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第四章
狸谷山の一大事 1
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『狐坂さん! 緊急の依頼です!』
お盆がそろそろ終わりを迎えようかという八月十六日の昼下がり。スマホにかかってきた電話に応答した喬の耳朶を、いきなり紬の切迫した叫び声が打った。
「はあっ!? なに? 緊急?」
ちょうど自室で昼食のそうめんを食べている途中だった喬は、顔をしかめながらスマホを耳から遠ざけ、大声で返事をする。
『はい! 一大事です! 狸番の狸塚さんからの通報によると、ついさっき、狸谷山不動院の近くに、様子のおかしい妖狐が出没したそうです!』
なおも焦りを滲ませた口調でまくしたててくる紬。そのバックには車のエンジン音が聞こえている。どうやら向こうは運転中のようだ。
「様子のおかしい妖狐!?」
喬はピクッと片眉を上げて聞き返す。
『そうです! その妖狐は狸塚さんに襲いかかってきたそうなので、ひょっとしたら邪気に侵されているんじゃないかと!』
「ふーん……」
喬は真面目な顔で相槌を打ち、ひとまず食べかけのそうめんを音を立ててすすった。紬はたちまち声を荒らげる。
『ちょっと!? なに悠長に食べてるんですか!? 邪気に染まった妖狐が暴れ出したら、甚大な被害が出るかもしれないんですよ!?』
喬は黙ってそうめんを喉の奥に流し込んでから、小さくため息をついた。
「あんたはとりあえず落ち着け。そもそも現状じゃ、その妖狐が邪気に侵されているかどうかすら定かではないんだろ? 冷静さを失っていると判断を誤るぞ? それに、僕が食事を続けているからといって、危機感が欠如していると思うのは大きな間違いだ。僕はただ、あんたがここに到着するまでにまだ時間がかかりそうだから、今のうちに少しでも腹を満たしておこうと考えただけだ」
『うぐ……! 相変わらず口が減らない人ですね! でも、一緒についてきてくれる気にはなってるみたいで安心しました! あと五分ちょっとでそちらに着きますから、マンションの前で待っていてくださいよ!』
紬がそう告げたのを最後に、通話はプツッと一方的に切られる。喬はスマホをポケットに入れ、ポリポリと頬をかきながら苦笑した。
「やれやれ……。ありゃ完全にパニクってるな。土蜘蛛事件を経験した後で、妖怪の脅威に怯える気持ちは理解できるけど」
喬は卓上の置時計を眺めながら、残った麺を一気に平らげる。それから静かに席を立つと、机の横に置かれたショルダーバッグを無造作に肩にかけ、平然とした足取りで玄関に向かった。
***
「ああ! よかった! ちゃんと表で待っていてくださったんですね! ありがとうございます! さあ、早く乗ってください!」
マンションの前に到着した紬は、駐車場の脇にたたずんでいる喬を見つけるなり、運転席から慌ただしく彼を手招いた。
「ちぇっ。なんだよ。僕が部屋から出てこないんじゃないかと疑ってたのか?」
喬は不服そうな表情を浮かべて助手席に乗り込んでくる。――そりゃそうだ。紬は正直にこくりと頷いた。
「はい。だって、普段の狐坂さんはこんな素直に言うことを聞いてくれないですから」
「失敬だな。僕だって、必要な時にはちゃんと働くさ」
「ちょっぴり見直しました。でも、それって、裏を返せば、普段の依頼は必要ないと思ってるってことですよね!?」
紬は頬を膨らませて喬に言い返しながら車を再発進させる。目指すは北東。不審な妖狐の目撃情報があった京都市左京区一乗寺の山奥の寺院だ。
「ちなみに、狸塚さんは参道の入り口で待ってくださっているそうです。合流して現場に向かいましょう」
続いて紬がそう伝えると、喬は面倒くさそうに「あー」と額に手を当ててぼやいた。
「狸谷山不動院か……。そういやあそこ、めちゃくちゃ石段が多かったんだよなあ……。こんな暑い日に登ったらぶっ倒れちまいそうだぜ……」
「もう! この非常時に何を言ってるんですか!? 今回は急を要する案件なんですよ!?」
紬は思わず声を尖らせる。しかし、喬は腹立たしいほどに普段と変わらない調子で肩をすくめて言った。
「でも、急いては事を仕損じるっていう言葉もあるぞ? あんたはちょっとピリピリしすぎなんじゃないか?」
「ハッ! そんなこと言って、てめーの緊張感がなさすぎるだけだろ!」
口を挟んだのは千綾である。喬は腕組みしてフンと鼻を鳴らした。
「僕は意識的に平常心を保って、冷静に状況を判断しているだけだ。動揺していると、そこを敵に付け込まれる恐れがあるからな」
「ぐっ。この屁理屈野郎~!」
そんな言葉の応酬を皮切りに、喬と千綾の口喧嘩がはじまる。だが、紬は運転に集中していて、彼らの会話の内容は半分も耳に入っていなかった。
(妖狐がまだ邪気に染まり切っていなければ、浄化して助けることができるかもしない! 一刻も早く駆けつけてあげないと!)
紬の頭の中はその想いでいっぱいで、ひりつくような焦燥感が彼女をひたすら急かすように駆り立てていたのである。
***
お盆がそろそろ終わりを迎えようかという八月十六日の昼下がり。スマホにかかってきた電話に応答した喬の耳朶を、いきなり紬の切迫した叫び声が打った。
「はあっ!? なに? 緊急?」
ちょうど自室で昼食のそうめんを食べている途中だった喬は、顔をしかめながらスマホを耳から遠ざけ、大声で返事をする。
『はい! 一大事です! 狸番の狸塚さんからの通報によると、ついさっき、狸谷山不動院の近くに、様子のおかしい妖狐が出没したそうです!』
なおも焦りを滲ませた口調でまくしたててくる紬。そのバックには車のエンジン音が聞こえている。どうやら向こうは運転中のようだ。
「様子のおかしい妖狐!?」
喬はピクッと片眉を上げて聞き返す。
『そうです! その妖狐は狸塚さんに襲いかかってきたそうなので、ひょっとしたら邪気に侵されているんじゃないかと!』
「ふーん……」
喬は真面目な顔で相槌を打ち、ひとまず食べかけのそうめんを音を立ててすすった。紬はたちまち声を荒らげる。
『ちょっと!? なに悠長に食べてるんですか!? 邪気に染まった妖狐が暴れ出したら、甚大な被害が出るかもしれないんですよ!?』
喬は黙ってそうめんを喉の奥に流し込んでから、小さくため息をついた。
「あんたはとりあえず落ち着け。そもそも現状じゃ、その妖狐が邪気に侵されているかどうかすら定かではないんだろ? 冷静さを失っていると判断を誤るぞ? それに、僕が食事を続けているからといって、危機感が欠如していると思うのは大きな間違いだ。僕はただ、あんたがここに到着するまでにまだ時間がかかりそうだから、今のうちに少しでも腹を満たしておこうと考えただけだ」
『うぐ……! 相変わらず口が減らない人ですね! でも、一緒についてきてくれる気にはなってるみたいで安心しました! あと五分ちょっとでそちらに着きますから、マンションの前で待っていてくださいよ!』
紬がそう告げたのを最後に、通話はプツッと一方的に切られる。喬はスマホをポケットに入れ、ポリポリと頬をかきながら苦笑した。
「やれやれ……。ありゃ完全にパニクってるな。土蜘蛛事件を経験した後で、妖怪の脅威に怯える気持ちは理解できるけど」
喬は卓上の置時計を眺めながら、残った麺を一気に平らげる。それから静かに席を立つと、机の横に置かれたショルダーバッグを無造作に肩にかけ、平然とした足取りで玄関に向かった。
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「ああ! よかった! ちゃんと表で待っていてくださったんですね! ありがとうございます! さあ、早く乗ってください!」
マンションの前に到着した紬は、駐車場の脇にたたずんでいる喬を見つけるなり、運転席から慌ただしく彼を手招いた。
「ちぇっ。なんだよ。僕が部屋から出てこないんじゃないかと疑ってたのか?」
喬は不服そうな表情を浮かべて助手席に乗り込んでくる。――そりゃそうだ。紬は正直にこくりと頷いた。
「はい。だって、普段の狐坂さんはこんな素直に言うことを聞いてくれないですから」
「失敬だな。僕だって、必要な時にはちゃんと働くさ」
「ちょっぴり見直しました。でも、それって、裏を返せば、普段の依頼は必要ないと思ってるってことですよね!?」
紬は頬を膨らませて喬に言い返しながら車を再発進させる。目指すは北東。不審な妖狐の目撃情報があった京都市左京区一乗寺の山奥の寺院だ。
「ちなみに、狸塚さんは参道の入り口で待ってくださっているそうです。合流して現場に向かいましょう」
続いて紬がそう伝えると、喬は面倒くさそうに「あー」と額に手を当ててぼやいた。
「狸谷山不動院か……。そういやあそこ、めちゃくちゃ石段が多かったんだよなあ……。こんな暑い日に登ったらぶっ倒れちまいそうだぜ……」
「もう! この非常時に何を言ってるんですか!? 今回は急を要する案件なんですよ!?」
紬は思わず声を尖らせる。しかし、喬は腹立たしいほどに普段と変わらない調子で肩をすくめて言った。
「でも、急いては事を仕損じるっていう言葉もあるぞ? あんたはちょっとピリピリしすぎなんじゃないか?」
「ハッ! そんなこと言って、てめーの緊張感がなさすぎるだけだろ!」
口を挟んだのは千綾である。喬は腕組みしてフンと鼻を鳴らした。
「僕は意識的に平常心を保って、冷静に状況を判断しているだけだ。動揺していると、そこを敵に付け込まれる恐れがあるからな」
「ぐっ。この屁理屈野郎~!」
そんな言葉の応酬を皮切りに、喬と千綾の口喧嘩がはじまる。だが、紬は運転に集中していて、彼らの会話の内容は半分も耳に入っていなかった。
(妖狐がまだ邪気に染まり切っていなければ、浄化して助けることができるかもしない! 一刻も早く駆けつけてあげないと!)
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