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勇者、それは魔を討つもの
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狼の爪痕があちらこちらに残る森の中に、聖剣から溢れ出る青い光が広がっていきます。
その光を警戒するように、魔狼は身をたわめてルッツを睨みつけています。
改めて魔狼の姿を見れば、その姿は痛ましいものでした。
毛皮はところどころ破れて血が滲み、黒く固まった血と泥の斑模様がぼろきれを思わせる有様。
私が障壁を突き刺した右目は完全に潰れており、隻眼が夜闇の中でぎらつきます。
幾分やせ細ったように見えるその体躯、しかし身にまとう靄は聖剣の光に抗うように一層濃さを増していきます。
満身創痍の様子を見るに、ハレウィア山脈を越えてくるのは魔狼にとっても命を削る行為だったに違いありません。
それでもなお魔狼を突き動かす怨念は一体どこから。
いえ、今はそれを考えている場合ではないと首を振ります。
手負いの獣が一番恐ろしいのですから。
「ルッツ、気を付けてください! あの魔狼は頭が回ります!」
かつてクスラの森で私とオークの方々を罠にかけた魔狼の知性。
見える範囲の狼を倒したとはいえ、安心するには足りません。
ここは木々がいくつもそびえたつ森の中。
そもそも狼たちのフィールドで、伏兵を配置するには絶好の環境です。
「わかった。気を付けるよ」
そう言うなり、眼前に立っていたルッツの姿がぶれました。
次に私が認識したのは微かな土埃、飛び退った魔狼、そして先ほどまで魔狼がいた場所で剣を振り抜いたルッツ。
遅れて来た風が私の髪を浮き上がらせて、そのまま通り過ぎていきました。
「どこまでできるのかはこの剣が教えてくれる。……でもこれは怖い力だね」
魔狼と相対したままルッツが零した言葉。
それは大きな力への恐れでした。
ただの小さな子どもの一撃。
しかしそれが強大な力を持つ魔狼をして避けざるを得ない一閃となったのです。
その正体は聖剣がルッツに与えている異常な倍率の身体能力の強化。
私がオークの方々に付与したものとは全く比べ物になりません。
既存のどんな魔法使いが身体能力強化の魔法を使おうとも、これほどの効果は得られないでしょう。
魔狼は飛び退った後に一瞬呆けたように目を見開くと、憎々し気に唸ります。
そして疾風のように木々の隙間を駆け回り始めました。
獲物に急降下する隼のような速さで、じぐざぐと不規則な軌跡を描く魔狼を私の目ではとても追いきれません。
重い足音と、息を都度吐き出すような荒い息遣いだけが頼りです。
「ごめんねステラ、僕じゃこの力を全然使いこなせないんだ」
ルッツが苦々しく口を結ぶのと同時に、黒い影が彼に飛び掛かります。
「うぐぅああっ!!」
「ルッツ!!」
飛び散る血飛沫と、宙を舞う彼の左腕。
血飛沫は飛び掛かってきたそのままの勢いで、もんどりうって転がっていく魔狼の残像をなぞりました。
素早く態勢を立て直した魔狼の脇腹には横一文字、大きな切創。
しかしルッツの左腕は肩から無惨に千切られていて……。
私が息を呑んだその瞬間、ルッツの腕が地面にぼとりと落ちるのと同時に、彼の左肩から先が生えるように再生しました。
「だからこんな戦い方しかできない。ごめん」
まるで植物の枝の成長を何倍速にもしたかのような光景でした。
遅れて私は、それが聖剣が彼に与えたもう一つの力だと気付きます。
常に聖女の癒しを受けているかのような尋常ならざる再生能力。
人の限界をあっさりと突き破ってしまうほどの身体強化。
それが、今目の前にある聖剣が使い手にもたらす恩恵なのです。
ですがそれは、そんなことが。
「そんなつもりじゃ……」
純粋な戦闘能力を突き詰めて、壊れても壊れても戦い続ける。
それは彼を人間兵器に変えてしまう力です。
私の祈りは、そんな力をルッツに与えることでは決してなかった。
それなのにどうして。
「違うんだステラ。これは僕が望んだ力なんだ」
再生した左腕を剣に添え、正眼に構えます。
「何もかも足りない僕が誇れるものはこの心しかないから。この力で僕は、くじけない限り何度でも立ち向かえる」
痛みがないわけがない。
恐怖を和らげてくれるわけでもない。
ただ無理やりに力を底上げしただけで、彼の心はむき出しのまま。
それでもルッツは嬉しそうに言うのです。
だから彼こそが勇者だと信じられる。
彼ならば、苦悩しながらも困難な道を進んでいけると。
そして魔狼とルッツは凄まじい速さで攻撃を交わし始めます。
白刃と深紅に染まった爪牙が踊るように閃き、辺りが血みどろに染まりゆき。
時には血だけでなく臓腑が零れ落ちる凄惨な光景が、清浄な光の中に広がります。
森の香りなどというものはもはやなく、鼻につく鉄臭さしか感じられません。
私自身に身体強化を掛けても戦いを追えないため下手に動くこともできず、ただ祈ることしかできません。
ただ一つ分かったのは、モーガンさんにはもう聖女の力が及ばないということ。
そして数分程時が経ち、その瞬間が訪れました。
不意に魔狼とルッツが向かい合った状態で立ち止まります。
互いの攻撃が一足で届く距離。
再生能力を持たない魔狼はもはや血に染まっている箇所の方が多く、その足元にどくどくと血溜が出来ていくほど。
対するルッツも怪我はなくとも血塗れで、荒く息を吐いています。
いくら身体能力を強化しようとも扱うのは人間、体力には限りがあることに今更気付きました。
恐らく次の一撃で決着するのだろうという予感。
細い糸が千切れそうなほどに張り詰めた空気の中、私は固唾をのんで祈ります。
どうか、ルッツが無事でありますようにと。
そして魔狼が動きます。
その大きな口で私を食らい殺そうと飛び掛かって。
ルッツは魔狼に聖剣を全力で投げつけていました。
彼にも三匹の狼が飛び掛かっているというのに。
コマ送りのようにその光景が目に映った私は、反射的にルッツを守る障壁を願いました。
結果として。
私の目前で血飛沫と衝撃が弾けました。
ルッツに襲い掛かろうとしていた狼も障壁に阻まれ、その牙は届かないままです。
振り返れば、首を聖剣でくし刺しにされて木に縫い留められている魔狼の姿。
そして残っていた狼をルッツが殴り飛ばし、静寂が訪れました。
「ルッツ!」
「ステラ、無事でよかった」
走り寄り、異常がないか手を取って確かめます。
私より少し大きいだけの小さな手は、小刻みに震えていました。
「なんて無茶をするんですか! 剣を手離したら傷が治らなくなるかもしれないのに!」
そう、剣を手放しても聖剣の機能が働くかなどわからないのです。
なのにぶっつけ本番かつ自身の命がかかった状況で、それをするなんて。
怖かったから手も震えているのでしょうに。
「なんとなく大丈夫だと思ったんだ。実際ステラが守ってくれたからほら、無事だよ」
「そんなの結果論ですよ」
ぷらぷらと手を振ってみせるルッツに言い募れば、彼もまた眉をしかめました。
「ステラだって、自分より僕を守ることを優先してるじゃないか」
「あなたが剣を投げるのが見えたから、守らなきゃと思ったんです」
「ありがとう」
ルッツが私の右手をそっと両手の掌で包み込みます。
「ほら、お互い様なんだよ。どっちも互いを守ろうとしたんだ」
そう言われてしまうと、もう何も言い返せません。
言いたいことはいくらでもありますが、いくら言ったところで彼の気持ちは変わらない。
結局あの瞬間、二人とも自分の命より互いを守ろうと行動したことが全てですから。
それからルッツは私の手を引いて魔狼に歩み寄ります。
もう動く力もないだろう魔狼は、それでも衰えない眼力で私達を睨んでいました。
「僕が生きているのは奇跡だ。きっと君が傷だらけじゃなければ、僕だけを狙っていたら。……ステラが僕を信じていなかったらきっと違ったんだ」
それはもしものお話。色んな偶然の積み重ねがこの結末を手繰り寄せたのです。
一つでも違えば、想像したくない結末がそこにあった。
魔狼が目を細め、鼻を鳴らしました。
まるで、仕方がないかと何かを受け入れたかのように。
そしてその目がゆっくりと閉じられ、聖剣も光となって消えていきます。
光は私に吸い込まれるように集まってきて……。
「え!?」
「ステラ!?」
光だけでなく、禍々しい靄もまた私に集まってきたのです。
相反するように思えるそれらが螺旋を描いて私の胸に吸い込まれていく。
不思議なことに気分が悪くなるだとかそういったことはありませんでした。
むしろ体の中に何かが漲ったような、そんな気がします。
「安心してください。大丈夫みたいです」
「ならいいけど、本当に大丈夫?」
「はい」
アサン村に来た時、千切れかけていた足が治っていたのを思い出しました。
纏わりついていた靄によって癒しが阻害されていたにもかかわらず足が繋がっていたのはもしかすると。
今のように靄を取り込んだことによって起きた現象なのかもしれません。
靄の正体も私が取り込める理由もわかりませんが、私にとってこの靄は有害なものではないと直感が囁きます。
それならば今気にすることではありません。
「村に戻りましょう」
「モーガンさんは……」
静かに首を振ります。
首を切られても直後であれば癒せる聖女の力が効かなかった以上、もう彼は……。
それに子どもの私達では彼の死体を運ぶこともできません。
「そんなのって……そうだ、聖剣を出して運ぼうよ!」
「駄目です」
「なんで!?」
「私が思うに、あの聖剣の存在は人に知られない方がいいんです。知られればあなたが殺されるかもしれない」
聖剣は私がルッツを勇者だと叫んだ瞬間彼に宿りました。
そこには明らかに聖女の力が作用しています。
であるならば、先代勇者が持っていた聖剣は一体何なのか。
お母様が亡くなってから聖女はずっと私だったのです。なのに彼は聖剣を持っていた。
あれはレプリカだったのではないでしょうか。
思えば城の中に転がっていた聖剣があの後見つかったという話は聞きませんでした。
魔族からすれば真っ先に鹵獲なり封印なりしたほうがいい物のはずです。
なのに話題にも上らなかったとすれば、消え失せたと考えるのが自然でしょう。
さらに言えば、持ち主の死によって元の場所に戻ったのではないでしょうか。
そうでなければ、歴代の勇者が聖剣に選ばれて旅に出ることが説明できません。
魔王に敗れるたび聖剣を奪われていては、成り立たないのですから。
ルッツが手にした聖剣と、先代勇者が持っていた聖剣の二つが存在する理由はわかりません。
しかしそこにナーデ教が絡んでいるのは間違いないでしょう。
そして聖剣が二つ存在すると知られるのは、きっと彼らにとって都合の悪いことです。
信仰が揺らぎかねないならばルッツを殺してでもその事実を抹消しようとする可能性さえあります。
それは力だけでは立ち向かえない、強大な権力の拳です。
有無を言わせず襲い来る、白を黒にする理不尽です。
「ルッツ、聖剣のことは内緒です。絶対に誰かに話してはいけません」
「……それはステラの秘密にかかわりがあることなんだね」
「はい。私にはまだ話せないことも、自分でもよくわからないこともいっぱいあるんです」
「僕にも話してもらえないんだね」
「……すみません」
本当に申し訳ない話です。
勝手に勇者認定して、勝手に信じて欲しいと無茶を言うのに。
肝心の理由を話さないのですから。
「いいや、僕の力が足りないだけなんだ。ステラが秘密を話しても大丈夫だと思えるだけの人間に、僕はまだなれていない」
それでもルッツは優しくて、聡い。
「約束するよ、僕はもっと強くなる。君に相応しくなれるまで。君の全てを守れるまで」
「……はい!」
ルッツは決意を示してくれました。
だから私も、私が行くべき道を進まねばなりません。
*
「おや、二人とも無事だったんだね」
「トレヴァーさん!」
村に戻ると、村の中心にある井戸に腰掛けたトレヴァーさんが私達を迎えました。
ぱあと顔を明るくして駆け寄るルッツの頭を撫でながら、彼は私を見据えます。
愉快そうな笑みを浮かべながら。
「約束だからね、しっかりと守るよ」
「お願いします」
ナーデ教の聖女として正式に私を迎え入れるという約束。
私にとって茨道に違いないその道を、くじけることなく進んでみせましょう。
今日勇者になった彼のように。
その光を警戒するように、魔狼は身をたわめてルッツを睨みつけています。
改めて魔狼の姿を見れば、その姿は痛ましいものでした。
毛皮はところどころ破れて血が滲み、黒く固まった血と泥の斑模様がぼろきれを思わせる有様。
私が障壁を突き刺した右目は完全に潰れており、隻眼が夜闇の中でぎらつきます。
幾分やせ細ったように見えるその体躯、しかし身にまとう靄は聖剣の光に抗うように一層濃さを増していきます。
満身創痍の様子を見るに、ハレウィア山脈を越えてくるのは魔狼にとっても命を削る行為だったに違いありません。
それでもなお魔狼を突き動かす怨念は一体どこから。
いえ、今はそれを考えている場合ではないと首を振ります。
手負いの獣が一番恐ろしいのですから。
「ルッツ、気を付けてください! あの魔狼は頭が回ります!」
かつてクスラの森で私とオークの方々を罠にかけた魔狼の知性。
見える範囲の狼を倒したとはいえ、安心するには足りません。
ここは木々がいくつもそびえたつ森の中。
そもそも狼たちのフィールドで、伏兵を配置するには絶好の環境です。
「わかった。気を付けるよ」
そう言うなり、眼前に立っていたルッツの姿がぶれました。
次に私が認識したのは微かな土埃、飛び退った魔狼、そして先ほどまで魔狼がいた場所で剣を振り抜いたルッツ。
遅れて来た風が私の髪を浮き上がらせて、そのまま通り過ぎていきました。
「どこまでできるのかはこの剣が教えてくれる。……でもこれは怖い力だね」
魔狼と相対したままルッツが零した言葉。
それは大きな力への恐れでした。
ただの小さな子どもの一撃。
しかしそれが強大な力を持つ魔狼をして避けざるを得ない一閃となったのです。
その正体は聖剣がルッツに与えている異常な倍率の身体能力の強化。
私がオークの方々に付与したものとは全く比べ物になりません。
既存のどんな魔法使いが身体能力強化の魔法を使おうとも、これほどの効果は得られないでしょう。
魔狼は飛び退った後に一瞬呆けたように目を見開くと、憎々し気に唸ります。
そして疾風のように木々の隙間を駆け回り始めました。
獲物に急降下する隼のような速さで、じぐざぐと不規則な軌跡を描く魔狼を私の目ではとても追いきれません。
重い足音と、息を都度吐き出すような荒い息遣いだけが頼りです。
「ごめんねステラ、僕じゃこの力を全然使いこなせないんだ」
ルッツが苦々しく口を結ぶのと同時に、黒い影が彼に飛び掛かります。
「うぐぅああっ!!」
「ルッツ!!」
飛び散る血飛沫と、宙を舞う彼の左腕。
血飛沫は飛び掛かってきたそのままの勢いで、もんどりうって転がっていく魔狼の残像をなぞりました。
素早く態勢を立て直した魔狼の脇腹には横一文字、大きな切創。
しかしルッツの左腕は肩から無惨に千切られていて……。
私が息を呑んだその瞬間、ルッツの腕が地面にぼとりと落ちるのと同時に、彼の左肩から先が生えるように再生しました。
「だからこんな戦い方しかできない。ごめん」
まるで植物の枝の成長を何倍速にもしたかのような光景でした。
遅れて私は、それが聖剣が彼に与えたもう一つの力だと気付きます。
常に聖女の癒しを受けているかのような尋常ならざる再生能力。
人の限界をあっさりと突き破ってしまうほどの身体強化。
それが、今目の前にある聖剣が使い手にもたらす恩恵なのです。
ですがそれは、そんなことが。
「そんなつもりじゃ……」
純粋な戦闘能力を突き詰めて、壊れても壊れても戦い続ける。
それは彼を人間兵器に変えてしまう力です。
私の祈りは、そんな力をルッツに与えることでは決してなかった。
それなのにどうして。
「違うんだステラ。これは僕が望んだ力なんだ」
再生した左腕を剣に添え、正眼に構えます。
「何もかも足りない僕が誇れるものはこの心しかないから。この力で僕は、くじけない限り何度でも立ち向かえる」
痛みがないわけがない。
恐怖を和らげてくれるわけでもない。
ただ無理やりに力を底上げしただけで、彼の心はむき出しのまま。
それでもルッツは嬉しそうに言うのです。
だから彼こそが勇者だと信じられる。
彼ならば、苦悩しながらも困難な道を進んでいけると。
そして魔狼とルッツは凄まじい速さで攻撃を交わし始めます。
白刃と深紅に染まった爪牙が踊るように閃き、辺りが血みどろに染まりゆき。
時には血だけでなく臓腑が零れ落ちる凄惨な光景が、清浄な光の中に広がります。
森の香りなどというものはもはやなく、鼻につく鉄臭さしか感じられません。
私自身に身体強化を掛けても戦いを追えないため下手に動くこともできず、ただ祈ることしかできません。
ただ一つ分かったのは、モーガンさんにはもう聖女の力が及ばないということ。
そして数分程時が経ち、その瞬間が訪れました。
不意に魔狼とルッツが向かい合った状態で立ち止まります。
互いの攻撃が一足で届く距離。
再生能力を持たない魔狼はもはや血に染まっている箇所の方が多く、その足元にどくどくと血溜が出来ていくほど。
対するルッツも怪我はなくとも血塗れで、荒く息を吐いています。
いくら身体能力を強化しようとも扱うのは人間、体力には限りがあることに今更気付きました。
恐らく次の一撃で決着するのだろうという予感。
細い糸が千切れそうなほどに張り詰めた空気の中、私は固唾をのんで祈ります。
どうか、ルッツが無事でありますようにと。
そして魔狼が動きます。
その大きな口で私を食らい殺そうと飛び掛かって。
ルッツは魔狼に聖剣を全力で投げつけていました。
彼にも三匹の狼が飛び掛かっているというのに。
コマ送りのようにその光景が目に映った私は、反射的にルッツを守る障壁を願いました。
結果として。
私の目前で血飛沫と衝撃が弾けました。
ルッツに襲い掛かろうとしていた狼も障壁に阻まれ、その牙は届かないままです。
振り返れば、首を聖剣でくし刺しにされて木に縫い留められている魔狼の姿。
そして残っていた狼をルッツが殴り飛ばし、静寂が訪れました。
「ルッツ!」
「ステラ、無事でよかった」
走り寄り、異常がないか手を取って確かめます。
私より少し大きいだけの小さな手は、小刻みに震えていました。
「なんて無茶をするんですか! 剣を手離したら傷が治らなくなるかもしれないのに!」
そう、剣を手放しても聖剣の機能が働くかなどわからないのです。
なのにぶっつけ本番かつ自身の命がかかった状況で、それをするなんて。
怖かったから手も震えているのでしょうに。
「なんとなく大丈夫だと思ったんだ。実際ステラが守ってくれたからほら、無事だよ」
「そんなの結果論ですよ」
ぷらぷらと手を振ってみせるルッツに言い募れば、彼もまた眉をしかめました。
「ステラだって、自分より僕を守ることを優先してるじゃないか」
「あなたが剣を投げるのが見えたから、守らなきゃと思ったんです」
「ありがとう」
ルッツが私の右手をそっと両手の掌で包み込みます。
「ほら、お互い様なんだよ。どっちも互いを守ろうとしたんだ」
そう言われてしまうと、もう何も言い返せません。
言いたいことはいくらでもありますが、いくら言ったところで彼の気持ちは変わらない。
結局あの瞬間、二人とも自分の命より互いを守ろうと行動したことが全てですから。
それからルッツは私の手を引いて魔狼に歩み寄ります。
もう動く力もないだろう魔狼は、それでも衰えない眼力で私達を睨んでいました。
「僕が生きているのは奇跡だ。きっと君が傷だらけじゃなければ、僕だけを狙っていたら。……ステラが僕を信じていなかったらきっと違ったんだ」
それはもしものお話。色んな偶然の積み重ねがこの結末を手繰り寄せたのです。
一つでも違えば、想像したくない結末がそこにあった。
魔狼が目を細め、鼻を鳴らしました。
まるで、仕方がないかと何かを受け入れたかのように。
そしてその目がゆっくりと閉じられ、聖剣も光となって消えていきます。
光は私に吸い込まれるように集まってきて……。
「え!?」
「ステラ!?」
光だけでなく、禍々しい靄もまた私に集まってきたのです。
相反するように思えるそれらが螺旋を描いて私の胸に吸い込まれていく。
不思議なことに気分が悪くなるだとかそういったことはありませんでした。
むしろ体の中に何かが漲ったような、そんな気がします。
「安心してください。大丈夫みたいです」
「ならいいけど、本当に大丈夫?」
「はい」
アサン村に来た時、千切れかけていた足が治っていたのを思い出しました。
纏わりついていた靄によって癒しが阻害されていたにもかかわらず足が繋がっていたのはもしかすると。
今のように靄を取り込んだことによって起きた現象なのかもしれません。
靄の正体も私が取り込める理由もわかりませんが、私にとってこの靄は有害なものではないと直感が囁きます。
それならば今気にすることではありません。
「村に戻りましょう」
「モーガンさんは……」
静かに首を振ります。
首を切られても直後であれば癒せる聖女の力が効かなかった以上、もう彼は……。
それに子どもの私達では彼の死体を運ぶこともできません。
「そんなのって……そうだ、聖剣を出して運ぼうよ!」
「駄目です」
「なんで!?」
「私が思うに、あの聖剣の存在は人に知られない方がいいんです。知られればあなたが殺されるかもしれない」
聖剣は私がルッツを勇者だと叫んだ瞬間彼に宿りました。
そこには明らかに聖女の力が作用しています。
であるならば、先代勇者が持っていた聖剣は一体何なのか。
お母様が亡くなってから聖女はずっと私だったのです。なのに彼は聖剣を持っていた。
あれはレプリカだったのではないでしょうか。
思えば城の中に転がっていた聖剣があの後見つかったという話は聞きませんでした。
魔族からすれば真っ先に鹵獲なり封印なりしたほうがいい物のはずです。
なのに話題にも上らなかったとすれば、消え失せたと考えるのが自然でしょう。
さらに言えば、持ち主の死によって元の場所に戻ったのではないでしょうか。
そうでなければ、歴代の勇者が聖剣に選ばれて旅に出ることが説明できません。
魔王に敗れるたび聖剣を奪われていては、成り立たないのですから。
ルッツが手にした聖剣と、先代勇者が持っていた聖剣の二つが存在する理由はわかりません。
しかしそこにナーデ教が絡んでいるのは間違いないでしょう。
そして聖剣が二つ存在すると知られるのは、きっと彼らにとって都合の悪いことです。
信仰が揺らぎかねないならばルッツを殺してでもその事実を抹消しようとする可能性さえあります。
それは力だけでは立ち向かえない、強大な権力の拳です。
有無を言わせず襲い来る、白を黒にする理不尽です。
「ルッツ、聖剣のことは内緒です。絶対に誰かに話してはいけません」
「……それはステラの秘密にかかわりがあることなんだね」
「はい。私にはまだ話せないことも、自分でもよくわからないこともいっぱいあるんです」
「僕にも話してもらえないんだね」
「……すみません」
本当に申し訳ない話です。
勝手に勇者認定して、勝手に信じて欲しいと無茶を言うのに。
肝心の理由を話さないのですから。
「いいや、僕の力が足りないだけなんだ。ステラが秘密を話しても大丈夫だと思えるだけの人間に、僕はまだなれていない」
それでもルッツは優しくて、聡い。
「約束するよ、僕はもっと強くなる。君に相応しくなれるまで。君の全てを守れるまで」
「……はい!」
ルッツは決意を示してくれました。
だから私も、私が行くべき道を進まねばなりません。
*
「おや、二人とも無事だったんだね」
「トレヴァーさん!」
村に戻ると、村の中心にある井戸に腰掛けたトレヴァーさんが私達を迎えました。
ぱあと顔を明るくして駆け寄るルッツの頭を撫でながら、彼は私を見据えます。
愉快そうな笑みを浮かべながら。
「約束だからね、しっかりと守るよ」
「お願いします」
ナーデ教の聖女として正式に私を迎え入れるという約束。
私にとって茨道に違いないその道を、くじけることなく進んでみせましょう。
今日勇者になった彼のように。
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