京都もふもふ、けもののけ 〜ひきこもり陰陽師は動物妖怪専門です〜

ススキ荻経

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第四章

恭の脱ひきこもり作戦 祇園祭編 3

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「どう? 可愛いやろ? あのカマキリ、巡行の時はからくり仕掛けで動くねんで」

 自慢げな美鵺子の解説が入った。

「へえ。面白いな」

 恭は覚えず口元が緩むのを感じた。確かに遊び心があって楽しいデザインである。さすが長い付き合いだけあって、美鵺子は俺の好みがよく分かっているな、と恭は思った。

 「かまきり! かまきり!」と、肩車をされた子どもが興奮気味に声を上げているのが目に入る。この山鉾は長刀鉾のような派手さはないが、コアなファンには人気があるに違いない。

「子どもの頃、一緒に虫捕りしたの覚えてる?」

 不意に恭が思い出したように尋ねた。

「覚えてるでー。色んなとこ行ったやんな。昔から恭は街遊びが好きじゃなかったから」

 美鵺子は懐かしそうにくすくすと笑う。

「今思えば、あの頃は結構やんちゃしてたよなあ。虫を探して稲荷山に入った時は、二人で師匠にこっぴどく叱られたっけ」

「そんなこともあったなあ」

 二人は話しながら、後から来た人に場所を譲る形で蟷螂山の前を離れた。人気ひとけのない通りへと戻る。

「しっかしあの時は、美鵺子が急に気を失ったからびっくりしたぜ。森の中に落ちてた古い神具に触れてしまったんだっけ?」

 恭が言うと、美鵺子はきまりが悪そうに苦笑した。

「うん。昔は不用心やったからねー。霊山にあるものは全て警戒するべきやったんやろうけど、つい気になって拾っちゃったんやね……。結局、恭の伏見のおじいさんに助けに来てもらうことになって、本当に申し訳なかった……」

「気にすんなよ。じいちゃんもそんなことは覚えてないと思うし。それより、次はどの山鉾を見に行く?」

「えーっとね。ちょっと待ってね……」

 呟きながら、美鵺子は携帯端末を取り出して地図の画像を表示した。恭がのぞき込むと、そこには碁盤の目状の通りと山鉾の位置が細かく描きこまれている。

「んーっと……」

 美鵺子が小さく唸りながら画面を指でなぞり始めたので、恭はぼんやりと顔を上げて周囲を見回した。

 大通りの明かりが遠く見え、どこからか微かにお囃子が聞こえている。

 意外に今日は楽しめているな、と恭は思った。

 もっと過酷なイベントになるだろうと覚悟していたが、美鵺子が気を遣ってくれているお陰で、そこまで強いストレスを感じずに済んでいる。

 ほっと息をついたその時だった。恭が通りの奥に黒い影を見つけたのは。

 ん? 何だ? あれ。

 こちらをじっと見つめる赤い双眸。獣のような体躯。

 その輪郭は闇に沈んでぼやけている。わずかだが妖気も漂っているのに気が付いた。

 あれは間違いなく、この世のものではない。

「おい。美鵺子……」

 恭はそっと浴衣の肩を叩いた。

「え? 何!?」

 驚いた様子で美鵺子は顔を上げる。恭は影の方を指差して囁いた。

「あれ……。妖怪だよな?」

「ほんまや。祭りの真っ最中にこんなところに出てくるなんて……」

 美鵺子は目を丸くする。

 おかしい。祇園祭の厄払いの影響を受けていないのだろうか?

 恭が眉をひそめた瞬間、二人の視線に気が付いたのか、影は身を翻して突然逃げ出した。

「あ、待って! 捕まえて! 一反木綿!」

 咄嗟に美鵺子が腕を伸ばすと、その手首から白い布が鞭のように放たれ、影の足と思しき部分に巻き付いた。

「おい! 何を!?」

「何をって、良い妖怪か悪い妖怪か、見極めなあかんやろ?」

 恭が振り返ると、美鵺子はまるでスイッチが入ったかのように、プロの陰陽師の顔になっていた。

 一反木綿の片端を手に握りしめたまま、もがく影に向かって駆け出す美鵺子を、恭は慌てて追いかける。

 影に迫る二人。

 刹那、影が身をよじり、束縛から逃れたかと思うと、いきなり牙をむいて美鵺子に飛びかかった。

「唐傘!」

 美鵺子が手を突き出す。唐傘お化けが飛び出し、傘を開いて盾のように影を跳ね返した。

「犬!?」

 影の姿を近くで捉えた恭は驚きの声を上げた。

 それは黒い大型犬に見えた。しかし、ただの動物霊とは受ける感じが違う。黒いもやがたなびくその体は尋常ならざる殺気を放ち、異様につり上がった目は怒りに燃えていた。

「こいつは噛まれるとただでは済まないぞ!」

 恭はやや後退しつつ美鵺子に声をかけた。実体のない妖怪は物理的に人を傷つけることはできないが、彼らの攻撃は呪いとなって襲ってくる。呪いはある意味では、肉体的な外傷より恐ろしい。不運をもたらすこともあれば、精神に作用して病を引き起こすこともある。影響が予測できないのだ。

「大……丈夫っ!」

 美鵺子は唐傘お化けを飛び越えて躍りかかってきた影を躱すや、流れるような動きで虚空から刃先が欠けた妖刀を取り出した。これも刀身が暗闇で揺らいでいて、実体がないことが分かる。

「せいっ!」

 間髪入れず裂帛れっぱくの気合いとともに、上段から斬り下ろした。

 悲鳴のような断末魔が響き渡り、影の犬は瞬く間に夜闇へと溶けていく――。

「ふう……」

 吐息を漏らす美鵺子。同時に、呼び出された付喪神たちはすっと姿を消した。

「祓ったのか?」

 恭が問う。美鵺子は額の汗を拭ってこくりと頷き、それから我に返ったように辺りを見回した。

「ありゃ、通行人に見られちゃってたみたいやね。行こう、恭」

 恥ずかしそうに頬を赤らめてそそくさと恭の袖を引く。通行人は数人だけだったが、みんな二人に注目していた。

 霊能力がない人間には影の犬も付喪神たちも見えなかったはずなので、彼らには美鵺子が一人で踊り狂っているように映ったに違いない。

 とにかくこの場は逃げるにしかずである。

 美鵺子と並んで足を速めながら、恭は思案げに眉根を寄せて口を開いた。

「どう思う。さっきの犬」

「どうって、あれもよく見る怨霊の一種とちゃうん? 見た目ほどは強くなかったし……」

 美鵺子はあっけらかんとしている。しかし、恭は納得がいかない様子で首を横に振った。

「いや、それにしては不自然だろう。人間の霊ならいざ知らず、動物の霊があんな風に怨念をため込むのはおかしい」

「そうなん?」

「ああ……」

「でも、無事に祓えたから問題ないんちゃう?」

「…………だといいが……」

 恭は顔を曇らせ、自分の胸に当てた手をぎゅっと握りしめた。

 怨念の炎に触れた痛みがまだ残っている。恭はなんとなく、この痛みに覚えがある気がした。
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