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11.自由への切符(前編)
しおりを挟む倒れ込んだセリーヌが、小さくうめく。
その瞬間、トムが我に返った。
目の前には、冷たい床にうずくまる女。殴られた頬を押さえたまま、何も言わずに震えている。
それが笑いからくる震えだとは気付かず、トムは眉をひそめた。
彼女の頬はすでに赤く腫れ始めており、誰の目から見ても、殴られたであろうことが分かる有様だった。
「……やってしまったな」
呟きは冷ややかで、そこには先ほどまでの激情も、後悔もなかった。ただ、面倒ごとをいかに処理するかを計算する貴族の声だった。
セリーヌの頬には、どんな言い訳をしても取り繕えぬ暴力の跡が残っている。
トムは血のついた拳をハンカチで拭いながら、独りごちた。
「見えるところに傷を残すなど、愚かなことをした。……まあ、化粧で隠せるようになるまで、外に出さなければ済む話か」
床に伏したままのセリーヌを見下ろしながら、トムは冷淡に言葉を紡いだ。
「療養という名目で、しばらくここに滞在するように。——大公には私から伝えておく。迎えが来るとは思わぬことだ」
それだけを告げると、トムはそれ以上セリーヌに用はないとばかりに踵を返し、扉の外へと去っていった。
閉ざされた扉が重く響き、部屋に沈黙が落ちる。
セリーヌは、しばらくそのまま床に横たわっていた。
頬に走る痛みが、脈打つたびに主張してくる。だが、涙はでなかった。
(ついに……)
心の奥に、希望という名の光が灯った。
身体が歓喜で震えてくる。
セリーヌは自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をすると、ポツリと呟いた。
「……やっと、動ける」
呟いた声はかすれていたが、その響きには力強さがあった。
今までは大公の言いつけがあり、長居ができずにいたが、滞在を命じられた今なら——
セリーヌはゆっくりと立ち上がり、ドレスについた埃を払った。
頬の腫れはひどく、赤みが痛々しかった。きっと数日以内に青黒く変色してしまうだろう。だが、その表情に怯えはない。
セリーヌは扉に手をかけ、わずかに唇を歪めた。
(これで、この部屋とも永遠にお別れね)
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