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練習

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 ノクターンの知り合いのお屋敷で開かれるパーティーまでの間、ノアとダンスの練習をしていした。
 ノアの非番の日に行われていたので、剣の稽古のあと帰って来てから、侯爵家にあるホールで行われた。

「なんだよ。ちゃんと踊れるじゃないか」

 ノアはミレールの片手を取り、もう片手は背中へと回し、軽快にリードしながら話しかけている。

「え、えぇ……わたくしも、驚いてますわ。なんと言うか、体が覚えている感じがいたします」

 ミレールもノアの手を取り、広い背中に腕を回して体を動かしていた。
 一般的で簡単なワルツだったが、ミレールはとくに危なげもなくノアに合わせて踊っていた。

(これは、不思議な感覚ですわ。体が自分の意思とは別に、勝手に動いているような……そんな感じです)

 音楽に合わせて、二人で向かい合いながらテンポよくステップを踏んでいく。
 そしてくるっと回り、曲が止まると離れて、互いに頭を下げて礼を交わす。
 なんとか踊れた安堵感と踊った疲れも加わり、ふぅ……と息を吐いた。

「ノア。ここまでお付き合いいただき、感謝いたしますわ! これでしたら、当日もどうにかなりそうです」

 近くにあったタオルをノアに手渡した。 
 礼を言って受け取っていたが、さほどの疲れもない様子で汗も掻いていなかった。

「それだけできてれば文句ないだろ。一体、何が心配だったんだ?」

「ダンスを一度も踊ったことがなかったので」

 タオルを握ったまま、ノアは呆れたようにミレールを見下ろしている。

「……嘘だろ」
 
「事実ですわ」

 下から見上げたミレールは間髪入れず肯定していく。

「わたくし、言いましたよね? 前は普通の主婦だったと」

「あー……、まぁ、そうだな。貴族階級じゃない一般の庶民だったら、確かにダンスなんて習わないか」

 ノアには別の世界から来たことまでは話していないので、杏のことはどこかの平民だと思っているのだろう。
 普通の主婦、ということでノアは勝手に納得してくれている。
 ミレールにとってもそのほうがありがたかった。

「ノアやオルノス侯爵家の名誉に関わることですもの。そしてエボルガー侯爵家の人間がダンスを踊れないなどと、少しも悟られたくありませんわ」

 ミレールはノアの隣で立ったまま、汗を拭っていたタオルをぎゅっと握り締めていた。

(――! わたくしは、何を……?!)

 自分でも勝手に口から出てきた言葉に驚いた。
 意図せず漏れた声に驚き、思わず自分の口を両手で覆った。

「……あんたのそういうとこ見ると、前のあいつみたいだな」
 
「はい?」

「あいつもプライドだけは高かったからな。あれがなけりゃあ、もう少しマシだったと思うんだがな」

 昔を思い出したように話しているノア。
 嫌っていたとしても、ミレールはノアの幼馴染。幼い頃から一緒だった彼女に対し、何か思うことはないのだろうか。

「ノアは……、気になりませんの?」

「ん? 何がだ?」

「なぜわたくしが、ミレールと入れ代わったのか……」

 意外なほど簡単に受け入れてもらえた杏としては、そこは気になっていた。
 ノアは持っていたタオルを肩に掛けると、腕を組んで言われた質問について考えていた。

「まぁ……ならないと言えば嘘になるが、俺もまだ信じきれていない部分もある」

「そうですの」

 それでもノアが自分の言い分を少しでも受け入れてくれていることを知れて嬉しかった。

「それに、なんで入れ代わったのか、あんたもわからないんだろ?」

「えぇ……」

「案外、その辺にいるのかもしれないぞ」

 難しい顔をしていたノアが突然、ミレールに向かい思いついたように顔を向けた。

「えっ? それは、どういう意味ですの?」

「あそこまで気の強いお嬢様が、他の場所で暮らしていけると思えないからな」

 思い出したように笑っているノアに、ミレールの胸の奥が不意にむず痒く疼いた。

(――? なんですの? この感覚……)

 俯いて胸元を押さえて、自分にもわからない擽ったいような不思議な感覚に困惑する。
 ただ長続きすることもなく、その感覚はすぐに消えてしまった。
 
「念の為、もう一回合わせとこうぜ。そのほうがあんたも安心だろ?」

 正面からスッと差し出された大きな手。
 顔を上げるとノアがミレールを見ている。

「はい。お願いいたしますわ」

 その手に、自分の手をそっと重ねて笑顔で返事を返した。

 
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