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22.静かに燃える黒い火種(前編)
しおりを挟む深夜。
ロランは自室で一人ワインを片手に、物思いに耽っていた。
視線の先にあるのは、数時間前にセリーヌに贈ったネックレスを思わせる、赤い液体だ。
今も脳裏に、はっきりと焼き付いている。
——セリーヌの華奢な首筋。
そこに自分の指先が、微かに触れた瞬間に感じた温度。
(……あれは)
誰かに与えるばかりで、何も欲しがらない彼女のために、何かしたいと思って贈ったもののはずだった。
だが、細い鎖を彼女の首に回し、金具を止めた瞬間。
指先から伝わる彼女の熱に、胸の奥から焼けるような独占欲が湧き上がったことを、ロランは否定できなかった。
あのネックレスは、彼女を自分のもとに縛りつけたいという、醜い欲望の発露だったのかも知れない。
「……最低だな」
そう吐き捨ててグラスを傾けても、喉を焼く感覚はすぐに消え、酔いは訪れない。
彼女の行動を制限するのは、守るため。
危険から遠ざけるためのはずだった。
だが、一度顔を覗かせた本心を誤魔化すことはできなかった。
彼女を外へ出したくない。
誰にも触れさせたくない。
そんな醜い欲望が、確かにあの瞬間、ロランの頭をよぎったのだ。
ロランは目を閉じ、息を吐いた。
「……次こそは」
もっと違う形で。
彼女を縛るためではなく、笑顔にするためのものを送りたい。
そう、切実に願った。
翌朝、ロランは執務室にミシェルを呼び出すと、単刀直入に尋ねた。
「セリーヌが、何か欲しいものについて口にしたことはあったか」
その唐突な問いに、ミシェルは一瞬きょとんと目を瞬かせた。
「欲しいもの、ですか?」
「ああ。物でも、場所でもなんでもいい」
ミシェルは少し考え込むように視線を落とし、やがて静かに首を振った。
「いいえ。物に執着される方ではないので、何かを欲しいとおっしゃることは、ありません……」
予想通りの答えに、ロランは机に肘をつくと、眉間を押さえた。
どんなに高価なジュエリーもドレスも、彼女は喜ばない。
以前ロランが尋ねた際に、無理に絞り出した“欲しいもの”が、領地視察だったほどだ。
沈黙が落ちた、その時だった。
「……あ」
ミシェルが、ふと思い出したように声を上げた。
「一度だけ。奥様がぽつりと話されたことがあります」
「何だ」
「孤児院にいた頃にお世話になった、年上の女性のことです。確か……ステラという方です。とても優しくて……女神様みたいな人だったと」
初めて聞く話に、ロランの指がぴくりと動いた。
「もし生きているなら、もう一度会いたい、とおっしゃっていました」
その言葉に、ロランの視線が鋭く上がった。
それは、物ではない。
だが、確かに“欲しいもの”だった。
「執事長のジョージを呼べ」
ロランは立ち上がると、即座にそう命じた。
「公爵領にあるすべての孤児院の記録、慈善団体、教会。名前を変更した可能性も含めて、すべて洗わせる」
——彼女の望みが叶うのなら、なんでもする。
一切の迷いのないロランの姿に、ミシェルは密かに口角を上げるとその場を辞した。
数日後。
ステラの捜索を命じた一方で、もう一つ手配していたことがあったロランは、セリーヌの自室を数人の男女を連れて訪ねた。
後ろには、ラックにかけられた色とりどりのドレスや、眩い輝きを放つジュエリーがディスプレイされたワゴンを押す執事長と使用人たちが控えている。
「これは、一体……?」
「先日言った通り、貴女のドレスとジュエリーをすべて入れ替えさせてもらう。帝国で指折りのデザイナーを呼んだから、好きなものをすべて選ぶといい」
ロランが平然と放った言葉の意味を、セリーヌはうまく理解できなかった。
(いれかえ……入れ替え? っまさかあれを全部入れ替える気!?)
呆然とするセリーヌを尻目に、執事長がクローゼットに並んでいた公爵家から持参したドレスを、手際よく運び出していく。
それらは、公爵が自らの財力と権力を誇示するために、セリーヌの意志など一切無視して押し付けた、煌びやかで重たいものばかりだった。
「ですが、こんな……手持ちのドレスはまだ傷んでいませんし、どれも私には身に余ります」
「選ばなければ、明日から貴女が着るドレスがなくなってしまうな」
さらりと、しかし有無を言わさぬロランの物言いに、セリーヌは困ったように眉を下げた。
分かってはいる。
やり方こそ強引ではあるが、これは、自分の周りから公爵家を思い出させるものを排除するためにやってくれていることなのだと。
「……安心しろ。誰も急かさない。好きなものを、好きなだけ選べばいい」
“好きなものを選ぶ”。
その言葉に、セリーヌは小さく息を呑んだ。
これまで彼女が与えられてきたのは、常に公爵令嬢という身分にふさわしいものだった。
色も形も、すべて他人が決めたもの。
セリーヌは意を決して、並べられたドレスとジュエリーに視線を向ける。
繊細な刺繍が施された布地。
光を受けて煌めく宝石。
そのどれもが、ため息が出るほど美しかった。
一目見るだけで上質だと分かるのに、不思議と押し付けがましさはない。
「あの……」
恐る恐る手を伸ばし、淡いアイボリーのドレスに触れる。
「こういう、柔らかい色味が好きです」
生まれて初めて自らの意思でドレスを選んだセリーヌは、頬を紅潮させた。
そんなセリーヌの一言をきっかけに、デザイナーたちは次々に彼女の好みを聞き出す。
その一つ一つを、ロランはすべて聞き漏らすまいと、真剣な眼差しで聞いていた。
(ああ、この人は……私のことを、一人の人間として尊重してくれてるんだ)
セリーヌの胸の奥が、じんわりと熱くなる。
初めてだった。
押し付けられるのではなく、人から“選択する権利”を与えられるのは。
その事実が、何よりも嬉しかった。
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