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52頁 オーストラリア兵と毒蛇
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五月・・・。
教会の神父が、
「先月の終わりに、ホーランディアの日本軍が陣地を放棄してジャングルに逃げてしまった」
と話したそうです。
マダンの部隊本部事務所では、いつもの様に徳丸部隊長代理と、緒方軍医長、金田サン達が、バナナを食べながら会議を開いています。
私と野嶋婦長サンは土民の家政婦(メード)達と一緒に洗濯物を干していました。
するとガラス窓の開いた事務所から金田サン達の話す声が聞こえて来ました。
「ヨシ! これでクニへ帰れるぞ」
私は金田サンの発した『クニへ帰れる!』の一言に、どれほど力付けられた事か。
部隊の旗柱に掲げられた白旗は、頼りなく潮風に靡ナビいています。
「赤十字の旗」も教会のセンターポールから降ろして洗濯をし、庭に干しました。
マダンの「やる気の無い兵隊達」は、あいも変わらず気の強い土民の家政婦(メード)にコキ使われています。
マダンの町の教会には『ドクター(医師)が居る』と徐々に島中に伝わり、怪我人や病人が遠方からやって来る様になりました。
体が大きい『土民のシスター』が部隊本部に日本語で、
『お客さんが来ました』
と伝えに来ると、当番の軍医と私達看護婦、看護兵の三人は教会に走るのです。
島の患者(病人)サンはどちらかと言うと「婦人」の方が多い様な気がしました。
大した薬も無いのですが、軍医が片言の現地語で問診をし、「正露丸」をその場で飲ますと、ほとんどが治ってしまうのです。
看護兵達と私や野嶋婦長サンは、これぞまさしく『シャーマン治療』だと言って笑っていました。
そんなあるの日の事でした。
例の体が大きいシスターが本部に走って来ました。
緒方軍医長を見て、
「ドクター、緊急なお客さんが来ました!」
と叫ぶのです。
片方レンズの取れた眼鏡(メガネ)の緒方軍医長と私達は、急いで手術道具(メスとガーゼ、アカチン、包帯)を肩袋に下げ、教会に向かいました。
途中、シスターに話しを聞くと、
「土民が教会にオーストラリア兵を二人、連れて来た。一人は腕を『毒蛇』に噛まれている」
と言うのです。
教会に入ると、オーストラリア兵は『赤十字の腕章』を巻いた日本軍の私達を見ると、とても驚いていました。
オーストラリア兵は緒方軍医長や私達に拳銃を向け、身体検査をしようとしました。
すると緒方軍医長はそのオーストラリア兵を睨み、
「退け、バカ者!」
と一喝して、急いで毒蛇に噛まれたと云うオーストラリア兵の口の中に「手拭い」を押し込み、治療始めました。
オーストラリア兵は、震えながら拳銃を私達に向け、その手荒い治療(手術)を見ていました。
執刀が終わり開放してやると、拳銃を向けていた若いオーストラリア兵は目を丸くして、
「・・・サンキューベリマッチ」
と緒方軍医長と私達に礼を言って、帰って行きました。
それから二日経って、また例のシスターが、
「オーストラリア軍の将校が、蛇に噛まれたオーストラリア兵を連れて教会に来ている」
と本部に居た私達に伝えに来ました。
徳丸部隊長代理は私達に、
「ようやく来るべき時が来ましたね」
とえもいわれぬ笑いを見せました。
緒方軍医長と私達医療班は小さな白旗を手に持って、急いで教会に向かいました。
教会に着いてドアーを開けると、オーストラリアの『若い将校』が腕を後ろに組み、鋭い眼差しでワタシ達を睨(ニラ)んで居ました。
私は急いで、持って来た「小さな白旗」を掲げました。
するとその将校は掲げた白旗を無視して、祭壇の上を指差しました。
祭壇の上にはオーストラリア軍の医療用器具が並べてありました。
私達は驚きました。
そればかりではありません。オーストラリア軍の将校は私達に向かって、不動の挙手の敬礼をしたのです。
毒蛇に噛まれた兵隊も将校に倣って私達に敬礼をしました。
神父の通訳で少し話しを交わしました。
緒方軍医長は『ラエの野戦病院』から此処まで落ちて来た事を話すと、オーストラリア軍将校達は話しを真剣に聞いていました。
そしてため息を吐き、
「・・・何か、不足しているモノはありますか?」
と、日本語で聞いて来たのです。
すると緒方軍医長が胸を張り、威厳を持って、
「アナタ達こそ、何か不足しているモノは無いですか」
と英語で聞き返したのです。
オーストラリア軍の将校は緒方軍医長をジッと見て、軽く片目を瞑って(ウインク)、
「また、会いましょう」
と言って畏って敬礼をし、ジープに飛び乗って帰って行きました。
本部に戻ると、徳丸部隊長代理がニコニコと笑って私達を迎えました。
そして、奇妙な事を緒方軍医長に尋ねるのです。
「いつですか?」
緒方軍医長は、
「分かりません」
と答えていました。
すると部隊長代理は
「分からない? 白旗は見せたのでしょうね」
と私達をキツイ眼で睨みました。
私は、
「はい!」
と答えました。
部隊長代理は困惑した顔で、
「で、どうするのですか!」
と片方のレンズの無い眼鏡の緒方軍医長に迫りました。
が、軍医長の目を見て淋しそうに俯いて自分の部屋に戻ってしまいました。
しかし、これには後日談があるのです。
このオーストラリア軍の将校と二人の兵士は、もう一度マダンの教会を訪れたらしいのです。
その時、祭壇の上にワインをワンケース、ハムの包みとパン、塩等を置いていったそうです。
そして神父に、
「これをドクターに渡してくれ」
と一通の手紙を渡したのだそうです。
神父が急いでマダンの陣地の緒方軍医長にその手紙を届けに来ました。
緒方軍医長は幹部の立ち合いのもと、その場でオーストラリア軍の将校からの手紙を開き、読み上げました。
そこには、
『これで、栄養を付けてください。十月に成ると此処の海峡の警備を緩めます。皆さんに知らせて下さい』
と書いてあったそうです。
『皆さんに知らせて下さい。・・・皆さんに知らせなさい? 皆さんに知らせる?・・・』
私達はその場では「その意味」が分かりませんでした。
つづく
教会の神父が、
「先月の終わりに、ホーランディアの日本軍が陣地を放棄してジャングルに逃げてしまった」
と話したそうです。
マダンの部隊本部事務所では、いつもの様に徳丸部隊長代理と、緒方軍医長、金田サン達が、バナナを食べながら会議を開いています。
私と野嶋婦長サンは土民の家政婦(メード)達と一緒に洗濯物を干していました。
するとガラス窓の開いた事務所から金田サン達の話す声が聞こえて来ました。
「ヨシ! これでクニへ帰れるぞ」
私は金田サンの発した『クニへ帰れる!』の一言に、どれほど力付けられた事か。
部隊の旗柱に掲げられた白旗は、頼りなく潮風に靡ナビいています。
「赤十字の旗」も教会のセンターポールから降ろして洗濯をし、庭に干しました。
マダンの「やる気の無い兵隊達」は、あいも変わらず気の強い土民の家政婦(メード)にコキ使われています。
マダンの町の教会には『ドクター(医師)が居る』と徐々に島中に伝わり、怪我人や病人が遠方からやって来る様になりました。
体が大きい『土民のシスター』が部隊本部に日本語で、
『お客さんが来ました』
と伝えに来ると、当番の軍医と私達看護婦、看護兵の三人は教会に走るのです。
島の患者(病人)サンはどちらかと言うと「婦人」の方が多い様な気がしました。
大した薬も無いのですが、軍医が片言の現地語で問診をし、「正露丸」をその場で飲ますと、ほとんどが治ってしまうのです。
看護兵達と私や野嶋婦長サンは、これぞまさしく『シャーマン治療』だと言って笑っていました。
そんなあるの日の事でした。
例の体が大きいシスターが本部に走って来ました。
緒方軍医長を見て、
「ドクター、緊急なお客さんが来ました!」
と叫ぶのです。
片方レンズの取れた眼鏡(メガネ)の緒方軍医長と私達は、急いで手術道具(メスとガーゼ、アカチン、包帯)を肩袋に下げ、教会に向かいました。
途中、シスターに話しを聞くと、
「土民が教会にオーストラリア兵を二人、連れて来た。一人は腕を『毒蛇』に噛まれている」
と言うのです。
教会に入ると、オーストラリア兵は『赤十字の腕章』を巻いた日本軍の私達を見ると、とても驚いていました。
オーストラリア兵は緒方軍医長や私達に拳銃を向け、身体検査をしようとしました。
すると緒方軍医長はそのオーストラリア兵を睨み、
「退け、バカ者!」
と一喝して、急いで毒蛇に噛まれたと云うオーストラリア兵の口の中に「手拭い」を押し込み、治療始めました。
オーストラリア兵は、震えながら拳銃を私達に向け、その手荒い治療(手術)を見ていました。
執刀が終わり開放してやると、拳銃を向けていた若いオーストラリア兵は目を丸くして、
「・・・サンキューベリマッチ」
と緒方軍医長と私達に礼を言って、帰って行きました。
それから二日経って、また例のシスターが、
「オーストラリア軍の将校が、蛇に噛まれたオーストラリア兵を連れて教会に来ている」
と本部に居た私達に伝えに来ました。
徳丸部隊長代理は私達に、
「ようやく来るべき時が来ましたね」
とえもいわれぬ笑いを見せました。
緒方軍医長と私達医療班は小さな白旗を手に持って、急いで教会に向かいました。
教会に着いてドアーを開けると、オーストラリアの『若い将校』が腕を後ろに組み、鋭い眼差しでワタシ達を睨(ニラ)んで居ました。
私は急いで、持って来た「小さな白旗」を掲げました。
するとその将校は掲げた白旗を無視して、祭壇の上を指差しました。
祭壇の上にはオーストラリア軍の医療用器具が並べてありました。
私達は驚きました。
そればかりではありません。オーストラリア軍の将校は私達に向かって、不動の挙手の敬礼をしたのです。
毒蛇に噛まれた兵隊も将校に倣って私達に敬礼をしました。
神父の通訳で少し話しを交わしました。
緒方軍医長は『ラエの野戦病院』から此処まで落ちて来た事を話すと、オーストラリア軍将校達は話しを真剣に聞いていました。
そしてため息を吐き、
「・・・何か、不足しているモノはありますか?」
と、日本語で聞いて来たのです。
すると緒方軍医長が胸を張り、威厳を持って、
「アナタ達こそ、何か不足しているモノは無いですか」
と英語で聞き返したのです。
オーストラリア軍の将校は緒方軍医長をジッと見て、軽く片目を瞑って(ウインク)、
「また、会いましょう」
と言って畏って敬礼をし、ジープに飛び乗って帰って行きました。
本部に戻ると、徳丸部隊長代理がニコニコと笑って私達を迎えました。
そして、奇妙な事を緒方軍医長に尋ねるのです。
「いつですか?」
緒方軍医長は、
「分かりません」
と答えていました。
すると部隊長代理は
「分からない? 白旗は見せたのでしょうね」
と私達をキツイ眼で睨みました。
私は、
「はい!」
と答えました。
部隊長代理は困惑した顔で、
「で、どうするのですか!」
と片方のレンズの無い眼鏡の緒方軍医長に迫りました。
が、軍医長の目を見て淋しそうに俯いて自分の部屋に戻ってしまいました。
しかし、これには後日談があるのです。
このオーストラリア軍の将校と二人の兵士は、もう一度マダンの教会を訪れたらしいのです。
その時、祭壇の上にワインをワンケース、ハムの包みとパン、塩等を置いていったそうです。
そして神父に、
「これをドクターに渡してくれ」
と一通の手紙を渡したのだそうです。
神父が急いでマダンの陣地の緒方軍医長にその手紙を届けに来ました。
緒方軍医長は幹部の立ち合いのもと、その場でオーストラリア軍の将校からの手紙を開き、読み上げました。
そこには、
『これで、栄養を付けてください。十月に成ると此処の海峡の警備を緩めます。皆さんに知らせて下さい』
と書いてあったそうです。
『皆さんに知らせて下さい。・・・皆さんに知らせなさい? 皆さんに知らせる?・・・』
私達はその場では「その意味」が分かりませんでした。
つづく
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