触らなくていいです。見てるだけで充分ですから

蝋梅

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16.私、21歳。この人生で初めて逃げ出せば(前)

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「ねぇ、ロイまで付いてこなくて良いわよ?昔みたいに襲われる事もなくなったし」
「私は、お嬢様の護衛ですので」
「どうせエメが行くから付いてくるんでしょ?」
「ゲホッ」

何よ、知らないと思ったの?

「まぁ、来てくれるのは助かるわ」

 なんだかんだで周囲には見知っている人がいると安心するしね。




✻~✻~✻



「お嬢様、お手紙です」
「ありがとう」

 トレーに載せられた宛名を目にし、思わずため息がでてしまう。

 去年の今頃、私は王都から出て我が領地であるノウェールに滞在している。

 あの時、アイラや婚約者との関係よりも自分は誰だったのか、過去の家族の名前の記憶が欠落した事に酷く動揺したのだ。

 自覚があるほど酷く取り乱していたけれど仕事も急に休む事は出来ずで。

 今思えば混乱していたからこそ出来たのが、婚約者の上司である団長のシュナイザー様に十日間ほど私の婚約者であるケインを私の近くに来ないよう私情を挟みまくった手紙をしたためたのだ。 

『殿下が隣国へ留学される際の警護につく』

 直ぐに団長から届いた紙一枚の紙切れの内容に持つべきものは権力のある知り合いなんだわと心から感謝した。

それだけでは終わらない。

 その次に、通常業務をこなしながら三日間で引き継ぎ資料を作り上げ辞表と共に提出した。

そう、私は逃げ出したのだ。

「逃げるのは、悪いとは思わない。でも、なんか悔しいわ」

 六歳から自分なりに努力してきたはずだったのに魔が差したとしか言いようがない。

「それにしても何故、さっさと婚約破棄をしないのかしら?」

 王都から逃げ出して約一年が経過しているのにヴァース家は破棄を承諾しなかった。

「彼は、殿下の遊学の護衛で忙しいはずなのに毎月必ず手紙が送られてくるのも複雑だわ」

 飾り気のない木の箱には未開封の封筒が重なっている。読むべきなのだろけれど開ける気にならず。かといって捨てるのも悪いような気持ちになって。

「綺麗で羨ましい」

 流れるような字で綴られた私の名を見る度に自分の字の汚さに幻滅する。

「努力はしたけれど暫くすると、また元の字に戻るのよね」

 いえ、字はどうでもいい。とりあえず、これからの事よ。現在、王都にいる親の代わりに視察や事務処理的な事はしているけれど兄が継げば私はあまり必要とされないだろう。

「ねぇ、ロイ。もう、こうなったら国から出ようかしら?」
「それは困る」

この声

「何で貴方が」
「事前に手紙は出した。数日前には届いているはずだ」

 そこにはこの国にいないはずのケインが立っていた。誰が部屋に入れたの? いつの間に交代したのか侍女として室内にいたエメに目を向ければ彼女は口パクで応えた。

『ロイです』

あの裏切り者め!

「読んでないんだな。期待はしていなかったけど」

 陰りのある笑みを浮かべた一年ぶりの彼は、記憶していた時よりも更に容姿に磨きがかかったようだ。

「座っても?」
「……どうぞ」

 明らかに疲れている様子の人を立たせておくほど腐ってはいない。

まだ、多分だけど。

「此方に来る前に貴方の父君から許可はとった」
「そうですか。それで用件は何でしょうか?」

 婚約破棄の書類でも持ってきたのかしら。

「すまないが二人きりにさせてもらいたい」

 人払いをして欲しいなんて婚約してから初めて言われたかも。エメはともかく彼がロイに対してはあまり良く思っていない事には気づいていたけれど、いつも不愉快そうな顔を一瞬だけ出したくらいで特に問題もなかった。

「エメ」
「お嬢様、いけません」
「何かあれば必ず呼ぶわ」

これでも、まだ迷ってるか。

「君の主君を傷つけないと剣に誓う」
「……必ずお知らせ下さい」
「ええ、ありがとう」

 剣の誓いとやらを聞いたからなのか心配そうな顔をしつつも彼女は温室の扉を閉めた。

「政権が変わった頃に結構狙われたりしたから、その名残りなの。不快にさせたなら謝るわ」
「いや、当たり前の対応だ」

 よかった。怒ってはいないみたい。いや、ちょっと待って。私は何を気にしているのかしら。

「では、婚約破の書類かしら」
「婚約破棄はしないし、アイラは今も昔も同期であり俺にとっては仲間のうちの一人だ」

ようは、何が言いたいの?

「俺は、君が好きなんだ。いつからか分からないけど。だから、婚約後は好きにしていいと会う度に口にする貴方に苛立っていた」

 私が好き?家が決めた相手なのに?

「これは、最初に会った時から感じていたんだけど、レイラ嬢が見た目とは違いずっと年齢が上の様な態度だったのも気になっていた。君は、昔から落ち着き過ぎていた。異様なくらいに」

 青い目が、まるで視線を外すことは許さないと訴えているかのようだ。

「俺が、単に未熟だった」

 未熟? どうだったかしら。初めて会った時も、それからも落ちついた子に見えたけど。

「君は、ただ大人びているだけで成長と共にこの違和感は消えていくと思っていた。けれど違和感は増していくばかりだった。同じくらい俺の劣等感も増えた」

え、私、何かした?

「貴方のせいじゃない。自分が悪かったんだ。最初から契約結婚だと言われて一方的に突き放された事が気に入らなかった。俺は……決められた婚姻でも、穏やかな生活をしていきたいと思っていたから」

 揺れることのない真っ直ぐな目は、嘘ではなく本心なんだろう。

「……ごめんなさい。私がいけなかったわ」

 彼と会った時には既に覚えている年齢プラス十何年を過ごしていた私は、いい大人で、彼はまだ学生だった。

「謝罪をしてもらいたくて来たんじゃないんだ。これを渡したくて」

 手を出してと言われて恐る恐る両手を出しせば、小さな赤い箱が乗せられた。

「久し振りに一緒に出かけた日、渡そうと思っていたんだ。ただ、買ったのは随分前で。正式に騎士団に入団して、初めてもらった給料で何か贈りたくて」

 よく見るとビロードの赤い箱は少しくすんでいる。

「開けても?」
「あぁ。君にとって安物だろうけど」

 中には、淡いピンク色の指輪が収まっていた。前の世界ではピンクゴールドという物だろう。此方の世界でも、強度があり劣化も少なく、しかも色味が可愛いと女子に人気の材質だ。ぐるりと柄が彫られているわ。


「この花」
「初めて会った時や他の日にも身につけたり室内に飾ってあったから好きなのかと思って」

 フレアと言う名前だが、私の記憶ではムスカリ。目立つ色でもなく小さな鈴なりの花をつける。

 姿形だけではなく香りも前の私の時と同じだった。

「飾り気がなさすぎるよね」
「そんな事ない。好きな花だわ。でも、受け取れない」

 こんな真っ直ぐな気持ちは、私には無理だ。

「貴方の違和感は正しい。私は、別の記憶が、この国というより、この世界ではない場所で生きてきた二十五年分があるの」
「違う…世界」
「頭がおかしくなったと思われても仕方がないし、信じて欲しいとも思っていないわ」

 屋敷の書庫にも、膨大な文献も保管されている我が国が誇る王立図書館にも、そんな実例はなかった。あの時の絶望感は今も忘れられない。

 帰れない、元には戻れないと突きつけられたから。

「いつも一人で決めて、いつも、そうやっていたの?」

 あれ、おかしいな。私は、もう、いい大人なのに。

 何故、今になって涙がでるんだろう。



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