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44:イワンのまとめ5
しおりを挟むイワンがびくりと肩を揺らした。ミズリィもその迫力にちょっと驚いた。最近、何があったのかスミレは時々怖い。
「まあまあ、スミレ、オレンジケーキはいかが?」
変わらずほのぼのとしているのはオデットで、遠くから皿に乗せたケーキをスミレの方に押し出した。
「そ、そうだな、スミレの言うとおりだ。ごほん、みんなの言う通り、ミズリィが殺されるほどの恨みを買うことはあまり考えられない」
カップを手に取りながら、イワンはまた話し始めた。
「原因は、ミズリィ以外じゃないかということなんだが……そうなると、もっと分からなくなる」
「そうよねぇ、公女を陥れて、何が目的だったのかしら……」
「ねえ、皇子はどうして……ミズリィ・ペトーキオを突き放したの?」
アリッテルは次のタルトに手を伸ばしながら、
「婚約者でしょう?普通かばってくれるものではなくって?」
「ええ、テリッツ皇子殿下の行動はずっと不可解です……」
スミレは結局オレンジケーキを受け取って、フォークで小さく切り分けている。
「まず、アリッテル様の言うように、ミズリィ様をかばったような気配がないこと。平民の私は殿下がどのような方かあまり知らないですが、なにかあればそれなりの行動はされる方だと思います。けれど、ミズリィ様の危機に、何もされなかった……」
「ミズリィを助ける気がないようにも見えるけど、それなのに、婚約は解消しなかったんだよね」
「え?ええ、そういえば……」
言われてみれば、最後までテリッツは婚約の解消をしなかった。
「婚約解消なんてできるものなの?」
アリッテルは不思議そうだ。
「家同士の、しかも皇家と公爵家が同意しているのに、やっぱり嫌だと言ってなかったことにできるものですの?」
「普通は無理だ。けれど、悪魔といわれたパートナーを、婚約解消しても誰も文句は言わない、客観的な話だけど。もう一年も前から何かしらミズリィの周りが不穏で、オデットが帝国から離れたくらいだ、皇子が気づかないはずがない、婚約解消の準備だってできないことはないはずなんだ」
ミズリィにはつらい話だけど、とイワンが気遣ってくれる。
「なのに、悪魔の証拠としての大精霊の事件についてはだんまりだ……分からない」
「その、みなさんが思われるテリッツ皇子って、どのような方なんです?平民には雲の上のような方ですし、噂程度には聞きますけど、噂ですし……」
スミレが小さく手を上げて、おずおずと聞いた。あまり本人がいないところで噂話をするのも気が引けるということらしい。
「そうねえ……王子様、よね」
「皇子殿下だろ」
「違いますわよ、イワン・ビリビオ。オデットがいうのは、まるでおとぎ話の王子さまってことですわ」
「はあ、よく分からないな」
「じゃあ黙ってらっしゃい」
「うふふ、アリッテルの言う通りよ、こう、なんとなくかっこいいけれど、具体的にどうかっこいいのか言えないところもね。物腰が柔らかいから人が悪いようには見えないのだけれども」
「そうだな、悪い話は聞かないし、実際、皇族なのに偉そうということもなく、けれど、お父上の……陛下のように、気弱ということもなく……」
気まずそうにいうメルクリニの、言っていることは間違っていないけれど、やはり臣民としては悪口は心地悪い。
皇帝陛下は、人が悪いということではないし、能力も劣っているというわけではない。
けれど、気が優しすぎて、どんな場面も強く出られないようだった。その優しげな容姿はテリッツ皇子に受け継がれている。
それとは反対に、皇后殿下は気のお強い方で、陛下を言い負かして政を行ってしまうほどの方だ。
非情というわけでもないのだけれど、なかなかお厳しい方だ。
ミズリィへの態度も、皇帝と皇后の性格のとおりだった。皇帝陛下は皇子の婚約者に優しく接してくださるし、皇后殿下は、言葉少なにミズリィへ最低限の挨拶はくださっていた。
もうおひとり、皇族には男児がいる。
少し年の離れた第二皇子だ。
彼は確か、ミルリィのひとつ下だから、9歳だろう。皇帝と皇后の御子で、テリッツの実弟になる。
彼はまだ幼いため、皇宮から出ずに皇族としての教育を受けている最中だ。容姿は兄や父に似ているし、おっとりとしたところが父帝と同じ。
愛らしい方で、皇宮では人気も高い。
だけれども、その年齢の低さもあって、後継者として望む声は少ない。
テリッツがもはや皇太子として立つことは決定しているようなものだった。
「……あまり、ご自分のお心を出さない方でしたわ」
そのテリッツは、学院卒業と同時に皇太子に冊封された。
ミズリィとの成婚もすぐに行われるだろうと思われていたが、公爵家の妹ミルリィの婚約者が決まらず、実質跡取りが未定の状態だった。
その間も、焦ることはない、自分が皇太子になったのだから帝国としては不都合はない、と、言葉をかけてくださっていた。
オデットはミズリィのつぶやきに首を傾げた。
「あら、でもミズリィを嫌いとまではいかないでしょう?最近は、ますますミズリィのことを婚約者として立てていらっしゃるしね?」
「以前は、こう、義務って感じは……否定できなかったけれど」
イワンはためらいがちに言った。やっぱりみんなにもそう見えていた。
前は、ミズリィが捕まり、皇家が助けてくれないのを知るまで、気づいていなかった。
家同士で決めた婚約者は、彼の中でそれ以上になれなかったことを。
だから、今の手紙の多さ、積極的にパーティーのエスコートを申し出てくれたり、会話が多くなったりと、明らかに『前』と違う態度だった。
「きっかけは、アリッテルが暴走して、私達が止めたあの夜会かしら」
「ええ。ふたりでお話をしたときに……わたくしがあのような危機に自分から魔法を使うとは思っていなかったと言われましたわ」
「なんですか、それ」
スミレが眉を寄せて吐き捨てるように言った。
「ミズリィ様のいちばん近くにいながら、何を見ていたんですかね」
「不敬ではなくって、スミレ」
アリッテルがぎょっとしたようだった。
けれどスミレは語気を強めた。
「私は、皇子殿下を信じられません。犯人ではないとしても、ミズリィ様を助けられる一番可能性があったお人なのに!」
「まあ、思わないでもないわねぇ」
「オデットまで……」
アリッテルが呆れて、イワンとメルクリニが難しい顔をしている。
ミズリィはどんな顔をしていいのか分からず、ただうつむくだけ。
(わたくしは、自分で殿下へ何を思っているのかわからないもの……)
テリッツへの思いは、複雑すぎて、自分の気持ちなのにミズリィには扱えるものじゃなかった。
愛していたけれど、それはこの時代に戻ってきてから痛みと苦しさに変わった。
かすかに、なぜ助けてくれなかったのか、それとも本当は処刑したのはテリッツだったのだろうかという恨みと恐怖。
けれど、事情を知らないテリッツは、義務か、それ以上でミズリィと付き合おうとする。
まだ、ミズリィとテリッツは婚約者なのだ。
婚約を、破棄しようと思ったこともある。
けれど、さっき話にあったように難しいことだった。なにより、父や皇家を説得できないと思う。
(嫌いになったと、せめて言ってしまえたら)
けれど、それはきっと、ミズリィの本心じゃない。
結局、今日まで何も出来ずに来てしまっている。
「テリッツ殿下については、まだ何も考えられないな」
イワンが嘆息した。
「要注意ではあるけれど。ともかく、ミズリィ、殿下と会うときは僕たちの誰でもいいから相談しなよ。不安があっても紛れるかもしれないし」
「ええ。悩んでいるならおっしゃってください」
スミレたちの慰めに、心の重苦しさがすこし晴れた。
「ありがとう……」
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