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僕とかーちゃんが出会って。
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【僕のかーちゃん、空を往く】
ドアに鍵を差し入れる瞬間はいつもドキドキだ。僕は祈るような気持ちで鍵穴を回す。ガチャン。ああ、やっぱりダメだ。――僕はてんで愛されていなかった。
駅前にある、白い背の高いマンションに僕は住んでいる。そこの十二階、1207号室が僕の家。もっと正しく言えば、僕と、パパの家。だけどパパはあんまり帰ってこない。だからいつも、ドキドキするのだ。鍵がするりと開いたら、パパが帰ってきているあかし。だけど現実はそう甘くない。パパはいつも帰ってこない。そのたびいっつも僕は思うのだ。僕は誰にも、愛されていないんだな、って。
玄関に足を踏み入れドアを開けると、綺麗なリビングが目に入る。綺麗なフローリング、綺麗な赤のソファ。その奥の綺麗な白いキッチン。綺麗で当たり前だよね。だってここにはほぼ、僕しか住んでいないんだもの。
十二歳にして僕は、世界で一人ぼっちだという感情を覚えてしまった。パパがこれで遊びなさいと置いておいた数百のゲームも、もう飽きた。今はもっぱら、飴色の家具が置かれた部屋の、パパのパソコンを勝手にいじっている。どうして? って、僕、怒られたかったのかな。勝手にいじっちゃダメだろ、かける。って、パパに、さ。ほんとは自分でもよく分からないんだ。
電源を入れて、インターネットに繋いで、トップニュースをしげしげと眺める。トップニュースはやっぱり、今この星に来ている流星群のことだ。最近、一世紀に一度くらいの流星群が来ているって、学校でもみんなの噂だ。お友達のしげる君も、夜中に光っては消えていくむすうの流星群を見た、って自慢していた。いいなあ、僕も見てみたい。そしてもし見つけたら、絶対お願いごとをするんだ。僕のママが生き返るようにして下さいって。 ――おや、何か新着メールが来ている。なんだろう。クリックして開いてみる。
【おめでとうございます! あなたに、ロボットかーちゃんが当たりました】
えええ。僕は思い切り困った顔をする。むかし、パソコンの授業で習ったんだ。こんな風に、パパとかママとか、知り合いの人の真似をして、詐欺を働く集団がいる、って。きっと、これもそういう種類のメールだ。そうに違いない。そう思って無視を決め込んだら。
【おめでとうございます】
【おめでとうございます】
【受け取りますか】
【受け取りますよね】
うわわ、メールがメールボックスからあふれ出るように届いちゃった。僕はびっくりして、思わずクリックしてしまった。
【はい、受け入れます】
はああ、やってしまった。……パパは、僕を怒るだろうか。怒ってくれるだろうか。メールはその後で全然来なくなったから、まあ、いいか。そう思って、僕はそれきりメールのことなんか忘れて、リビングにゲームしに向かった。
◆
家では一人ぼっちの僕だけど、学校では友達がたくさんいるよ。
日の色をした学校に登校して、机の椅子をひいて腰掛けると、すぐに仲良しのみんなが僕の席に集まってきた。特にしげる君と太陽君は、一年生の頃から六年の今まで、大の仲良しなんだ。その二人と、他の女の子のお友達も混ざって、仲良くお話しする。話題はやっぱり、人気のゲームと、流星群の話。
「なあ、かける、お前、化け物ウオッチの新しい奴、やった?」
「うん、やったよ。とっても面白かった」
「いいなあ、かけるんちはたくさんゲームがあって。羨ましいなあ」
そうしげる君が言うけど、僕はしげる君の方が羨ましかった。だって僕にはパパもママもいなくて、何も話すこともすることもなくてゲームしているだけだもの。
「あ、そういえば俺さあ」
みんなで化け物ウオッチのにゃん太郎の話をしていた折、太陽君が突然、こう言った。
「俺、昨日すごいでっかい流れ星、見たんだ」
「へえ、本当に?」
女の子の一人がそう尋ねると、太陽君は、うんって思い切り顎をひいた。
「すっごいでっかいんだぜ。火の玉みたいで、綺麗で。裏山に堕ちていったんだ。もう少しでそのまま燃え尽きないで地面に落っこちって、人類がみんな死んじゃうのかと思った。ほら、恐竜みたいにさ」
わはは。みんなが一斉に笑った。まさか。そんなことある訳ない。でも、もし、そうなったら、パパは僕を助けに来てくれるかな。ママも天国から蘇って、抱きしめてこの世の終わりが怖くないようにしてくれるかな。
「はーい、そろそろ授業を始めるよー」
担任のなお先生が教室にやってきて、僕たちの会議は終わった。みんなが席に散り散りに戻っていく。
(いいなあ)
と、僕は思った。
(僕も流れ星、みたいなあ)
◆
蝉のなく道を、アイスを舐めながら帰る。僕の住むこの星にはもう季節がない。僕が生まれた頃は、この日本という国には美しい四季があって、春には桜という花が咲いたり、秋には紅葉って葉っぱが綺麗に色づく現象が起きたりするって、授業で習ったけど。でも。ちきゅうおんだんか? っていうのが原因で、それもなくなって、年中夏になってしまったんだって。僕、実はその絶滅した、桜って花を知ってるんだ。生まれたばかりの僕が、桜の前でママと一緒に写ってる写真があるんだ。桜って花は、桃色に色づいて、雨粒みたいに輝いていて、とっても綺麗だった。もう一度見たいと思う。その桜って花も、ママの笑顔も……。
さあ、また、怖い怖い瞬間がきた。ちょっとだけ、身震いする。僕とパパのマンションに着いたのだ。1207号室の前に立ち、鍵穴に鍵をさしいれる。きっと、ダメだ。また、ガチャンってなるに決まってる。そう思った、のに。
するっと、鍵はあいてしまった。
え? パパ?
僕はまるで自分のテストのいい点が、こっそりわかっちゃった時のように、わくわくして、ドキドキした。夢みたいに思った。
「パパっ」
僕が大声を出して部屋に入ると。ぶおおおんって掃除機の音。え? って僕は疑問に思った。パパって、お掃除好きだったっけ。キッチンからはいい匂いが漂ってきて、床も磨きこまれていて、僕は一瞬、ママが帰ってきたのかと思っちゃった。そんなこと、ある訳ないのに。
「パパ……?」
恐る恐るリビングの奥へ向かうと。
「ひっ」
そこでは、銀色の顔をした、苺エプロン姿の、女のロボットが掃除機をかけていた。
「ひっ、あなた、だれ……」
「あなたがかける君、ですね?」
ロボットは口角をぎこちなく上げると、掃除機を置いて、こちらへ歩み寄ってきた。
「ひいいいいい」
「私はNY-ロボット306です。このたびはお買い上げありがとうございました。まだまだ不慣れな私ですけれど、なにとぞよろしくおねが、かける君?」
「ひぎゃああ」
僕はしばらく声が声にならなかった。だって、君だってそうでしょう。誰もいないはずの家に入ったら、まるで昔のアニメウルソラマンみたいな、銀色の体のロボットが、こちらへギオンギオン音たてて迫ってくるんだから。
「なっなんなのさ、怖い! もう、出てってよ! 出てって!」
震えた声で叫ぶと、ロボットは「……はい」と素直に頷いて、家を出ていった。ちゃんと、ことこと煮たてた鍋の火を消して。
僕は息と心臓の鼓動を整えるのにいっぱいいっぱいだった。なに、なんだ、あれ。ロボットは、確かに町中にいっぱいいるけれど、みんな見た目は普通の人間と変わりない、はず。なのにあのロボットは歩く時ギオンギオン音がしたし、体も銀色だし、きっと、古い型なのかも。それがどうして僕の家へ……あ! 僕はそこでこないだの、あの謎みたいなメールを思い出した。もしかして。
「あれが、ロボット、かーちゃん?」
そう思ったとき、僕は玄関へ駈け出していた。そろそろーっと、あたりをうかがう。ロボットかーちゃんは、確かにドアの外にいた。まるで廊下に立たされた人間みたいに、ちょっと寂しそうに。
「ね、ねえ、おばさんがロボットかーちゃん、なの?」
「はい、そうですよ」
ロボットは明るい声音で言って頷いた。声だけは普通の人間みたいだった。
「私がロボットかーちゃんです。よろしくお願いします。かける君」
それからロボットは。
「かける君の夕飯を作りたいのです。中に入れてもらえませんか?」
あんまり僕はびっくりしすぎて、素直にいいよ、と部屋に招いてしまった。
◆
かーちゃんは、手慣れたように手刀で人参を切っていく。僕はそれを唖然として見つめながら。
「……何を作っているの」
と訊いた。ロボットはにこにこして答える。
「今栄養たっぷりのスープを作って、お出ししますからね」
そのロボットはまるで笑っているかのように口角をあげて、スープの鍋をゆっくりとかき回している。
「ごはんの準備は、かける君と私とお父様の分でいいですか」
「……二人分でいいよ」
この一言に、僕は眉をちょっと怒らせてロボットを見た。ロボットはぼんやりこちらを見ている。
「でも、かける君はお父様と住んでいるのですよね?」
「住んでなんかないよ!」
僕はぴしゃりと言い切ると、喉に弾みがついてどんどんこらえていた怒りがこみあげてきた。
「パパなんか僕にはいないよ! パパはママが病気で病院にいるときに、一度もお見舞いに来なかったって、パパは仕事がママより大好きなんだって、親戚のおばさんが言ってたもの!」
「……」
「だから、僕には……」
気が付けば僕の眼からは涙があふれていた。それと呼応するように思いがあふれて声になる。
「僕には、パパなんて、いないんだ。いたとしても、僕もママも、パパに愛されてなんかいなかったんだ……」
えっく、えっく。嗚咽まであげて泣きだした僕。止まれって念じているのに、ちっともこの目は涙を生み落とすことをやめない。そうだ。そうだった。何を夢見ていたんだろう。僕はパパになんか愛されていない。何を緊張していたんだろう。僕のパパへのドアは、きっと、一生開かないんだ。
「かける君」
ロボットが何か言いかけたとき。がちゃり。ドアの開く音がした。
「かける?」
ドアから出てきたのは、パパだった。白いワイシャツに、ストライプのスーツを纏って、黒々とした髪を撫でつけて。よくクラスのみんなに、
「いいなあ、かけるのパパは。かっこいいよなあ」
って言われる、そのかっこいい顔つきを少しくもらせて。こっちへ向かってきた。
「パパ……」
パパは茫然とする僕と、ロボットを交互に見回して、
「かける、この人は」
と短く訊いた。僕はぶすくれて、何も言えない。代わりにロボットが。
「こんにちは、かける君のお父様の、譲二さんですね」
と尋ねた。パパは、ええそうですが、と頷く。
「私はかける君にご注文頂いた、ロボットかーちゃんという者です。かける君を幸せにするためにやってきました」
「は、はあ」
怒ってよ、パパ。どうして僕の眼を見ないのさ。どうして。
(勝手にこんなの頼んじゃダメだろ、かける)って、
(かけるには、ママがいなくてもパパがいるだろ)
って、言ってくれないのさ。
「そうですか。これ、お菓子です。よかったらかけると食べて下さい。私は仕事がありますので、これにて」
「……はい、ではお気をつけていってらっしゃいませ」
ガチャン
パパはそう言って、またこの家を出ていった。僕はもうぽかーんとしてしまって、その後でロボットがもらったお菓子を見つめた。
「ねえ、おばさん、それ」
黙っていたロボットが、また口角をあげたようだった。
「これ、今食べちゃいましょうか。おやつ、まだ食べていないでしょう?」
◆
このロボットかーちゃんは、僕の大好きな紅茶も上手に淹れられるらしかった。リビングの飴色のテーブルにロボットと紅茶を挟んで向き合う。茶葉からたてる紅茶なんて僕は久しぶりで、飲むと僕はふうと、やっと息がつけるような気がした。
「あのさ、おばさん」
「……はい、何ですか」
「おばさんは僕を幸せにするためにやってきた、って、言ってたよね」
ロボットは銀の顔に埋め込まれた金色の四角い眼で、僕をまっすぐ見つめた。
「はい、そうですよ」
「じゃあ、じゃあさ」
僕はためらいがちに問うた。
「僕のもとに、パパを返せるの」
それからは、琥珀の紅茶の湖面が涙でまた映らなくなった。
「だって、さっき僕を幸せにするためにやってきたって、言ったでしょう? なら僕はやっぱり、ママもパパもいない、不幸な子って、おばさんは思ってるってことだよね……?」
これにロボットはしばらく黙っていた。それから、立って、紅茶のポットに少しお湯をさし、再び僕の前に座った。
「確かに、かける君はあんまり幸せには、見えませんでした。でもそれは、外側から見たからではないんです。内側から見たかける君が、私には不幸に見えたんです」
「内側? それってどういうこと」
僕が小首を傾げると、ロボットかーちゃんは順序よく話し始めた。
「まず、外側というのは、かける君というからだを囲んだ環境のことです。それは、かける君を不幸には見せません。だって、そうでしょう。かける君にはおうちがあり、ゲームがあり、かっこいいパパがいてくれる、って他の人には見えているし、それはほとんど、事実でしょう」
確かに、と僕は思わず身を乗り出して納得してしまった。確かに、そうかもしれない。僕は学校に行くと、
「背の高い、かっこいいパパがいていいね」とか、
「素敵なおうちに住んでいて、いいね」
とか、
「ゲームがたくさんあって、いいね」
なんて言われるもの。少なくとも人から見たら、僕は幸せに見える、のかもしれない。本当はそうじゃないのに。そう思ったあとで、僕は再び質問をした。
「じゃ、じゃあさ、内側、っていうのは」
「それはほら、これです」
ロボットかーちゃんが、おもむろにパパの買ってきたドーナツの袋をあけた。
「……」
その中身に、僕は思わず黙ってしまった。そこにはチョコのかかったドーナツとクリームの入ったドーナツが二つずつ、入っていた。チョコのとろりとかかったドーナツは僕の好きなやつ。クリームの入ったドーナツは、……パパの好きな、やつ。
「ここのドーナツって、私のブレイン情報によると、すごく並ぶんですよ。それでも、その時間を惜しまずに、あなたのパパは並んでくれた。そして、あなたの好きなドーナツと、ご自分の好きなドーナツを、買ってきてくれた。きっと、お仕事が終わったら、二人で食べようと思っていたんでしょう。おかわり分も、ちゃんと用意して」
「そう、なの」
「そうですよ。だからかける君」
ロボットかーちゃんが、袋をしめて、にっこりと、笑った。
「幸せというものは外側からでは推し量れない。内側から気づいていくしかないんです。幸せの青い鳥はずっと籠に入れておくことは出来ません。ただ、思ったよりずっと身近にいる、ということに、気づいて知っておけばいいんです」
「パパはじゃあ……僕を、愛してくれて、いるの……かな」
僕はもう涙で視界もゆがんで、唇をかみしめて、こう尋ねた。かーちゃんはにっこりして、答えた。
「そういう風に口に出せるようになっただけで、あなたはもう、さっきよりずっとずっと幸福ですよ」
僕はわ、と思い切り泣いてしまった。かーちゃんはそんな僕を優しく見つめていた。水玉のハンカチをテーブルに載せて、ずっとずっと、涙が止まるまで、見つめてくれていた。
僕の新しいかーちゃんは、死んだママとはそっくりじゃない。少なくとも僕のママは、お料理がちょっとへたっぴで、栗毛のいい匂いのする髪をさらさら揺らして、僕をあやすのが大好きだった。死ぬそのぎりぎりまで、僕をあやしてくれていた。
このかーちゃんは、どうだろう。まだ分からない。だけど、なんとなくわかるんだ。僕たちはきっと仲良しになれる。外側だけじゃなく、内側から、きっと。
◆
翌日、学校に行くと、なお先生からプリントが配られた。授業参観のお知らせだって。一か月後の、平日。きっとパパは来られないだろう。かーちゃんは、来てくれる、かな。まあ、来てくれても、みんなびっくりしちゃうから、来なくたって、いいけれど。僕はその後で、なお先生から空き教室に呼び出された。お掃除が終わって、僕は急いでそこに向かった。なお先生は、たくさんのプリントを持っていた。てっきり僕はテストを持っていて、僕の点数が悪くて怒られるのかと思ったけど、そうじゃなかった。
「かける君、じつは、お願いがあるの」
そう言って、なお先生は僕にプリントを手渡した。
「明後日の放課後、先生といっしょにみさこちゃんのおうちに来て欲しいの」
え? と僕はあっけにとられた。どういうことだろう。そんな顔でなお先生を見つめていると、なお先生がちょっと悩んでいるような口ぶりで告げた。
◆
「ほお、つまり、あんまり学校に来られておらず、お友達もいないように見えるクラスメートのみさこちゃんに、先生と会いに行って、お友達になってくる、ということを頼まれたのですね。すごいじゃないですか」
家に帰って、オレンジの灯りのもと晩餐を囲みながらかーちゃんと語らう。
「すごい? そうかな。僕はちょっとやだなあ。みさこちゃんなんて、ほとんど見たことないし、おしゃべりしたこともないんだもの」
「だけど先生は、そんなみさこちゃんとも友達になれそうなくらい、かける君を優しくて明るくていい子だと思っている、ということでしょう」
「そうかな」
ちょっと考え込む僕へ、そうですとも、とかーちゃんがにっこりした。
「信頼できない生徒さんには任されないお仕事ですよ。頑張って下さい」
「そう、かな」
僕はかーちゃんの言葉もまあ、一理あるかなあと思い、なんだか気恥ずかしくなった。確かになお先生は、かける君にぜひお願いしたいの、と何度も何度も言っていた。
「その、みさこちゃんって子はね、しげる君が言っていたけど、お母さんがいなくて、いつも家でも学校でも一人ぼっちで、寂しい子なんだって」
「あら、少し似ている人がいますね」
もう、と口を挟むかーちゃんに僕は怖い顔をする。
「だったらますます、その子を助けてあげなくてはなりません。かける君は、寂しい子の気持ちがわかる優しい子だと思っています。だからそのみさこちゃんのことも、思いやってあげられるといいですね」
「……うん」
◆
その夜。かーちゃんとリビングでごろごろしていると、珍しくパパが帰ってきて、ソファに座った。このテーブルからはパパの後姿しかみえない。パパはこれ、とドーナツの袋をかーちゃんに手渡したかと思うと、思い悩むように苦い顔をして、その後でとんでもないことを口にした。
「かける、実はお父さんな、今度ニューヨークに出張しに行かなくてはならなくなったんだ」
「えええっ」
一瞬にして僕の顔色は奪われた。驚きと悲しみ、その後でほんのりと怒りが。
「まあ、ニューヨークとは大変ですね。いつの便でどのくらい行かれるのです」
かーちゃんがお茶を入れてソファ前のミニテーブルに置く。
「予定では二週間なんですよ。あさっての夜にはもう行かなくてはならない」
あさっての夜……。そんな急に、僕に何も言わないで……。やっぱりパパは……。僕の怒りは鍋にかけられたお湯みたいに、ぶわぶわ沸騰し始めた。
「少し、寂しいかもしれんが、かけるなら、我慢できるよな」
「……出来ないよ!」
僕の大声に、パパは驚いて目を見開いた。
「パパは、どうして一緒にいてくれないの!僕、もう離れるのいやだ。パパはやっぱり、僕よりお仕事が大事なんだ」
「かける、そうじゃないんだ。お土産もたくさん買ってくるから」
「もう、いいよ。何もいらない」
だって僕が欲しかったのは、パパとの時間だもの。
僕はパパのこともかーちゃんのことも無視して、部屋に入った。パジャマに着替える。どうしたらいいんだろう。こころに穴ぽこがあいてしまって、それを埋めようとしても傷口はどんどん深まるばかりだ。どうしたらいいんだろう。やっぱり僕より、パパはお仕事が、大事なんだろうな。悲しい思いが僕を満たしていく。
「かける、起きているか」
途中、何度もノックが聴こえたけれど、出てやるもんかと僕はそれを無視した。そのまま朝になった。
◆
そしていよいよみさこちゃん家に行く日がやってきた。そして、パパがニューヨークに行く日にも、なった。
なお先生の小さな黄色の車で、みさこちゃんちに向かう。なお先生はいつも笑顔の優しい先生だけれど、今日はなんだか、誰かが悪さしたときみたいな、きびしい顔をしていた。きっと、緊張しているんだ、と思った。
「かける君?」
先生はハンドルを切りながら、ぽつぽつ、と言葉を紡ぎ始めた。
「これは、先生とお約束してほしいのだけど」
「うん」
「みさこちゃんのどんな姿を見ても、どんなおうちの中を見ても、決して、顔や態度に出さないようにしてほしいの」
「え……」
突然の言葉に、僕はびっくりして、先生へ視線を送った。どういう意味? という戸惑いの視線を。
「あのね」
先生はためらっているみたいに、ゆっくりと話し出した。
「あまり詳しいことは言えないけれど、みさこちゃんのおうちは複雑なの。かける君ちみたいに、優しいパパと、ママがいてくれる、そういう家庭ではない、ってことだけ、覚えていて欲しいの」
「……僕んちだってパパは優しくないよ」
「え?」
なお先生の戸惑い顔に、僕はなんでもありません、とだけ言って顔をうつむけた。そう、僕のパパは、優しいって信じたくとも信じられないパパだ。真っ白なキャンバスに、優しい絵をいくら描こうとしても、怪しい黒雲がやってきて、それを塗りつぶしてしまうみたいに。そしてその黒雲が僕の顔にかかって、涙を流させるように。
「……でも、かける君は、幸せね」
「なんで」
心配そうにこちらをうかがっていた先生が、いきなりこんなことで口をきった。
「先生ね、今日のことをお知らせしなくては、と思って、かける君の家にお電話したの。そしたらとっても優しい声のお母様が出て、こころよくこの話を承知して、よろしく願いしますって、何度も言って下さったのよ」
「僕の、かーちゃんが?」
「そう」
僕はなお先生のほころんだ顔を見つめて、つくづくかーちゃんは不思議だ、と思った。かーちゃんといると、誰も嫌な気分にならない。むしろ、あったかい紅茶を淹れてもらったみたいに、ほかほかして、あたたかい気持ちになれる。それはなぜなんだろう。最近の無口な、冷たい、自分の任務だけ頑張るロボットとは、何か違うみたいだ。かーちゃんは古い型式のロボットだから、そういうハイテクなロボには何もかも劣っているはずなのに。
「着いたわ」
それから十分くらいして、先生の車があるおうちに止まった。僕はびっくりして、しばらく口をあけはなしてしまった。みさこちゃんちは、白い、輝くヨーロッパの宮殿みたいにすごいお屋敷だったから。
「すごいね、ここ。先生」
そう言いたかったけれど、危ない危ないと、僕は自分の口にストップをかけた。みさこちゃんにまつわる何をみても、それを態度に出しちゃいけないんだった。
先生が高い門についたインターフォンを押す。すると、エプロンを纏った、おばあちゃんくらいのお手伝いさんが出てきて、こちらをじろじろと見すえて口を開いた。
「はい、みさこお嬢様はご在宅ですが、ご用件は」
「あの、私、みさこさんの担任の者です。こちらはクラスメートでみさこちゃんと仲良しのかける君です。みさこさんがお休みしているときのプリントや宿題を持ってきたので、お届けしたいのですが」
「……はあ」
その、いかにも僕たちを迷惑がっているお手伝いさんが、屋敷を案内する。中は本当にきらめくように光っていて、壺やお皿や、油絵の大きいのが、昔の宮殿みたいにところせましと並べられていた。ただ、ひとつ僕は気が付いた。中はエプロンをかけたお手伝いさんたち以外誰もいなくて、僕んちのかーちゃんみたいに、よろしくお願いしますなんて頼むひとも、てんで見えなかった。
「お嬢様、クラスのお友達がいらっしゃいました」
「……はい。御通しして」
ホワイトチョコレートみたいなドアが開く。そこで僕はまたびっくりした。お部屋の中は、まるで地球のごみをあらかた詰め込んだみたいに、汚くって、床も足を踏み入れるスペースがなかった。
「こんにちは、みさこちゃん」
先生が机で俯くみさこちゃんにいろいろと話しかける。僕はごみに気を取られてしまって、あまり会話に入ることが出来なかった。そのうち、僕はごみの中から真実を見つけた。大量に敷き詰められたごみは、みんながうらやむものばかりだった。化け物ウオッチの数量限定販売品、高くてママもなかなか手が届かないって、クラスのかなちゃんが言っていたブランドのお洋服。他のおもちゃもお人形も、高級そうな地球儀も、みいんな真新しくて、きっとみさこちゃんは、これを与えられてもちっとも使っていないんだって、すぐに分かった。それをちっとも、みさこちゃんは喜んでいないってことも、僕にはわかった。
眼で真実を見つけ出した僕は、今度は耳で真実を探す。先生とみさこちゃんの会話はうまくいっていないようだった。先生が優しい声で、優しいことを言っても、みさこちゃんはうん、とか、はいしか言わない。先生が僕を紹介したときも、みさこちゃんは
「……こんにちは」
しか言わなくて、すぐ顔を背けてしまった。
あんまりお話ししたくないのかしら。それとも、お話しする相手がいなかったのから、お話しする仕方を知らないのかな。
「じゃあ、みさこちゃん、またね」
先生がそう言って背を向けたとき、僕はみさこちゃんへ顔を向けて、バイバイと言おうと思った。みさこちゃんも顔をあげた。みさこちゃんの髪は真っ黒で、つやつやで、腰まであって長くて。その顔は白い、黒目がちの、まるでお人形さんみたいな顔だった。神様が一生懸命、可愛く作ろうとして出来たみたいな。僕は一瞬ぼうっとなってしまって、その拍子にごみに足を取られて転んでしまった。すってんころりんって。
そしたら、僕びっくりした。あの、無口で、口数の少ないみさこちゃんから、くすくすって聞こえたんだ。僕は頭をかきながら、みさこちゃんの方を見た。みさこちゃんもちらと僕を見た。二人で先生に内緒で笑った。そのときだった。
ズドドドド
突然、お相撲さんが大量に走りこんできたみたいな音が響いた。
「なっなにっ」
あんまりびっくりして固まっている僕に、みさこちゃんが駆け寄ってすがりつき、先生が僕らをかばった。何だろう、地面が揺れて、すごい音が聞こえて、地球が滅亡しちゃうのかな。僕がそう思ったくらい、その音と勢いはすさまじかった。そして三階の窓から顔を出したのは、なんと。
「かーちゃん!!」
そう、僕のロボットかーちゃんだった。かーちゃんは火を噴く足のブースターを止めると、みさこちゃんの部屋のバルコニーに降り立った。そして、
「先生、みさこちゃん、申し訳ありません。至急の用があったので、かける君をお迎えに上がりました」
「へっ」
なお先生があっけに取られている。そりゃあ、とられるよね。だって、いきなり人んちのバルコニーに、生徒のお母さんが飛んで迎えにやって来たら。
「わあ」
そこで、僕ははじめてみさこちゃんの嬉しそうな声を聴いた。みさこちゃんはおそるおそるかーちゃんに近づいていって、おそるおそる尋ねた。たぶん、こんなロボットを、初めて見たんだろう。
「ロボットさんは、空を飛べるの?」
かーちゃんはどこでも誰へも偉ぶらない。
いつでもにっこりしたまま。
「はい、そうですよ」
「じゃあ、地球の裏まで、宇宙の果てまで、飛んでいけるの?」
「ええ。あなたはかける君のお友達の、みさこちゃんですか?」
「は、はい」
やや緊張したようなみさこちゃんへ、かーちゃんがお誘いをした。
「今度、我が家に遊びにいらっしゃい。美味しいレモンパイを焼きますよ」
「え、本当?」
「ええ。美味しい紅茶もありますよ。かける君も大好きなんです」
これを聴くと、みさこちゃんは本当に可愛い顔で笑って、行ってみたい、行きたい、って言ったんだ。僕はかーちゃんに驚かされることばっかりだ。かーちゃんは誰のこころももみほぐす、マッサージ屋さんみたいだ。
「では、近々みさこちゃんのこともお迎えにあがりますからね。今はとにかくかける君です。さあ、かける君、私の背中に乗って下さい」
かーちゃんがそう言うので、僕は先生にぺこりって頭を下げたあと、みさこちゃんにまたねって言って、かーちゃんの待つテラスに足を踏み入れた。するとかーちゃんが背中を向けてかがんだ。
「さあ、かける君、乗って下さい」
「う、うん」
僕は、大きくて広いかーちゃんの背中によいしょと乗った。
「よおく掴まっていて下さいね」
そしてかーちゃんは、空を飛んだ。まるで風みたいに、強く、まっすぐに。
雲が手に触れられるくらいに高く飛びあがったら、僕の心の中には怖さよりも面白さがあった。だって、街や山が、うんと小さく見えたんだもの。
「かける君、乗り心地はいかがですか」
「思ったよりいいよ。落ちそうになるのがちょっとだけ怖いけど」
「では、かーちゃんの背中の赤いボタンを押してください」
言われるがままに、僕はかーちゃんの背中のスイッチを押す。すると、
ドドドド
「わあ」
僕は思わず悲鳴をあげそうになった。かーちゃんが巨大化して、駅のビルみたいにおっきくなったからだ。
「すごいね、かーちゃん、こんなことも出来るんだね」
「うふふ」
そこで、僕はやっと言うべき質問を思い出した。
「で、かーちゃん、これからどこに行くの? まさかお星さまでも取りに行くの?」
「違いますよ」
かーちゃんはまた、にっこりした。
「かける君が世界で一番会いたい人に、会いに行くのです」
はっとして、僕はかーちゃんを見つめた。まさか、かーちゃんが僕を連れ出そうとしているところは。
「成田なら、行かないよ」
僕はまたぶすくれて、むっつり顔で言った。
「パパなんて、嫌いだもん」
「では、もし、パパが今日死ぬとしても、そう言えますか、かける君」
かーちゃんの声音は、低く沈んでいた。
「例えば隕石が落ちてきて、地球が明日にでも破壊されるようなことになったら」
「そんなの、ある訳ない」
「ではパパがにわかに病気になってしまったら、明日死んでしまうとしたら、それでも、かける君はパパのことを嫌いなのですか」
僕はかーちゃんの一言に、胸をずきゅって鷲掴みされたような気持ちになった。確かに、僕がパパを嫌うのは、明日も明後日も、ずっとパパが生きているからこそ、出来ることだ。もしパパが死んでしまったら、僕はひどく後悔するのではないだろうか。
「かける君」
かーちゃんが言った。
「成田に、行きましょう」
僕は静かな声で、うん、とだけ呟いた。
◆
成田は人がざわざわと動いて話していて、とにかく騒がしかった。そのうちのAターミナルの端の席に、パパがいるって、かーちゃんが教えてくれた。
「なんでそんなことわかるの」
僕が尋ねると。
「ふふ、かーちゃんの頭には特別なシステムが入っていて、認識したものが今どこにいるかわかるようになっているんですよ」
ああ、そうか。だから僕がみさこちゃんちにいるのもわかってたんだ。かーちゃんは僕をAターミナルの方まで手をひいて連れてきてくれた。確かに、そこにはパパがいた。
「私が出来るのはここまで。あとは、行けますね、かける君」
「……うん」
僕はドギマギしながらパパの方へゆっくり歩いていった。パパは相変わらずスーツを纏って、背筋を伸ばして窓を眺めている。
「パパ」
「かける!?」
パパはびっくりしたようにこちらを見て、その後で、ああ、と笑った。
「お母さんに連れてきてもらったのか」
「うん!」
僕はまるで自慢するかのように思い切り顎を引いた。パパも嬉しそうだった。かーちゃんはきっと紅茶屋さんだ。いつ思い出してもほっと温かい気持ちになれる。
「パパ、あのね」
僕はずっと言おうと思っていたことを、言うか言わないか迷った。言わない方がいいかな、だって、言ってパパが嫌な顔をしたら、僕とても悲しいもの。けれど、そのときふとかーちゃんが僕へ言ったことを思い出したんだ。
『明日、あなたのパパが死んだら――』
「僕、僕……、パパのこと、大好きだよ。だから、一緒に、いたかったんだよ」
その一言がようやく出てきたと思ったら、目から涙もあふれ出ちゃった。僕はごしごしって一生懸命拭きながら、パパの顔をじっと見た。パパはしばらく僕のことを見つめて、その後で立ち上がって、ぎゅってしてくれた。まるでママがよくそうしてくれたみたいに。
「パパ……」
「それを聞けてよかった。ずっとパパも言おうと思ってたんだ。パパも、かけるのこと、大好きだよ」
気づくとターミナルの柱の陰で、かーちゃんが小さく拍手していた。馬鹿だなあ、かーちゃん。かーちゃんのおかげでこうなったんだから、もっと出てきてくれたっていいのに。
『幸福の青い鳥は決してとらえられません』
かーちゃんはそう言った。でも僕はそのとき確かに、青い鳥を捕まえたんだ。そしてパパは飛行機に乗り込んでいった。青い鳥は再び飛び立っていく。そしてまた誰かの肩に止まるだろう。あるいは次はまた僕の肩かもしれない。それは生きてみないと分からないんだねって、そんな話を、帰りのかーちゃんの背中で語った。
「それは大変いいことに気づきましたね」
かーちゃんはにこにこしていた。まるで僕の幸福が、自分の幸福みたいに。
僕のかーちゃん、ロボットかーちゃん。僕はとっても素敵な買い物をしたんだって、思っていた。あの日が来るまでは。
ドアに鍵を差し入れる瞬間はいつもドキドキだ。僕は祈るような気持ちで鍵穴を回す。ガチャン。ああ、やっぱりダメだ。――僕はてんで愛されていなかった。
駅前にある、白い背の高いマンションに僕は住んでいる。そこの十二階、1207号室が僕の家。もっと正しく言えば、僕と、パパの家。だけどパパはあんまり帰ってこない。だからいつも、ドキドキするのだ。鍵がするりと開いたら、パパが帰ってきているあかし。だけど現実はそう甘くない。パパはいつも帰ってこない。そのたびいっつも僕は思うのだ。僕は誰にも、愛されていないんだな、って。
玄関に足を踏み入れドアを開けると、綺麗なリビングが目に入る。綺麗なフローリング、綺麗な赤のソファ。その奥の綺麗な白いキッチン。綺麗で当たり前だよね。だってここにはほぼ、僕しか住んでいないんだもの。
十二歳にして僕は、世界で一人ぼっちだという感情を覚えてしまった。パパがこれで遊びなさいと置いておいた数百のゲームも、もう飽きた。今はもっぱら、飴色の家具が置かれた部屋の、パパのパソコンを勝手にいじっている。どうして? って、僕、怒られたかったのかな。勝手にいじっちゃダメだろ、かける。って、パパに、さ。ほんとは自分でもよく分からないんだ。
電源を入れて、インターネットに繋いで、トップニュースをしげしげと眺める。トップニュースはやっぱり、今この星に来ている流星群のことだ。最近、一世紀に一度くらいの流星群が来ているって、学校でもみんなの噂だ。お友達のしげる君も、夜中に光っては消えていくむすうの流星群を見た、って自慢していた。いいなあ、僕も見てみたい。そしてもし見つけたら、絶対お願いごとをするんだ。僕のママが生き返るようにして下さいって。 ――おや、何か新着メールが来ている。なんだろう。クリックして開いてみる。
【おめでとうございます! あなたに、ロボットかーちゃんが当たりました】
えええ。僕は思い切り困った顔をする。むかし、パソコンの授業で習ったんだ。こんな風に、パパとかママとか、知り合いの人の真似をして、詐欺を働く集団がいる、って。きっと、これもそういう種類のメールだ。そうに違いない。そう思って無視を決め込んだら。
【おめでとうございます】
【おめでとうございます】
【受け取りますか】
【受け取りますよね】
うわわ、メールがメールボックスからあふれ出るように届いちゃった。僕はびっくりして、思わずクリックしてしまった。
【はい、受け入れます】
はああ、やってしまった。……パパは、僕を怒るだろうか。怒ってくれるだろうか。メールはその後で全然来なくなったから、まあ、いいか。そう思って、僕はそれきりメールのことなんか忘れて、リビングにゲームしに向かった。
◆
家では一人ぼっちの僕だけど、学校では友達がたくさんいるよ。
日の色をした学校に登校して、机の椅子をひいて腰掛けると、すぐに仲良しのみんなが僕の席に集まってきた。特にしげる君と太陽君は、一年生の頃から六年の今まで、大の仲良しなんだ。その二人と、他の女の子のお友達も混ざって、仲良くお話しする。話題はやっぱり、人気のゲームと、流星群の話。
「なあ、かける、お前、化け物ウオッチの新しい奴、やった?」
「うん、やったよ。とっても面白かった」
「いいなあ、かけるんちはたくさんゲームがあって。羨ましいなあ」
そうしげる君が言うけど、僕はしげる君の方が羨ましかった。だって僕にはパパもママもいなくて、何も話すこともすることもなくてゲームしているだけだもの。
「あ、そういえば俺さあ」
みんなで化け物ウオッチのにゃん太郎の話をしていた折、太陽君が突然、こう言った。
「俺、昨日すごいでっかい流れ星、見たんだ」
「へえ、本当に?」
女の子の一人がそう尋ねると、太陽君は、うんって思い切り顎をひいた。
「すっごいでっかいんだぜ。火の玉みたいで、綺麗で。裏山に堕ちていったんだ。もう少しでそのまま燃え尽きないで地面に落っこちって、人類がみんな死んじゃうのかと思った。ほら、恐竜みたいにさ」
わはは。みんなが一斉に笑った。まさか。そんなことある訳ない。でも、もし、そうなったら、パパは僕を助けに来てくれるかな。ママも天国から蘇って、抱きしめてこの世の終わりが怖くないようにしてくれるかな。
「はーい、そろそろ授業を始めるよー」
担任のなお先生が教室にやってきて、僕たちの会議は終わった。みんなが席に散り散りに戻っていく。
(いいなあ)
と、僕は思った。
(僕も流れ星、みたいなあ)
◆
蝉のなく道を、アイスを舐めながら帰る。僕の住むこの星にはもう季節がない。僕が生まれた頃は、この日本という国には美しい四季があって、春には桜という花が咲いたり、秋には紅葉って葉っぱが綺麗に色づく現象が起きたりするって、授業で習ったけど。でも。ちきゅうおんだんか? っていうのが原因で、それもなくなって、年中夏になってしまったんだって。僕、実はその絶滅した、桜って花を知ってるんだ。生まれたばかりの僕が、桜の前でママと一緒に写ってる写真があるんだ。桜って花は、桃色に色づいて、雨粒みたいに輝いていて、とっても綺麗だった。もう一度見たいと思う。その桜って花も、ママの笑顔も……。
さあ、また、怖い怖い瞬間がきた。ちょっとだけ、身震いする。僕とパパのマンションに着いたのだ。1207号室の前に立ち、鍵穴に鍵をさしいれる。きっと、ダメだ。また、ガチャンってなるに決まってる。そう思った、のに。
するっと、鍵はあいてしまった。
え? パパ?
僕はまるで自分のテストのいい点が、こっそりわかっちゃった時のように、わくわくして、ドキドキした。夢みたいに思った。
「パパっ」
僕が大声を出して部屋に入ると。ぶおおおんって掃除機の音。え? って僕は疑問に思った。パパって、お掃除好きだったっけ。キッチンからはいい匂いが漂ってきて、床も磨きこまれていて、僕は一瞬、ママが帰ってきたのかと思っちゃった。そんなこと、ある訳ないのに。
「パパ……?」
恐る恐るリビングの奥へ向かうと。
「ひっ」
そこでは、銀色の顔をした、苺エプロン姿の、女のロボットが掃除機をかけていた。
「ひっ、あなた、だれ……」
「あなたがかける君、ですね?」
ロボットは口角をぎこちなく上げると、掃除機を置いて、こちらへ歩み寄ってきた。
「ひいいいいい」
「私はNY-ロボット306です。このたびはお買い上げありがとうございました。まだまだ不慣れな私ですけれど、なにとぞよろしくおねが、かける君?」
「ひぎゃああ」
僕はしばらく声が声にならなかった。だって、君だってそうでしょう。誰もいないはずの家に入ったら、まるで昔のアニメウルソラマンみたいな、銀色の体のロボットが、こちらへギオンギオン音たてて迫ってくるんだから。
「なっなんなのさ、怖い! もう、出てってよ! 出てって!」
震えた声で叫ぶと、ロボットは「……はい」と素直に頷いて、家を出ていった。ちゃんと、ことこと煮たてた鍋の火を消して。
僕は息と心臓の鼓動を整えるのにいっぱいいっぱいだった。なに、なんだ、あれ。ロボットは、確かに町中にいっぱいいるけれど、みんな見た目は普通の人間と変わりない、はず。なのにあのロボットは歩く時ギオンギオン音がしたし、体も銀色だし、きっと、古い型なのかも。それがどうして僕の家へ……あ! 僕はそこでこないだの、あの謎みたいなメールを思い出した。もしかして。
「あれが、ロボット、かーちゃん?」
そう思ったとき、僕は玄関へ駈け出していた。そろそろーっと、あたりをうかがう。ロボットかーちゃんは、確かにドアの外にいた。まるで廊下に立たされた人間みたいに、ちょっと寂しそうに。
「ね、ねえ、おばさんがロボットかーちゃん、なの?」
「はい、そうですよ」
ロボットは明るい声音で言って頷いた。声だけは普通の人間みたいだった。
「私がロボットかーちゃんです。よろしくお願いします。かける君」
それからロボットは。
「かける君の夕飯を作りたいのです。中に入れてもらえませんか?」
あんまり僕はびっくりしすぎて、素直にいいよ、と部屋に招いてしまった。
◆
かーちゃんは、手慣れたように手刀で人参を切っていく。僕はそれを唖然として見つめながら。
「……何を作っているの」
と訊いた。ロボットはにこにこして答える。
「今栄養たっぷりのスープを作って、お出ししますからね」
そのロボットはまるで笑っているかのように口角をあげて、スープの鍋をゆっくりとかき回している。
「ごはんの準備は、かける君と私とお父様の分でいいですか」
「……二人分でいいよ」
この一言に、僕は眉をちょっと怒らせてロボットを見た。ロボットはぼんやりこちらを見ている。
「でも、かける君はお父様と住んでいるのですよね?」
「住んでなんかないよ!」
僕はぴしゃりと言い切ると、喉に弾みがついてどんどんこらえていた怒りがこみあげてきた。
「パパなんか僕にはいないよ! パパはママが病気で病院にいるときに、一度もお見舞いに来なかったって、パパは仕事がママより大好きなんだって、親戚のおばさんが言ってたもの!」
「……」
「だから、僕には……」
気が付けば僕の眼からは涙があふれていた。それと呼応するように思いがあふれて声になる。
「僕には、パパなんて、いないんだ。いたとしても、僕もママも、パパに愛されてなんかいなかったんだ……」
えっく、えっく。嗚咽まであげて泣きだした僕。止まれって念じているのに、ちっともこの目は涙を生み落とすことをやめない。そうだ。そうだった。何を夢見ていたんだろう。僕はパパになんか愛されていない。何を緊張していたんだろう。僕のパパへのドアは、きっと、一生開かないんだ。
「かける君」
ロボットが何か言いかけたとき。がちゃり。ドアの開く音がした。
「かける?」
ドアから出てきたのは、パパだった。白いワイシャツに、ストライプのスーツを纏って、黒々とした髪を撫でつけて。よくクラスのみんなに、
「いいなあ、かけるのパパは。かっこいいよなあ」
って言われる、そのかっこいい顔つきを少しくもらせて。こっちへ向かってきた。
「パパ……」
パパは茫然とする僕と、ロボットを交互に見回して、
「かける、この人は」
と短く訊いた。僕はぶすくれて、何も言えない。代わりにロボットが。
「こんにちは、かける君のお父様の、譲二さんですね」
と尋ねた。パパは、ええそうですが、と頷く。
「私はかける君にご注文頂いた、ロボットかーちゃんという者です。かける君を幸せにするためにやってきました」
「は、はあ」
怒ってよ、パパ。どうして僕の眼を見ないのさ。どうして。
(勝手にこんなの頼んじゃダメだろ、かける)って、
(かけるには、ママがいなくてもパパがいるだろ)
って、言ってくれないのさ。
「そうですか。これ、お菓子です。よかったらかけると食べて下さい。私は仕事がありますので、これにて」
「……はい、ではお気をつけていってらっしゃいませ」
ガチャン
パパはそう言って、またこの家を出ていった。僕はもうぽかーんとしてしまって、その後でロボットがもらったお菓子を見つめた。
「ねえ、おばさん、それ」
黙っていたロボットが、また口角をあげたようだった。
「これ、今食べちゃいましょうか。おやつ、まだ食べていないでしょう?」
◆
このロボットかーちゃんは、僕の大好きな紅茶も上手に淹れられるらしかった。リビングの飴色のテーブルにロボットと紅茶を挟んで向き合う。茶葉からたてる紅茶なんて僕は久しぶりで、飲むと僕はふうと、やっと息がつけるような気がした。
「あのさ、おばさん」
「……はい、何ですか」
「おばさんは僕を幸せにするためにやってきた、って、言ってたよね」
ロボットは銀の顔に埋め込まれた金色の四角い眼で、僕をまっすぐ見つめた。
「はい、そうですよ」
「じゃあ、じゃあさ」
僕はためらいがちに問うた。
「僕のもとに、パパを返せるの」
それからは、琥珀の紅茶の湖面が涙でまた映らなくなった。
「だって、さっき僕を幸せにするためにやってきたって、言ったでしょう? なら僕はやっぱり、ママもパパもいない、不幸な子って、おばさんは思ってるってことだよね……?」
これにロボットはしばらく黙っていた。それから、立って、紅茶のポットに少しお湯をさし、再び僕の前に座った。
「確かに、かける君はあんまり幸せには、見えませんでした。でもそれは、外側から見たからではないんです。内側から見たかける君が、私には不幸に見えたんです」
「内側? それってどういうこと」
僕が小首を傾げると、ロボットかーちゃんは順序よく話し始めた。
「まず、外側というのは、かける君というからだを囲んだ環境のことです。それは、かける君を不幸には見せません。だって、そうでしょう。かける君にはおうちがあり、ゲームがあり、かっこいいパパがいてくれる、って他の人には見えているし、それはほとんど、事実でしょう」
確かに、と僕は思わず身を乗り出して納得してしまった。確かに、そうかもしれない。僕は学校に行くと、
「背の高い、かっこいいパパがいていいね」とか、
「素敵なおうちに住んでいて、いいね」
とか、
「ゲームがたくさんあって、いいね」
なんて言われるもの。少なくとも人から見たら、僕は幸せに見える、のかもしれない。本当はそうじゃないのに。そう思ったあとで、僕は再び質問をした。
「じゃ、じゃあさ、内側、っていうのは」
「それはほら、これです」
ロボットかーちゃんが、おもむろにパパの買ってきたドーナツの袋をあけた。
「……」
その中身に、僕は思わず黙ってしまった。そこにはチョコのかかったドーナツとクリームの入ったドーナツが二つずつ、入っていた。チョコのとろりとかかったドーナツは僕の好きなやつ。クリームの入ったドーナツは、……パパの好きな、やつ。
「ここのドーナツって、私のブレイン情報によると、すごく並ぶんですよ。それでも、その時間を惜しまずに、あなたのパパは並んでくれた。そして、あなたの好きなドーナツと、ご自分の好きなドーナツを、買ってきてくれた。きっと、お仕事が終わったら、二人で食べようと思っていたんでしょう。おかわり分も、ちゃんと用意して」
「そう、なの」
「そうですよ。だからかける君」
ロボットかーちゃんが、袋をしめて、にっこりと、笑った。
「幸せというものは外側からでは推し量れない。内側から気づいていくしかないんです。幸せの青い鳥はずっと籠に入れておくことは出来ません。ただ、思ったよりずっと身近にいる、ということに、気づいて知っておけばいいんです」
「パパはじゃあ……僕を、愛してくれて、いるの……かな」
僕はもう涙で視界もゆがんで、唇をかみしめて、こう尋ねた。かーちゃんはにっこりして、答えた。
「そういう風に口に出せるようになっただけで、あなたはもう、さっきよりずっとずっと幸福ですよ」
僕はわ、と思い切り泣いてしまった。かーちゃんはそんな僕を優しく見つめていた。水玉のハンカチをテーブルに載せて、ずっとずっと、涙が止まるまで、見つめてくれていた。
僕の新しいかーちゃんは、死んだママとはそっくりじゃない。少なくとも僕のママは、お料理がちょっとへたっぴで、栗毛のいい匂いのする髪をさらさら揺らして、僕をあやすのが大好きだった。死ぬそのぎりぎりまで、僕をあやしてくれていた。
このかーちゃんは、どうだろう。まだ分からない。だけど、なんとなくわかるんだ。僕たちはきっと仲良しになれる。外側だけじゃなく、内側から、きっと。
◆
翌日、学校に行くと、なお先生からプリントが配られた。授業参観のお知らせだって。一か月後の、平日。きっとパパは来られないだろう。かーちゃんは、来てくれる、かな。まあ、来てくれても、みんなびっくりしちゃうから、来なくたって、いいけれど。僕はその後で、なお先生から空き教室に呼び出された。お掃除が終わって、僕は急いでそこに向かった。なお先生は、たくさんのプリントを持っていた。てっきり僕はテストを持っていて、僕の点数が悪くて怒られるのかと思ったけど、そうじゃなかった。
「かける君、じつは、お願いがあるの」
そう言って、なお先生は僕にプリントを手渡した。
「明後日の放課後、先生といっしょにみさこちゃんのおうちに来て欲しいの」
え? と僕はあっけにとられた。どういうことだろう。そんな顔でなお先生を見つめていると、なお先生がちょっと悩んでいるような口ぶりで告げた。
◆
「ほお、つまり、あんまり学校に来られておらず、お友達もいないように見えるクラスメートのみさこちゃんに、先生と会いに行って、お友達になってくる、ということを頼まれたのですね。すごいじゃないですか」
家に帰って、オレンジの灯りのもと晩餐を囲みながらかーちゃんと語らう。
「すごい? そうかな。僕はちょっとやだなあ。みさこちゃんなんて、ほとんど見たことないし、おしゃべりしたこともないんだもの」
「だけど先生は、そんなみさこちゃんとも友達になれそうなくらい、かける君を優しくて明るくていい子だと思っている、ということでしょう」
「そうかな」
ちょっと考え込む僕へ、そうですとも、とかーちゃんがにっこりした。
「信頼できない生徒さんには任されないお仕事ですよ。頑張って下さい」
「そう、かな」
僕はかーちゃんの言葉もまあ、一理あるかなあと思い、なんだか気恥ずかしくなった。確かになお先生は、かける君にぜひお願いしたいの、と何度も何度も言っていた。
「その、みさこちゃんって子はね、しげる君が言っていたけど、お母さんがいなくて、いつも家でも学校でも一人ぼっちで、寂しい子なんだって」
「あら、少し似ている人がいますね」
もう、と口を挟むかーちゃんに僕は怖い顔をする。
「だったらますます、その子を助けてあげなくてはなりません。かける君は、寂しい子の気持ちがわかる優しい子だと思っています。だからそのみさこちゃんのことも、思いやってあげられるといいですね」
「……うん」
◆
その夜。かーちゃんとリビングでごろごろしていると、珍しくパパが帰ってきて、ソファに座った。このテーブルからはパパの後姿しかみえない。パパはこれ、とドーナツの袋をかーちゃんに手渡したかと思うと、思い悩むように苦い顔をして、その後でとんでもないことを口にした。
「かける、実はお父さんな、今度ニューヨークに出張しに行かなくてはならなくなったんだ」
「えええっ」
一瞬にして僕の顔色は奪われた。驚きと悲しみ、その後でほんのりと怒りが。
「まあ、ニューヨークとは大変ですね。いつの便でどのくらい行かれるのです」
かーちゃんがお茶を入れてソファ前のミニテーブルに置く。
「予定では二週間なんですよ。あさっての夜にはもう行かなくてはならない」
あさっての夜……。そんな急に、僕に何も言わないで……。やっぱりパパは……。僕の怒りは鍋にかけられたお湯みたいに、ぶわぶわ沸騰し始めた。
「少し、寂しいかもしれんが、かけるなら、我慢できるよな」
「……出来ないよ!」
僕の大声に、パパは驚いて目を見開いた。
「パパは、どうして一緒にいてくれないの!僕、もう離れるのいやだ。パパはやっぱり、僕よりお仕事が大事なんだ」
「かける、そうじゃないんだ。お土産もたくさん買ってくるから」
「もう、いいよ。何もいらない」
だって僕が欲しかったのは、パパとの時間だもの。
僕はパパのこともかーちゃんのことも無視して、部屋に入った。パジャマに着替える。どうしたらいいんだろう。こころに穴ぽこがあいてしまって、それを埋めようとしても傷口はどんどん深まるばかりだ。どうしたらいいんだろう。やっぱり僕より、パパはお仕事が、大事なんだろうな。悲しい思いが僕を満たしていく。
「かける、起きているか」
途中、何度もノックが聴こえたけれど、出てやるもんかと僕はそれを無視した。そのまま朝になった。
◆
そしていよいよみさこちゃん家に行く日がやってきた。そして、パパがニューヨークに行く日にも、なった。
なお先生の小さな黄色の車で、みさこちゃんちに向かう。なお先生はいつも笑顔の優しい先生だけれど、今日はなんだか、誰かが悪さしたときみたいな、きびしい顔をしていた。きっと、緊張しているんだ、と思った。
「かける君?」
先生はハンドルを切りながら、ぽつぽつ、と言葉を紡ぎ始めた。
「これは、先生とお約束してほしいのだけど」
「うん」
「みさこちゃんのどんな姿を見ても、どんなおうちの中を見ても、決して、顔や態度に出さないようにしてほしいの」
「え……」
突然の言葉に、僕はびっくりして、先生へ視線を送った。どういう意味? という戸惑いの視線を。
「あのね」
先生はためらっているみたいに、ゆっくりと話し出した。
「あまり詳しいことは言えないけれど、みさこちゃんのおうちは複雑なの。かける君ちみたいに、優しいパパと、ママがいてくれる、そういう家庭ではない、ってことだけ、覚えていて欲しいの」
「……僕んちだってパパは優しくないよ」
「え?」
なお先生の戸惑い顔に、僕はなんでもありません、とだけ言って顔をうつむけた。そう、僕のパパは、優しいって信じたくとも信じられないパパだ。真っ白なキャンバスに、優しい絵をいくら描こうとしても、怪しい黒雲がやってきて、それを塗りつぶしてしまうみたいに。そしてその黒雲が僕の顔にかかって、涙を流させるように。
「……でも、かける君は、幸せね」
「なんで」
心配そうにこちらをうかがっていた先生が、いきなりこんなことで口をきった。
「先生ね、今日のことをお知らせしなくては、と思って、かける君の家にお電話したの。そしたらとっても優しい声のお母様が出て、こころよくこの話を承知して、よろしく願いしますって、何度も言って下さったのよ」
「僕の、かーちゃんが?」
「そう」
僕はなお先生のほころんだ顔を見つめて、つくづくかーちゃんは不思議だ、と思った。かーちゃんといると、誰も嫌な気分にならない。むしろ、あったかい紅茶を淹れてもらったみたいに、ほかほかして、あたたかい気持ちになれる。それはなぜなんだろう。最近の無口な、冷たい、自分の任務だけ頑張るロボットとは、何か違うみたいだ。かーちゃんは古い型式のロボットだから、そういうハイテクなロボには何もかも劣っているはずなのに。
「着いたわ」
それから十分くらいして、先生の車があるおうちに止まった。僕はびっくりして、しばらく口をあけはなしてしまった。みさこちゃんちは、白い、輝くヨーロッパの宮殿みたいにすごいお屋敷だったから。
「すごいね、ここ。先生」
そう言いたかったけれど、危ない危ないと、僕は自分の口にストップをかけた。みさこちゃんにまつわる何をみても、それを態度に出しちゃいけないんだった。
先生が高い門についたインターフォンを押す。すると、エプロンを纏った、おばあちゃんくらいのお手伝いさんが出てきて、こちらをじろじろと見すえて口を開いた。
「はい、みさこお嬢様はご在宅ですが、ご用件は」
「あの、私、みさこさんの担任の者です。こちらはクラスメートでみさこちゃんと仲良しのかける君です。みさこさんがお休みしているときのプリントや宿題を持ってきたので、お届けしたいのですが」
「……はあ」
その、いかにも僕たちを迷惑がっているお手伝いさんが、屋敷を案内する。中は本当にきらめくように光っていて、壺やお皿や、油絵の大きいのが、昔の宮殿みたいにところせましと並べられていた。ただ、ひとつ僕は気が付いた。中はエプロンをかけたお手伝いさんたち以外誰もいなくて、僕んちのかーちゃんみたいに、よろしくお願いしますなんて頼むひとも、てんで見えなかった。
「お嬢様、クラスのお友達がいらっしゃいました」
「……はい。御通しして」
ホワイトチョコレートみたいなドアが開く。そこで僕はまたびっくりした。お部屋の中は、まるで地球のごみをあらかた詰め込んだみたいに、汚くって、床も足を踏み入れるスペースがなかった。
「こんにちは、みさこちゃん」
先生が机で俯くみさこちゃんにいろいろと話しかける。僕はごみに気を取られてしまって、あまり会話に入ることが出来なかった。そのうち、僕はごみの中から真実を見つけた。大量に敷き詰められたごみは、みんながうらやむものばかりだった。化け物ウオッチの数量限定販売品、高くてママもなかなか手が届かないって、クラスのかなちゃんが言っていたブランドのお洋服。他のおもちゃもお人形も、高級そうな地球儀も、みいんな真新しくて、きっとみさこちゃんは、これを与えられてもちっとも使っていないんだって、すぐに分かった。それをちっとも、みさこちゃんは喜んでいないってことも、僕にはわかった。
眼で真実を見つけ出した僕は、今度は耳で真実を探す。先生とみさこちゃんの会話はうまくいっていないようだった。先生が優しい声で、優しいことを言っても、みさこちゃんはうん、とか、はいしか言わない。先生が僕を紹介したときも、みさこちゃんは
「……こんにちは」
しか言わなくて、すぐ顔を背けてしまった。
あんまりお話ししたくないのかしら。それとも、お話しする相手がいなかったのから、お話しする仕方を知らないのかな。
「じゃあ、みさこちゃん、またね」
先生がそう言って背を向けたとき、僕はみさこちゃんへ顔を向けて、バイバイと言おうと思った。みさこちゃんも顔をあげた。みさこちゃんの髪は真っ黒で、つやつやで、腰まであって長くて。その顔は白い、黒目がちの、まるでお人形さんみたいな顔だった。神様が一生懸命、可愛く作ろうとして出来たみたいな。僕は一瞬ぼうっとなってしまって、その拍子にごみに足を取られて転んでしまった。すってんころりんって。
そしたら、僕びっくりした。あの、無口で、口数の少ないみさこちゃんから、くすくすって聞こえたんだ。僕は頭をかきながら、みさこちゃんの方を見た。みさこちゃんもちらと僕を見た。二人で先生に内緒で笑った。そのときだった。
ズドドドド
突然、お相撲さんが大量に走りこんできたみたいな音が響いた。
「なっなにっ」
あんまりびっくりして固まっている僕に、みさこちゃんが駆け寄ってすがりつき、先生が僕らをかばった。何だろう、地面が揺れて、すごい音が聞こえて、地球が滅亡しちゃうのかな。僕がそう思ったくらい、その音と勢いはすさまじかった。そして三階の窓から顔を出したのは、なんと。
「かーちゃん!!」
そう、僕のロボットかーちゃんだった。かーちゃんは火を噴く足のブースターを止めると、みさこちゃんの部屋のバルコニーに降り立った。そして、
「先生、みさこちゃん、申し訳ありません。至急の用があったので、かける君をお迎えに上がりました」
「へっ」
なお先生があっけに取られている。そりゃあ、とられるよね。だって、いきなり人んちのバルコニーに、生徒のお母さんが飛んで迎えにやって来たら。
「わあ」
そこで、僕ははじめてみさこちゃんの嬉しそうな声を聴いた。みさこちゃんはおそるおそるかーちゃんに近づいていって、おそるおそる尋ねた。たぶん、こんなロボットを、初めて見たんだろう。
「ロボットさんは、空を飛べるの?」
かーちゃんはどこでも誰へも偉ぶらない。
いつでもにっこりしたまま。
「はい、そうですよ」
「じゃあ、地球の裏まで、宇宙の果てまで、飛んでいけるの?」
「ええ。あなたはかける君のお友達の、みさこちゃんですか?」
「は、はい」
やや緊張したようなみさこちゃんへ、かーちゃんがお誘いをした。
「今度、我が家に遊びにいらっしゃい。美味しいレモンパイを焼きますよ」
「え、本当?」
「ええ。美味しい紅茶もありますよ。かける君も大好きなんです」
これを聴くと、みさこちゃんは本当に可愛い顔で笑って、行ってみたい、行きたい、って言ったんだ。僕はかーちゃんに驚かされることばっかりだ。かーちゃんは誰のこころももみほぐす、マッサージ屋さんみたいだ。
「では、近々みさこちゃんのこともお迎えにあがりますからね。今はとにかくかける君です。さあ、かける君、私の背中に乗って下さい」
かーちゃんがそう言うので、僕は先生にぺこりって頭を下げたあと、みさこちゃんにまたねって言って、かーちゃんの待つテラスに足を踏み入れた。するとかーちゃんが背中を向けてかがんだ。
「さあ、かける君、乗って下さい」
「う、うん」
僕は、大きくて広いかーちゃんの背中によいしょと乗った。
「よおく掴まっていて下さいね」
そしてかーちゃんは、空を飛んだ。まるで風みたいに、強く、まっすぐに。
雲が手に触れられるくらいに高く飛びあがったら、僕の心の中には怖さよりも面白さがあった。だって、街や山が、うんと小さく見えたんだもの。
「かける君、乗り心地はいかがですか」
「思ったよりいいよ。落ちそうになるのがちょっとだけ怖いけど」
「では、かーちゃんの背中の赤いボタンを押してください」
言われるがままに、僕はかーちゃんの背中のスイッチを押す。すると、
ドドドド
「わあ」
僕は思わず悲鳴をあげそうになった。かーちゃんが巨大化して、駅のビルみたいにおっきくなったからだ。
「すごいね、かーちゃん、こんなことも出来るんだね」
「うふふ」
そこで、僕はやっと言うべき質問を思い出した。
「で、かーちゃん、これからどこに行くの? まさかお星さまでも取りに行くの?」
「違いますよ」
かーちゃんはまた、にっこりした。
「かける君が世界で一番会いたい人に、会いに行くのです」
はっとして、僕はかーちゃんを見つめた。まさか、かーちゃんが僕を連れ出そうとしているところは。
「成田なら、行かないよ」
僕はまたぶすくれて、むっつり顔で言った。
「パパなんて、嫌いだもん」
「では、もし、パパが今日死ぬとしても、そう言えますか、かける君」
かーちゃんの声音は、低く沈んでいた。
「例えば隕石が落ちてきて、地球が明日にでも破壊されるようなことになったら」
「そんなの、ある訳ない」
「ではパパがにわかに病気になってしまったら、明日死んでしまうとしたら、それでも、かける君はパパのことを嫌いなのですか」
僕はかーちゃんの一言に、胸をずきゅって鷲掴みされたような気持ちになった。確かに、僕がパパを嫌うのは、明日も明後日も、ずっとパパが生きているからこそ、出来ることだ。もしパパが死んでしまったら、僕はひどく後悔するのではないだろうか。
「かける君」
かーちゃんが言った。
「成田に、行きましょう」
僕は静かな声で、うん、とだけ呟いた。
◆
成田は人がざわざわと動いて話していて、とにかく騒がしかった。そのうちのAターミナルの端の席に、パパがいるって、かーちゃんが教えてくれた。
「なんでそんなことわかるの」
僕が尋ねると。
「ふふ、かーちゃんの頭には特別なシステムが入っていて、認識したものが今どこにいるかわかるようになっているんですよ」
ああ、そうか。だから僕がみさこちゃんちにいるのもわかってたんだ。かーちゃんは僕をAターミナルの方まで手をひいて連れてきてくれた。確かに、そこにはパパがいた。
「私が出来るのはここまで。あとは、行けますね、かける君」
「……うん」
僕はドギマギしながらパパの方へゆっくり歩いていった。パパは相変わらずスーツを纏って、背筋を伸ばして窓を眺めている。
「パパ」
「かける!?」
パパはびっくりしたようにこちらを見て、その後で、ああ、と笑った。
「お母さんに連れてきてもらったのか」
「うん!」
僕はまるで自慢するかのように思い切り顎を引いた。パパも嬉しそうだった。かーちゃんはきっと紅茶屋さんだ。いつ思い出してもほっと温かい気持ちになれる。
「パパ、あのね」
僕はずっと言おうと思っていたことを、言うか言わないか迷った。言わない方がいいかな、だって、言ってパパが嫌な顔をしたら、僕とても悲しいもの。けれど、そのときふとかーちゃんが僕へ言ったことを思い出したんだ。
『明日、あなたのパパが死んだら――』
「僕、僕……、パパのこと、大好きだよ。だから、一緒に、いたかったんだよ」
その一言がようやく出てきたと思ったら、目から涙もあふれ出ちゃった。僕はごしごしって一生懸命拭きながら、パパの顔をじっと見た。パパはしばらく僕のことを見つめて、その後で立ち上がって、ぎゅってしてくれた。まるでママがよくそうしてくれたみたいに。
「パパ……」
「それを聞けてよかった。ずっとパパも言おうと思ってたんだ。パパも、かけるのこと、大好きだよ」
気づくとターミナルの柱の陰で、かーちゃんが小さく拍手していた。馬鹿だなあ、かーちゃん。かーちゃんのおかげでこうなったんだから、もっと出てきてくれたっていいのに。
『幸福の青い鳥は決してとらえられません』
かーちゃんはそう言った。でも僕はそのとき確かに、青い鳥を捕まえたんだ。そしてパパは飛行機に乗り込んでいった。青い鳥は再び飛び立っていく。そしてまた誰かの肩に止まるだろう。あるいは次はまた僕の肩かもしれない。それは生きてみないと分からないんだねって、そんな話を、帰りのかーちゃんの背中で語った。
「それは大変いいことに気づきましたね」
かーちゃんはにこにこしていた。まるで僕の幸福が、自分の幸福みたいに。
僕のかーちゃん、ロボットかーちゃん。僕はとっても素敵な買い物をしたんだって、思っていた。あの日が来るまでは。
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・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
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