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11.自由への切符(後編)
しおりを挟む夜更け。
屋敷が静寂に包まれ、灯火がすべて消えた頃。
セリーヌは結婚前に使用していた小さな部屋の、粗末なベッドから静かに身を起こした。
裸足のまま床に降りると、冷たい石の感触が足裏を刺す。
しかし、そんな小さな痛みは無視して、息を殺しながら扉へ近づいた。
そしてほんの少しだけ扉を開け、誰の気配も感じないことを確認すると、セリーヌは音も立てずに部屋を出ていった。
一歩足を動かすたびに、白い寝間着の裾が足に絡みつく。だが、その足取りに迷いはなかった。
その瞳は前だけを見すえ、まるで他のものを見てはいない。
目的は、屋敷の奥——トムの執務室。
不在時には必ず鍵がかけられているが、スペアキーの在りかは知っている。
以前、マスターキーを忘れて苛立つトムが、絵画に手を伸ばしているのを見たことがある。
セリーヌは愛の女神・ラヴィアが描かれた絵画を外すと、その裏に指を滑らせる。
すると、硬い金属が指先に触れ、心臓が跳ねた。
「……あった」
息を潜めて鍵を差し込み、慎重に回すと、微かな音を立てて錠が外れた。
扉を押すと、薄暗い室内にトムの香水の残り香が漂う。
その重苦しい匂いに顔をしかめながら、セリーヌは誰もいない執務室へと足を踏み入れた。
蝋燭は灯さない。
月光だけを頼りに、引き出しの奥を探る。
そうしてしばらく捜索を続けていると、書類の束の中から、幼少期の記憶と完全に合致する、一枚の古びた羊皮紙を見つけた。
震える手でそれを引き出した瞬間、喉の奥で息が詰まった
そこに記されていたのは、セリーヌの名と、身体的特徴。そして売主とトムの署名。
——奴隷売渡証書。
密告を防ぐため、売主と買主がお互いの弱みを握る形で作成された契約書だ。
しかしそれは、セリーヌが奴隷として違法に売買されたという、動かぬ証でもあった。
この古びた書類たった一枚で、トムを破滅に追い込むことだって可能だ。
羊皮紙を握る手が震える。
長い年月、耐え抜いた時間が、一気に報われたような錯覚を覚える。
「……これで」
声が、震えた。
「これで、私は自由になれる」
3年前、ようやく存在を突き止めた。だが、この書類が消えればセリーヌは真っ先に疑われてしまう。
そのため、公爵邸で暮らしていた頃は手が出せずにいた。
大公家への輿入れ当日に持ち出すつもりだったが、あの日は逃走を警戒したのかとくに監視の目が厳しく、機を逃してしまったのだ。
だが、今ならば——
大公家に戻れば、公爵は手を出せない。
盗んだことが露見したとしても、もはや恐れる理由はなかった。
そう確信した瞬間、喉の奥で笑いが漏れる。
それは静かで、ひどく冷たい笑みだった。
切れた口の端が痛んだが、それでも笑いを止めることはできなかった。
——そのとき。
背後で、微かに物音がした。
古い蝶番が鳴り、扉が静かに開かれる音。
誰かが、そこにいる。
足音が一歩、二歩と近づいてくる
息を潜めたまま、セリーヌの背筋に冷たい汗が伝った。
そして——
「……何をしている?」
低い声が静寂を切り裂いた。
心臓が大きく跳ね、羊皮紙を握る手に力がこもる。
闇の中、月光が細く差し込み、ついに誰かの影がセリーヌを覆い隠す。
扉の外から冷たい風が吹き抜け、手の中の羊皮紙がかすかに揺れる。
静寂が張り詰め、まるで時が止まったかのようだった。
とっさに寝間着の下に羊皮紙を隠すと、セリーヌは覚悟を決め、ゆっくりと振り返った。
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