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第二話 モンブランは地味だけど
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自分から千和子に電話して、今度の週末に円覚寺の紅葉を見に行こうと言うと、千和子はものすごく戸惑っていて、それでも了承してくれた。
十一月も終わりかけた円覚寺の紅葉は、今が盛り。境内のあちこちにはフォトスポットが用意され、着物でキメた女の子たちやカップルが、写真を撮りまくっている。
「あ、リス!」
紅葉の枝をたたたた、と走っていくタイワンリスを指さすと、千和子があっと声を上げた。
「鎌倉に住んでるからリスなんて見慣れてるんだけど、こういうところだとリスがいっそうかわいくみえちゃうよね、なんでだろう」
「ほんそれ。リスの茶色と紅葉の赤が、絶妙にマッチしているっていうか」
そんなことを言っているうちに、いったい今日何を言われるんだろうとこわばっていた千和子の心もほぐれていったんだろう、徐々に笑顔を見せてくれた。
ちょうどタイミングのいいことに禅体験をやっていて、千和子と一緒に座禅を組んだ。小学校の遠足でも座禅体験をやったけれど、その時以来だ。
目を瞑ってじっと、心の動きに耳を澄ませる。真っ暗な何もない視界で、呼吸だけに集中していると、自分の心の芯のようなものが、次第に透き通っていくのがわかった。
座禅を組んだ後、お坊さんの話を聞く時間があった。四十代半ばくらいのお坊さんは、しゃきっと背筋を伸ばして語った。
「仏教には知足という言葉があります。これは今自分に与えられているもの、衣食住や人間関係などに感謝し、それで十分だと思うことです。いわゆる、足るを知るということですね。
現代ではこの考えが失われてきていますが、その原因のひとつとして、お金ベースの子育てが根本にあるのではと思うことがあります。
どの親御さんも子どもにやりたいことをやらせてあげよう、欲しいものを買ってあげようと思いますが、一方的に与えて、お金で叶えるだけの愛情は、本当に子どもの欲しいものでしょうか。
それよりも子どもの話を否定しないで聞いてあげる、子どもがやりたいことを一緒にやる。そのほうがずっと大事なんです。
物質的に満たされていても、そんなふうに心が満たされずに育った子どもは、内側が欠乏しているのでなかなか、知足にたどり着けません。
思うに、今の若者がSNSにキラキラした投稿をして、承認欲求を満たそうとするのは、そんな背景も一因としてあるのではないでしょうか」――
円覚寺を出た後、高校の時ふたりで入ったカフェに向かったけれど、あのレトロでかわいかったお店はなくなって、お土産屋さんになっていた。千和子とふたりでなくなっちゃったね、と言い合いながら、別のカフェを探して歩き出す。
「千和子は泰治のどこを好きになったの?」
千和子の頬がぴんと張って、少しの沈黙の後、語りだした。
「私、医学生ってもっと、嫌な感じの人だと思ってたの。頭がいいってだけで自分は選ばれた人間みたいな、変なプライドとか傲慢さがある、そんなイメージだった……でも泰治くんは、ぜんぜん違った。
別に頭もよくない、顔もよくない。そんな私の話を面白がって聞いてくれて、自分よりずっと下のレベルの大学に通ってるからって、見下したりしなかった。対等に接してくれた。いちばんは、そこ……かな」
千和子の話を聞いていたら、結局、自分は泰治の医学部生っていうステイタスばかり見ていたのだと気づく。
運命の相手だ、本気の恋だと盛り上がっていたけれど、中身はそんなふうに薄っぺらかった。
そんなあたしよりずっと、千和子のほうが泰治に相応しい。
「もう、お店はなくなっちゃったけど。一緒にモンブラン食べたあの時、千和子の存在が本当にありがたかった。失恋しても自分にはちゃんと、心配して一緒にいてくれる友だちがいるんだなって……だから、ありがとう」
「美波斗ちゃん、もう怒ってないの?」
千和子がおそるおそる聞く。あたしはにこっ、と笑う。ちっとも無理せずに。
「怒ってない。泰治を盗られた、って一方的に被害者みたいな気持ちになってたけど、よく考えたら千和子は悪くないじゃん。ただ、泰治があたしじゃなくて、千和子を選んだだけ。
それはあたしにはどうしようもできない。あたしが千和子より、魅力がなかったのが悪いんだもん。だから……幸せになってね。あたしはもっと、いい男見つけるから」
「なんていうか、その。美波斗ちゃんはすっごく可愛いから、きっとそのうちぜったい、素敵な彼氏ができるよ」
「うーん、そうだといいんだけどな……あっ、そうだ。この前行ったカフェならきっと開いてるはず。行ってみない?」
失恋の原因になった友だちを連れてきたなんて言ったら、守生さんはどんな顔をするだろう。
そう期待して『クロスオーバー』に行ったのに、あの墨みたいに真っ黒でおしゃれな建物は、どこにもなくなっていた。代わりに現代的な雰囲気のかわいいカフェが建っている。まさかこの短期間で、建物ごと取り壊されて、別のカフェが建っちゃったとか?
「おかしいなあ……道を間違えてるわけないと思うんだけど」
「残念だったな。美波斗ちゃんおすすめのお店、行きたかったのに。ねえ、小町通りのイワタコーヒー行ってみない?」
「今の時間だとめっちゃ並ぶでしょ」
「並んでも食べたいよ、あそこのフルーツサンド」
そんなことを言いつつ、とりあえず小町通り方面に向かって歩く。
この前、この近辺を歩いていた時は通りすがる人たちの笑顔に気持ちがささくれだって仕方なかったけど、今は赤ちゃんに笑いかけるお母さんも、手をつないで歩くカップルも、見ているだけでちょっとほっこりする。
しばらく無言の時間が流れた後、千和子が言った。
「私ね、来年留学するんだ」
「えっ」
つい声を裏返して、千和子の横顔をじっと見つめていた。なぜか千和子はちょっとだけ恥ずかしそうだった。
「本当は大学行かないで、翻訳家になれる専門の学校行きたかったんだけど、親には大学卒って学歴はあったほうがいいって言われて。留学して、卒業してから専門学校行って勉強するつもり」
「知らなかった。千和子が翻訳家になりたかったなんて」
「誰にも言ったことないから。高校の頃からの夢だったんだ」
千和子が英語部であんなに熱心に活動していたのも、大学で真面目すぎるくらい真面目に勉強に取り組んでいたのも、そういう理由だったんだ。
そんな千和子をずっと「真面目すぎてイタい」なんて笑ってたあたしは、どれだけ浅はかだったんだろう。
「そっか……千和子は、えらいね」
「別にえらくないよ。ただ、なんとなく会社で仕事するより、なんらかの専門職に就くほうが自分に合ってると思ったから。それに、英語は昔から好きだし」
照れくさそうに笑う千和子は、同い年なのにあたしよりずっと大人に見える。
栗の甘露煮を使った黄色いモンブランみたいに、ちょっと古臭くて、華がなくて、でもしっかり者のあたしの友だち。
あたしにも、見つかるだろうか。叶えたい夢とかなりたいものとか、これからの自分の人生の、指針となってくれるもの。愛されたい、という要求よりも、夢中になれるほど、強烈できらきらしたもの。
「美波斗ちゃんは就職とかどうするの?」
「うーん、まだぼんやりとしか。でも、そんなんじゃいけないよね。とりあえず資格とってみようかな。色彩検定とか、面白そうだし」
そうだ、焦ることはない。あたしはまだ、たった二十年しか生きていない。これからいくらでも、変われる余地はあるはずだから。
イワタコーヒーが見えてきて、とうぜんのようにお店の前に行列ができていて、あたしと千和子はちらっと目くばせし合う。
どうする? 待ってみようか。列のいちばん後ろに並んで、視界を上げるとコットンをちぎったような雲が見えた。
いくら時間がかかってもいい。少しずつ少しずつ、進んでいければ。
十一月も終わりかけた円覚寺の紅葉は、今が盛り。境内のあちこちにはフォトスポットが用意され、着物でキメた女の子たちやカップルが、写真を撮りまくっている。
「あ、リス!」
紅葉の枝をたたたた、と走っていくタイワンリスを指さすと、千和子があっと声を上げた。
「鎌倉に住んでるからリスなんて見慣れてるんだけど、こういうところだとリスがいっそうかわいくみえちゃうよね、なんでだろう」
「ほんそれ。リスの茶色と紅葉の赤が、絶妙にマッチしているっていうか」
そんなことを言っているうちに、いったい今日何を言われるんだろうとこわばっていた千和子の心もほぐれていったんだろう、徐々に笑顔を見せてくれた。
ちょうどタイミングのいいことに禅体験をやっていて、千和子と一緒に座禅を組んだ。小学校の遠足でも座禅体験をやったけれど、その時以来だ。
目を瞑ってじっと、心の動きに耳を澄ませる。真っ暗な何もない視界で、呼吸だけに集中していると、自分の心の芯のようなものが、次第に透き通っていくのがわかった。
座禅を組んだ後、お坊さんの話を聞く時間があった。四十代半ばくらいのお坊さんは、しゃきっと背筋を伸ばして語った。
「仏教には知足という言葉があります。これは今自分に与えられているもの、衣食住や人間関係などに感謝し、それで十分だと思うことです。いわゆる、足るを知るということですね。
現代ではこの考えが失われてきていますが、その原因のひとつとして、お金ベースの子育てが根本にあるのではと思うことがあります。
どの親御さんも子どもにやりたいことをやらせてあげよう、欲しいものを買ってあげようと思いますが、一方的に与えて、お金で叶えるだけの愛情は、本当に子どもの欲しいものでしょうか。
それよりも子どもの話を否定しないで聞いてあげる、子どもがやりたいことを一緒にやる。そのほうがずっと大事なんです。
物質的に満たされていても、そんなふうに心が満たされずに育った子どもは、内側が欠乏しているのでなかなか、知足にたどり着けません。
思うに、今の若者がSNSにキラキラした投稿をして、承認欲求を満たそうとするのは、そんな背景も一因としてあるのではないでしょうか」――
円覚寺を出た後、高校の時ふたりで入ったカフェに向かったけれど、あのレトロでかわいかったお店はなくなって、お土産屋さんになっていた。千和子とふたりでなくなっちゃったね、と言い合いながら、別のカフェを探して歩き出す。
「千和子は泰治のどこを好きになったの?」
千和子の頬がぴんと張って、少しの沈黙の後、語りだした。
「私、医学生ってもっと、嫌な感じの人だと思ってたの。頭がいいってだけで自分は選ばれた人間みたいな、変なプライドとか傲慢さがある、そんなイメージだった……でも泰治くんは、ぜんぜん違った。
別に頭もよくない、顔もよくない。そんな私の話を面白がって聞いてくれて、自分よりずっと下のレベルの大学に通ってるからって、見下したりしなかった。対等に接してくれた。いちばんは、そこ……かな」
千和子の話を聞いていたら、結局、自分は泰治の医学部生っていうステイタスばかり見ていたのだと気づく。
運命の相手だ、本気の恋だと盛り上がっていたけれど、中身はそんなふうに薄っぺらかった。
そんなあたしよりずっと、千和子のほうが泰治に相応しい。
「もう、お店はなくなっちゃったけど。一緒にモンブラン食べたあの時、千和子の存在が本当にありがたかった。失恋しても自分にはちゃんと、心配して一緒にいてくれる友だちがいるんだなって……だから、ありがとう」
「美波斗ちゃん、もう怒ってないの?」
千和子がおそるおそる聞く。あたしはにこっ、と笑う。ちっとも無理せずに。
「怒ってない。泰治を盗られた、って一方的に被害者みたいな気持ちになってたけど、よく考えたら千和子は悪くないじゃん。ただ、泰治があたしじゃなくて、千和子を選んだだけ。
それはあたしにはどうしようもできない。あたしが千和子より、魅力がなかったのが悪いんだもん。だから……幸せになってね。あたしはもっと、いい男見つけるから」
「なんていうか、その。美波斗ちゃんはすっごく可愛いから、きっとそのうちぜったい、素敵な彼氏ができるよ」
「うーん、そうだといいんだけどな……あっ、そうだ。この前行ったカフェならきっと開いてるはず。行ってみない?」
失恋の原因になった友だちを連れてきたなんて言ったら、守生さんはどんな顔をするだろう。
そう期待して『クロスオーバー』に行ったのに、あの墨みたいに真っ黒でおしゃれな建物は、どこにもなくなっていた。代わりに現代的な雰囲気のかわいいカフェが建っている。まさかこの短期間で、建物ごと取り壊されて、別のカフェが建っちゃったとか?
「おかしいなあ……道を間違えてるわけないと思うんだけど」
「残念だったな。美波斗ちゃんおすすめのお店、行きたかったのに。ねえ、小町通りのイワタコーヒー行ってみない?」
「今の時間だとめっちゃ並ぶでしょ」
「並んでも食べたいよ、あそこのフルーツサンド」
そんなことを言いつつ、とりあえず小町通り方面に向かって歩く。
この前、この近辺を歩いていた時は通りすがる人たちの笑顔に気持ちがささくれだって仕方なかったけど、今は赤ちゃんに笑いかけるお母さんも、手をつないで歩くカップルも、見ているだけでちょっとほっこりする。
しばらく無言の時間が流れた後、千和子が言った。
「私ね、来年留学するんだ」
「えっ」
つい声を裏返して、千和子の横顔をじっと見つめていた。なぜか千和子はちょっとだけ恥ずかしそうだった。
「本当は大学行かないで、翻訳家になれる専門の学校行きたかったんだけど、親には大学卒って学歴はあったほうがいいって言われて。留学して、卒業してから専門学校行って勉強するつもり」
「知らなかった。千和子が翻訳家になりたかったなんて」
「誰にも言ったことないから。高校の頃からの夢だったんだ」
千和子が英語部であんなに熱心に活動していたのも、大学で真面目すぎるくらい真面目に勉強に取り組んでいたのも、そういう理由だったんだ。
そんな千和子をずっと「真面目すぎてイタい」なんて笑ってたあたしは、どれだけ浅はかだったんだろう。
「そっか……千和子は、えらいね」
「別にえらくないよ。ただ、なんとなく会社で仕事するより、なんらかの専門職に就くほうが自分に合ってると思ったから。それに、英語は昔から好きだし」
照れくさそうに笑う千和子は、同い年なのにあたしよりずっと大人に見える。
栗の甘露煮を使った黄色いモンブランみたいに、ちょっと古臭くて、華がなくて、でもしっかり者のあたしの友だち。
あたしにも、見つかるだろうか。叶えたい夢とかなりたいものとか、これからの自分の人生の、指針となってくれるもの。愛されたい、という要求よりも、夢中になれるほど、強烈できらきらしたもの。
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そうだ、焦ることはない。あたしはまだ、たった二十年しか生きていない。これからいくらでも、変われる余地はあるはずだから。
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