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聖女と勇者
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血飛沫がまるで噴水のように、ルッツの小さな体から飛び出る様を私は見ていました。
スローモーションで再生したように、飛び出た血がやがてばらばらの丸い粒になって、地面に散らばっていくのがはっきりとわかります。
明らかに人間の、それも子どもの身体から吹き出してはいけない血の量でした。
そしてルッツの胴体を食いちぎった魔狼は、咥えた小さな体を首を振って投げ飛ばしました。
べちゃ、と嫌な音がして、木にぶつかったルッツの身体が力なくずり落ちます。
辺りに飛び散った血は、凄惨そのもの。
「ルッツ!!」
周りの狼には目もくれずに、彼の元に駆けます。
しかしそれを彼らがただ見守っているはずもありません。
次々と狼たちが私にその牙を剥きだし、猛る殺意を露わに飛び掛かってきます。
ただ魔狼は何かを企んでいるのか、こちらを睨むばかり。
それならそれで構いません。今は魔狼に構っている余裕がないのです。
狼達の全てを聖女の力による結界で防いで、防いで。
ようやくルッツの元に辿りつきました。
「ルッツ……」
「ステラ……あぶないよ……」
ルッツの命は今にも消えようとしていました。
腹の右半分は丸ごと食いちぎられ、その目の光はすでに曇りつつあります。
ぽっかりと噛み跡が残る胴体に残る禍々しい靄が、彼を蝕む呪いのようでした。
失血は留まるところを知らず、とめどなく流れだしています。
肌色がぞっとするほど青白くなっていて、ともすればこの瞬間にも死んでしまうのではないかと思うほど。
「死なないで……死なないでください!」
全力で聖女の癒しを行使しても、靄に阻害されているのか治癒があまりにも遅い。
青い光と靄が対消滅するかのように、靄も薄くなっていきますがこのままでは。
このままではルッツが……!
焦る私の頬を、ルッツの手がそっとなぞりました。
「ステラ、なかないで……」
「しゃべらないで!」
「きみだけでもにげてよ……」
「逃げるならあなたも一緒です! 私一人で逃げられません!」
「あはは……ぼくはばかだなあ。むぼうなゆめを、みて、ステラも、しなせてしまうなんて」
ルッツは力なく笑って、一筋の涙を流しました。
そうしてそのまぶたがゆっくりと閉じられようとしている。
完全に全てを諦めてしまったかのような暗い涙に、ぷつんと。
私の中で何かが切れる音がしました。
「ええ、馬鹿ですよ! 人を勝手に殺すな! 例え無謀な夢でも最期まで諦めないでください! 勇者になるんでしょう!?」
なにを言っているのか自分でもわからないまま、私は叫びました。
勇者なら死んでも諦めないで。そんな自分の無力を責めないで。勝手に死なないで。私を死なせたくないならあなたが守ればいい。
優しくて誰かのために努力できるあなたが勇者でないなんて言わないで。
私はまだあなたに助けられた恩を返せていないのに。あなたを待っている人達がいるのに。
聖女の力なんて大層なものがあるくせに、助けたい人を助けられなければ意味がない。
死ぬなんて、絶対に許さない。
そんなごちゃごちゃに散らかった想いが一瞬でこみあがって、頭の中で混ざってできた感情があって。
それを勢いのまま口走りました。
「あなたが死んだら私も死んでやる! だから逃げるな!」
勇者となることから。困難から。私から。
あなたが無力を嘆くなら、私がその力になる。
あなたが守りたいものの一番に、私がなる。
あなたの聖女に、私がなる。
「私の勇者はあなたなんですから|!!」
その瞬間、辺りを青い光の奔流が包み込みました。
視界を空色に染め上げるほどのまばゆい光が私の周りから湧き上がり、狼達が一斉に距離を取ります。
そして光は一瞬空中に留まったかと思うと、吸い込まれるようにルッツに収束していきました。
今まで光と拮抗していた靄が一気に消え失せて、瞬きの間にルッツの傷が再生します。
肌に血色が通い始め、身体から伝わる命の鼓動が徐々に勢いを取り戻して。
それから。
糸ほどに閉じられていた瞼がぱちりと開かれました。
その瞳にはあの無垢な輝きがきらめいています。
「これは……」
「ルッツ!」
呆然とするルッツに嬉しさの余り、思い切り抱き着きます。
ルッツは何が起きたのかわからない様子で瞬きをしていましたが、ややあって私の頭をそっと撫でました。
冷たくない掌の感触が伝わってきます。
それはルッツの命を取り零さずに済んだという、何よりの証明でした。
「ステラが、助けてくれたんだね」
「はい」
「どうしてここまで来たのさ」
「それをあなたが言いますか」
本当に。真っ先に駆け出したルッツがそれを聞くのはおかしな話です。
「助けたいと思ったからですよ。私が死ぬかもしれなくても、見捨てるなんてできません」
「僕のせい、なんだね」
「私のせいですよ。あの魔狼は私を殺しに来たんです」
この状況を招いたのは私の甘さです。
魔狼の執念も、ルッツの優しさも甘く見ていた私の至らなさです。
私の命だけが狙われていたのに、穏やかな時間につい甘えて戦うことから逃げ出していたのです。
私一人で戦えば誰も巻き込まずに済むというのに。
私一人で戦うにはあまりにも貧弱で、無才で。
聖女の力は一人では何もできない。
それでも足掻く術を身につけなくてはいけなかったのに。
私は弱いままここに来てしまった。
ルッツが何かに気付いたように目を見開きました。
「一年前ステラが死にかけてたのってもしかして」
「ええ。あの魔狼の仕業です」
「そっか」
ルッツは目を伏せました。
次に彼の口から飛び出す言葉が怖い。私がここに来なければ、助けなければよかった、そんな糾弾を受けることが恐ろしい。
ルッツは優しいからきっとそんなことは言わないだろう、という甘い願望が過るけれども、期待して裏切られた時が恐ろしい。
何より私の罪は変わらないのです。
だから、と覚悟を決めた私が見たのは、いつもと変わらない太陽のように明るい笑顔でした。
「やっぱりステラはすごいや」
「……え?」
予想外の言葉に、思考が停止します。
「相手がこんな恐ろしい魔物だとわかっていて、それでも僕を助けに来てくれた。こんな小さな女の子が、震えながら立ち向かっているんだ」
そう言われて、私は自分の身体が震えていることに気付きました。
情けないことに、どうしようもなく震えが止まらないのです。
気づいた途端に、腰が抜けたように体に力が入らなくなってしまいました。
そんな私の恐れを吹き飛ばすように、彼は言うのです。
「ステラが何かを隠してるのはなんとなくわかってたよ。でもそれがこんなに恐ろしいものだとは思わなかった」
「いつか勇者になる、そういった時に君は救いを求めるような目をしてた」
「そんな君に、僕は今命を救われたよ」
だから、と。
「今度は僕がステラを助ける番だ」
そう言うと私の身体を横に優しく置いて、ルッツは立ち上がりました。
瀕死だったのが嘘のようによどみのない動きで、魔狼の方へ歩みだします。
ルッツの体からは、先程湧き上がったのと同じ青い燐光が陽炎のように揺らめいています。
そこから感じるのは強者の気配。
私の想いが彼を癒し、そしてその力を計り知れないほどに強化した。
先ほどルッツを無造作に瀕死に追いやった魔狼が、低く唸り声をあげて警戒するほどに。
「僕はただの人間だ」
ルッツが、いつも素振りをしていた時のように正眼に構えます。
その小さな手には何も握られていません。
しかし彼を取り囲む光が、その手に流れ込んでいきます。
「勇気と無謀を履き違えて、大切な人まで巻き込みかけたとんでもないばかだ」
周りを取り囲んでいた狼達が、それを見て好機と一斉に飛び掛かります。
危ないと叫びかけて、ルッツの手に握られていた物を見て言葉を飲み込みました。
それは。
「でも君が僕を勇者だと言ってくれるなら」
――勇者の聖剣。
フェイルト城に侵入して来た先代の勇者が持っていた聖剣が、淡く神々しい光を纏ってルッツの手に納まっていました。
城で見たものとは比較にならない存在感を感じるそれは、まさしく人智を超えた物。
それと同時に、私の中の何かが脳みそを殴りつけるように警鐘を鳴らします。
あれは、私にとってこの世で最も危険な物だと。
「僕はこの命を捧げても君の勇者になるよ」
一閃。
それはいつか、お父様が勇者を打ち払った時の焼き直しのようでした。
横に薙ぎ払われた聖剣から光が迸り、辺りにいた狼達を貫いたかと思うと、次の瞬間には彼らの姿はありませんでした。
残るは私達に憎悪の目を向け、その牙を全てむき出しにしておどろおどろしい唸り声を上げる魔狼のみ。
決して私達が敵うはずもない相手なのに。
私は目の前の小さな背中に、不思議と安心感を覚えていました。
「ステラを守る」
嬉しくて嬉しくて、涙が零れてしまいそうでした。
スローモーションで再生したように、飛び出た血がやがてばらばらの丸い粒になって、地面に散らばっていくのがはっきりとわかります。
明らかに人間の、それも子どもの身体から吹き出してはいけない血の量でした。
そしてルッツの胴体を食いちぎった魔狼は、咥えた小さな体を首を振って投げ飛ばしました。
べちゃ、と嫌な音がして、木にぶつかったルッツの身体が力なくずり落ちます。
辺りに飛び散った血は、凄惨そのもの。
「ルッツ!!」
周りの狼には目もくれずに、彼の元に駆けます。
しかしそれを彼らがただ見守っているはずもありません。
次々と狼たちが私にその牙を剥きだし、猛る殺意を露わに飛び掛かってきます。
ただ魔狼は何かを企んでいるのか、こちらを睨むばかり。
それならそれで構いません。今は魔狼に構っている余裕がないのです。
狼達の全てを聖女の力による結界で防いで、防いで。
ようやくルッツの元に辿りつきました。
「ルッツ……」
「ステラ……あぶないよ……」
ルッツの命は今にも消えようとしていました。
腹の右半分は丸ごと食いちぎられ、その目の光はすでに曇りつつあります。
ぽっかりと噛み跡が残る胴体に残る禍々しい靄が、彼を蝕む呪いのようでした。
失血は留まるところを知らず、とめどなく流れだしています。
肌色がぞっとするほど青白くなっていて、ともすればこの瞬間にも死んでしまうのではないかと思うほど。
「死なないで……死なないでください!」
全力で聖女の癒しを行使しても、靄に阻害されているのか治癒があまりにも遅い。
青い光と靄が対消滅するかのように、靄も薄くなっていきますがこのままでは。
このままではルッツが……!
焦る私の頬を、ルッツの手がそっとなぞりました。
「ステラ、なかないで……」
「しゃべらないで!」
「きみだけでもにげてよ……」
「逃げるならあなたも一緒です! 私一人で逃げられません!」
「あはは……ぼくはばかだなあ。むぼうなゆめを、みて、ステラも、しなせてしまうなんて」
ルッツは力なく笑って、一筋の涙を流しました。
そうしてそのまぶたがゆっくりと閉じられようとしている。
完全に全てを諦めてしまったかのような暗い涙に、ぷつんと。
私の中で何かが切れる音がしました。
「ええ、馬鹿ですよ! 人を勝手に殺すな! 例え無謀な夢でも最期まで諦めないでください! 勇者になるんでしょう!?」
なにを言っているのか自分でもわからないまま、私は叫びました。
勇者なら死んでも諦めないで。そんな自分の無力を責めないで。勝手に死なないで。私を死なせたくないならあなたが守ればいい。
優しくて誰かのために努力できるあなたが勇者でないなんて言わないで。
私はまだあなたに助けられた恩を返せていないのに。あなたを待っている人達がいるのに。
聖女の力なんて大層なものがあるくせに、助けたい人を助けられなければ意味がない。
死ぬなんて、絶対に許さない。
そんなごちゃごちゃに散らかった想いが一瞬でこみあがって、頭の中で混ざってできた感情があって。
それを勢いのまま口走りました。
「あなたが死んだら私も死んでやる! だから逃げるな!」
勇者となることから。困難から。私から。
あなたが無力を嘆くなら、私がその力になる。
あなたが守りたいものの一番に、私がなる。
あなたの聖女に、私がなる。
「私の勇者はあなたなんですから|!!」
その瞬間、辺りを青い光の奔流が包み込みました。
視界を空色に染め上げるほどのまばゆい光が私の周りから湧き上がり、狼達が一斉に距離を取ります。
そして光は一瞬空中に留まったかと思うと、吸い込まれるようにルッツに収束していきました。
今まで光と拮抗していた靄が一気に消え失せて、瞬きの間にルッツの傷が再生します。
肌に血色が通い始め、身体から伝わる命の鼓動が徐々に勢いを取り戻して。
それから。
糸ほどに閉じられていた瞼がぱちりと開かれました。
その瞳にはあの無垢な輝きがきらめいています。
「これは……」
「ルッツ!」
呆然とするルッツに嬉しさの余り、思い切り抱き着きます。
ルッツは何が起きたのかわからない様子で瞬きをしていましたが、ややあって私の頭をそっと撫でました。
冷たくない掌の感触が伝わってきます。
それはルッツの命を取り零さずに済んだという、何よりの証明でした。
「ステラが、助けてくれたんだね」
「はい」
「どうしてここまで来たのさ」
「それをあなたが言いますか」
本当に。真っ先に駆け出したルッツがそれを聞くのはおかしな話です。
「助けたいと思ったからですよ。私が死ぬかもしれなくても、見捨てるなんてできません」
「僕のせい、なんだね」
「私のせいですよ。あの魔狼は私を殺しに来たんです」
この状況を招いたのは私の甘さです。
魔狼の執念も、ルッツの優しさも甘く見ていた私の至らなさです。
私の命だけが狙われていたのに、穏やかな時間につい甘えて戦うことから逃げ出していたのです。
私一人で戦えば誰も巻き込まずに済むというのに。
私一人で戦うにはあまりにも貧弱で、無才で。
聖女の力は一人では何もできない。
それでも足掻く術を身につけなくてはいけなかったのに。
私は弱いままここに来てしまった。
ルッツが何かに気付いたように目を見開きました。
「一年前ステラが死にかけてたのってもしかして」
「ええ。あの魔狼の仕業です」
「そっか」
ルッツは目を伏せました。
次に彼の口から飛び出す言葉が怖い。私がここに来なければ、助けなければよかった、そんな糾弾を受けることが恐ろしい。
ルッツは優しいからきっとそんなことは言わないだろう、という甘い願望が過るけれども、期待して裏切られた時が恐ろしい。
何より私の罪は変わらないのです。
だから、と覚悟を決めた私が見たのは、いつもと変わらない太陽のように明るい笑顔でした。
「やっぱりステラはすごいや」
「……え?」
予想外の言葉に、思考が停止します。
「相手がこんな恐ろしい魔物だとわかっていて、それでも僕を助けに来てくれた。こんな小さな女の子が、震えながら立ち向かっているんだ」
そう言われて、私は自分の身体が震えていることに気付きました。
情けないことに、どうしようもなく震えが止まらないのです。
気づいた途端に、腰が抜けたように体に力が入らなくなってしまいました。
そんな私の恐れを吹き飛ばすように、彼は言うのです。
「ステラが何かを隠してるのはなんとなくわかってたよ。でもそれがこんなに恐ろしいものだとは思わなかった」
「いつか勇者になる、そういった時に君は救いを求めるような目をしてた」
「そんな君に、僕は今命を救われたよ」
だから、と。
「今度は僕がステラを助ける番だ」
そう言うと私の身体を横に優しく置いて、ルッツは立ち上がりました。
瀕死だったのが嘘のようによどみのない動きで、魔狼の方へ歩みだします。
ルッツの体からは、先程湧き上がったのと同じ青い燐光が陽炎のように揺らめいています。
そこから感じるのは強者の気配。
私の想いが彼を癒し、そしてその力を計り知れないほどに強化した。
先ほどルッツを無造作に瀕死に追いやった魔狼が、低く唸り声をあげて警戒するほどに。
「僕はただの人間だ」
ルッツが、いつも素振りをしていた時のように正眼に構えます。
その小さな手には何も握られていません。
しかし彼を取り囲む光が、その手に流れ込んでいきます。
「勇気と無謀を履き違えて、大切な人まで巻き込みかけたとんでもないばかだ」
周りを取り囲んでいた狼達が、それを見て好機と一斉に飛び掛かります。
危ないと叫びかけて、ルッツの手に握られていた物を見て言葉を飲み込みました。
それは。
「でも君が僕を勇者だと言ってくれるなら」
――勇者の聖剣。
フェイルト城に侵入して来た先代の勇者が持っていた聖剣が、淡く神々しい光を纏ってルッツの手に納まっていました。
城で見たものとは比較にならない存在感を感じるそれは、まさしく人智を超えた物。
それと同時に、私の中の何かが脳みそを殴りつけるように警鐘を鳴らします。
あれは、私にとってこの世で最も危険な物だと。
「僕はこの命を捧げても君の勇者になるよ」
一閃。
それはいつか、お父様が勇者を打ち払った時の焼き直しのようでした。
横に薙ぎ払われた聖剣から光が迸り、辺りにいた狼達を貫いたかと思うと、次の瞬間には彼らの姿はありませんでした。
残るは私達に憎悪の目を向け、その牙を全てむき出しにしておどろおどろしい唸り声を上げる魔狼のみ。
決して私達が敵うはずもない相手なのに。
私は目の前の小さな背中に、不思議と安心感を覚えていました。
「ステラを守る」
嬉しくて嬉しくて、涙が零れてしまいそうでした。
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