赤十字(戦死者達の記録)

具流 覺

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27頁 保身の上級指揮官

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 今朝(ケサ)も病院の受付には、十三人の負傷した兵隊サンが並んでました。
最後尾に並んでいる兵隊サンは、二人の兵隊サンの肩を借りて立っていました。
すると突然、肩を貸している若い兵隊サンの一人が、

 「軍医を呼べ!」

と怒鳴ったのです。
外が騒がしいので河村(看護兵)さんが赤十字の暖簾幕(ノレンマク)を上げて顔を出しました。

 「・・・どうしました」

高山(看護婦)さんに尋ねました。
河村さんを見てその若い兵隊サンは再度、

 「おい、衛生兵ッ! いつまで待たせるのか。上官は重傷だ。軍医を呼べッ!」

と命令しました。
私は何事かと思い病院の窓から、暫く外を覗いて居りました。
見ると怪我(ケガ)をした「年配の体格の良い兵隊サン」が憮然とした態度で河村さんを睨んでいます。
階級章は外(ハズ)してありましたが、一見して『上級指揮官』と云う事が分かりました。
 暫くして「崔軍医」が外に出て来ました。
この崔軍医は「朝鮮半島出身」の軍医だそうです。
私は今まで、その事に全く気付きませんでした。
普段の崔軍医は非常に寡黙(カモク)な方で、必要以外の事をほとんど喋りません。
が、この崔軍医がハッキリとした口調でその大柄な兵隊サンに、

 「順番が有ります。静かにお待ち下さい」

と言い放ったのです。
その「口調」を聞いて、負傷した上級指揮官は地面に唾を吐き、

 「チッ! 朝鮮人が・・・」

と蔑(サゲス)みました。
私はその言葉に非常に憤慨して、心が痛みました。
この後に及んでまだ、この上級指揮官らしき体格の良い兵隊サンは、人間を「差別」して居るのです。
この『莚の病院』では、階級は名札に書いてあるだけで、亡くなってしまった場合の記録簿に残す為のモノ(目印)であります。あまり意味など無いのです。まして私達は「赤十字の旗」を掲げている以上、全ての人間に「愛と平等」の精神を持って、接して居るのです。
ただし大きな陸軍病院との違いは、此処は適当な環境と薬、豊富な手術道具などが不足しているだけです。
すると崔軍医は少し笑って、

 「待つ事が出来ませんか・・・」

と、その体格の良い兵隊サンに優しく尋ねました。
するとその兵隊サンは崔軍医を睨んで、

 「キサマ~・・・、待てん!」

と言ったのです。
崔軍医は、

 「そんなに、生きたいのですか?」

と冷静に聞きました。
体格の良い兵隊サンは怒りに震えています。
連れの二人の兵隊サンは、その「上官」を必死に静止しています。
暫くして、この体格の良い負傷した兵隊サンの順番が廻って来ました。

 此処からは治療室に居た野嶋婦長さんのお話です。
 『治療室で、渡辺軍医に傷を治療してもらう際、この兵隊サンはジブンで自分の足を撃ったと言ったそうです。弾は貫通していました。何故(ナゼ)、撃ったのかと渡辺軍医が尋ねると、

 「責任を取って一命を奉じた」

と言ったそうです。渡辺軍医は、

 「急所を外してですか?」

と怪訝な顔で、体格の良い兵隊サンの眼を覗いたらしいです。
すると、この兵隊サンは、

 「そんな事はオマエに話しても分からない。それより次の病院船の情報は入ってないのか」

と渡辺軍医に聞いたそうです。
野嶋婦長さんは、ハラワタが煮えくりかえって、蹴飛ばしてやろかと思ったそうです。
その兵隊の名前ですか?
それはちょっと・・・。
ただ、『陸軍の大佐』だと野嶋婦長さんは言ってました。

 この兵隊サンは、噂では帰国して元気に生存して居たと聞いています。

沢山、居たそうです。
こう云う急所を外し、『保身に走る上級指揮官』達が。
                つづく
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