鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

文字の大きさ
49 / 56
第六話 お土産はいちごショート

2

しおりを挟む
二日前に桜の開花宣言が出されて、今日は午前中から気温がぐんぐん上っていく。

朝ご飯を済ませた後、昨日ホームセンターで買ってきたアリッサムとペチュニアを花壇に植えた。生前、お父さんは庭仕事が好きだった。

雪ノ下の一軒家についている庭は決して広くはないけれど、季節ごとの花を愛でていたお父さんのことを思うと、自分が死んだ途端に庭まで荒れ放題になっていたら、きっとがっかりしてしまうだろう。

 ひと仕事終えたら、額に汗が滲んでいた。ふう、とお茶を淹れてひと息吐きながら、壁の時計を見やる。まだ、ようやく九時になったばかりだ。

「このまま家にいてもねえ……」


 鏡台の前に座り、軽く化粧をする。服はお父さんが褒めてくれた、古着屋さんで買った紺地のワンピース。トレンチコートを羽織り、最近ボリュームが少なくなってきた髪の毛もきちんと整えた。

知り合いに出くわした時、「パートナーを亡くして見た目にも気を遣わなくなった人」だなんて思われたくない。


 平日とはいえ、桜の時期の鎌倉は人手が多い。小町通りには期間限定の、桜モチーフやいちごを使ったお菓子を出すお店がそこかしこにあり、行列ができていた。

二十代前半くらいだろう、付き合いたてと思われる若いカップルが、生ドーナツを食べながら肩を並べて歩いている。


たすくくん、遅番の後なのに付き合ってもらっちゃってごめんね。今日午後から面接だから、この時間しか会えなくて」

「いいんだよ。それより志織ちゃんが、一歩踏み出せて良かった」
「うん! 思い切って退職してよかった! 今度こそ、自分のやりたいことをちゃんと考えて会社を選ぼうと思う」

 幸せたっぷりの笑顔を浮かべ、仲良く語らうふたりを見ていたら、お父さんと出会ったばかりの頃を思い出した。

 京都の短大を出た私が就職したのは、京都市内にあるデパートの紳士服売り場だった。

今ではそういうお店は不景気のあおりを受けて奮わないらしいけれど、当時はまだ紳士服にはちゃんと需要があって、毎日のようにスーツの仕立てに訪れるお客様の相手をし、メジャー片手に走り回っていた。

立ちっぱなしの仕事はストッキングに包まれた足を容赦なくむくませたけれど、社会に出たばかりの私は水際で跳ねまわる魚のように、毎日ぴちぴちしていた。

 あの人が現れたのは、こんな桜が咲き始めたばかりの午後だった。


「すみません、出張で京都に来て、これから商談なんですけれど。コーヒーでネクタイを汚してしまって、替えを探しているんです。予備のネクタイを持ってきていなくて……」


 すらすらとした淀みない東京弁と、それとは反対に慣れない土地に来た不安を隠せていない顔。

私は彼を笑顔でネクタイ売り場に案内し、それほど高価ではなく、かつ商談相手に好印象を与えられるような、とっておきのネクタイを選んであげた。笑顔でお礼を言って去っていった彼は、その日の閉店間際になって、また売り場に現れた。


「先ほどはありがとうございました。それで……よかったら、東京に帰る前に一度、お食事でもどうでしょうか。改めてお礼がしたいんです」


 ま、と口がぽっかり間抜けに空いてしまっただろう。いかにも女性を誘い慣れていなさそうな、ビジネスの延長のような畏まった言い方が、素敵だと思った。


 恋愛に慣れていないのは私も同じだった。中高短大、とずっと女子校で、男の子との出会いなんてなかったし、高校の時は友だちの紹介で知り合った他校の男の子と、手紙のやり取りもしていたけれど、デートにすら至らなかったのだ。

彼のことを好きだったのかも、今となってはよくわからない。その男の子に対してどきどきしていたというより、親に黙って男の子とこっそり手紙のやり取りをしているという事実に、どきどきしていただけだったのかもしれない。

 その彼――西迫(にしざこ)明生さんと会ったのは、京都市内のレストランだった。インターネットなんてなかったその時代に、わざわざ書店に行って、情報誌で私の気に入りそうなお店を調べてくれたらしい。


「美(み)寿(とし)さんとおっしゃるんですか。とても優美な響きのお名前ですね」

「私、へび年生まれなんです。みどし、だから、みとし。凝っとる名前のようで、そうやあらへんのですよ。明生さんも、いいお名前やわ。明るく生きる、なんて」

「周りにはよく、名前負けしてるって言われますけどね」


 ぽりぽりと頭を掻く明生さんと、恋仲になるのに時間はかからなかった。

 小町通りを通り過ぎ、鶴岡八幡宮へ向かう。まだ桜は満開じゃないけれど、それでも参道は人で鈴鳴りで、みんな頭上に張り出した桜の枝にスマートフォンを構えている。すっきりと春らしい水色の空に、ちらちらと咲き初めたうすピンクの花は、たしかに映えていた。

 私まで桜に夢中になっていると、いきなり背中を叩かれたので、我に返った。


「あの、これ。落としましたよ」


 女子大生くらいだろうか。若くてきれいな女の子が、ハンカチを差し出している。お父さんが還暦祝いにくれたものだ。これがあの人からもらった、最後のプレゼントになってしまった。


「まあ、ありがとう。大切なものなのよ」
「なくしてしまわなくて、良かったです」


 にっこりと微笑む女の子の隣には、背の高い、しゅっとした雰囲気の男性がいた。恋人かな? と思って見ていたら、歩き出すふたりはどうも違うらしい。


「あーあ、せっかくの春休みなのに、なんで実家に来なきゃなんないのよー。もう、鶴岡八幡宮でしっかりと厄を祓ってもらわなきゃ」
「そんなこと言わないで。月に一度は帰省するっていうのが、母さんが出した条件だっただろ?」

「わかってるけどー。お兄ちゃんも少しはあたしの味方してよ」
「最近は、これでもじゅうぶん味方してるつもりだよ?」


 どうも、ふたりは兄妹で、女の子のほうは親とそりが合わず、家を出て暮らしているようだ。それでもこうしてちゃんと帰省しているのだから、よくやっているほうだと思う。


「美寿さんのところは、美保ちゃんも美香ちゃんもしょっちゅう帰ってきて、親孝行してくれてるんでしょう、いいわねえ。うちの娘なんて、大学からひとり暮らしを許したら、まったく実家に寄り付かないわ。まったく、大した反抗期もなかったのに、どうしてこうなっちゃったかしらねえ」


 久しぶりに美保や美香の同級生のママさんたちと会うと、決まってこんな話題が飛び出す。

ひとりがそんなことを言い出すと、「うちもそういう感じよ」「うちの娘なんてちっとも結婚しないの」「大学まで出したのにいつまでも派遣社員なんかしていて、何を考えてるのかしら」と、子どもに対する愚痴のオンパレード。

ふた言目には、「せっかくいい大学に入れたのに」「なんでも買ってあげたのに」「やりたいことをやらせてあげたのに」と、恩を着せるような発言が出てくる。


「子育てで大事なのは、その子に何をしてやったかじゃなくて、その子と一緒に何をしたか、なんだけどねえ」

 小さくため息を吐き、境内に向かって歩き出す。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活

まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳 様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。 子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開? 第二巻は、ホラー風味です。 【ご注意ください】 ※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます ※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります ※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます 第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。 この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。 表紙イラストはAI作成です。 (セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ) 題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写と他もすべて架空です。

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

竜華族の愛に囚われて

澤谷弥(さわたに わたる)
キャラ文芸
近代化が進む中、竜華族が竜結界を築き魑魅魍魎から守る世界。 五芒星の中心に朝廷を据え、木竜、火竜、土竜、金竜、水竜という五柱が結界を維持し続けている。 これらの竜を世話する役割を担う一族が竜華族である。 赤沼泉美は、異能を持たない竜華族であるため、赤沼伯爵家で虐げられ、女中以下の生活を送っていた。 新月の夜、異能の暴走で苦しむ姉、百合を助けるため、母、雅代の命令で月光草を求めて竜尾山に入ったが、魔魅に襲われ絶体絶命。しかし、火宮公爵子息の臣哉に救われた。 そんな泉美が気になる臣哉は、彼女の出自について調べ始めるのだが――。 ※某サイトの短編コン用に書いたやつ。

書籍化の打診が来ています -出版までの遠い道のり-

ダイスケ
エッセイ・ノンフィクション
ある日、私は「書籍化の打診」というメールを運営から受け取りました。 しかしそれは、書籍化へと続く遠い道のりの一歩目に過ぎなかったのです・・・。 ※注:だいたいフィクションです、お察しください。 このエッセイは、拙作「異世界コンサル株式会社(7月12日に電子書籍も同時発売)」の書籍化の際に私が聞いた、経験した、知ったことの諸々を整理するために書き始めたものです。 最初は活動報告に書いていたのですが「エッセイに投稿したほうが良い」とのご意見をいただいて投稿することにしました。 上記のような経緯ですので文章は短いかもしれませんが、頻度高く更新していきますのでよろしくおねがいします。

後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く ☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。  そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。  心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。  峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。  仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾書籍2冊発売中!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

処理中です...