鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

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第四話 290円の贅沢チーズケーキ

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 関内にあるその店に入る時は、いつも緊張して、つい周りを警戒してしまう。

友人も知人もろくにいないけれど、金もないくせにこんなことに金を使ってる馬鹿男、だなんて思われたくないし、実際その通りなんだから救いがないと思う。


「山田さん、いつもありがとうございます。璃音ちゃん、今日は五番ルームですよ」

 ポマード頭のボーイに案内され、五番ルームへ。当たり前ながら、俺はここで本名を名乗ったことがない。多くの男たちと同じように。

 そして今から会う璃音だって、本当の名前では働いていないはず。


「おっひさー。もう、あたし今日お茶かと思ってヒヤヒヤしてたのー。待ちくたびれたあ」
「ごめんね、待たせて。プリン買ってきたから食べよ?」
「食べるー!」


 風呂場に隣接し、マットとベッドが置いてある、やたら装飾のごてごてした部屋。ランクの低い店なので全体的に安っぽいけれど、それでも璃音といる時だけ、心を解放できる。


「はっ? マジでその歳で童貞なん? 終わってるだろお前」

 無理やり連れていかれた職場の飲み会で無理やり恋愛経験がないことをカミングアウトさせられ、無理やりこの店に来たのが一年前。その時俺を出迎えてくれた璃音に、心を奪われた。

 別に、モデル級の美人とかそういうわけじゃない。平均的な顔立ちだし、身長高めの割に胸は小さくて、傷んだ茶髪とか剝げたネイルとか、どっちかっていうと人気のなさそうな部類の女の子だと思う。

でも八重歯を見せて笑う璃音は、ベッドに並んで座って楽しそうに俺の話を聞いてくれた。


「えー、ほんとに彼女できたことないの? 信じられなーい。真面目で誠実そうなのに、それぜったい周りに見る目がないんだよ―」


 お世辞だとわかっていても、気持ちよかった。こんなふうに全力で女の子から肯定されたことなんて、今までなかった。中高と、クラスの女子たちからは冷たい視線を向けられ、時にブサイクだのキモいだのと吐き捨てられた。


 だから、璃音は俺のミューズになった。


 そういうところで何にもしないで、お話だけで通い詰めるとワンチャンある、という都市伝説を信じ、月に一度か二度、ない金をやりくりし、お店に通い詰めた。

いつもいちばん短いコースだったのが本当に申し訳ないけれど、璃音に楽しんでもらいたくて、自分じゃぜったい買わないデパ地下のケーキだのプリンだの、ちょっとしたお土産も用意していった。

璃音はいつもやさしくて、楽しそうにしてくれて、本当にこの世で唯一俺を受け入れてくれる存在だった。

 もっとも、未だに手のひとつもつないでいないのだが。


「ラインに書いてたけど、無職になっちゃったってマ?」
「うん、マ」

「やばくない? こんなとこ来てる余裕ないでしょ」
「まあそうなんだけど。でもそんなの、璃音ちゃんには関係ないでしょ」

「あはは、何それ。もしかして、あたしを支えたくて通ってきてくれるの? うれしー!」


 なんて言いながら、今日まだ晩御飯食べてなかったんだー、とあっという間にプリンを食べきってしまう。お腹が空いているならと、俺の分もあげてしまった。


「例の彼とはもう別れられたの?」
「別れられないって、今さら。家賃も生活費も、彼のアクタースクール代もぜんぶあたしが払ってるんだよ? 今放り出したら、彼、路頭に迷うことになるじゃん」

「それこそ璃音ちゃんに関係なくない?」
「そうなんだけどさー。そうだけどさー」


 璃音には、二歳年上の俳優志望の彼がいる。


 そいつが典型的なクズ野郎で、バイトしかしていないのに金遣いが荒く、璃音のいない隙にしょっちゅうパチンコに行っている。

璃音はそんな男と一緒に暮らして、生活のいっさいを面倒見てやり、アクタースクールに払う金まで捻出していた。

それでもまだ必死で夢を追っているなら納得できるかもしれないが、彼は一向に芽が出ず、これから出るような気配もない。

写真を見せてもらったことがあるけれど、たしかに男前ではある。しかしこれくらいのレベル、俳優さんならごろごろいるし、しかも端正なだけで華に欠けていた。


「そいつさ、璃音ちゃんに甘えてるだけだよ。璃音ちゃんがはっきりしないと、このままの生活ズルズル続いちゃうよ」
「そうだけどさー。そうなんだけどさー」

「俺は嫌なんだよ、璃音ちゃんがそんなクズに搾取され続けてるの。そんな奴より、本当に璃音ちゃんを愛して、大切にしてくれる人がいる」
「どこにいるのよ、そんな人」


「……ここに」


 放った言葉は宙に浮いたまま、璃音ちゃんはすっと冷めた顔になって黙り込み、俺は怖くなってうつむいた。

 やばい。これ、駄目なやつだ。

 告白なんてしたことがないから、頭の中でありとあらゆるシミュレーションをしていたけれど、このタイミングはまずかった。

それでも、自動的に口からぽろっとこぼれ落ちてしまったんだから、俺の気持ちはもう水がコップから溢れそうなほど、表面すれすれだったんだろう。


「あのさ、璃音ちゃ……」
「キモ」


 必死で繕おうと言葉を探していると、璃音は思春期の頃に出会った女子たちのような氷の目で、俺を突き刺していた。心臓がぴしりと固まり、息もできないほどの絶望が身体をわし掴みにする。


「ひょっとして、あたしが好きであんたの相手してるとでも思ってんの? 金払ってもらわなきゃ、手だってつなぎたくないようなレベルの男だよ、あんた。

まあ見た目が駄目でもお金があればいいけど、あんた金もないじゃん。そもそも、マジでくっそキモいよね。

毎回毎回、何もしないでお話だけ、そんなやっすいプリンだのシュークリームだの買わないで、ロングコースにしてくれたほうがこっちとしてはよっぽどいいんだけど?」


「ええと、それは。俺を心配して言ってくれてるの?」
「ハア!?」


璃音が眉を吊り上げ、冷たく俺を睨みつける。あの、その、と言葉が喉で絡まって、なかなか出てこなかった。


「俺がお金ないのにこんなところ来てるから、心配してあえて冷たくして、もう来ないようにってことなのかな、と……」
「何それ。そんなわけないでしょ」

「嘘だ。嘘だよ、今のは璃音ちゃんの本心じゃないはずだ」
「あたしの本心がなんであんたにわかるのよ!? そういうとこもほんっっっとキモい!!」


 璃音が怒りのまま、俺に向かって空になったプリンのカップを投げつける。プラスチック製だし、大した痛みもないのだけれど、顎にこつんと当たったカップが胸をしっかりと切り裂いた。

 そりゃ、俺だって璃音がやさしすぎるとは思っていた。そのやさしさが客に対するものだっていうのもわかっていた。

 でも、それでも、いつかは……って期待してしまうことは、そんなに罪なんだろうか。

 ブサイクな男にはそんな夢を見ることも許されないのだろうか。


 はたと気づく。いつも話していたクソみたいな彼氏のこと。あの話は本当だったのか? もしかしてそれもまた、客の気を惹くため、可哀想な女を演出するための嘘だったっていう可能性はーー


「もう帰って。差額はちゃんと返すから。あと、あんたもう出禁ね。フロントに言っとく」
「え、ちょっと、さすがにそれは……」

「そこまでしないといけないの。こういう店舗型はストーカーとか怖いし」
「ストーカーって……」


俺はそんなふうに見られていたのか。ショックで頭を殴られ、今にも気絶しそうな俺に璃音は最後まできついトーンで言った。


「別に心配してるわけじゃないけど、あんた、ほんといい加減にしな? ブサイクで無職で三十で童貞とか、笑えないから。こんなとこ通ってる暇あったら、さっさと仕事探しなよ。

つーわけで、ばいばい」

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