マリアージュ〜お探しの物あります〜

波間柏

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32.眠り目を覚ますと

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 薄い布越しに夕暮れの色が見える。外の街の喧騒とは切り離された馬車の中は先程から沈黙が続いていた。

「体調は大丈夫か? 家までまだ距離があるから寝ているといい」
「ありがとうございます」

 強く抱きしめられた後、暫く気を失っていたらしい私は、意識がない無防備な姿を晒した恥ずかしさと強い魔力の力に当てられ疲れきっていた。

 いえ、それだけではないのは分かっている。でも、少しだけ現実から離れたくて。ライル様の言葉に甘え空の籠が転がらないようしっかり抱え目を閉じた。



***


揺れている?

 けれど何故か不安はない。むしろ落ちつく温かさとこの匂いはいつも彼から微かに香るものだわ。でも、なんだか強く感じるのは何故かしら。


「私は」

 確か馬車で寝てしまったのよね。

「いやに広い。私の家じゃないわ」

 小さな灯りがうつしだす場所は、質の良さそうな調度品、そして。

「ライル様?」

 椅子に座り腕を組んで目を閉じていたライル様の長いまつげが動き開いた瞳は私をぼんやりと見た。

「良かった。医師は問題ないと言ってはいたが、いつまでも目が覚めないから心配だった」

 無表情な顔が私を認めた瞬間、綻ぶような笑みを浮かべられてなんだか落ち着かない。

あ、待って。

「此処はまさか」
「勝手に連れてきてすまない。貴方の眠りが異様に深くこのまま家に帰しても不安だったから屋敷に運んだ」

 どうしましょう。やはり辺境伯のお屋敷だったわ。

「まだ深夜だ。人の目が気になるようなら夜明け前に馬車を出すからそれまで寝るといい」
「つ…ライル様?」

 ライル様の手が伸ばされ、避ける間もなく私のほつれた髪を耳にかけ、頬の輪郭をなぞっていく。

「未婚の女性が横になっている部屋にいるのは相手にとってよい判断ではないと理解しているのだが、目を離した隙に貴方が目の前からいなくなりそうで」

 影が濃くなり、唇に感じる柔らかい温もり。そのまま、抱きしめられ耳元で囁かれた。

「マリー、もう随分前から貴方に惹かれている。君が家族や店の事で悩んでいる時に貴方が欲しいと伝える私は狡いだろうか」

惹かれる。
欲しい。
ライル様が私を?

「あの」
「今は、いい。だが、いずれ答えが欲しい」

 私が、貴族とだなんてありえない。しかもライル様はこの領地を統括する方の弟なのよ?

「ライル様っ」
「何もしない。ただ…もう少しこのまま」

 更に腕の中に抱きしめられて、抵抗しようとしたのに、あまりにも懇願されるような言い方をされて。

「ありがとう」

 悩んだ末に右手を彼の背中に恐る恐るまわせば、嬉しそうな声が降ってきて、私の心臓はドキドキと落ちつかなかった。



* * *


「キス、夢じゃないわよね?」

 家から離れた裏手の森の近くで降ろしてもらい、鳥達の水を替えて餌をやり、産んでくれた卵を器に入れ家の中に戻り、とりあえず朝ごはんの支度にとりかかりながら、ふと、自分の唇に触れた。

 柔らかい、少し乾いた感触に眼の前にあった端正な顔に嗅ぎなれたハーブの香り。

「どうしたらよいの?」

 どうしょうもないほど彼に惹かれていたのは私の方だわ。

「でも、無理よ」

 身分もそうだけど、私の周囲は、いまや普通とはかけ離れてきているもの。

「もう、会わないほうがよいに決まっている」

 私は、マリアージュの店の引き継ぎの本を手にとり探し始めた。

「あるかしら」

 特定の人物を来店拒否するにはどうしたらよいかを調べるために。


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