憎し憎しや皇帝陛下

みや いちう

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お前を守る

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 一方の龍王皇太子殿下は、それから一刻ののち、なぜか知らぬ屋敷の四阿で、一人の女と向かいあい、座らせられていた。見合いである。
(くそ……何でこの俺がこんなことに……ああ、早く釣りがしたい本が読みたい釣りがしたい本が読みたい)
「あ、あの」
 向かい合うおなごは白い髪を腰まで波打たせた、なかなかお目にかかれぬ美女の様相であった。その碧色の瞳が、緊張によってかより一層見開かれているのを、龍王は悪しくは思わなかった。けれど自分は釣りがしたい。
「あ、あの、龍王、殿下……」
「なんです」
「あ、いえ、何でもございません」
「言ったらいいでしょう。何かこの私が、あなたのこころの琴線に触れたものでもありましたか」
「あ、でも、いいのです。すいません」
おなごが何か問おうとしているのを、ふいにいじらしく思ったのが運のつきで、龍王と彼女はしばし言葉を交わすことになった。
「姫は、ご趣味は」
「あ、筝を少々いたします」
「へえ、今度聞いてみたいものです」
「え、あ……はあ。殿下の御為なら、一生懸命、つとめます……」
 ん? 何だこの返事。と思ったのも一瞬で、龍王は自分がとんでもないことを口走ったと悟った。男女が筝をかき鳴らし聞き入るのは、たいてい月あらかな夜、つまり夫婦になったあかしである。ようするに、今龍王は。
「あなたと契りを散々交わしてから筝を聞いてみたい。外つ国の故事のように」
と言ってしまったようなもの。
(おい、解釈に若干の悪意を感じるぞ)
 龍王は解釈を憎たらしく思いつつも、頬を紅潮させ、ぺこぺこと頭を下げる姫に興味を惹かれてならなくなった。ふいに、いずこから視線を感じたが、振り向いた先には竹林しかなかった。
「私は読書が趣味なのだが、姫様は何か、おありか」
「私は、草紙のたぐいも好きなのですが、古来の兵法も面白いとも思っています」
 同じだ!! そう思うと、龍王の胸は乙女のように高まった。自分も古今の草紙が好きだ。古来の兵法も、別に皇帝候補だからではなく、趣味の一環で読むことを嗜好としている。
(って駄目だダメだ! ここで姫を娶っては、あの伯母上の言いなりになってしまう! 断れ自分! 何か、何かいい策はないか。あ……)
 我を取り戻した龍王は、四阿より少し足を伸ばして、蓮の咲く庭へと姫を連れ出した。
「姫は……私に皇帝になって欲しいと思われるか」
龍王は姫からわざと視線をずらしてそう尋ねた。姫は間髪おかず答える。
「は、い」
 途端に龍王を落胆が襲った。やはりこの女もしょせん、欲に眼がくらんだだけ。皇帝になりうる男のみを欲する、つまらん女だったか。そのまま踵を返して四阿に戻ろうとした。そこで姫を見て龍王はぎょっとした。
姫が美しい碧眼から次々しずくを零していたのであった。それは深い碧色に打ち沈んで、宝玉のようにこぼれてくる。
「これを、ご覧なさい、ませ」
 姫は真っ白な頭髪から、ふいに二十本ほど髪の毛を掴んだ。そのすべてが黒髪であった。だが、中途からま白く染め変わっている。これは、あまりの心痛に色が変じたとみるべきであろう。
「いったい、どうして……」
 龍王が思わず言葉に詰まると、姫は弱々しく首を振って。
「この皇太子争いに巻き込まれ、父は、殺されました……父は、父はあなた様のことを常々敬い、先の王にも直言してきました……次の王になるのは、あの御方しかいない、と」
 そうだったのか……。確かに、龍王自身、あの冷酷な皇子たちではなく、自分に王位を譲るべきだと、主張してくれた家臣たちがいるとは、かねてから聞いていた。けれど自分はそれに積極的に参じる訳でもなく、ただわれ関せずと、黙殺していたに近い。面倒ごとはごめんとばかりに。命を賭して自分を立ててくれた家臣のことなど、まるで一顧だにせず――。
「父を殺したのは、父を目障りに思われたあの三人の皇子のどなたかです。ゆえに私は、あなた様に帝位を継いで頂きたい……そして」
 涙をぬぐう白い手も追い付かぬほど、歔欷しながら姫は願った。
「優しい世を、誰もが優しくあれる世を、あなた様に作って頂きたいのです……私のような目に遭う者を、なくして頂きたいのです」
「姫……」
 その慈愛と、強さに、思わず龍王は姫の手を握っていた。それから、世にも優しい声音で。
「わかった。俺がどこまでやれるかはわからんが、だが俺は……お前の力になりたい」
 姫が一瞬、くすり、と微笑んだ気がした。しかしすぐに彼女は、うるさい程の歔欷のした涙をぬぐいぬぐい。
「ありがたき、お言葉にございます……」
 その時であった。強い一陣の風が吹き、最高にいい雰囲気の二人の頭髪を揺らした。すると姫の頭髪が、ずるりと湿った土に落ちた。
「え……」
 龍王は驚いて姫を見つめた。姫の頭髪は、碧色の短髪であった。そしてやべ、と思わず口走った声色は、いつぞや自分を散々いじめてきた、あの乙女の声であったのである。龍王はしばし呆然としたあと。
「ま、まさか、お前、碧玉?」
「ちっ、ばれたか。せっかくおばさまに命を頂いたのに、ばれたら仕方ないわね」
あの清らかな乙女が、今舌打ちした!! 龍王の甘い幻想はがらがらと音たてて崩れ去った。碧玉といえば、幼馴染といえば聞こえはいいが……。常日頃彼女に使い走りやいじめに徹された。彼女は常に龍王をいじめ、そのたびほほほと高笑いする。なんとも意地の悪い女、としか脳裏に残っていない。
「だってお前、筝もやるし、草紙も読むし兵法も読むって、あれまさか全部作り話だったのか!!」
これに碧玉がはん、と蔑むようなまなざしで竜王を見やる。
「まったく、皇太子になっても変わってないのね、あんた! あいも変わらずおしとやかぶる女に弱いことね! 私だって、筝はやるわ。敵がいたらあれで殴り殺せるし。草紙も好きだわ。いい男がいたらどう落とすべきか、先人の知恵が詰まっているでしょう。兵法は喧嘩になったら使えるしね」
「さっきのさっきまで運命を感じていた俺に謝れ! なんだ、まるっと全部嘘か! なんて女だ」
 顔も見たくない、とっとと出ていけ……。そう叫ぶはずだったのに、龍王の手は知らず知らず、碧玉の腰に回っていた。碧玉は、無論激高する。
「何すんのよお、この変態!! とっとと手を離しなさいっこの、むらむら男っ」
「馬鹿っ! かがめっ」
 風を切る弓はじきの音が聞こえ、二人は思わず身を低めた。二人の足元に弓矢が刺さり、刺された草葉はどろりと溶けていった。
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