鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

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第三話 本音を言うためのアップルパイ

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お会計は八〇〇円。こんなちゃんとしたお店なのに、ずいぶん安いなと思ってびっくりした。黒猫は最後までわたしにまとわりついてきて、にゃあ、とお見送りまでしてくれた。


スマホで時間表示を確認すると、まだ朝の九時。

あれ、カフェで少なく見積もっても三十分は過ごしてたと思うんだけれど、時間を勘違いしていたかな。

深く考えないまま、わたしは学校に向かった。今ならまだ、二限目には間に合うはず。


逃げたくない、と思った。ちゃんと向き合おう、と思った。

せっかく手に入った居場所なんだもの、このまま終わりにしたくない。


店員さんだって、人間関係はいきなり得意になれるわけじゃないって言ってた。わたしはずっとぼっちで、他の子よりずっと、対人関係を築くスキルが足りない。だからそのスキルを、これから磨いていくしかないんだ。


教室に入ると、明日菜がこちらに向かって手を振ってくれて、わたしも手を振り返す。麻結と理香は相変わらずむっつりしていた。二日間休んでも、ふたりの状況は変わっていないみたい。それでも、ちょっと安心した。

明日菜はまだわたしを、友だちとして認めてくれている。


「芽衣、ちょっと中庭まで来てくれる?」

 お昼休みになると、明日菜がわたしの机のところに来て言った。わたしはうなずき、お弁当ポーチを持って歩き出す。

 小春日和の昼休み、中庭には日向ぼっこをしつつ、顔を寄せ合って笑いながら、お弁当を食べている何組かの女の子たちがいた。

わたしたちはちょっと離れたベンチに腰掛ける。明日菜がふうっ、と大きく息を吐いた。


「よかったよー、芽衣が学校来てくれて。この二日間、本当に息が詰まりそうだった」

「ご、ごめん……あの状態の麻結と一緒にいるの、明日菜だって大変なのに、わたしだけ逃げちゃって」

「ううん、いいよ。芽衣の気持ちもよくわかるし。でも芽衣だって、ふたりがこのままでいいとは思ってないよね?」


 うん、とはっきりうなずいた。

 正直、傍から見るとどっちもどっちなのだ。理香の前でライブ当選を報告した麻結にも、それに対して怒り過ぎた理香にも、非はあると思う。でもそちらを双方に指摘する勇気がなくて、ふたりから逃げてしまっていた。


「麻結と理香を呼び出して、みんなでちゃんと話し合おうと思うの。芽衣もその場にいてくれるよね?」
「うん、もちろん」
「良かったー。あたしひとりじゃ、なかなか勇気出なくてさ」
「明日菜でも、そうなの?」


 明日菜がきょとんとした。


「どういうこと? 友だちが喧嘩してたら、どうしたらいいかわからなくて、下手なことしたらこれ以上こじれるんじゃないかって、不安になるものじゃない?」

「いやその、なんていうか……明日菜はかわいいし、明るいし、自分に自信がある感じがしてたから。わたしと違って、いつでもきっぱりはっきり、行動できるものなのかなって」

「あははっ、何それ。そんなわけないじゃんー」


 明日菜がからっと笑った。形のいい歯が唇からこぼれ落ちそう。


「思ってることを言うこと、思いのままに行動すること。そんなの、誰だって勇気いるに決まってるでしょ? 自分では正しいと思ってることでも、それができるかどうかは別。そういうものじゃない?」

「そう……だね」

「でも、芽衣はあたしのこと、かわいくて明るくて自分に自信がある、なんて思ってくれてたんだ。それはすっごくうれしい! ありがとう」


 明日菜のきらきらの笑顔が、心の真ん中にすとんと落ちてきた。

 きっと、百パーセント自分に自信のある人なんていない。意見を言おうとしてためらうのも、正義を行動に移すのも、勇気のいることなんだ。

明日菜でさえこんなふうに言うってことは、麻結も理香も、中学の時にきらきら眩しく見えたあの子たちも、多かれ少なかれこんな葛藤を抱えていたはずで。

 わたしは自分が思うほど、駄目な子じゃなかったのかもしれない。

 そう思ったら、猛烈に言いたい、という衝動に駆られて、こう口にしていた。


「あのね……わたしひとつ、みんなに謝らなきゃいけないことがあるの」
「ん? 何?」

「あの、その……みんなに気を遣って、メイクとかダイエットとか、推しとか興味あるフリしてたけど。本当はぜんぜん、そういうのどうでもいいって思っちゃうタイプなんだ、わたし。

なんか嘘吐いてるみたいで、ずっと嫌だった……本当にごめんなさい!!」


 おっかなびっくり頭を下げて、上げると、明日菜は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。怒っている、というのはまったく違う反応だった。


「えっと。なんで謝るのかよくわからないんだけど」
「え?」

「友だちの好きなものだからって、必ずしも興味を持たなきゃいけないってわけじゃないと思うし、別に気にすることでもないんじゃない? 嘘とはぜんぜん違うでしょ。でもそんなふうに言ってくれるって、芽衣っていい子なんだね。すっごい誠実」

「そう……かな?」

「そうだよ。あたしもごめんね、自分が好きなコスメとかダイエット法とか、いろいろ教えてただけのつもりなんだけど、もしかして嫌だった?」

「ううん、そうじゃないの! そういうことじゃないの! むしろ、うれしかったよ? みんなが自分の好きを、わたしにも伝えようとしてくれることがうれしかった。明日菜たちの話聞いてるの、ぜんぜん苦痛とかじゃなくて。ただ同じ熱量で好きになれないから、その、申し訳なくて……」


 ぶっ、と明日菜が笑った。


「そんなこと思ってたんだ。芽衣、本当に真面目だね」
「真面目……なのかな」
「真面目だよ。ねえね、芽衣の好きなものも、もっと教えてよ。芽衣ってたしか、本が好きだったよね?」


 明日菜と友だちになったきっかけを思い出した。

 みんなの輪に入れず、困ったわたしはカバンから本を取り出して読んでいた。その時に話しかけてくれたのが明日菜だった。


「すごいね、こんな文字がぎっしりの、昔の本読めるなんて! あたしは流行りの本しか読めないから、うらやましいなあ。きっと頭良いでしょ?」――


「わたしが好きなのは、日本のモダンクラシックなの」


 思い切って口にすると、明日菜が小首を傾げた。


「何それ?」

「えーと、古典っていうには新しすぎて、でも現代小説と呼ぶには古臭い。そういうジャンルの小説かな。海外だとジョージ・オーウェルの『一九八五』とか、ハインラインの『夏の扉』。日本だと、坂口安吾とか谷崎潤一郎あたり。あと、教科書に載ってた走れメロスってあるでしょ。太宰治もその年代かな」


 一気にしゃべっちゃって、オタクっぽいかなとあわてて口を閉じると、明日菜がまたまたびっくり顔をしていた。


「何それ。すんごい詳しいじゃん」
「う、うん……中学時代は本ばっかり読んでたから」

「ねーねー、あたしみたいにラノベくらいしか読めないような人でも、読めるのある? 短くて文章がかんたんなやつがいい!」
「えーと、だったらね……」


 わたしの話に目を輝かせ、素直に耳を傾けてくれる明日菜。あのアップルパイを食べた時みたいに、心がほかほかしていた。

 本が好きとか、暗い子だって思われそうで、なかなかこういう話をできなかったのに。いざ話してみたら、ちっともそんなことなかった。

 もっと早く、こうして心を開いておけばよかった。

 でも、今からでも遅くない。


 近くできゃはは、と楽しそうな笑い声がはじける。
遠くでぴいい、とヒヨドリが鳴く。

冬のはじめの日差しが、中庭をやさしく照らしていた。

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