魔女は貴族の令嬢です。婚約者を呪い殺すために呪術を利用していると書かれていますね。貴族はこのように恋愛がらみの話が多かったようですよ。ちなみに、このような情報提供がどうやって行われたか、奥様は分かりますか?」
「い、いえ」
 ふるふると首を振る。司祭は楽しそうに答えた。
「密告ですよ。これの場合は召使いによるものでした」
「そんな……主人を裏切るなんて」
「正義に報酬が払われた時代だったのです。話をここへ戻しますと、この街には教会がありませんよね。貴族に扮する魔女が住まうにはちょうどよい場所だと思いませんか?」
 ベルタは何も言わなかった。
 この話には聞き覚えのある言葉が多すぎる。まるで自分の話をされているようだ。
(でも、気のせいじゃないのよね……きっと)
 魔術師の根城に乗り込んでくるほどだ。ベルタの素性も、ザカリーとのいざこざも、既に調査済みだろう。
 その上で、アウリスと結婚した自分に魔女の疑いを掛けているのだろうか。
 いや、疑いよりもひどい――魔女に仕立て上げて捕らえようとしているのかもしれない。
(もしそうなら、冗談じゃないわ)
 内心憤慨する。その間に司祭は古い本に挟まれた栞の頁を開き、ベルタへ向けた。
「……!」
 そこにある挿絵に息を呑む。
 裸の女性が磔にされ、足元に火を放たれている。取り囲んでいるのは聖職者と騎士たちだ。
「捕らえられた魔女が家へ帰ることはありませんでした。逮捕されれば、拷問の末に処刑されることが決まっていましたから。魔女狩りとはその名の通り獣を狩りたてるように魔女を狩ることを意味していたのです」
 ベルタは肘掛けを握りしめた。司祭が立ち上がって近づく。
「この魔女の場合は夫に密告されたそうです。ほら、ここに記述があるでしょう……」
 司祭は背凭れに手を置き、ベルタへ覆いかぶさるように文章を指した。
 ほのかに香の匂いが漂ってくる。甘さを含んだ蠱惑的な香りだ。祭服に焚きしめているのだろう。
「もう、十分です」
 気分が悪くて腹の中がひっくり返りそうだった。
 腕で追い払う仕草に合わせ、司祭は自分の席へ退く。
「残念です。次は男性の魔女の話でもしようかと思っていたのですが」
「…………」
「そう睨まないでくださいな。そうだ、気分転換に昼は街を散歩しませんか?」
 矢継ぎ早な提案に目が眩んだ。
「街をですか……?」
「ええ、せっかくですからあの魅力的な市場を見て回りたいのです。それにお城を崖の下からもっとよく見たいですし。この街には歴史的価値があると私は思うのです」
 そういえばロシュメールの歴史を掘り下げたことはなかった、と思い返す。
 この城は確かに変わっている。戦争もないのに崖の上に城を作るなんて酔狂だ。領主はどうして民衆から許されたのだろうか。
 許されずとも人々を建設へ動員する方法があったのだろうか。
 ベルタは軽く目を閉じた。自分が司祭の望むように思考している気がした。
「お出かけになるのは結構ですよ。伯爵に言付けておきましょう」
「奥様。私はあなたと一緒に歩きたいのです」
 司祭は小首をかしげた。整えられた金髪がさらりと揺れる。
 それを見た瞬間――自分の中で何かが吹っ切れた気がした。
「……分かりました」
 微笑んだつもりだ。なのに司祭は顔をひきつらせる。
「お昼、玄関にてお待ち下さい。わたしが街をご案内します」
「ああ……それは素敵ですね。では、そのように」
 一礼してベルタは先に部屋を出た。拳を握りしめてつかつかと書斎へ向かう。
 勢いよくドアを開けると、アウリスが机で飛び上がった。
「ベルタか。てっきり連中が攻め込んできたものかと」
 妻の顔色を見てアウリスは眉をひそめる。
「何があった?」
「あなたがきっと怒ること」
 アウリスはペンを置いて立ち上がった。ベルタは首を横に振る。
「言わないわ。代わりに許してほしいことがあるの」
「……言ってごらん」
「仕返しよ」
 紫の目がぱちくりした。
「仕返し」
「復讐と言っても大差ないわ。アウリス、わたし今から人に嫌がらせをするの。こんな妻を許してくれる?」
 詰め寄られたアウリスが尻込みする。
「それは……あの司祭にか?」
「ええ」
「君が、どうやって?」
「まだ詳しいことは決めてないわ。でも街に出れば色々と方法があるはずよ」
「二人で外に行くのか?」
 緊張した声に、ベルタははっとした。
「そうなの。あの人が見て回りたいって言うから、あなたから遠ざける機会だと思って」
 アウリスがベルタの腰を抱き寄せる。寂しさを悟ってベルタも抱き返した。
「大丈夫。ちゃんと無事に帰ってくるわ」
「その言葉、誓ってくれ」
 顔を上げると、間近に見つめ合った瞳に自分が映っている。
「私に、誓ってくれ」
「……誓うわ、アウリス。アウリス・アラステア・ラルカン」
 小さな口づけが唇へ降りた。
「許すよ。私の愛しいベルタ――食らわせてやれ」
 アウリスはいたずらっぽく口の端を上げた。
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