オーロラ・オーバル

nsk/川霧莉帆

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 再び巡ってきた週末の夜、大通りに面している歩道の脇に私は立った。
 ここはサイトスと初めて会った場所だ。会社からの帰りに突然呼び止められたんだった。
 私は、その時と同じことを起こすためにここへ来た。

 雑誌に載っていたほんの十数文字の募集文句。それだけでサイトスは他の誰でもなく私を選んで会いに来た。
 どんな文章で、何が決め手だったのかは知る由もない。……書いた本人ももういないし。
 ともかく、私は色んな紙媒体の雑誌を調べて、男女の出会いを斡旋するコーナーのある雑誌をピックアップして、サイトスが持っていたのと同じ雑誌を記憶を頼りに特定して、投稿した。
 幸い週刊誌だったため、私の投稿は週末の到来と同時にドーム中に拡散された。
 当然、サイトスがそれを見るかどうかは分からない。
 自分は何をやってるんだろうって何度も自問自答して、恥ずかしくなったり馬鹿馬鹿しくなったりしたけど、それでも勇気を出せたのは、これが自分のためじゃなくて他人のためだからだった。
 サイトスには時間がない。
 彼の兄は今頃、ゴミ置き場からかき集められた鉄くずなんかと一緒に溶解炉に落とされる寸前かもしれないのだ。
 そうやって焦れば焦るほど、通り過ぎる人々の姿が目にちらつく。
 だけど道行く人影の中に、彼の輝きはない。
 どんな人だってあんな色彩を持つことは出来ない。この文明が死にかけた星の表面に出来たコブに過ぎない事実すら、彼を絶望させていなかったのだから。
 彼はもっと遠いところを見ていた。
 だから……そうだ。だからまた会いたいと思ったんだ。

「誰待ってるの?」
 はっとして顔を上げた先に、知らない人間の男がいた。
「三十分くらいずっとここにいない? オレも人待ちなんだけど、全然来なくて飽きちゃってさ」
 その態度を見れば、来ない相手が恋人などではないことは分かった。
「誰待ってるの、彼氏?」
 私は首を振った。
「仕事の話をするんです。他へ行ってください」
「じゃ、来るまでそこの店でお茶しようよ」
「えっと……その人は目が悪いので、目立つところにいないと気づかないんです」
「へぇぇー」
 むきになった男がわざとらしい相槌を打つ。
「手術しないの? サイボーグ化とかさあ」
 ああ、つまらない嘘を言った私が馬鹿だった。
「……先天性だから手術して見えるようになってもリハビリに時間が掛かるので、それがネックになってるみたいです」
 どこかで聞いた話を適当に繋ぎ合わせた。
「保険金出るでしょ、仕事休んだって問題ないじゃん」
「そうでしょうけど……」
「何の話?」
 僅かにがたついた電子音声に、二人して振り返る。
「あ……!」
 心臓が嬉しさに跳ねる。
 遠くの繁華街のネオンを背負って、サイトスが立っていた。
「あ?」
 男が困惑と凄みを半々にぶつける。そのどちらも意に介さないヒューマノイドが、コンクリートの小さな破片をじゃり、と踏みにじって近づいてきた。
「アイビー、待たせたか?」
 奇跡。その言葉が頭に浮かんだ。
「う、ううん!」
「え、これ彼氏?」
 彼がサイトスの見た目か私の趣味か、どっちに驚いたのかは分からないけど。
 不躾に指を差されたサイトスは、手を振り返した。
「まーそういうことだから。良い夜を」
 つまらなさそうに退散する背中を二人で見送って、どちらからともなく顔を見合わせる。
 闇に波打つ玉虫色は、佇む間も繊細に形を変える。
「来てくれたんだ」
 彼が肩をすくめる仕草は、困り笑いをしているように見えた。
「決心したつもりだったんだけどな」
 いつかみたいにパンツの後ろポケットから、半分に折り曲げられた雑誌が取り出される。
「俺も会いたかったんだ。それに気づかないフリしてたけど、その一方でしっかり考えてた。真面目なアイビーのことだから、この手を使って連絡してくるだろう、って」
 分かってくれたんだ……。
 それが何より嬉しい。
「けどよ……これヤバイな。自分で考えたのか? 『熱帯魚みたいに啄ばんでくれる人、探してます』って」
 顔から火が出そうになったのと、雑誌をもぎ取ったのは同時だった。
「ここで読まないでよ!」
「滾るなぁ。口が無いのが惜しいよ」
 意味ありげに二の腕を撫でた手をぴしゃりと叩き落す。
「これはただの連絡だからっ。それよりも」
 私は週刊誌を雑巾絞りして、小さな声で言う。
「サイトスのお兄さんの居場所が分かった」
 フェイスシールドの奥が驚きに満ちた気配がした。


 敷地内を覗き、サイトスは捻っていた体を戻した。
「当然、巡回ロボがいますとも」
 大きな夜間照明がくるくる回りながら施設全体を照らしており、車両搬入口の大きな鉄の門の影を規則的に地面へ描いている。
 その横の濃淡を繰り返す闇の中で、私たちはしゃがんで潜んでいた。
「施設員用の裏口があるの。そこに行こう」
 さっさと立ち上がって歩き出したけど、腕を掴まれて止まるはめになった。
「駄目だ。ここからは俺一人で行く」
 私がまた一人で危ない橋を渡っていた上に、さらに不法侵入しようと言い出したことで、彼はさっきから少々ご立腹だった。
 サイトスとお兄さんのことを今更知らないフリはできない、って言い返した時はもう少しで説得に成功しそうだったんだけど。
「だから、どこにデータがあるかは私しか知らないんだよ」
「だーから、もう今日じゃなくていいんだよ。地図書いて、それを俺が持って、後日俺だけで来ればいいから」
「でも……」
「いいんだって。俺はもう、兄貴がどこにいたかさえ分かればいいんだよ」
 そう言うと、サイトスは私を抱き寄せた。
「今生きていることが大事なんだ。だからもう帰ろう」
 妙に甘い声で放たれた自分勝手な言い分に、思わず顔をしかめる。
「ホントにそう思ってる人は、他人に不正アクセスさせたりしない」
 沈黙の後、そろりと体が離れた。
「そんなにしっかりしたコだったっけ」
「サイトスこそしっかりしてよ」
「はぁー」
 頭部に手をやって分かりやすいほど困惑を示しながら、まだ何か言いたげだったけど、結局一言だけ。
「分かったよ」

 侵入口に選んだのは、工場内でも比較的小さな部品の生産をしている棟だ。
 こういう工場施設は、配管の種類や通り方で建物内構造が分かってしまう。監視カメラとコンピュータ端末の繋がり方や、電子ロックの場所、そして決して近づいてはいけない高セキュリティエリア。事前にそれらをチェックして、ルートを考えておいたのだ。
 だけど、それをハンディ端末に移したり紙にプリントアウトしたりすれば、モノや痕跡が職権乱用と不法侵入の証拠品になると思って、やらなかった。
 記憶力には自信が無い。だから今覚えている分だけで、ここは乗り切るしかない。
 自動制御式の生産ラインは夜間も動き続けていた。昼間はそれを人の目が見回るのだろう、事務エリアと工場エリアを隔てて通る大きな通路は、片面がガラス張りになっていて、回路基板の卵を乗せたベルトコンベアを俯瞰できるようになっている。
 私たちは川の上流を目指すように、生産過程をさかのぼって進んでいた。原料を目指して進むこのルートが、目的の場所周辺へ近づくには一番早いと思ったのだ。
 そして、最奥の電子ロックへ辿り着く。
 サイトスは施設内へ侵入した時と同じように、電子ロックのピッキングを行った。カバーを外して露出した基板と配線の接続部分を摘んで一時的にショートさせ、その間に特定のコードを入力することでロックを解除するのだ。
 どこでそんな技を習得したのやら。
 扉を開くと、温かい風が顔に吹き付けてきた。
 青白い電灯に冷たく照らされながら、大きなリフトが吊るされている。その下に構えられた深い穴の底で、激しい気流が生み出されているらしかった。
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