解呪結婚

nsk/川霧莉帆

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 昼、アウリスとともに玄関へ向かうと司祭は既にそこで待っていた。
「お待たせしました」
「いいえ、今来たところですから。伯爵はお見送りですか?」
 アウリスが後ろからベルタの肩に手を乗せる。
「あいにく忙しい身ですから」
「お互いに窮屈な立場ですよねえ」
 ベルタは冷ややかな視線の間へ割って入った。
「行きましょう司祭様。せっかくのいい天気を逃してはいけませんから」
「そうですね。気持ちいい快晴だ」
 司祭を扉へ追い立てたつもりだったが、突然振り向かれる。
「伯爵、本当に来られないのですか?」
 アウリスは注意深く頷く。
「ええ」
「惜しいなあ。行きましょうよ、せっかくなんですから。ほら」
 司祭が手を伸ばして腕を引っ張った。
 空足を踏んだアウリスは腕だけが城の外へ出る格好となる。紫色の瞳が見開いてこわばるのを碧眼が至近距離で覗き込んだ。
 アウリスは司祭を突き放すように振り払う。
「ご勘弁を。私は妻がいる身です」
 司祭は声を立てて笑った。
「冗談がお上手だ。……なら行きましょうか、奥様?」
「ええ……」
 反射的に返事をする。動揺を隠せている自信がなかった。
 振り返ると、アウリスがつかまれた腕を庇いながら笑みを浮かべる。その無理な表情から、何かが起こったことは明白だった。
 腕程度なら外に出せる。アウリスはそう話していた。だが代償がないとは言っていない。
「行っておいで」
 ベルタは無理やり前を向いた。
 司祭は既に坂道へ歩き出している。腕で日差しを遮りながら街を見渡す仕草ですら挑戦的に見える。
(とにかく時間を稼がないと……)
 司祭という指揮官がいない間、聖騎士団はほとんど動けない。少しは城に自由が戻るだろう。その間に何か思いついてくれれば……。
 ――何かとは、何なのだろう。
「奥様、忘れ物でも?」
 声をかけられて我に返り、ようやく歩き出した。
「いえ。大丈夫です」
 司祭は美しく微笑んだ。
 この人はアウリスを追い詰めるためなら何でもやるつもりなのだろう。それこそ、かつての魔女狩りのような残忍なことだって。
(……諦めてやるものですか)
 ベルタは白い祭服の背を人知れず睨みつけた。
 街の人々は司祭がベルタとともに降りてきたことにいい顔をしなかった。聖騎士団に礼儀なく踏み込まれた日から人々が彼らに抱く心証はよくない。市場を見たいという司祭の要望どおり案内はしたが、みんな司祭を遠回しにした。
「ベルタ様、伯爵様はお元気なの?」
 何度か顔を合わせたことのある女性が心配そうに尋ねてくる。
「ええ、元気よ」
 会話を聞きつけ、司祭がこちらへにっこり笑う。人々がよくない想像をしているのかもしれないと気づいたのはその時だった。
「そうは見えないかもしれないけど、結構元気なの」
「あらまぁ」
 耳をそばだてていた人々も含み笑いをこぼす。
「司祭様はここの風土の勉強にご熱心でいらっしゃるの。だから伯爵にお許しをもらってご案内しているのよ」
「じゃあ、土地を調べてるわけじゃないんだね?」
「土地?」
 首を傾げると、人々が声を低める。
「この街に教会が建つんじゃないかって心配なんだよ。もちろん悪いことじゃないけど、あんな大人数で怒鳴り込んできた挙げ句に神様だ何だって言われたら、さすがにね」
「それにここはずっと領主様のもとで暮らしも信仰も自由にやってきたんです。足りないものなんてありません」
 皆は司祭がロシュメールを教化するためにやってきたと警戒していたらしい。聖騎士団を引き連れてきたことが不安の素になっているのだろう。
「大丈夫よ。皆が納得出来ないことを伯爵がやるはずはないわ」
 自信を持って言うと、人々は一応愁眉を開いてくれた。
 露店を覗いていた司祭が戻ってきて声をかけてくる。
「そろそろ次へ行きませんか」
 物腰柔らかな態度へ人々の表情が軟化した。彼らにしてみればただの客人を恐れる理由はないのだ。
 ベルタにしてみれば、司祭が街の者たちと交流することは好ましくない。司祭にとって人々の発言はアウリスに関する証言になり得るからだ。
「では、商店街をご案内しましょう」
 司祭を誰からも遠ざけなければならない。
 そのためには、多少の無理も必要だろう。

 商店街を歩いて店を見て回り、適当なところで提案した。
「そろそろ休憩しませんか? ゆっくりできる店を知っているんです」
「いいですね。そちらへ行きましょう」
 ベルタは内心、誘いがうまくいったことをほくそ笑んだ。
 街は最近、レーヌ社の成功にともない都ぶりの小洒落た雰囲気を取り込み始めていた。昔ながらの菓子屋が新しくケーキを売り始めたのはその変化の一つだ。
 店先へ来ると甘ったるいにおいが身を包むようだ。司祭が少したじろぐ。
「ここですか」
「ええ。お茶が美味しいんですよ」
「そうですか。それは良かった」
 店内は狭い。販売しかやっていないように見えるが、実は奥に小さなテーブルが準備されている。ちょうど二人分の席だ。
 そこへ司祭を促し、ベルタは店の主人に紅茶を二つ頼んだ。
「侍女と一緒に時々街へ来るんです。その時のためにと、ここのご主人が席を用意してくれているんですよ」
「ご親切なのですね」
「ええ、とっても」
 司祭は菓子が苦手だ。
 それを知ったのはつい先ほど、昼食の後だった。司祭の弱みを探るためダーラに尋ねてみたところ、初日の食事につけたデザートを嫌な顔で突き返されたと話してくれた。
 嗜好品は神に仕える者として云々と理屈を述べられたらしいが、聖職者が砂糖を禁じる戒律はない。個人的な好みについて格好をつけただけだろう。
 そうと分かれば作戦は立てやすかった。
 紅茶を持ってきてくれた主人へベルタはにこやかに告げる。
「今日は甘いものを満喫したい気分だわ。お店のお菓子全て、二個ずついただけるかしら?」
 目を丸くしたのは司祭だけではなかった。
「全部で十四個になりますよ」
「平気よ、司祭様もいらっしゃるもの」
「え?」
 笑いかけると、司祭はさっと顔色を変えた。ベルタの思惑に気づいたらしい。
「私は……お昼をいただいてまだお腹いっぱいですから」
「今日くらい良いじゃありませんか。わたしもここへはしょっちゅうは来られないんです。せっかくですから、お付き合いいただけませんか?」
「残念ですが、私のようなものは質素を心がけなければいけませんし」
「まぁ。淑女に恥をかかせてでもそうすべきなのですか?」
 碧眼が驚きで見開かれる。まるで飼い犬に手を噛まれでもしたかのような反応だ。
 実際、不意打ちだったのだろう。司祭は紅茶を飲み、しばし口ごもると、勇ましいまでの表情で答えた。
「いいでしょう。この暴食は奥様のためです」
「では、二個ずつお願いね」
 主人は後ずさるように立ち去り、やがて焼き菓子やケーキが載った大きな皿を二つ持ってきた。
 皿が配膳された時、ベルタと司祭の反応はほとんど同じだった。さながら強大な軍勢を前にした兵隊だ。
 互いに顔を見合わせて、どちらからともなく挑戦的に微笑む。
「一度に色んなケーキを食べられるなんて。今までにない贅沢を司祭様に感謝しなきゃいけませんね」
「それはそれは。では私も奥様に感謝させていただきますよ」
 真意を探るように目を向けると、司祭は改まって言う。
「朝の勉強会のことです。私は自分の血の役割に誇りを持っていますが、あのような残酷な歴史のことは誰も、同じく神に仕える者たちですらなかなか理解してくれないことなのです。だから奥様、あなたが私の仕事に興味を持ってくれて嬉しかった。ありがとうございます」
 司祭は綺麗な微笑みを形作り、フォークに乗せたたっぷりのクリームを口に突っ込んだ。
 途端にしかめ面になるが、手は休まらない。食べると言うよりは腹に押し込んでいる。
 それを見ながらベルタも一つ目のケーキにフォークを入れた。白いスポンジとクリームの層を切り崩す。
「わたしも、司祭様のことが分かってよかったと思っています」
 せいぜい苦しめばいい。
 笑顔の裏に本音を隠してケーキを頬張る。ささやかな仕返しは甘美な味がした。
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