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32.それぞれの思惑(後編)
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大公邸の応接室にて。
話し合いを終えた後も、エリックはその場に残っていた。
セリーヌとロランが並んで座る姿を、複雑な表情で見つめている。
明らかに縮まった二人の距離。
触れ合いはしないものの、その空気は確かに「夫婦」のものだった。
少しの沈黙の後、エリックは静かに口を開いた。
「セリーヌ」
「はい……?」
「俺がこの前、君に言った言葉を覚えているか?」
エリックの声には、どこか真剣な響きがあった。
「あれは、本気だ」
その瞬間、セリーヌの胸がどきりと跳ねた。
——ルヴァニア王国へ、共に来ないかという誘い。
冗談めかしたあの言葉が、今更セリーヌの心を乱す。
「殿下……」
「無理強いをするつもりはない。あくまで君の意思で来てほしいと思っている」
エリックの瞳は、真っ直ぐにセリーヌを見つめている。
その視線に、セリーヌは言葉を失った。
「……おい、なんの話だ」
それまで静観していたロランだったが、耐えられずに低い声を出す。
エリックは肩をすくめると、ロランに向き直った。
「セリーヌに、ルヴァニアへの留学についてこないかと誘ったんだ」
「何……?」
「ロラン、俺は本気だ」
エリックの宣戦布告とも取れるその言葉に、ロランの瞳が鋭く細められた。
だが、次の瞬間——
「……セリーヌ」
ロランはセリーヌに視線を向けると、静かに告げた。
「こいつと共に行く必要はないが、ルヴァニア行きというのは……選択肢の一つとして、考えておいてもいいかもしれない」
その言葉に、セリーヌは目を見開いた。
「ロラン様……?」
「あの女も、流石に他国にいればそう簡単に手出しができなくなる。下手に帝国にとどまっているよりも、安全かもしれない」
ロランの声は、静かだった。
だが、その奥には——押し殺した感情が潜んでいる。
(……できることなら、一生俺のそばにいてほしい)
ロランの胸の奥で、そう本心が叫ぶ。
初めてだった。こんなにも誰かを愛したのは。
離したくない。失いたくない。
だが——
(彼女にとっての最善を、俺の感情で奪うことはできない)
ロランは奥歯を噛み締め、その感情を押し殺した。
セリーヌには、まだ伏せている事実がある。
彼女の父親が、ルヴァニアにいるという事実。
もし彼女が本当の家族を求めるのなら——それを、止める権利は自分にはない。
エリックは、そんなロランの表情を見て、静かに息を吐いた。
(……やはり、敵わないな)
◇◇◇
その日の夜。
セリーヌは寝室で、一人窓辺に立っていた。
月明かりが、彼女の髪を淡く照らしている。
(……どうすれば、いいのだろう)
胸の奥が、ひどく重たい。
もう今更、契約結婚だなどという建前に何の意味もないことは理解していた。
ロランはセリーヌの安全のために、一時は激しくぶつけてきた感情すら抑えてみせた。
それだけ深い愛をくれるロラン。
彼はきっと、全ての問題が片付いた後も、共にいたいと願ってくれるだろう。
だからこそ——恐ろしかった。
自分の身分は、違法に売買された奴隷。
公女を演じている、偽物。
表向きには、存在しない人間だ。
もし自分の素性が暴かれたら——ロランは、大公としての立場を危うくしてまで、自分を守ろうとするだろう。
愛する人を、自分のいる地獄に堕としてしまうかもしれない。
その恐怖を飲み込めない限り、彼の愛を受け取ることはできないのだ。
いっそ、全ての思考を放棄して、何も考えずに彼の腕の中に飛び込むことができたのなら……どれほど楽だろう。
そう思ってしまう自分を、必死に押し殺した。
「……っ」
溢れ出そうになる声を抑え、セリーヌは両手で顔を覆った。
涙は出ない。
ただ、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
◇◇◇
どれほどの時間が経っただろうか。
懊悩するセリーヌの耳に、控えめなノックの音が響いた。
「……?」
こんな夜更けに、誰だろうか。
戸惑いながら扉に近づくと、その向こうから声が聞こえた。
「セリーヌ……入ってもいいか」
それは、低く、どこか寂しさを滲ませた、ロランの声だった。
「ロラン様?」
驚いたセリーヌが慌てて扉を開けると、そこには月明かりを背に立つロランの姿があった。
その瞳には、固い決意が宿っている。
「……君に、伝えておかなければいけないことがある」
話し合いを終えた後も、エリックはその場に残っていた。
セリーヌとロランが並んで座る姿を、複雑な表情で見つめている。
明らかに縮まった二人の距離。
触れ合いはしないものの、その空気は確かに「夫婦」のものだった。
少しの沈黙の後、エリックは静かに口を開いた。
「セリーヌ」
「はい……?」
「俺がこの前、君に言った言葉を覚えているか?」
エリックの声には、どこか真剣な響きがあった。
「あれは、本気だ」
その瞬間、セリーヌの胸がどきりと跳ねた。
——ルヴァニア王国へ、共に来ないかという誘い。
冗談めかしたあの言葉が、今更セリーヌの心を乱す。
「殿下……」
「無理強いをするつもりはない。あくまで君の意思で来てほしいと思っている」
エリックの瞳は、真っ直ぐにセリーヌを見つめている。
その視線に、セリーヌは言葉を失った。
「……おい、なんの話だ」
それまで静観していたロランだったが、耐えられずに低い声を出す。
エリックは肩をすくめると、ロランに向き直った。
「セリーヌに、ルヴァニアへの留学についてこないかと誘ったんだ」
「何……?」
「ロラン、俺は本気だ」
エリックの宣戦布告とも取れるその言葉に、ロランの瞳が鋭く細められた。
だが、次の瞬間——
「……セリーヌ」
ロランはセリーヌに視線を向けると、静かに告げた。
「こいつと共に行く必要はないが、ルヴァニア行きというのは……選択肢の一つとして、考えておいてもいいかもしれない」
その言葉に、セリーヌは目を見開いた。
「ロラン様……?」
「あの女も、流石に他国にいればそう簡単に手出しができなくなる。下手に帝国にとどまっているよりも、安全かもしれない」
ロランの声は、静かだった。
だが、その奥には——押し殺した感情が潜んでいる。
(……できることなら、一生俺のそばにいてほしい)
ロランの胸の奥で、そう本心が叫ぶ。
初めてだった。こんなにも誰かを愛したのは。
離したくない。失いたくない。
だが——
(彼女にとっての最善を、俺の感情で奪うことはできない)
ロランは奥歯を噛み締め、その感情を押し殺した。
セリーヌには、まだ伏せている事実がある。
彼女の父親が、ルヴァニアにいるという事実。
もし彼女が本当の家族を求めるのなら——それを、止める権利は自分にはない。
エリックは、そんなロランの表情を見て、静かに息を吐いた。
(……やはり、敵わないな)
◇◇◇
その日の夜。
セリーヌは寝室で、一人窓辺に立っていた。
月明かりが、彼女の髪を淡く照らしている。
(……どうすれば、いいのだろう)
胸の奥が、ひどく重たい。
もう今更、契約結婚だなどという建前に何の意味もないことは理解していた。
ロランはセリーヌの安全のために、一時は激しくぶつけてきた感情すら抑えてみせた。
それだけ深い愛をくれるロラン。
彼はきっと、全ての問題が片付いた後も、共にいたいと願ってくれるだろう。
だからこそ——恐ろしかった。
自分の身分は、違法に売買された奴隷。
公女を演じている、偽物。
表向きには、存在しない人間だ。
もし自分の素性が暴かれたら——ロランは、大公としての立場を危うくしてまで、自分を守ろうとするだろう。
愛する人を、自分のいる地獄に堕としてしまうかもしれない。
その恐怖を飲み込めない限り、彼の愛を受け取ることはできないのだ。
いっそ、全ての思考を放棄して、何も考えずに彼の腕の中に飛び込むことができたのなら……どれほど楽だろう。
そう思ってしまう自分を、必死に押し殺した。
「……っ」
溢れ出そうになる声を抑え、セリーヌは両手で顔を覆った。
涙は出ない。
ただ、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
◇◇◇
どれほどの時間が経っただろうか。
懊悩するセリーヌの耳に、控えめなノックの音が響いた。
「……?」
こんな夜更けに、誰だろうか。
戸惑いながら扉に近づくと、その向こうから声が聞こえた。
「セリーヌ……入ってもいいか」
それは、低く、どこか寂しさを滲ませた、ロランの声だった。
「ロラン様?」
驚いたセリーヌが慌てて扉を開けると、そこには月明かりを背に立つロランの姿があった。
その瞳には、固い決意が宿っている。
「……君に、伝えておかなければいけないことがある」
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