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第四話 290円の贅沢チーズケーキ
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それから一週間が過ぎ、瞬く間に仕事納め、そして解雇日当日。
短い冬の日がとっぷり暮れた後、俺はアパートに帰り着いた。北鎌倉駅から徒歩十五分、家賃四万円、階段上がって二階の奥にある、一番端の部屋が俺の城。城というより、むしろ熊の巣穴みたいなところだけれど。
郵便受けには何枚もの請求書が入っていた。電気代に水道代、ガス代……ため息ついでに頭を抱えたくなる。なんとか今月の家賃は払えたけれど、来月分はかなり怪しい。
食費は月二万で抑えているし、携帯は格安スマホ、無駄なサブスクにはいっさい入ってない。爪に火を灯すような生活なのに、それでも生きていくことはままならない。
きゃははは、と隣の部屋から声が聞こえてきた。隣は俺より少し若い男だったはずだが、今日は彼女が来ているのだろう。女の声がする。
何度か見かけたことがあるが、若いだけが取り柄のブスだった。それでも当のふたりは幸せそうで、俺が惨めな生活を送っている一方で、すぐ隣に幸福があることに唾を吐きかけたくなる。
なんでひとの幸不幸は、平等じゃないのか。
「……とりあえず働かないとなあ」
請求書の類をいったん机の端にまとめて置き、スマホと睨めっこを始める。警備員。販売員。牛丼屋。コンビニ……そう、仕事は決してないわけではない。人手不足は深刻だ。
でもその中で、高卒で社会に出て三十路になってしまった男を、受け入れてくれる会社がどれだけあるのか。
年明けすぐ、俺は文房具を卸しているメーカーの営業職に応募し、面接まで漕ぎつけた。俺の履歴書に目を通した面接官は、厭味ったらしく眼鏡を持ち上げ、ほとんどガンをつけるような感じで見つめてくる。
「なんかいろんな仕事してたみたいだけど、ぜーんぶ契約社員か派遣社員、アルバイトばっかりだね。なんで最初から正規で働かなかったの?」
「高校がいわゆるFランだったので、書類すら通らなかったんです。それでも家が貧しかったし、すぐ働かないといけなくて」
このへんのエピソードを長々と語っても、お涙頂戴の自分語り野郎と思われるだけなので、あえてしない。そもそもそんなことは、今さら俺も話したくない。
「すぐ働かないといけない、ねえ。それでもさあ、いろいろ選択肢はあったんじゃない? 今日び高卒だと厳しいってのはわかるでしょ。昼間働いて、夜学校行くとか、通信制とか。そういうこともしないってのは、僕からすると社会を舐めてるとしか思えないなあ」
「はあ……」
「んでさ、君、そもそもオフィスワーク向いてると思えないんだよね。この履歴書もところどころ文字間違ってるし、面接希望のメールからして、まったくビジネスメールの定型文を無視してるんだよ。
うちも忙しいからさ、そういう馬鹿にいちから教育するキャパないわけ。細川くんは今までみたいに、ブルーカラーの非正規で働いてたほうが、自分も幸せだし他人にも迷惑かけないと思うなあ」
ぎり、と唇を噛む。
そう思ってるんなら、なんで履歴書通したんだよ。わざわざ面接でこれを言うために呼び出したってのか? キャパないとか言ってる割に暇はあるんだな。
働く前からパワハラしてくる会社なんて、こっちからお断りである。
会社を出て、とぼとぼ歩きだす。いらいらくさくさしていて、家に帰る前にどこかでリセットしたい。とはいえラーメンは今日び千円以上が当たり前だし、この時間、この辺りに入れる手頃な店なんてあるだろうか。
そう思っていたらチェーンのカフェが見えてきたので、これ幸いとばかりに入店した。
「いらっしゃいませ」
ロボットのようなトーンで店員が声をかける。レジの向こうに掲げられたメニュー表を見て、固まった。
この前入った時はコーヒー一杯二九〇円だったのに、いつのまにか五〇円近く値上がりしてるじゃないか。
物価高の余波はすごい。しかもサンドイッチだって、なぜか六〇〇円近くする。この日本は、底辺は暮らしていけない国になってしまったのか。
それでもレジに並んでしまったからには注文せざるをえず、いちばん安いSサイズのブレンドを頼んで席につくと、隣に座る女子高生ふたり組がピーチクパーチク、小鳥のように囀っていた。
髪の毛はプードルのような茶色いくるくる、というかぐるぐる、派手なメイクにじゃらじゃらしたアクセサリー。何ひとついい思い出がない出身校によくいたタイプだ。
「うちの親さー、まじムカつくんだけど。夕べテレビにレンくん出てたから観てたの、そしたらなんて言ったと思う? こんなホストみたいにちゃらちゃらした男、どこがいいのよとか言ってきてさあ」
「うっわ、最悪! それ、レン担にいちばん言っちゃいけないことじゃん」
「でしょー? 言い返したけど、まるで話通じなくてさあ。もう親子の縁切る気でいるわ」
「それがいいよ。ね、高校卒業したらうちとルームシェアしない?」
「あっそれ、最高!」
馬鹿だ。本当に馬鹿だ。何を甘ったれてるんだお前らは。
そのレンくんとやらに使う金だって、下品な色に染めた髪にかかる金だって化粧品だって、着崩した制服だって、みんな親が負担してるってわかってないのか。それなのに、そのくらいで縁を切るとか、冗談じゃなく言ってるみたいだから笑えない。
よほど説教してやろうと思ったけど、そんなことしたらウザいだのキモいだの罵倒され、挙句の果てには通報されること濃厚なので、熱すぎるコーヒーを無理やり飲み干して店を出る。気分は最悪なままだった。
どこかに、何かいいことが落ちてないんだろうか。
と思った時、ポケットでスマホが震えた。見ると、璃音(りおん)からメッセージが来ている。
『最近音沙汰ないけど元気―? 今日は店いるよ!』
行く、と返しながら、財布の中身を頭の中で確認する。大丈夫だ、ぎりぎり払える。
営業だろうがなんだろうが、俺を必要としてくれているのはありがたい。今の俺にとって、心の支えになるのは璃音だけだから。
短い冬の日がとっぷり暮れた後、俺はアパートに帰り着いた。北鎌倉駅から徒歩十五分、家賃四万円、階段上がって二階の奥にある、一番端の部屋が俺の城。城というより、むしろ熊の巣穴みたいなところだけれど。
郵便受けには何枚もの請求書が入っていた。電気代に水道代、ガス代……ため息ついでに頭を抱えたくなる。なんとか今月の家賃は払えたけれど、来月分はかなり怪しい。
食費は月二万で抑えているし、携帯は格安スマホ、無駄なサブスクにはいっさい入ってない。爪に火を灯すような生活なのに、それでも生きていくことはままならない。
きゃははは、と隣の部屋から声が聞こえてきた。隣は俺より少し若い男だったはずだが、今日は彼女が来ているのだろう。女の声がする。
何度か見かけたことがあるが、若いだけが取り柄のブスだった。それでも当のふたりは幸せそうで、俺が惨めな生活を送っている一方で、すぐ隣に幸福があることに唾を吐きかけたくなる。
なんでひとの幸不幸は、平等じゃないのか。
「……とりあえず働かないとなあ」
請求書の類をいったん机の端にまとめて置き、スマホと睨めっこを始める。警備員。販売員。牛丼屋。コンビニ……そう、仕事は決してないわけではない。人手不足は深刻だ。
でもその中で、高卒で社会に出て三十路になってしまった男を、受け入れてくれる会社がどれだけあるのか。
年明けすぐ、俺は文房具を卸しているメーカーの営業職に応募し、面接まで漕ぎつけた。俺の履歴書に目を通した面接官は、厭味ったらしく眼鏡を持ち上げ、ほとんどガンをつけるような感じで見つめてくる。
「なんかいろんな仕事してたみたいだけど、ぜーんぶ契約社員か派遣社員、アルバイトばっかりだね。なんで最初から正規で働かなかったの?」
「高校がいわゆるFランだったので、書類すら通らなかったんです。それでも家が貧しかったし、すぐ働かないといけなくて」
このへんのエピソードを長々と語っても、お涙頂戴の自分語り野郎と思われるだけなので、あえてしない。そもそもそんなことは、今さら俺も話したくない。
「すぐ働かないといけない、ねえ。それでもさあ、いろいろ選択肢はあったんじゃない? 今日び高卒だと厳しいってのはわかるでしょ。昼間働いて、夜学校行くとか、通信制とか。そういうこともしないってのは、僕からすると社会を舐めてるとしか思えないなあ」
「はあ……」
「んでさ、君、そもそもオフィスワーク向いてると思えないんだよね。この履歴書もところどころ文字間違ってるし、面接希望のメールからして、まったくビジネスメールの定型文を無視してるんだよ。
うちも忙しいからさ、そういう馬鹿にいちから教育するキャパないわけ。細川くんは今までみたいに、ブルーカラーの非正規で働いてたほうが、自分も幸せだし他人にも迷惑かけないと思うなあ」
ぎり、と唇を噛む。
そう思ってるんなら、なんで履歴書通したんだよ。わざわざ面接でこれを言うために呼び出したってのか? キャパないとか言ってる割に暇はあるんだな。
働く前からパワハラしてくる会社なんて、こっちからお断りである。
会社を出て、とぼとぼ歩きだす。いらいらくさくさしていて、家に帰る前にどこかでリセットしたい。とはいえラーメンは今日び千円以上が当たり前だし、この時間、この辺りに入れる手頃な店なんてあるだろうか。
そう思っていたらチェーンのカフェが見えてきたので、これ幸いとばかりに入店した。
「いらっしゃいませ」
ロボットのようなトーンで店員が声をかける。レジの向こうに掲げられたメニュー表を見て、固まった。
この前入った時はコーヒー一杯二九〇円だったのに、いつのまにか五〇円近く値上がりしてるじゃないか。
物価高の余波はすごい。しかもサンドイッチだって、なぜか六〇〇円近くする。この日本は、底辺は暮らしていけない国になってしまったのか。
それでもレジに並んでしまったからには注文せざるをえず、いちばん安いSサイズのブレンドを頼んで席につくと、隣に座る女子高生ふたり組がピーチクパーチク、小鳥のように囀っていた。
髪の毛はプードルのような茶色いくるくる、というかぐるぐる、派手なメイクにじゃらじゃらしたアクセサリー。何ひとついい思い出がない出身校によくいたタイプだ。
「うちの親さー、まじムカつくんだけど。夕べテレビにレンくん出てたから観てたの、そしたらなんて言ったと思う? こんなホストみたいにちゃらちゃらした男、どこがいいのよとか言ってきてさあ」
「うっわ、最悪! それ、レン担にいちばん言っちゃいけないことじゃん」
「でしょー? 言い返したけど、まるで話通じなくてさあ。もう親子の縁切る気でいるわ」
「それがいいよ。ね、高校卒業したらうちとルームシェアしない?」
「あっそれ、最高!」
馬鹿だ。本当に馬鹿だ。何を甘ったれてるんだお前らは。
そのレンくんとやらに使う金だって、下品な色に染めた髪にかかる金だって化粧品だって、着崩した制服だって、みんな親が負担してるってわかってないのか。それなのに、そのくらいで縁を切るとか、冗談じゃなく言ってるみたいだから笑えない。
よほど説教してやろうと思ったけど、そんなことしたらウザいだのキモいだの罵倒され、挙句の果てには通報されること濃厚なので、熱すぎるコーヒーを無理やり飲み干して店を出る。気分は最悪なままだった。
どこかに、何かいいことが落ちてないんだろうか。
と思った時、ポケットでスマホが震えた。見ると、璃音(りおん)からメッセージが来ている。
『最近音沙汰ないけど元気―? 今日は店いるよ!』
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