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この世界のどこかで
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みさえに連れられて一番先に向かったのは、北野のマンションだった。
そこにいくまではたったの二駅分、だけれど
今は電車もバスという手段もない。それらはみんなロボが操っているものだ。それに乗れば、どんな目に遭わされるか、しれたものではない。 みさえと、人々が恐怖と焦燥に逃げ去って誰もいない、ゴーストタウンと化した暗い街中を歩いていた。
ふと、みさえが手紙に記された住所を見つめ、顔をもたげて指をさした。
「ここです」
確かに、北野の今の住所はここになっている。白いモルタルが少しはげている、想像した高級マンションとはほど遠い、古いマンションだった。むろん、ここの小さなマンションの管理人ももれなく逃げているので、明たちは窓を破壊し、マンションに侵入した。あやしむ人もとうに避難しているだろう。気の毒に、この世に安全な場所などないというのに。
北野の部屋のドアを、ロボットらしい剛力でみさえが破壊し、部屋に押し入る。
「おい、北野お! 出てこい!」
明がもののない、寂し気な白壁に叫ぶ。
「......どうやら、引き払った後のようですね」
みさえが眉根を寄せて首を振ったので、明は舌打ちをして、とにかくマンションを出ようという流れになった。
「くそ、ここからどうやれば北野を止めに行けるんだ」
マンションを出て、手立てを失った明ががっくりと肩を落とす。その脇で、ふと、みさえが言った。
「......もしかしたら、あそこかも」
「あそこ?」
「私と、まだ幼かったハルアキラ様が一緒に住んでいた家です。そこに、何かハルアキラ様につながるための手がかりがあるかもしれません」
「本当かっ」
これに思わず明はみさえの手を掴んだ。けれどみさえの表情は浮かない。
「ただ、そこは埼玉のはずれで、行くのにはなかなか時間がかかりますよ」
そうだ......明は愕然とした。明日の朝までにあの男を止めないと、世界の人類はロボットに殺されていく。だがバスも電車も使えないこの状況で、埼玉のはずれまで行くのは、無理だろう。明はその場に膝を崩し、悩んだ。
「くそ、どうしたらいいんだよ......」
「あの」
そこで、明は声をかけられた気がして、下げていた顔をあげた。そこにはロボットが一体、立っていた。
「うっうわっ」
思わず悲鳴をあげそうになる明へ、一見無表情なロボットがしいっと唇にゆびをあてる。
「お、お前なにもんだ」
「私はいつも明君が乗っているバスの運転手です」
みれば確かに、マンションの表側道路に、見慣れたバスが一台停まっている。
(こいつ......俺が学生証見せていたから、名前覚えてくれてたのか......)
明の中で恐怖が薄まっていくなか、ロボットが少し、柔らかな笑みをこぼした。
「あの、よかったらバスを使いませんか。運転はもちろん私がやります。こんな時ですけど、私は明君の力になりたいんです」
「な、なんで......?」
明が戸惑いながら尋ねる。おかしい、ロボはみんな、人間の力になるどころか、人間を殺そうとさえしているのに、なんで。運転手はこたえた。
「明くんは、私に、ロボットである私にとても優しくしてくれました。それがありがたくて嬉しくて、いつか恩返ししようと思いながら、出来なかったのです。だから、です」
明はこれに言葉が出てこなかった。ロボットにも、人らしい感情があるなんて信じたことはなかった。どうせ博士によってつくられた感情はまがいもので、イミテーションで。そう思っていたのに。
「......そっか。ありがとう」
明はにっこりと笑顔を向け、運転手へと握手した。
◆
「なあ、みさえ」
埼玉に向かうバスに揺られながら、緑のふかふかしたシートに座った二人は話し合う。
「北野の若い時って、どんなのだったんだ」
みさえが少し目を瞑る。まるで昔にタイムスリップして過去をじっくりと思い出すかのように。
「ハルアキラ様は、優しい方でした。明ぼっちゃまのように」
「はあ? た、たとえばどんなだよ」
「私がハルアキラ様の同級生に服を脱がされて笑われていた時に、かばってくださいました」
「はあ......?」
明は絶句してしまった。嘘だろ? そう言いたかった唇が動きをとめる。確かに、ありえない話ではない。ロボットに人権はない。まして昔なら、より一層。
「......昔は、いえ今もまれにありますが、ロボットへの虐待はひどいものだったのです」
みさえが再び目を開く。
「ハルアキラ様は私が知る限り、同級生にいつもいじめられていました。蹴られ殴られ、ものをとられて......同級生が拳を振り上げる時、いつもハルアキラ様は繰り返していました。やめろよ、やめろよ、と」
明はふと、以前の【儀式】のことを思い出し、胸をうがたれたような気がした。やめろよ、やめろよ。やめてくれよ。
「暴行のすべてが終わると、きまってハルアキラ様は私にだけ言っていました。いつか、あいつらに復讐してやる、世の中に正しいものだけしか、存在できなくしてやる、と」
(正しいもの、しか、か)
明はハルアキラを思うたびに、あの残酷な儀式のことを思い返して、悲痛な心地になった。やがて夕方になって、明がみさえの肩に顔を傾けてその柔らかさと夢を見ていた頃、バスの運転手が言った。
「ここですよ」
◆
ハルアキラの生家は古い平屋だった。窓ガラスにも障子の穴のところどころあいたものが映り、トタンの屋根も壊れていた。明がバスを待たせ、あずき色のドアを叩く。反応はない。
「鍵はあいてるな」
そうしてゆっくりと、荒れ果てた空き家にみさえと入った。中は雑誌やら空き缶やら何やらが雑然と散らばり、ひどい様子だった。
「やっぱり、ここに手がかりなんてないんじゃねえのかな、みさえ」
「......」
ふいに、みさえがどこかへと足を進め、立ち止まった。そこにはハルアキラの、穴だらけの学習机があった。コンパスであけたろう小さな無数の穴をみていると、明はその憎悪の穴に吸いこまれそうで、恐怖を感じた。引き出しをあけてみる。何かノートが入っていた。随分古くて、黄色くひからびているみたいなノート。ひらくと日付が入っている。
「これは、ハルアキラの、日記?」
【今日も僕のみさえは美しい。なんという美しさだろう】
【今日の青空も美しい。世界は美しさで満ちている】
【なのにどうしてこんなにも人間は】
【醜く劣っていて、汚いのだろう?】
ハルアキラの詩風の日記を見ていると明は、なんだか具合が悪くなるような心地がした。あまりに内容が気色悪いからではない。思ったことがあるからだ。自分もかつて、こんな風に思ったことが、確かにある。フラッシュバックされる。
日記の一番後ろはのりで四方が貼りつけられていた。それを無理に明がはがす。中をみてみる。明はそのフラッシュバックが激しく発生するのを、それの引き起こす頭痛を耳鳴りを、なんとかこらえた。
(なんてことだ)
明はみさえさえいなければ絶叫していただろう。
【○月罰日
僕は今日、あいつらに命じられて、無理やり合体させられました】
そこまで読んで、明は勢いよく本を閉じ、床に転げた。これは、儀式、だ。みさえが心配して、背を撫でてくれる。涙が止まらない、フラッシュバックされる。
「みさえ......」
「はい」
「ハルアキラは、ここに戻ってきているぞ」
「え?」
みさえが驚いた声を出す。明はもう、口元に残った吐しゃ物をハンカチでぬぐっていた。
「日記の後ろにつけられたのりがまだやわらかい。それに、家中がほこりだらけごみだらけなのに、この一角だけほこりがついていないんだ。おそらく、あいつはここに戻ってきている」
(でも、何のために? )
それは明にも当然浮かんだ疑問だった。と、そこで突然、電話のベルの音がけたたましく鳴る。昔懐かしい、黒い、不吉も運びそうな電話。
「ここに電話をかけてくるのは一人しかいない」
明が、電話をとる。憂いを含んだ低い声が響いた。
「やあ、みさえか」
「っ! ハルアキラか」
「あててみよう、君は今のみさえの持ち主の明君だね」
「そうだ」
これでふっとハルアキラが嘲るように笑った。
「なるほど、みさえと一緒に私を滅ぼそうとする算段だね。僕のみさえは優しいからな」
そうまでハルアキラは朗らかに告げると、急に冷えた声音に変じて、彼は言った。
「僕は今、新宿にあるコミューンビルの中にいる。入ればすぐに地下室につながる扉があるから、そこを開けて来なさい。その先で話をしよう」
◆
初めて女の中に自分自身を突きこんだ時――、あの時の絶望は忘れられない。ありえないほど快楽は溢れるはずなのに、少しの快楽も、喜びもその行為には付随しなかった。ただ残るのは、多大な絶望。屋上で打ちひしがれる女。
すべての儀式が終わった後、ズボンをあげながら、彼は泣いた。
「俺は最低だ」
◆
ビル前にたどり着いた時、新宿には月が出ていた。夜は月光になだめられて。淡い薄い鼠色の空に、満月が煌々と照っている。その月が新宿で一番先に光で濡らすのが、このコミューンビルだ。高層ビルらしく、セキュリテイーも十分であった。
三人はみなでこの見た事もない豪勢な高層ビルを、ただただ見上げていた。花に囲まれた入口は探すとすぐに見つかった。ここまできたら、正面突破しかない。明はコンクリートを踏みしめながら、不思議な発奮に襲われていた。
いる、ここにいる。世界を壊し、また壊された男が、世界を壊そうとしている。
玄関ホールでは白い大理石が一面に無数床にはめこまれ、赤い薔薇が青磁の花瓶に咲き誇っていた。
「危ないっ」
みさえが思わず声を荒げた。明は一瞬、動きをとめた。目の前をかすめる小型の空飛ぶドローン。最新式のレーザー発射機だった。レーザーは蝶かのように飛びながら、あたりの異質物を焼き尽くすつもりであろう、発熱している人間たちの方に、レーザー砲を向けてくる。
「明様、逃げてっ」
みさえが声を張り上げた時、明へともう、レーザーが到達されんとしていた。顔に熱が伝わる。このまま、押し寄せるマグマのような熱光線に溶かされるのか。
その時、明の目の前に男が一人躍り出てきて、彼の前に立った。骨のひとかけまで残してやるものか、というほどの炎に、すっかり焼き切れたのは、運転手のロボットだった。樹脂がとろけ、顔の造作も溶け落ちて何も見えなくなっている。みさえがその隙をみて、レーザー砲の洞筒をへし折った。
「運転手さん!」
明が駆け寄ると、運転手はとろけきった顔で、それでも何か、爛れた口元で言葉を述べていた。
「ありが、とうございます」
運転手には痛覚があった。熱くて苦しくて残酷な思いをしながら、命を懸けて人間を守り、最後に感謝を述べたのだ。明ははっとした。助けてくれた、んだ。死ぬとわかっていても、それでも人間のためになりたい。
(俺たちはわかりあえる。絶対に)
明の胸に、弱弱しいながらも決意が固まった。
◆玄関ホールを抜け、階段を駆け下りて地下に向かう。コミューンの地下に眠る巨大な地下室はもうすぐだ。あまたあるがらんどうの教室を駆け抜けて、ある部屋に入ったとたん、みさえと明は立ち止まった。この部屋の床が、非常に熱い。熱いといっても耐えられぬといった程ではなかった。しかしドアがひとりでに閉じきって、二人はその熱さの部屋に取り残された時、焦燥を感じた。
「まさか、あのバカ博士......」
それはやはり現実になった。閉め切られた部屋の温度がぐんぐん上がっていく。最初は壁が熱くなっていき、一瞬でも触ると指がはじけとびそうになった。次は天井、そして床。徐々に部屋の熱をあげていく作戦らしい。
明は息も吸えないくらい苦しい状況でありながら、それでも生に至る道を模索していた。
しかし出口は見つからず、部屋は密閉状態である。大変に熱い。足裏が真っ赤になっていく。足裏から破けていく。
「もう、ダメかもしれないな」
明はここで死ぬのかと、部屋の椅子にどっかりと座って、うなだれた。
「......そんな、明ぼっちゃま!」
「いやいいんだ、もうここで終わりなんだ。世界なんて変えることは出来なかった。つまんなく生きて、死ぬだけが人生なんだ」
みさえはしばし黙っていたが、出入り口がない部屋に籠められた状況で、逃げ出すのは難しい。部屋の温度が六十度を超えた段階で、明がぽつぽつと語りだした。
「あのさ、みさえ。最後かもしれないから、言っておく」
誰にも言えないで人生を終わりたくない。
「放課後、女の子と子づくりしろなんて言われて、やらされたのは俺なんだ」
驚くような表情で、みさえが明を見つめる。
「......そう、でしたか」
みさえの目には涙がにじんでいる。
「なあ、そうだ。だからもう人生なんていいんだ。よいカードが揃った奴だけが成功するんだ。負け犬は生きている価値なんて、ありゃしないんだ」
「私はそうは思いません」
ぴしゃりと、みさえが言った。この地獄みたいな世界で毅然とした、決意に満ちた顔で。
「命さえあれば、誰にでもこの美しい街や空を見る権利はあります。私には地獄の中に楽園を求める人間たちをみていて、愛しかった」
――その時、急激に部屋の温度が下がってくるのが明にもわかった。どうしたというのだろう。突然スライドショーのようなものが、広い壁に映し出されていた。
「君たちの決意は固いようだ。どうだろう、愛するみさえに免じて、どちらか一人が奥の部屋まで来てくれたら、あるいはロボット戦を終わらすことも考えてやっていい」
ハルアキラがやや朗らかに言って、 こちらの反応をみてくる。
「どうしようか」
当然、チャンスだ。うまくいけば戦闘行為が止まるかもしれない。けれど。もし明がのこのこ敵の本陣に行けば、そのまま殺されるのかもしれない。世界を救えるけれど、命は失うかもしれない。正直明には、英雄になる気などない。怖かった。そんな折、
「私が行きます」
と手をあげたものがいた。みさえだった。
「みさえ、本気かよ!」
明が詰め寄るも、みさえは少しも動じず、真顔で答えた。
「本気です」
「でも、お前......」
確かに、この女ならば、説得することも出来るかもしれない。だけどいって、ジャンクになる可能性も強く残っている。けれどみさえは言った。
「私、行ってきます」
「みさえが来るのか。じゃあ次の部屋においで。そこで君を待つ」
昔の持ち主にそう言われ、隣の部屋に入ろうとしたみさえの背。それは父の部屋に入っていく時の背中だった。
何かを何を犠牲にしても守ろうとする背。
その背が消えいってしまいそうで、明は思わず声をかけていた。
「みさえ!」
みさえがゆっくりと振り向いた。
「俺たち、どこかで絶対、また会えるよな」
みさえも答えた。
「はい、この世界のどこかで、いつか必ず、またお会いしましょう」
◆
次の部屋に入ると、ハルアキラの居室の真ん前に出た。赤いカーペット。ガラス張りの部屋の壁からはハルアキラの今の、洒落た机も見えた。みさえはただ、ハルアキラを待っていた。だが彼は姿を見せようとはせず、かわりに遠い天井から声が聞こえてきた。
「お久しぶりだね、みさえ。僕だよ、覚えているかな」
「それはもちろん」
「君に会いたくて仕方なかったんだ。君のような美しい、心が清らかで優しい......そんな女性はいないからね」
みさえの顔は依然厳しいままだ。ハルアキラが嘆息するのが聞こえた。その時、あたりの地盤が落ちたような、激しい音と揺れが起こった。明は遠くから二人の姿を見ている。
「これが科学の進歩だ」
ハルアキラがにこやかに告げたのは、みさえのいる部屋を重力で捻じ曲げていく時間の始まりだった。大気圏を突破する宇宙船にかかるほどの、凄まじい重力の抵抗。
「ぐっぐっ」
「なあ、みさえ」
顔が重力でへこんでいくみさえを見ながら、ハルアキラが言った。
「君が悪いんだよ。確かに明君は気の毒ではある。なにせ僕と同じ目に遭ったんだから。だから命は生かしてあげる。君にもそうしてあげたい」
ハルアキラはそれから、冷めた声音で続けた。
「だが人間だけはダメだ。あいつらは厚顔無恥で、この世の生き物の中で一番汚らわしく、生きていてはいけない生き物だ。わかるだろう」
その声音はどんどん興奮を帯びてきた。
「なあ、そう思うだろう! 世界は僕らのものだ。なあ、みさえ、新しい世界で僕と結婚しよう! なあ、僕が好きだろう、みさえ」
「......嫌いで、す」
凄まじい重力に押しつぶされそうになり、背を丸め必死で耐えているみさえが、呟いた。
「あなたが嫌い、で、す」
「僕が好きだろう」
「世界で、一番、嫌いで、す」
「嘘だ絶対に好きなはずだ」
「わた、しは」
みさえがとぎれとぎれに言葉を紡いだ。
「どんなに汚くても、この世界が明君が、人の笑顔を見るのが、わたし、は、好きだった。優しかったかつての、あなたも......」
ぼこおっと、みさえの腹部が重力に耐えられずへこんだ。オイルが弧を描くように飛んで失われる。それでもみさえは言った。
「あなたのこと、嫌い、です......!!」
◆
――あの日、放課後クラスメートにロボとの【合体】を命じられて、すべてが終わった時、ハルアキラは泣いていた。
「ごめん、みさえ、ごめん、子猫のみいが人質にとられちゃったんだ......本当にごめん」
泣きじゃくる中学生のハルアキラへ、みさえはセーターを取りながら温顔で言った。
「いいんですよ。仕方ないんです。それに私は、優しいハルアキラ様が好きですから」
弱弱しい小鳥が寄り添いあうように、二人は厳冬を越えた。
◆
そのみさえが言う、あなたのことが嫌いです。ハルアキラは様々なことを思い出し、ふ、っと笑った。
「僕の負けだな」
その時、凄まじい重力の放出が終わった。ぼこぼこに歪んだみさえが、ふっと顔をもたげる動作をする。続いて凄まじい轟音。明がよろよろしながらガラスを破り、自分のもとへ戻ってこようとするみさえを抱き留める。
「君たちの勝ちだ」
そう言って、天井からゆるやかに落ちてきたのは、白衣を纏ったハルアキラだった。ハルアキラを一目見て、明は驚いた。ハルアキラはもはや言語に尽くせぬほどの、美しい青年だったのである。
「ハルアキラ」
「お互い、みさえにはよく助けられるものだ」
ハルアキラが長い黒髪を風にそよがせて笑う。と、また世界を割るような重低音。
「この音は......」
「政府軍がコミューンビルを破壊しようとしているんだろう。ロボットを操るように言ったのは政府なのに、正義は建前、気取りたい。人はいざとなれば残酷なものだ」
「そうなのか......」
なんとはなしに沈む明へ、ハルアキラは朗らかに笑んでみせる。
「そんな訳だ。僕は最後までここにいるよ。お前たちは地上に逃げなさい」
「だけど、ハルアキラ」
いつの間にか明はハルアキラの白衣の袖をとっていた。どうしてだろう、ハルアキラを見ていると、自分を見ている気がする。もう一人の、パラレルワールドにいるはずの、自分。だから助けなくてはと、思った。
「お前も一緒に行こう」
「どうして。この上の世界は不浄に満ちているんだよ。お前だって知っているだろう」
「知ってるさ。とうに知ってる。だけど、俺はこうも思うんだ」
明の顔はいつしか、兄に対峙する弟のようなものになっていた。
「人間を模したロボットがこんなに優しかったんだ。だからもしかしたら人間もあるいは、優しい人がいるかもしれない」
明はなおも、言った。
「信じようぜ。まだ来ない明日が、最高のものであるように」
ハルアキラがく、っと笑った。地下室が崩壊を始める。天井が崩れ、世界が歪む。
「上へは階段をのぼっていけ。じゃあな」
そうしてハルアキラが天井の崩れていく中に消えていく。明は何度も彼を呼んだが、最後まで、手をあげる彼が振り向くことはなかった――。
◆
そこにいくまではたったの二駅分、だけれど
今は電車もバスという手段もない。それらはみんなロボが操っているものだ。それに乗れば、どんな目に遭わされるか、しれたものではない。 みさえと、人々が恐怖と焦燥に逃げ去って誰もいない、ゴーストタウンと化した暗い街中を歩いていた。
ふと、みさえが手紙に記された住所を見つめ、顔をもたげて指をさした。
「ここです」
確かに、北野の今の住所はここになっている。白いモルタルが少しはげている、想像した高級マンションとはほど遠い、古いマンションだった。むろん、ここの小さなマンションの管理人ももれなく逃げているので、明たちは窓を破壊し、マンションに侵入した。あやしむ人もとうに避難しているだろう。気の毒に、この世に安全な場所などないというのに。
北野の部屋のドアを、ロボットらしい剛力でみさえが破壊し、部屋に押し入る。
「おい、北野お! 出てこい!」
明がもののない、寂し気な白壁に叫ぶ。
「......どうやら、引き払った後のようですね」
みさえが眉根を寄せて首を振ったので、明は舌打ちをして、とにかくマンションを出ようという流れになった。
「くそ、ここからどうやれば北野を止めに行けるんだ」
マンションを出て、手立てを失った明ががっくりと肩を落とす。その脇で、ふと、みさえが言った。
「......もしかしたら、あそこかも」
「あそこ?」
「私と、まだ幼かったハルアキラ様が一緒に住んでいた家です。そこに、何かハルアキラ様につながるための手がかりがあるかもしれません」
「本当かっ」
これに思わず明はみさえの手を掴んだ。けれどみさえの表情は浮かない。
「ただ、そこは埼玉のはずれで、行くのにはなかなか時間がかかりますよ」
そうだ......明は愕然とした。明日の朝までにあの男を止めないと、世界の人類はロボットに殺されていく。だがバスも電車も使えないこの状況で、埼玉のはずれまで行くのは、無理だろう。明はその場に膝を崩し、悩んだ。
「くそ、どうしたらいいんだよ......」
「あの」
そこで、明は声をかけられた気がして、下げていた顔をあげた。そこにはロボットが一体、立っていた。
「うっうわっ」
思わず悲鳴をあげそうになる明へ、一見無表情なロボットがしいっと唇にゆびをあてる。
「お、お前なにもんだ」
「私はいつも明君が乗っているバスの運転手です」
みれば確かに、マンションの表側道路に、見慣れたバスが一台停まっている。
(こいつ......俺が学生証見せていたから、名前覚えてくれてたのか......)
明の中で恐怖が薄まっていくなか、ロボットが少し、柔らかな笑みをこぼした。
「あの、よかったらバスを使いませんか。運転はもちろん私がやります。こんな時ですけど、私は明君の力になりたいんです」
「な、なんで......?」
明が戸惑いながら尋ねる。おかしい、ロボはみんな、人間の力になるどころか、人間を殺そうとさえしているのに、なんで。運転手はこたえた。
「明くんは、私に、ロボットである私にとても優しくしてくれました。それがありがたくて嬉しくて、いつか恩返ししようと思いながら、出来なかったのです。だから、です」
明はこれに言葉が出てこなかった。ロボットにも、人らしい感情があるなんて信じたことはなかった。どうせ博士によってつくられた感情はまがいもので、イミテーションで。そう思っていたのに。
「......そっか。ありがとう」
明はにっこりと笑顔を向け、運転手へと握手した。
◆
「なあ、みさえ」
埼玉に向かうバスに揺られながら、緑のふかふかしたシートに座った二人は話し合う。
「北野の若い時って、どんなのだったんだ」
みさえが少し目を瞑る。まるで昔にタイムスリップして過去をじっくりと思い出すかのように。
「ハルアキラ様は、優しい方でした。明ぼっちゃまのように」
「はあ? た、たとえばどんなだよ」
「私がハルアキラ様の同級生に服を脱がされて笑われていた時に、かばってくださいました」
「はあ......?」
明は絶句してしまった。嘘だろ? そう言いたかった唇が動きをとめる。確かに、ありえない話ではない。ロボットに人権はない。まして昔なら、より一層。
「......昔は、いえ今もまれにありますが、ロボットへの虐待はひどいものだったのです」
みさえが再び目を開く。
「ハルアキラ様は私が知る限り、同級生にいつもいじめられていました。蹴られ殴られ、ものをとられて......同級生が拳を振り上げる時、いつもハルアキラ様は繰り返していました。やめろよ、やめろよ、と」
明はふと、以前の【儀式】のことを思い出し、胸をうがたれたような気がした。やめろよ、やめろよ。やめてくれよ。
「暴行のすべてが終わると、きまってハルアキラ様は私にだけ言っていました。いつか、あいつらに復讐してやる、世の中に正しいものだけしか、存在できなくしてやる、と」
(正しいもの、しか、か)
明はハルアキラを思うたびに、あの残酷な儀式のことを思い返して、悲痛な心地になった。やがて夕方になって、明がみさえの肩に顔を傾けてその柔らかさと夢を見ていた頃、バスの運転手が言った。
「ここですよ」
◆
ハルアキラの生家は古い平屋だった。窓ガラスにも障子の穴のところどころあいたものが映り、トタンの屋根も壊れていた。明がバスを待たせ、あずき色のドアを叩く。反応はない。
「鍵はあいてるな」
そうしてゆっくりと、荒れ果てた空き家にみさえと入った。中は雑誌やら空き缶やら何やらが雑然と散らばり、ひどい様子だった。
「やっぱり、ここに手がかりなんてないんじゃねえのかな、みさえ」
「......」
ふいに、みさえがどこかへと足を進め、立ち止まった。そこにはハルアキラの、穴だらけの学習机があった。コンパスであけたろう小さな無数の穴をみていると、明はその憎悪の穴に吸いこまれそうで、恐怖を感じた。引き出しをあけてみる。何かノートが入っていた。随分古くて、黄色くひからびているみたいなノート。ひらくと日付が入っている。
「これは、ハルアキラの、日記?」
【今日も僕のみさえは美しい。なんという美しさだろう】
【今日の青空も美しい。世界は美しさで満ちている】
【なのにどうしてこんなにも人間は】
【醜く劣っていて、汚いのだろう?】
ハルアキラの詩風の日記を見ていると明は、なんだか具合が悪くなるような心地がした。あまりに内容が気色悪いからではない。思ったことがあるからだ。自分もかつて、こんな風に思ったことが、確かにある。フラッシュバックされる。
日記の一番後ろはのりで四方が貼りつけられていた。それを無理に明がはがす。中をみてみる。明はそのフラッシュバックが激しく発生するのを、それの引き起こす頭痛を耳鳴りを、なんとかこらえた。
(なんてことだ)
明はみさえさえいなければ絶叫していただろう。
【○月罰日
僕は今日、あいつらに命じられて、無理やり合体させられました】
そこまで読んで、明は勢いよく本を閉じ、床に転げた。これは、儀式、だ。みさえが心配して、背を撫でてくれる。涙が止まらない、フラッシュバックされる。
「みさえ......」
「はい」
「ハルアキラは、ここに戻ってきているぞ」
「え?」
みさえが驚いた声を出す。明はもう、口元に残った吐しゃ物をハンカチでぬぐっていた。
「日記の後ろにつけられたのりがまだやわらかい。それに、家中がほこりだらけごみだらけなのに、この一角だけほこりがついていないんだ。おそらく、あいつはここに戻ってきている」
(でも、何のために? )
それは明にも当然浮かんだ疑問だった。と、そこで突然、電話のベルの音がけたたましく鳴る。昔懐かしい、黒い、不吉も運びそうな電話。
「ここに電話をかけてくるのは一人しかいない」
明が、電話をとる。憂いを含んだ低い声が響いた。
「やあ、みさえか」
「っ! ハルアキラか」
「あててみよう、君は今のみさえの持ち主の明君だね」
「そうだ」
これでふっとハルアキラが嘲るように笑った。
「なるほど、みさえと一緒に私を滅ぼそうとする算段だね。僕のみさえは優しいからな」
そうまでハルアキラは朗らかに告げると、急に冷えた声音に変じて、彼は言った。
「僕は今、新宿にあるコミューンビルの中にいる。入ればすぐに地下室につながる扉があるから、そこを開けて来なさい。その先で話をしよう」
◆
初めて女の中に自分自身を突きこんだ時――、あの時の絶望は忘れられない。ありえないほど快楽は溢れるはずなのに、少しの快楽も、喜びもその行為には付随しなかった。ただ残るのは、多大な絶望。屋上で打ちひしがれる女。
すべての儀式が終わった後、ズボンをあげながら、彼は泣いた。
「俺は最低だ」
◆
ビル前にたどり着いた時、新宿には月が出ていた。夜は月光になだめられて。淡い薄い鼠色の空に、満月が煌々と照っている。その月が新宿で一番先に光で濡らすのが、このコミューンビルだ。高層ビルらしく、セキュリテイーも十分であった。
三人はみなでこの見た事もない豪勢な高層ビルを、ただただ見上げていた。花に囲まれた入口は探すとすぐに見つかった。ここまできたら、正面突破しかない。明はコンクリートを踏みしめながら、不思議な発奮に襲われていた。
いる、ここにいる。世界を壊し、また壊された男が、世界を壊そうとしている。
玄関ホールでは白い大理石が一面に無数床にはめこまれ、赤い薔薇が青磁の花瓶に咲き誇っていた。
「危ないっ」
みさえが思わず声を荒げた。明は一瞬、動きをとめた。目の前をかすめる小型の空飛ぶドローン。最新式のレーザー発射機だった。レーザーは蝶かのように飛びながら、あたりの異質物を焼き尽くすつもりであろう、発熱している人間たちの方に、レーザー砲を向けてくる。
「明様、逃げてっ」
みさえが声を張り上げた時、明へともう、レーザーが到達されんとしていた。顔に熱が伝わる。このまま、押し寄せるマグマのような熱光線に溶かされるのか。
その時、明の目の前に男が一人躍り出てきて、彼の前に立った。骨のひとかけまで残してやるものか、というほどの炎に、すっかり焼き切れたのは、運転手のロボットだった。樹脂がとろけ、顔の造作も溶け落ちて何も見えなくなっている。みさえがその隙をみて、レーザー砲の洞筒をへし折った。
「運転手さん!」
明が駆け寄ると、運転手はとろけきった顔で、それでも何か、爛れた口元で言葉を述べていた。
「ありが、とうございます」
運転手には痛覚があった。熱くて苦しくて残酷な思いをしながら、命を懸けて人間を守り、最後に感謝を述べたのだ。明ははっとした。助けてくれた、んだ。死ぬとわかっていても、それでも人間のためになりたい。
(俺たちはわかりあえる。絶対に)
明の胸に、弱弱しいながらも決意が固まった。
◆玄関ホールを抜け、階段を駆け下りて地下に向かう。コミューンの地下に眠る巨大な地下室はもうすぐだ。あまたあるがらんどうの教室を駆け抜けて、ある部屋に入ったとたん、みさえと明は立ち止まった。この部屋の床が、非常に熱い。熱いといっても耐えられぬといった程ではなかった。しかしドアがひとりでに閉じきって、二人はその熱さの部屋に取り残された時、焦燥を感じた。
「まさか、あのバカ博士......」
それはやはり現実になった。閉め切られた部屋の温度がぐんぐん上がっていく。最初は壁が熱くなっていき、一瞬でも触ると指がはじけとびそうになった。次は天井、そして床。徐々に部屋の熱をあげていく作戦らしい。
明は息も吸えないくらい苦しい状況でありながら、それでも生に至る道を模索していた。
しかし出口は見つからず、部屋は密閉状態である。大変に熱い。足裏が真っ赤になっていく。足裏から破けていく。
「もう、ダメかもしれないな」
明はここで死ぬのかと、部屋の椅子にどっかりと座って、うなだれた。
「......そんな、明ぼっちゃま!」
「いやいいんだ、もうここで終わりなんだ。世界なんて変えることは出来なかった。つまんなく生きて、死ぬだけが人生なんだ」
みさえはしばし黙っていたが、出入り口がない部屋に籠められた状況で、逃げ出すのは難しい。部屋の温度が六十度を超えた段階で、明がぽつぽつと語りだした。
「あのさ、みさえ。最後かもしれないから、言っておく」
誰にも言えないで人生を終わりたくない。
「放課後、女の子と子づくりしろなんて言われて、やらされたのは俺なんだ」
驚くような表情で、みさえが明を見つめる。
「......そう、でしたか」
みさえの目には涙がにじんでいる。
「なあ、そうだ。だからもう人生なんていいんだ。よいカードが揃った奴だけが成功するんだ。負け犬は生きている価値なんて、ありゃしないんだ」
「私はそうは思いません」
ぴしゃりと、みさえが言った。この地獄みたいな世界で毅然とした、決意に満ちた顔で。
「命さえあれば、誰にでもこの美しい街や空を見る権利はあります。私には地獄の中に楽園を求める人間たちをみていて、愛しかった」
――その時、急激に部屋の温度が下がってくるのが明にもわかった。どうしたというのだろう。突然スライドショーのようなものが、広い壁に映し出されていた。
「君たちの決意は固いようだ。どうだろう、愛するみさえに免じて、どちらか一人が奥の部屋まで来てくれたら、あるいはロボット戦を終わらすことも考えてやっていい」
ハルアキラがやや朗らかに言って、 こちらの反応をみてくる。
「どうしようか」
当然、チャンスだ。うまくいけば戦闘行為が止まるかもしれない。けれど。もし明がのこのこ敵の本陣に行けば、そのまま殺されるのかもしれない。世界を救えるけれど、命は失うかもしれない。正直明には、英雄になる気などない。怖かった。そんな折、
「私が行きます」
と手をあげたものがいた。みさえだった。
「みさえ、本気かよ!」
明が詰め寄るも、みさえは少しも動じず、真顔で答えた。
「本気です」
「でも、お前......」
確かに、この女ならば、説得することも出来るかもしれない。だけどいって、ジャンクになる可能性も強く残っている。けれどみさえは言った。
「私、行ってきます」
「みさえが来るのか。じゃあ次の部屋においで。そこで君を待つ」
昔の持ち主にそう言われ、隣の部屋に入ろうとしたみさえの背。それは父の部屋に入っていく時の背中だった。
何かを何を犠牲にしても守ろうとする背。
その背が消えいってしまいそうで、明は思わず声をかけていた。
「みさえ!」
みさえがゆっくりと振り向いた。
「俺たち、どこかで絶対、また会えるよな」
みさえも答えた。
「はい、この世界のどこかで、いつか必ず、またお会いしましょう」
◆
次の部屋に入ると、ハルアキラの居室の真ん前に出た。赤いカーペット。ガラス張りの部屋の壁からはハルアキラの今の、洒落た机も見えた。みさえはただ、ハルアキラを待っていた。だが彼は姿を見せようとはせず、かわりに遠い天井から声が聞こえてきた。
「お久しぶりだね、みさえ。僕だよ、覚えているかな」
「それはもちろん」
「君に会いたくて仕方なかったんだ。君のような美しい、心が清らかで優しい......そんな女性はいないからね」
みさえの顔は依然厳しいままだ。ハルアキラが嘆息するのが聞こえた。その時、あたりの地盤が落ちたような、激しい音と揺れが起こった。明は遠くから二人の姿を見ている。
「これが科学の進歩だ」
ハルアキラがにこやかに告げたのは、みさえのいる部屋を重力で捻じ曲げていく時間の始まりだった。大気圏を突破する宇宙船にかかるほどの、凄まじい重力の抵抗。
「ぐっぐっ」
「なあ、みさえ」
顔が重力でへこんでいくみさえを見ながら、ハルアキラが言った。
「君が悪いんだよ。確かに明君は気の毒ではある。なにせ僕と同じ目に遭ったんだから。だから命は生かしてあげる。君にもそうしてあげたい」
ハルアキラはそれから、冷めた声音で続けた。
「だが人間だけはダメだ。あいつらは厚顔無恥で、この世の生き物の中で一番汚らわしく、生きていてはいけない生き物だ。わかるだろう」
その声音はどんどん興奮を帯びてきた。
「なあ、そう思うだろう! 世界は僕らのものだ。なあ、みさえ、新しい世界で僕と結婚しよう! なあ、僕が好きだろう、みさえ」
「......嫌いで、す」
凄まじい重力に押しつぶされそうになり、背を丸め必死で耐えているみさえが、呟いた。
「あなたが嫌い、で、す」
「僕が好きだろう」
「世界で、一番、嫌いで、す」
「嘘だ絶対に好きなはずだ」
「わた、しは」
みさえがとぎれとぎれに言葉を紡いだ。
「どんなに汚くても、この世界が明君が、人の笑顔を見るのが、わたし、は、好きだった。優しかったかつての、あなたも......」
ぼこおっと、みさえの腹部が重力に耐えられずへこんだ。オイルが弧を描くように飛んで失われる。それでもみさえは言った。
「あなたのこと、嫌い、です......!!」
◆
――あの日、放課後クラスメートにロボとの【合体】を命じられて、すべてが終わった時、ハルアキラは泣いていた。
「ごめん、みさえ、ごめん、子猫のみいが人質にとられちゃったんだ......本当にごめん」
泣きじゃくる中学生のハルアキラへ、みさえはセーターを取りながら温顔で言った。
「いいんですよ。仕方ないんです。それに私は、優しいハルアキラ様が好きですから」
弱弱しい小鳥が寄り添いあうように、二人は厳冬を越えた。
◆
そのみさえが言う、あなたのことが嫌いです。ハルアキラは様々なことを思い出し、ふ、っと笑った。
「僕の負けだな」
その時、凄まじい重力の放出が終わった。ぼこぼこに歪んだみさえが、ふっと顔をもたげる動作をする。続いて凄まじい轟音。明がよろよろしながらガラスを破り、自分のもとへ戻ってこようとするみさえを抱き留める。
「君たちの勝ちだ」
そう言って、天井からゆるやかに落ちてきたのは、白衣を纏ったハルアキラだった。ハルアキラを一目見て、明は驚いた。ハルアキラはもはや言語に尽くせぬほどの、美しい青年だったのである。
「ハルアキラ」
「お互い、みさえにはよく助けられるものだ」
ハルアキラが長い黒髪を風にそよがせて笑う。と、また世界を割るような重低音。
「この音は......」
「政府軍がコミューンビルを破壊しようとしているんだろう。ロボットを操るように言ったのは政府なのに、正義は建前、気取りたい。人はいざとなれば残酷なものだ」
「そうなのか......」
なんとはなしに沈む明へ、ハルアキラは朗らかに笑んでみせる。
「そんな訳だ。僕は最後までここにいるよ。お前たちは地上に逃げなさい」
「だけど、ハルアキラ」
いつの間にか明はハルアキラの白衣の袖をとっていた。どうしてだろう、ハルアキラを見ていると、自分を見ている気がする。もう一人の、パラレルワールドにいるはずの、自分。だから助けなくてはと、思った。
「お前も一緒に行こう」
「どうして。この上の世界は不浄に満ちているんだよ。お前だって知っているだろう」
「知ってるさ。とうに知ってる。だけど、俺はこうも思うんだ」
明の顔はいつしか、兄に対峙する弟のようなものになっていた。
「人間を模したロボットがこんなに優しかったんだ。だからもしかしたら人間もあるいは、優しい人がいるかもしれない」
明はなおも、言った。
「信じようぜ。まだ来ない明日が、最高のものであるように」
ハルアキラがく、っと笑った。地下室が崩壊を始める。天井が崩れ、世界が歪む。
「上へは階段をのぼっていけ。じゃあな」
そうしてハルアキラが天井の崩れていく中に消えていく。明は何度も彼を呼んだが、最後まで、手をあげる彼が振り向くことはなかった――。
◆
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