1 / 1
妹が欲しがるので婚約者をくれてやりましたが、私の本命は別にいます
しおりを挟む
「お姉様、そのドレス素敵ね!」
またか、とメアリーは心の中で溜息をついた。
近々行われる建国祭のために仕立てたばかりの、濃青のドレス。
一見すると上品でシンプル。けれども、身体のラインを隠せない仕立て。
それは、胸元の曲線が美しく出る者が着用することで、完成するドレスだった。
「フィーナ、またお揃いにするの?」
「当然よ! だって私はお姉様と同じものがいいんだもの」
妹のセラフィーナは、もう仕立て屋に同じものを注文しているのだろう。
上機嫌に抱きついてくる。
細い腕が背中にまわり、頬がメアリーの豊かな胸に押し付けられた。
「お姉様大好き!」
そう言って、メアリーの匂いを確かめるように、大きく深呼吸をする。
いつもの言葉。いつもの仕草。
——しかし、そこに込められた意味は、私しか知らない。
メアリーは背筋を走る寒気をこらえると、無言で妹の背中にそっと手を添えた。
◇◇◇
「メアリー、素晴らしい知らせだ!」
ある日、父が上機嫌で告げた。
「ついにグレンフォード辺境伯家のご子息、アルヴィン様との婚約が正式に決まったぞ」
アルヴィン・グレンフォード。
金髪碧眼の、社交界でも人気の高い青年貴族だ。
婚約の挨拶に訪れた彼は、メアリーの手に口づけをし、流暢な社交辞令を述べた。
「美しいメアリー様と婚約できて光栄です」
嘘。
メアリーにはそれが分かった。
アルヴィンの瞳には何の感情も宿っていなかったから。
それどころか、その視線は、さっきから背後にいるセラフィーナへと何度も泳いでいる。
これは政略結婚で、彼もまた義務として婚約を受け入れたのだ。
でも、構わなかった。
メアリーは貴族である以上、恋愛結婚ができるとも思っていなかった。
「アルヴィン様は本当に素敵な方よ」
社交の場で、メアリーは婚約者を褒めた。
嘘ではない。容姿端麗で、立ち居振る舞いも完璧だった。
「とても優しくて、まるで物語に出てくる王子様のよう」
その言葉を、セラフィーナは聞いていた。
キラキラと目を輝かせて、じっとアルヴィンを見つめながら。
ああ、また始まる。
そう思った。
案の定、それから数日後。
「お姉様、お話があります……」
セラフィーナがメアリーの部屋を訪ねてきた。
「私、アルヴィン様とお話ししたんです。お姉様のこと、もっとよく知ってもらいたいって思って。そうしたら、アルヴィン様、私にとても優しくしてくださって……」
「フィーナ、まさか……」
「お姉様! アルヴィン様を、私にください!」
予想通りの言葉。
昔からセラフィーナは、相手の懐に入るのが上手かった。
無邪気な笑みを浮かべて、好意的に接してくれる可憐な彼女を、誰が拒めるだろうか。
そんな彼女に、アルヴィンが心を奪われてしまったとしても、理解はできる。
しかし、続いてセラフィーナの口から出たのは、メアリーの予想をはるかに超える言葉だった。
「安心して? お姉様が寂しくないように、アルヴィン様もシェアすればいいわ。だって私たち、姉妹なんだから!」
そう語るセラフィーナの瞳は瞳孔が開き、異常なほどに輝いている。
——そう、それは狂気を感じさせるほどに。
◇◇◇
それから、事態は急速に動いた。
セラフィーナが両親に泣きついたのだ。
「メアリー、アルヴィン様がフィーナとの婚約を望んでいらっしゃるそうだ。うちとしては、グレンフォード家と姻族になれるのであれば、どちらでも構わない」
どちらでも構わないわけがないだろう。
内心メアリーは反論した。
しかし、セラフィーナのことだ。きっと、すでに噂を広めている。
——妹の恋人まで真似をしようとしたけど、失敗した哀れな姉、と。
セラフィーナは、いつだってメアリーのものを欲しがり、真似をしたがる。
しかし、社交界で囁かれる噂は、いつだって真逆のものだった。
同じ装いをすればするほど、賞賛はすべて社交的なセラフィーナに向けられ、最低限の社交しかしないメアリーは「妹の真似をする哀れな姉」になっていったのだ。
そしてそんな噂を、セラフィーナは決して否定しなかった。
むしろ、積極的に誤解を招くような言い回しをする節がある。
そうして、メアリーは徐々に孤立していったのだ。
メアリーが無言でいると、母はため息をつき、呆れたような口調で言った。
「それくらい譲ってあげなさい。あなたはお姉さんなんだから」
この言葉を、メアリーは何百回聞いただろうか。
どうやら父も母も、これを魔法の言葉か何かだと勘違いしているようだ。
「フィーナは社交的だから、辺境伯夫人としても立派に務められるだろう」
「私、アルヴィン様のためなら頑張るわ!」
誰も、メアリーの気持ちを聞こうとはしない。
そんな歪んだ家族関係を、メアリーはどこか他人事のように見つめた。
「……分かったわ」
メアリーが承諾すると、セラフィーナは歓喜の声をあげた。
「お姉様っ! 大好き、大好きです!」
飛びついてきて、いつものようにメアリーの胸に顔を埋める。
「これでやっと、お姉様と一つになれる……」
そう小さな声で呟いたセラフィーナの体は、小刻みに震えていた。
興奮のあまり息が荒くなり、頬を紅潮させている。
そんな妹の異様な喜びように、メアリーはゆっくりと目を伏せた。
◇◇◇
セラフィーナとアルヴィンの結婚式は、実に豪華絢爛なものだった。
両家の威信をかけた大規模な式典。
セラフィーナは純白のドレスに身を包み、幸せそうに微笑んでいた。
つつがなく式が終わり、皆が帰り始めた頃。
メアリーが控え室で帰り支度をしていると、セラフィーナが駆け寄ってきた。
「お姉様っ!」
セラフィーナはいつものように抱きつき、メアリーの胸元に顔をすり寄せた。
しかしその体温は、いつもよりも高い。
よほど興奮しているのだろう。
「お姉様、聞いて!」
セラフィーナの瞳は狂気じみた喜びに満ちていた。
「実はわたし、昨夜アルヴィン様と……その、初めて結ばれたの。やっぱり初夜は大切にしたくて……」
「……どういうこと?」
「今夜はお姉様が彼に抱かれて! そうすれば、初夜に私たちが結ばれることになるわ!」
自分を見下ろすメアリーの視線が冷たくなっていることにも気付かず、セラフィーナはまくし立てた。
「私の唇に触れた彼の唇が、お姉様の唇に触れる。私を抱いた彼の腕が、お姉様を抱く。これって、実質、お姉様と私が愛し合うってことよね! ああっ、ついに私とお姉様が一つに……!」
妄想に取り憑かれたセラフィーナには、目の前にいるメアリーすら見えていないのだろう。
メアリーは何も言わず、静かに微笑んだ。
その時だった。
「終わったかい?」
低い声が響いた。
振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。
黒髪に、グレーの瞳。完璧な正装に身を包んだその姿は、アルヴィンなど比較にならないほど気品に満ちていた。
「え......?」
見知らぬ男の登場に、セラフィーナは固まった。
その隙にメアリーがセラフィーナから離れたが、彼女の視線は、依然男に注がれたままだった。
しかし、男はそんなセラフィーナを一瞥もせず、まっすぐにメアリーの元へ歩み寄ると、その手を取った。
「荷物はすべて積ませたよ、メアリー」
「ありがとう、アルフォンス」
メアリーは久しぶりに、セラフィーナの前で心からの笑顔を見せた。
「私の荷物なのに、任せてしまってごめんなさい」
「何を言っているんだ。君と結婚できるのなら、俺はなんだってするよ」
アルフォンスはメアリーの左手薬指に指輪を通すと、そっと口づけをした。
「君が『妹の結婚式が終わるまで待ってほしい』と言った時、理由は分からなかった。でも、君がそう望むなら、俺は永遠にでも待つつもりだったよ」
「あなたは優しすぎるわ」
「いや、俺は幸運なだけだ。こんなにも美しく、賢く、強い女性に愛されるなんて」
二人は見つめ合い、そっと額を寄せ合った。
◇◇◇
メアリーがアルフォンスと出会ったのは、半年前の建国祭でのことだった。
「失礼」
振り向くと、驚くほど整った顔立ちの青年が立っていた。
この国では見かけない髪の色に、場の空気を自然と支配するような佇まい。
「あなた様は......?」
「アルフォンス・フォン・エーベルハルトと申します。隣国アルトリアの大公家の者です」
その名に、メアリーは小さく息を呑んだ。
「メアリー・クラリス様、でいらっしゃいますね」
「はい」
「先ほどから、あなた様を拝見しておりました」
アルフォンスの瞳が、真っ直ぐにメアリーを見つめた。
「皆様は、あなたが妹君の真似をしているとおっしゃいますが......私にはそうは見えませんでした」
メアリーの心臓が、大きく跳ねた。
「妹君があなたを真似ている。違いますか?」
言葉を失う。
初めてだった。
誰かが、この状況を正しく言い当てたのは。
「……なぜ、分かるのですか」
アルフォンスは静かに微笑んだ。
「分かりますよ。だってあなたは、こんなにも本物の輝きをまとっているのだから」
その夜から、二人は交流を深めていった。
文を交わし、密やかに逢瀬を重ね、気づけば互いにかけがえのない存在になっていた。
「俺と結婚してくれないか」
そう告げられたのは、アルヴィンとの婚約が決まった直後だった。
「でも、私には婚約者が......」
「ならば、その婚約を破棄してくれ。すべて俺のせいにすれば良い」
「それは......」
メアリーは迷った。
できることなら、今すぐにでもアルフォンスの手を取りたい。
しかし、自分のために彼を悪者にすることはできない。
かといって、女の自分から婚約破棄を申し出ることは、不可能だった。
「大丈夫だ、メアリー」
アルフォンスは優しく微笑んだ。
「必ず、君を幸せにする。どんな困難も、二人で乗り越えよう」
その真摯な瞳を見て、メアリーはある計画を実行することにした。
◇◇◇
「お、お姉様……?」
セラフィーナの声が震えていた。
メアリーはゆっくりと妹を見下ろした。
「セラフィーナ、あなたに教えてあげるわ」
メアリーの声は、穏やかで、しかし冷たかった。
「アルヴィン・グレンフォードは、私にとってどうでもいい男だった。……むしろ、彼と一緒になるには邪魔だった。だから、あなたが欲しがったとき、喜んで譲ったのよ」
セラフィーナの顔から血の気が引いていく。
「そんな……」
「あなたは気づいてなかったみたいだけど」
メアリーは優しく、しかし容赦なく言葉を紡いだ。
「私があなたに与えたものは全て、私にとってどうでもいいものだった。ドレスも、髪飾りも、アルヴィンも。全部ね」
セラフィーナは動揺し、よろめきながら叫んだ。
「う、嘘よ! 私、私は……お姉様みたいになって、お姉様と一つになりたくて……」
「一つになりたい? ……おかしな子ね」
メアリーは、ほんの少しだけ目を伏せた。
そして、セラフィーナに哀れむような眼差しを向けた。
「私はあなたを愛していたわ、セラフィーナ。……私になろうとするあなたじゃなくて、ありのままのあなたをね」
「え……?」
「あなたの明るさ、社交性、素直さ。それは全て、あなただけの美点だった。私にはないもの」
大好きだったピンクのドレスに身を包み、無邪気に笑っていたセラフィーナを思い出し、メアリーの胸が微かに痛んだ。
「でも、あなたは私の真似ばかりして、自分の良さを全部捨ててしまった。私はただ、妹として、ありのままのあなたを愛したかっただけなのに」
「……お姉様っ!」
セラフィーナが手を伸ばす。
しかし、メアリーが一歩引いたことで、その手は届かなかった。
「あなたは本当に欲しかったものを、最初から手にしていたのよ。でも、あなたはそれに気づかずに、全部自分で壊してしまった」
「違う、違います! お姉様っ、お姉様!」
「さようなら、セラフィーナ」
メアリーはアルフォンスの腕をとると、セラフィーナに向かって慈愛に満ちた顔で微笑んだ。
「アルヴィンと、どうかお幸せに」
◇◇◇
メアリーがアルフォンスが用意した馬車に乗り込もうとしたとき、血相を変えた両親が駆け寄ってきた。
「メアリー! お前、なにを考えているんだ! お前が家を出ていくと、フィーナが泣いて——」
唾を飛ばして怒鳴り散らす父親は、メアリーの手を取ったまま馬車から降りてきた人物に絶句した。
「まさか……」
「初めまして。アルフォンス・フォン・エーベルハルトと申します」
その名に、両親は顔を真っ青にした。
この国でも知らぬ者はいない。エーベルハルトといえば、隣国で王家の血を引く大公家だ。
「私、彼と結婚するわ」
「なっ……顔合わせも婚約もなしに、いきなり結婚だと!? あちらのご両親の了承は——」
「アルフォンスのご両親からのご了承は、すでに得ているわ」
すでにメアリーはアルフォンスの両親と、国境近くの別荘で何度か会っている。
セラフィーナの結婚準備に気を取られていた両親は、まったく気付いていなかったが。
自身も恋愛結婚だという二人は、息子が惚れ込んだメアリーを快く受け入れてくれた。
目を白黒させる父親を見下ろしながら、アルフォンスは口元だけで微笑んだ。
「彼女の境遇に、父も母も心を痛めているようです。それに、彼女は淑女教育も行き届き、聡明で気品もある。ぜひ我が家に、と申しております」
「そんな……」
両親は初めて、自分たちが何も知らされていなかったことに気づき、動揺している。
メアリーは関心を失ったように、そんな両親から視線をそらした。
「娘がそうしたがっているのよ。それくらい許してくれるでしょう?——親なんだから」
突き放すようなメアリーの言葉。
その聞き覚えのあるフレーズに、両親はなにも言えなくなってしまった。
そんな二人を見限り、メアリーが今度こそ馬車に乗ろうときびすを返した、その時。
追いかけてきたセラフィーナに、ドレスの裾を掴まれた。
セラフィーナは泣きはらした目で、すがるようにメアリーを見つめている。
「お姉様……本当に、行ってしまうんですか」
「ええ」
「私、私は……お姉様を愛していたんです。本当に」
「知っているわ」
メアリーは振り返った。
「私があなたを愛することはもうないけれど……フィーナ、あなたが私の妹で良かったとは思っているの」
メアリーは、幼い子どもに言い聞かせるような声で言った。
「あなたがいたから、私はアルフォンスに出会えたのよ。あなたが私の真似をして、私が孤立するよう仕向けたから、話すきっかけができたの」
「え……?」
驚きでセラフィーナがドレスの裾を離すと、メアリーはすかさず馬車に乗り込んだ。
「だから、感謝しているわ」
ばたんと馬車のドアが閉まり、二人を隔てる。
こうしてセラフィーナは、永遠に最愛の人を失った。
◇◇◇
「メアリー、君は今幸せ?」
アルトリアへ向かう馬車の中、アルフォンスが優しく問いかけた。
「もちろん。だって生まれて初めて——本当に欲しいものを手に入れたのだもの」
メアリーは、心からの笑顔でそう答えた。
またか、とメアリーは心の中で溜息をついた。
近々行われる建国祭のために仕立てたばかりの、濃青のドレス。
一見すると上品でシンプル。けれども、身体のラインを隠せない仕立て。
それは、胸元の曲線が美しく出る者が着用することで、完成するドレスだった。
「フィーナ、またお揃いにするの?」
「当然よ! だって私はお姉様と同じものがいいんだもの」
妹のセラフィーナは、もう仕立て屋に同じものを注文しているのだろう。
上機嫌に抱きついてくる。
細い腕が背中にまわり、頬がメアリーの豊かな胸に押し付けられた。
「お姉様大好き!」
そう言って、メアリーの匂いを確かめるように、大きく深呼吸をする。
いつもの言葉。いつもの仕草。
——しかし、そこに込められた意味は、私しか知らない。
メアリーは背筋を走る寒気をこらえると、無言で妹の背中にそっと手を添えた。
◇◇◇
「メアリー、素晴らしい知らせだ!」
ある日、父が上機嫌で告げた。
「ついにグレンフォード辺境伯家のご子息、アルヴィン様との婚約が正式に決まったぞ」
アルヴィン・グレンフォード。
金髪碧眼の、社交界でも人気の高い青年貴族だ。
婚約の挨拶に訪れた彼は、メアリーの手に口づけをし、流暢な社交辞令を述べた。
「美しいメアリー様と婚約できて光栄です」
嘘。
メアリーにはそれが分かった。
アルヴィンの瞳には何の感情も宿っていなかったから。
それどころか、その視線は、さっきから背後にいるセラフィーナへと何度も泳いでいる。
これは政略結婚で、彼もまた義務として婚約を受け入れたのだ。
でも、構わなかった。
メアリーは貴族である以上、恋愛結婚ができるとも思っていなかった。
「アルヴィン様は本当に素敵な方よ」
社交の場で、メアリーは婚約者を褒めた。
嘘ではない。容姿端麗で、立ち居振る舞いも完璧だった。
「とても優しくて、まるで物語に出てくる王子様のよう」
その言葉を、セラフィーナは聞いていた。
キラキラと目を輝かせて、じっとアルヴィンを見つめながら。
ああ、また始まる。
そう思った。
案の定、それから数日後。
「お姉様、お話があります……」
セラフィーナがメアリーの部屋を訪ねてきた。
「私、アルヴィン様とお話ししたんです。お姉様のこと、もっとよく知ってもらいたいって思って。そうしたら、アルヴィン様、私にとても優しくしてくださって……」
「フィーナ、まさか……」
「お姉様! アルヴィン様を、私にください!」
予想通りの言葉。
昔からセラフィーナは、相手の懐に入るのが上手かった。
無邪気な笑みを浮かべて、好意的に接してくれる可憐な彼女を、誰が拒めるだろうか。
そんな彼女に、アルヴィンが心を奪われてしまったとしても、理解はできる。
しかし、続いてセラフィーナの口から出たのは、メアリーの予想をはるかに超える言葉だった。
「安心して? お姉様が寂しくないように、アルヴィン様もシェアすればいいわ。だって私たち、姉妹なんだから!」
そう語るセラフィーナの瞳は瞳孔が開き、異常なほどに輝いている。
——そう、それは狂気を感じさせるほどに。
◇◇◇
それから、事態は急速に動いた。
セラフィーナが両親に泣きついたのだ。
「メアリー、アルヴィン様がフィーナとの婚約を望んでいらっしゃるそうだ。うちとしては、グレンフォード家と姻族になれるのであれば、どちらでも構わない」
どちらでも構わないわけがないだろう。
内心メアリーは反論した。
しかし、セラフィーナのことだ。きっと、すでに噂を広めている。
——妹の恋人まで真似をしようとしたけど、失敗した哀れな姉、と。
セラフィーナは、いつだってメアリーのものを欲しがり、真似をしたがる。
しかし、社交界で囁かれる噂は、いつだって真逆のものだった。
同じ装いをすればするほど、賞賛はすべて社交的なセラフィーナに向けられ、最低限の社交しかしないメアリーは「妹の真似をする哀れな姉」になっていったのだ。
そしてそんな噂を、セラフィーナは決して否定しなかった。
むしろ、積極的に誤解を招くような言い回しをする節がある。
そうして、メアリーは徐々に孤立していったのだ。
メアリーが無言でいると、母はため息をつき、呆れたような口調で言った。
「それくらい譲ってあげなさい。あなたはお姉さんなんだから」
この言葉を、メアリーは何百回聞いただろうか。
どうやら父も母も、これを魔法の言葉か何かだと勘違いしているようだ。
「フィーナは社交的だから、辺境伯夫人としても立派に務められるだろう」
「私、アルヴィン様のためなら頑張るわ!」
誰も、メアリーの気持ちを聞こうとはしない。
そんな歪んだ家族関係を、メアリーはどこか他人事のように見つめた。
「……分かったわ」
メアリーが承諾すると、セラフィーナは歓喜の声をあげた。
「お姉様っ! 大好き、大好きです!」
飛びついてきて、いつものようにメアリーの胸に顔を埋める。
「これでやっと、お姉様と一つになれる……」
そう小さな声で呟いたセラフィーナの体は、小刻みに震えていた。
興奮のあまり息が荒くなり、頬を紅潮させている。
そんな妹の異様な喜びように、メアリーはゆっくりと目を伏せた。
◇◇◇
セラフィーナとアルヴィンの結婚式は、実に豪華絢爛なものだった。
両家の威信をかけた大規模な式典。
セラフィーナは純白のドレスに身を包み、幸せそうに微笑んでいた。
つつがなく式が終わり、皆が帰り始めた頃。
メアリーが控え室で帰り支度をしていると、セラフィーナが駆け寄ってきた。
「お姉様っ!」
セラフィーナはいつものように抱きつき、メアリーの胸元に顔をすり寄せた。
しかしその体温は、いつもよりも高い。
よほど興奮しているのだろう。
「お姉様、聞いて!」
セラフィーナの瞳は狂気じみた喜びに満ちていた。
「実はわたし、昨夜アルヴィン様と……その、初めて結ばれたの。やっぱり初夜は大切にしたくて……」
「……どういうこと?」
「今夜はお姉様が彼に抱かれて! そうすれば、初夜に私たちが結ばれることになるわ!」
自分を見下ろすメアリーの視線が冷たくなっていることにも気付かず、セラフィーナはまくし立てた。
「私の唇に触れた彼の唇が、お姉様の唇に触れる。私を抱いた彼の腕が、お姉様を抱く。これって、実質、お姉様と私が愛し合うってことよね! ああっ、ついに私とお姉様が一つに……!」
妄想に取り憑かれたセラフィーナには、目の前にいるメアリーすら見えていないのだろう。
メアリーは何も言わず、静かに微笑んだ。
その時だった。
「終わったかい?」
低い声が響いた。
振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。
黒髪に、グレーの瞳。完璧な正装に身を包んだその姿は、アルヴィンなど比較にならないほど気品に満ちていた。
「え......?」
見知らぬ男の登場に、セラフィーナは固まった。
その隙にメアリーがセラフィーナから離れたが、彼女の視線は、依然男に注がれたままだった。
しかし、男はそんなセラフィーナを一瞥もせず、まっすぐにメアリーの元へ歩み寄ると、その手を取った。
「荷物はすべて積ませたよ、メアリー」
「ありがとう、アルフォンス」
メアリーは久しぶりに、セラフィーナの前で心からの笑顔を見せた。
「私の荷物なのに、任せてしまってごめんなさい」
「何を言っているんだ。君と結婚できるのなら、俺はなんだってするよ」
アルフォンスはメアリーの左手薬指に指輪を通すと、そっと口づけをした。
「君が『妹の結婚式が終わるまで待ってほしい』と言った時、理由は分からなかった。でも、君がそう望むなら、俺は永遠にでも待つつもりだったよ」
「あなたは優しすぎるわ」
「いや、俺は幸運なだけだ。こんなにも美しく、賢く、強い女性に愛されるなんて」
二人は見つめ合い、そっと額を寄せ合った。
◇◇◇
メアリーがアルフォンスと出会ったのは、半年前の建国祭でのことだった。
「失礼」
振り向くと、驚くほど整った顔立ちの青年が立っていた。
この国では見かけない髪の色に、場の空気を自然と支配するような佇まい。
「あなた様は......?」
「アルフォンス・フォン・エーベルハルトと申します。隣国アルトリアの大公家の者です」
その名に、メアリーは小さく息を呑んだ。
「メアリー・クラリス様、でいらっしゃいますね」
「はい」
「先ほどから、あなた様を拝見しておりました」
アルフォンスの瞳が、真っ直ぐにメアリーを見つめた。
「皆様は、あなたが妹君の真似をしているとおっしゃいますが......私にはそうは見えませんでした」
メアリーの心臓が、大きく跳ねた。
「妹君があなたを真似ている。違いますか?」
言葉を失う。
初めてだった。
誰かが、この状況を正しく言い当てたのは。
「……なぜ、分かるのですか」
アルフォンスは静かに微笑んだ。
「分かりますよ。だってあなたは、こんなにも本物の輝きをまとっているのだから」
その夜から、二人は交流を深めていった。
文を交わし、密やかに逢瀬を重ね、気づけば互いにかけがえのない存在になっていた。
「俺と結婚してくれないか」
そう告げられたのは、アルヴィンとの婚約が決まった直後だった。
「でも、私には婚約者が......」
「ならば、その婚約を破棄してくれ。すべて俺のせいにすれば良い」
「それは......」
メアリーは迷った。
できることなら、今すぐにでもアルフォンスの手を取りたい。
しかし、自分のために彼を悪者にすることはできない。
かといって、女の自分から婚約破棄を申し出ることは、不可能だった。
「大丈夫だ、メアリー」
アルフォンスは優しく微笑んだ。
「必ず、君を幸せにする。どんな困難も、二人で乗り越えよう」
その真摯な瞳を見て、メアリーはある計画を実行することにした。
◇◇◇
「お、お姉様……?」
セラフィーナの声が震えていた。
メアリーはゆっくりと妹を見下ろした。
「セラフィーナ、あなたに教えてあげるわ」
メアリーの声は、穏やかで、しかし冷たかった。
「アルヴィン・グレンフォードは、私にとってどうでもいい男だった。……むしろ、彼と一緒になるには邪魔だった。だから、あなたが欲しがったとき、喜んで譲ったのよ」
セラフィーナの顔から血の気が引いていく。
「そんな……」
「あなたは気づいてなかったみたいだけど」
メアリーは優しく、しかし容赦なく言葉を紡いだ。
「私があなたに与えたものは全て、私にとってどうでもいいものだった。ドレスも、髪飾りも、アルヴィンも。全部ね」
セラフィーナは動揺し、よろめきながら叫んだ。
「う、嘘よ! 私、私は……お姉様みたいになって、お姉様と一つになりたくて……」
「一つになりたい? ……おかしな子ね」
メアリーは、ほんの少しだけ目を伏せた。
そして、セラフィーナに哀れむような眼差しを向けた。
「私はあなたを愛していたわ、セラフィーナ。……私になろうとするあなたじゃなくて、ありのままのあなたをね」
「え……?」
「あなたの明るさ、社交性、素直さ。それは全て、あなただけの美点だった。私にはないもの」
大好きだったピンクのドレスに身を包み、無邪気に笑っていたセラフィーナを思い出し、メアリーの胸が微かに痛んだ。
「でも、あなたは私の真似ばかりして、自分の良さを全部捨ててしまった。私はただ、妹として、ありのままのあなたを愛したかっただけなのに」
「……お姉様っ!」
セラフィーナが手を伸ばす。
しかし、メアリーが一歩引いたことで、その手は届かなかった。
「あなたは本当に欲しかったものを、最初から手にしていたのよ。でも、あなたはそれに気づかずに、全部自分で壊してしまった」
「違う、違います! お姉様っ、お姉様!」
「さようなら、セラフィーナ」
メアリーはアルフォンスの腕をとると、セラフィーナに向かって慈愛に満ちた顔で微笑んだ。
「アルヴィンと、どうかお幸せに」
◇◇◇
メアリーがアルフォンスが用意した馬車に乗り込もうとしたとき、血相を変えた両親が駆け寄ってきた。
「メアリー! お前、なにを考えているんだ! お前が家を出ていくと、フィーナが泣いて——」
唾を飛ばして怒鳴り散らす父親は、メアリーの手を取ったまま馬車から降りてきた人物に絶句した。
「まさか……」
「初めまして。アルフォンス・フォン・エーベルハルトと申します」
その名に、両親は顔を真っ青にした。
この国でも知らぬ者はいない。エーベルハルトといえば、隣国で王家の血を引く大公家だ。
「私、彼と結婚するわ」
「なっ……顔合わせも婚約もなしに、いきなり結婚だと!? あちらのご両親の了承は——」
「アルフォンスのご両親からのご了承は、すでに得ているわ」
すでにメアリーはアルフォンスの両親と、国境近くの別荘で何度か会っている。
セラフィーナの結婚準備に気を取られていた両親は、まったく気付いていなかったが。
自身も恋愛結婚だという二人は、息子が惚れ込んだメアリーを快く受け入れてくれた。
目を白黒させる父親を見下ろしながら、アルフォンスは口元だけで微笑んだ。
「彼女の境遇に、父も母も心を痛めているようです。それに、彼女は淑女教育も行き届き、聡明で気品もある。ぜひ我が家に、と申しております」
「そんな……」
両親は初めて、自分たちが何も知らされていなかったことに気づき、動揺している。
メアリーは関心を失ったように、そんな両親から視線をそらした。
「娘がそうしたがっているのよ。それくらい許してくれるでしょう?——親なんだから」
突き放すようなメアリーの言葉。
その聞き覚えのあるフレーズに、両親はなにも言えなくなってしまった。
そんな二人を見限り、メアリーが今度こそ馬車に乗ろうときびすを返した、その時。
追いかけてきたセラフィーナに、ドレスの裾を掴まれた。
セラフィーナは泣きはらした目で、すがるようにメアリーを見つめている。
「お姉様……本当に、行ってしまうんですか」
「ええ」
「私、私は……お姉様を愛していたんです。本当に」
「知っているわ」
メアリーは振り返った。
「私があなたを愛することはもうないけれど……フィーナ、あなたが私の妹で良かったとは思っているの」
メアリーは、幼い子どもに言い聞かせるような声で言った。
「あなたがいたから、私はアルフォンスに出会えたのよ。あなたが私の真似をして、私が孤立するよう仕向けたから、話すきっかけができたの」
「え……?」
驚きでセラフィーナがドレスの裾を離すと、メアリーはすかさず馬車に乗り込んだ。
「だから、感謝しているわ」
ばたんと馬車のドアが閉まり、二人を隔てる。
こうしてセラフィーナは、永遠に最愛の人を失った。
◇◇◇
「メアリー、君は今幸せ?」
アルトリアへ向かう馬車の中、アルフォンスが優しく問いかけた。
「もちろん。だって生まれて初めて——本当に欲しいものを手に入れたのだもの」
メアリーは、心からの笑顔でそう答えた。
190
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
(完)イケメン侯爵嫡男様は、妹と間違えて私に告白したらしいー婚約解消ですか?嬉しいです!
青空一夏
恋愛
私は学園でも女生徒に憧れられているアール・シュトン候爵嫡男様に告白されました。
図書館でいきなり『愛している』と言われた私ですが、妹と勘違いされたようです?
全5話。ゆるふわ。
姉妹同然に育った幼馴染に裏切られて悪役令嬢にされた私、地方領主の嫁からやり直します
しろいるか
恋愛
第一王子との婚約が決まり、王室で暮らしていた私。でも、幼馴染で姉妹同然に育ってきた使用人に裏切られ、私は王子から婚約解消を叩きつけられ、王室からも追い出されてしまった。
失意のうち、私は遠い縁戚の地方領主に引き取られる。
そこで知らされたのは、裏切った使用人についての真実だった……!
悪役令嬢にされた少女が挑む、やり直しストーリー。
隣国の王子に求愛されているところへ実妹と自称婚約者が現れて茶番が始まりました
歌龍吟伶
恋愛
伯爵令嬢リアラは、国王主催のパーティーに参加していた。
招かれていた隣国の王子に求愛され戸惑っていると、実妹と侯爵令息が純白の衣装に身を包み現れ「リアラ!お前との婚約を破棄してルリナと結婚する!」「残念でしたわねお姉様!」と言い出したのだ。
国王含めて唖然とする会場で始まった茶番劇。
「…ええと、貴方と婚約した覚えがないのですが?」
5年経っても軽率に故郷に戻っては駄目!
158
恋愛
伯爵令嬢であるオリビアは、この世界が前世でやった乙女ゲームの世界であることに気づく。このまま学園に入学してしまうと、死亡エンドの可能性があるため学園に入学する前に家出することにした。婚約者もさらっとスルーして、早や5年。結局誰ルートを主人公は選んだのかしらと軽率にも故郷に舞い戻ってしまい・・・
2話完結を目指してます!
好きな人と友人が付き合い始め、しかも嫌われたのですが
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
ナターシャは以前から恋の相談をしていた友人が、自分の想い人ディーンと秘かに付き合うようになっていてショックを受ける。しかし諦めて二人の恋を応援しようと決める。だがディーンから「二度と僕達に話しかけないでくれ」とまで言われ、嫌われていたことにまたまたショック。どうしてこんなに嫌われてしまったのか?卒業パーティーのパートナーも決まっていないし、どうしたらいいの?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる