赤十字(戦死者達の記録)

具流 覺

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28頁 タケダさん

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 これは、「アメーバ赤痢」に罹ってしまった『木村慶一(キムラケイイチ)上等兵』と云う兵隊(患者)サンのお話です。

『サラモア』って、ご存知でしょうか。
サラモアは「ラエ」からそんなに遠くありません。
サラモアには元連合軍の「飛行場」が在り、そこを日本軍が奪(ウバ)ったのです。
木村サン達(南海支隊)はその飛行場の守備をまかされて居たそうです。
暫くして、サラモアの飛行場が猛烈な敵(連合軍)の空襲にみまわれたそうです。
守備隊の砲火器では太刀打ちする暇も無かったそうです。
木村サンの部隊は蜘蛛の子を散らす様に逃げたそうです。
沢山の兵隊サンと飛行機が「やられた」と言ってました。
 木村サンはそこで「肩を負傷」し、糧抹(食料)も武器も失い、高地からジャングルの中をたった独(ヒト)り彷徨(サマヨ)いながら『ラエの方向? 』に向かったそうです。
暗いジャングルの中、方向感覚を全く失ってしまったそうです。
随分進んだ筈なのに、見覚えの有る所に戻ってしまうと言う事でした。
ジャングルの中では時々、物凄いブヨ(蚊)が湧き、ブヨが湧いた後には必ず大雨(スコール)が降って来るそうです。
木村サンは大きな岩の下で雨が通り過ぎるのを待っていたそうです。
雨が止むと、また道だっただろう「泥川」の中を、ラエの方向?に向かって歩いて行ったそうです。
夜に成ると、空には満天の星の中に「南十字星」が美しく輝いていたそうです。
でも、夜の静けさは不気味で恐ろしかったと言ってました。
途中、拾った雑嚢(ザツノウ)の中に乾パンが少し残っていたのでそれを半分に割って、半日かけて食べていたそうです。
喉が渇くと、葉に溜まった雨水を飲んで・・・。
水の中にはボウフラが湧いていましたが、仕方無なく一気に飲み干したと言ってました。
案の定、腹がおかしく成り、これが原因で「アメーバ赤痢」に罹った様だと話してました。
 道を歩いて行くと、ジャングルの奥の方から「人の呼ぶ声」が聞こえて来たそうです。
木村サンも声を返しましたが、その声は黙ってしまうらしいのです。
いろんな人の呼ぶ声が聞こえて来たと言ってました。
しかし、最後までその声の主(ヌシ)とは会う事が出来なかったそうです。
ニューギニアと云う所はジブンの経験した戦場の中で、一番恐ろしい所だと言ってました。
 何日目か、木村サンはジャングルの迷路の中でようやく『ラエ第3野戦病院』の矢印が書かれた「刺し看板」を見付けたそうです。
それは嬉しかったと言ってました。
その刺し看板に沿って歩いて行くと、いつの間にか後ろに、両目を負傷した兵隊サンが、『戦友? 』に背負われて付いて来たそうです。
背負う兵隊サンも頭と眼を包帯で巻いて、着衣は破れ、酷い姿だったそうです。
木村サンは声をかけたそうですが、兵隊サンは何も喋らなかったそうです。

 その日は私と崔軍医は受付を担当してました。
先に木村サンが受付で問診を済ませ、次はその背負って来た兵隊サンの番でした。
兵隊サンは両目を負傷した戦友?を下ろすと、バッタリと倒れてしまいました。
崔軍医と私は、急いで倒れた兵隊サンの傍に寄って声を掛けました。
倒れた兵隊サンは私達を見て少し笑い、その場で「息を引き取り」ました。
両目を負傷して背負われて来た兵隊サンは、

 「タケダさん、タケダさん? タケダさん・・・」

と何度も呼んでいました。
私はその兵隊サンに、

 「アナタを助けた『タケダさん』は、アンタを病院に連れて来る『最後の任務』を済ませて、先に逝ってしまいましたよ」

と・・・伝える事が出来ませんでした。
この両目を負傷した患者(兵隊)サンは二人の看護兵に支えられ、病室に入って行きました。
患者(兵隊)サンは病院内に入っても暫くの間、大きな声で、

 「タケダさん、タケダさ~ん!」

とタケダさんを探して居ました。
私はこの日ほど『戦争』が恨(ウラ)めしいと思った事は有りませんでした。
木村サンもその声を聞いて、溢れ出る涙を汚れた腕の包帯で拭っていたそうです。
 戦争とは・・・戦争とは・・・。

 木村慶一 陸軍上等兵
 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
 武田誠一郎 陸軍上等兵
 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
 上村康作 陸軍上等兵
 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
                つづく
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