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第六話 お土産はいちごショート
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二日前に桜の開花宣言が出されて、今日は午前中から気温がぐんぐん上っていく。
朝ご飯を済ませた後、昨日ホームセンターで買ってきたアリッサムとペチュニアを花壇に植えた。生前、お父さんは庭仕事が好きだった。
雪ノ下の一軒家についている庭は決して広くはないけれど、季節ごとの花を愛でていたお父さんのことを思うと、自分が死んだ途端に庭まで荒れ放題になっていたら、きっとがっかりしてしまうだろう。
ひと仕事終えたら、額に汗が滲んでいた。ふう、とお茶を淹れてひと息吐きながら、壁の時計を見やる。まだ、ようやく九時になったばかりだ。
「このまま家にいてもねえ……」
鏡台の前に座り、軽く化粧をする。服はお父さんが褒めてくれた、古着屋さんで買った紺地のワンピース。トレンチコートを羽織り、最近ボリュームが少なくなってきた髪の毛もきちんと整えた。
知り合いに出くわした時、「パートナーを亡くして見た目にも気を遣わなくなった人」だなんて思われたくない。
平日とはいえ、桜の時期の鎌倉は人手が多い。小町通りには期間限定の、桜モチーフやいちごを使ったお菓子を出すお店がそこかしこにあり、行列ができていた。
二十代前半くらいだろう、付き合いたてと思われる若いカップルが、生ドーナツを食べながら肩を並べて歩いている。
「佑くん、遅番の後なのに付き合ってもらっちゃってごめんね。今日午後から面接だから、この時間しか会えなくて」
「いいんだよ。それより志織ちゃんが、一歩踏み出せて良かった」
「うん! 思い切って退職してよかった! 今度こそ、自分のやりたいことをちゃんと考えて会社を選ぼうと思う」
幸せたっぷりの笑顔を浮かべ、仲良く語らうふたりを見ていたら、お父さんと出会ったばかりの頃を思い出した。
京都の短大を出た私が就職したのは、京都市内にあるデパートの紳士服売り場だった。
今ではそういうお店は不景気のあおりを受けて奮わないらしいけれど、当時はまだ紳士服にはちゃんと需要があって、毎日のようにスーツの仕立てに訪れるお客様の相手をし、メジャー片手に走り回っていた。
立ちっぱなしの仕事はストッキングに包まれた足を容赦なくむくませたけれど、社会に出たばかりの私は水際で跳ねまわる魚のように、毎日ぴちぴちしていた。
あの人が現れたのは、こんな桜が咲き始めたばかりの午後だった。
「すみません、出張で京都に来て、これから商談なんですけれど。コーヒーでネクタイを汚してしまって、替えを探しているんです。予備のネクタイを持ってきていなくて……」
すらすらとした淀みない東京弁と、それとは反対に慣れない土地に来た不安を隠せていない顔。
私は彼を笑顔でネクタイ売り場に案内し、それほど高価ではなく、かつ商談相手に好印象を与えられるような、とっておきのネクタイを選んであげた。笑顔でお礼を言って去っていった彼は、その日の閉店間際になって、また売り場に現れた。
「先ほどはありがとうございました。それで……よかったら、東京に帰る前に一度、お食事でもどうでしょうか。改めてお礼がしたいんです」
ま、と口がぽっかり間抜けに空いてしまっただろう。いかにも女性を誘い慣れていなさそうな、ビジネスの延長のような畏まった言い方が、素敵だと思った。
恋愛に慣れていないのは私も同じだった。中高短大、とずっと女子校で、男の子との出会いなんてなかったし、高校の時は友だちの紹介で知り合った他校の男の子と、手紙のやり取りもしていたけれど、デートにすら至らなかったのだ。
彼のことを好きだったのかも、今となってはよくわからない。その男の子に対してどきどきしていたというより、親に黙って男の子とこっそり手紙のやり取りをしているという事実に、どきどきしていただけだったのかもしれない。
その彼――西迫(にしざこ)明生さんと会ったのは、京都市内のレストランだった。インターネットなんてなかったその時代に、わざわざ書店に行って、情報誌で私の気に入りそうなお店を調べてくれたらしい。
「美(み)寿(とし)さんとおっしゃるんですか。とても優美な響きのお名前ですね」
「私、へび年生まれなんです。みどし、だから、みとし。凝っとる名前のようで、そうやあらへんのですよ。明生さんも、いいお名前やわ。明るく生きる、なんて」
「周りにはよく、名前負けしてるって言われますけどね」
ぽりぽりと頭を掻く明生さんと、恋仲になるのに時間はかからなかった。
小町通りを通り過ぎ、鶴岡八幡宮へ向かう。まだ桜は満開じゃないけれど、それでも参道は人で鈴鳴りで、みんな頭上に張り出した桜の枝にスマートフォンを構えている。すっきりと春らしい水色の空に、ちらちらと咲き初めたうすピンクの花は、たしかに映えていた。
私まで桜に夢中になっていると、いきなり背中を叩かれたので、我に返った。
「あの、これ。落としましたよ」
女子大生くらいだろうか。若くてきれいな女の子が、ハンカチを差し出している。お父さんが還暦祝いにくれたものだ。これがあの人からもらった、最後のプレゼントになってしまった。
「まあ、ありがとう。大切なものなのよ」
「なくしてしまわなくて、良かったです」
にっこりと微笑む女の子の隣には、背の高い、しゅっとした雰囲気の男性がいた。恋人かな? と思って見ていたら、歩き出すふたりはどうも違うらしい。
「あーあ、せっかくの春休みなのに、なんで実家に来なきゃなんないのよー。もう、鶴岡八幡宮でしっかりと厄を祓ってもらわなきゃ」
「そんなこと言わないで。月に一度は帰省するっていうのが、母さんが出した条件だっただろ?」
「わかってるけどー。お兄ちゃんも少しはあたしの味方してよ」
「最近は、これでもじゅうぶん味方してるつもりだよ?」
どうも、ふたりは兄妹で、女の子のほうは親とそりが合わず、家を出て暮らしているようだ。それでもこうしてちゃんと帰省しているのだから、よくやっているほうだと思う。
「美寿さんのところは、美保ちゃんも美香ちゃんもしょっちゅう帰ってきて、親孝行してくれてるんでしょう、いいわねえ。うちの娘なんて、大学からひとり暮らしを許したら、まったく実家に寄り付かないわ。まったく、大した反抗期もなかったのに、どうしてこうなっちゃったかしらねえ」
久しぶりに美保や美香の同級生のママさんたちと会うと、決まってこんな話題が飛び出す。
ひとりがそんなことを言い出すと、「うちもそういう感じよ」「うちの娘なんてちっとも結婚しないの」「大学まで出したのにいつまでも派遣社員なんかしていて、何を考えてるのかしら」と、子どもに対する愚痴のオンパレード。
ふた言目には、「せっかくいい大学に入れたのに」「なんでも買ってあげたのに」「やりたいことをやらせてあげたのに」と、恩を着せるような発言が出てくる。
「子育てで大事なのは、その子に何をしてやったかじゃなくて、その子と一緒に何をしたか、なんだけどねえ」
小さくため息を吐き、境内に向かって歩き出す。
朝ご飯を済ませた後、昨日ホームセンターで買ってきたアリッサムとペチュニアを花壇に植えた。生前、お父さんは庭仕事が好きだった。
雪ノ下の一軒家についている庭は決して広くはないけれど、季節ごとの花を愛でていたお父さんのことを思うと、自分が死んだ途端に庭まで荒れ放題になっていたら、きっとがっかりしてしまうだろう。
ひと仕事終えたら、額に汗が滲んでいた。ふう、とお茶を淹れてひと息吐きながら、壁の時計を見やる。まだ、ようやく九時になったばかりだ。
「このまま家にいてもねえ……」
鏡台の前に座り、軽く化粧をする。服はお父さんが褒めてくれた、古着屋さんで買った紺地のワンピース。トレンチコートを羽織り、最近ボリュームが少なくなってきた髪の毛もきちんと整えた。
知り合いに出くわした時、「パートナーを亡くして見た目にも気を遣わなくなった人」だなんて思われたくない。
平日とはいえ、桜の時期の鎌倉は人手が多い。小町通りには期間限定の、桜モチーフやいちごを使ったお菓子を出すお店がそこかしこにあり、行列ができていた。
二十代前半くらいだろう、付き合いたてと思われる若いカップルが、生ドーナツを食べながら肩を並べて歩いている。
「佑くん、遅番の後なのに付き合ってもらっちゃってごめんね。今日午後から面接だから、この時間しか会えなくて」
「いいんだよ。それより志織ちゃんが、一歩踏み出せて良かった」
「うん! 思い切って退職してよかった! 今度こそ、自分のやりたいことをちゃんと考えて会社を選ぼうと思う」
幸せたっぷりの笑顔を浮かべ、仲良く語らうふたりを見ていたら、お父さんと出会ったばかりの頃を思い出した。
京都の短大を出た私が就職したのは、京都市内にあるデパートの紳士服売り場だった。
今ではそういうお店は不景気のあおりを受けて奮わないらしいけれど、当時はまだ紳士服にはちゃんと需要があって、毎日のようにスーツの仕立てに訪れるお客様の相手をし、メジャー片手に走り回っていた。
立ちっぱなしの仕事はストッキングに包まれた足を容赦なくむくませたけれど、社会に出たばかりの私は水際で跳ねまわる魚のように、毎日ぴちぴちしていた。
あの人が現れたのは、こんな桜が咲き始めたばかりの午後だった。
「すみません、出張で京都に来て、これから商談なんですけれど。コーヒーでネクタイを汚してしまって、替えを探しているんです。予備のネクタイを持ってきていなくて……」
すらすらとした淀みない東京弁と、それとは反対に慣れない土地に来た不安を隠せていない顔。
私は彼を笑顔でネクタイ売り場に案内し、それほど高価ではなく、かつ商談相手に好印象を与えられるような、とっておきのネクタイを選んであげた。笑顔でお礼を言って去っていった彼は、その日の閉店間際になって、また売り場に現れた。
「先ほどはありがとうございました。それで……よかったら、東京に帰る前に一度、お食事でもどうでしょうか。改めてお礼がしたいんです」
ま、と口がぽっかり間抜けに空いてしまっただろう。いかにも女性を誘い慣れていなさそうな、ビジネスの延長のような畏まった言い方が、素敵だと思った。
恋愛に慣れていないのは私も同じだった。中高短大、とずっと女子校で、男の子との出会いなんてなかったし、高校の時は友だちの紹介で知り合った他校の男の子と、手紙のやり取りもしていたけれど、デートにすら至らなかったのだ。
彼のことを好きだったのかも、今となってはよくわからない。その男の子に対してどきどきしていたというより、親に黙って男の子とこっそり手紙のやり取りをしているという事実に、どきどきしていただけだったのかもしれない。
その彼――西迫(にしざこ)明生さんと会ったのは、京都市内のレストランだった。インターネットなんてなかったその時代に、わざわざ書店に行って、情報誌で私の気に入りそうなお店を調べてくれたらしい。
「美(み)寿(とし)さんとおっしゃるんですか。とても優美な響きのお名前ですね」
「私、へび年生まれなんです。みどし、だから、みとし。凝っとる名前のようで、そうやあらへんのですよ。明生さんも、いいお名前やわ。明るく生きる、なんて」
「周りにはよく、名前負けしてるって言われますけどね」
ぽりぽりと頭を掻く明生さんと、恋仲になるのに時間はかからなかった。
小町通りを通り過ぎ、鶴岡八幡宮へ向かう。まだ桜は満開じゃないけれど、それでも参道は人で鈴鳴りで、みんな頭上に張り出した桜の枝にスマートフォンを構えている。すっきりと春らしい水色の空に、ちらちらと咲き初めたうすピンクの花は、たしかに映えていた。
私まで桜に夢中になっていると、いきなり背中を叩かれたので、我に返った。
「あの、これ。落としましたよ」
女子大生くらいだろうか。若くてきれいな女の子が、ハンカチを差し出している。お父さんが還暦祝いにくれたものだ。これがあの人からもらった、最後のプレゼントになってしまった。
「まあ、ありがとう。大切なものなのよ」
「なくしてしまわなくて、良かったです」
にっこりと微笑む女の子の隣には、背の高い、しゅっとした雰囲気の男性がいた。恋人かな? と思って見ていたら、歩き出すふたりはどうも違うらしい。
「あーあ、せっかくの春休みなのに、なんで実家に来なきゃなんないのよー。もう、鶴岡八幡宮でしっかりと厄を祓ってもらわなきゃ」
「そんなこと言わないで。月に一度は帰省するっていうのが、母さんが出した条件だっただろ?」
「わかってるけどー。お兄ちゃんも少しはあたしの味方してよ」
「最近は、これでもじゅうぶん味方してるつもりだよ?」
どうも、ふたりは兄妹で、女の子のほうは親とそりが合わず、家を出て暮らしているようだ。それでもこうしてちゃんと帰省しているのだから、よくやっているほうだと思う。
「美寿さんのところは、美保ちゃんも美香ちゃんもしょっちゅう帰ってきて、親孝行してくれてるんでしょう、いいわねえ。うちの娘なんて、大学からひとり暮らしを許したら、まったく実家に寄り付かないわ。まったく、大した反抗期もなかったのに、どうしてこうなっちゃったかしらねえ」
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ひとりがそんなことを言い出すと、「うちもそういう感じよ」「うちの娘なんてちっとも結婚しないの」「大学まで出したのにいつまでも派遣社員なんかしていて、何を考えてるのかしら」と、子どもに対する愚痴のオンパレード。
ふた言目には、「せっかくいい大学に入れたのに」「なんでも買ってあげたのに」「やりたいことをやらせてあげたのに」と、恩を着せるような発言が出てくる。
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