恋をする

波間柏

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18.昔の記憶

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「駄目だ…」

 夜、カウンターテーブルで勉強していた私は、ため息をついた。手元の問題集を見れば、先程からずっと同じページのままだ。

コーヒーを飲もう。

 立ち上がり、ヤカンに水を入れコンロの火をつける。

ランスも飲むかな。

 彼は地下にいるから、もう少しかかるだろうな。私は、インスタントはやめてお店で挽いてもらった粉をだすことにした。

 あと満月まで今日をいれて3日しかない。今は、もう夜。

ピーピー

 ヤカンの音にハッとし急いで火を止めた。粉の上にゆっくり回すようにお湯をたらす。

少しずつ焦らず。

 ランスには牛乳を加えカフェオレに。子供っぽいなぁと、ついクスッと笑ってしまう。

外を見ると窓が濡れていた。そういえば今日は夜から雨って予報だったな。

 私は、コーヒーの入った真っ白なマグカップを片手に窓際のピアノに近づきピアノ脇の小さいテーブル、本来は花瓶などを置く丸テーブルにカップを置き椅子に座った。

そっとピアノに触れる。

ポーン…

 今は、おそらく作られていないであろう象牙の鍵盤はとても冷たい。

 子供の頃、母にはこのピアノに触れる度に手は洗ったの? とよく聞かれた。

そんな時、必ず。

『大丈夫だよ。ほのかは、ちゃんといつも洗ってるさ。そんなこと言われなくても分かってるよ。なぁ?』

いつも味方をしてくれる祖父。
それをニコニコ見ている祖母。

鍵盤に指を滑らせる。

 有名な海外映画のアニメ曲で男女が踊るシーンにしよう。

そういえば、この曲をよく家で弾いていた頃、祖父の具合が悪くなり入院していてそのまま…。

 それを思い出すと母に言われ弾かなくなった。

 出だしから最後までテンポはゆっくりだけど、中盤から盛り上がる。弾きながら私は、祖父との会話をおぼろげに頭の中で回想した。

 あれはいつだったか。確か進路で悩んでいた時だ。

 私は、本当はピアニストになりたかった。でも、母は望んでいないのが分かっていた。

安定した職。

それが母の望み。今だったら、すでに具合の悪い日が増えていった母が娘の事を考えそう言ったのは、理解できる。それに自分の出来は幼い時から分かっていた。

 全てをかけるほどの意欲はなかったのだ。

 子供ながらに、こんなんじゃあ、もし希望の学校に受かってもやっていけないと思った。

そして苛立ちはピークに。

 ふらっと電車に乗り、この別荘へ雨でずぶ濡れになりながらドアを叩いた。

 そんな私に二人は何もいわず、いつも夏休みの時に訪れた様に家にいれてくれた。

 そう。そして夜に泣きながらここに座りピアノを弾いた。

 祖母が紅茶をそっと、この丸テーブルに置いてくれた。いつの間にか側にいた祖父に何か言われた。

何を?

『泣きたい時は泣きなさい』

あとは?

『人生は色々な選択肢があるし、これからもたくさん悩み選びとっていく』

それで。

『今、辛いか?』

 確か「うん」と私は答えた。祖父は、そうかと私の頭を撫で。

『…今よりもっと、本当に駄目だと思った時は、こう唱えなさい』

ガタンッ

 勢いよく立ち上がったために椅子が倒れた。ランスから後から聞き、その時は気づかなかったけれど。

「ホノカ?どうし…」

 ランスが地下から上がってきたのが見えた。だけど、それどころじゃなかった。

 急いでキッチンに行き、それからローテーブルに近づき置いたままの箱を開けた。

そこには、揺らめき光を放つ石。

『私の部屋の何処かに眠っている宝物に触れて唱えてごらん。変われるおまじないだよ。でも、それは本当に耐えられなくなった時だ』
『何それ? 何かのファンタジー小説の一節みたいだし、なんか怖い』
『そうだね』

穏やかに微笑んだ祖父の顔。

 手のひらにペティナイフをあて浅く引く。

「ホノカ!」


ランスに肩を強く掴まれたが、無視をして続ける。

早く早くと気が急ぐ。

 手を握りしめ、血を石に垂らし石にそっと触れた。

「ディ・ナーリアル・ノア」

内緒の呪文。

「血の盟約と共に今、解放を命ずる」

ピシッと音がした。

「ツッ!」

 音の後には目を開けるのが辛いほどの風とオレンジ色の光の波に包み込まれた。

「ホノカ!」

 最後に聞いたのはランスの私を呼ぶ声。

私は意識を手放した。



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