憎し憎しや皇帝陛下

みや いちう

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人質

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「遅いわよ龍王! もう伯母さまはずいぶんとお待ちかねよ!」
 朝食の間に入った龍王に、さらにげんなりさせられる出来事が見舞った。なんとあの果林公主がわざわざ出向き、この新婚夫婦を訪なったのだ。果林公主は朱の外つ国風の打掛を纏い、化粧も派手やかで竜顔に神秘的な雰囲気を醸していた。常は質素倹約を旨とする伯母上には珍しいことだ、と、龍王は思った。
「伯母上、お待たせして申し訳ありません。それで、御用は……」
「あら、何か用がなくては甥御のもとを訪れてはならないとおっしゃるのですか? まあ、確かに御用はございましたけれど」
「それは、何なのです」
「単刀直入に申し上げます」
 果林は一層冷ややかな声音で、こう告げた。
「御顔がお父上似のあなたのこと、子作りは済んだのでしょうね」
 がくうっと、思い切りうなだれた龍王。碧玉などは鼻血を出し失神しかけている。さらにそのあとを畳かけるように。
「あら、まさかまだなんですの?」
「ええ、それがまったく」
 困惑する伯母に、侍女である凛鳴が冷たく同意する。
「同衾といえばいいものの、褥を同じくしても、事には及びません。殿下がお手をお出しになりませんの。これも殿下が腑抜けゆえ、だと思われるのですが、まったく理解できません。男に生まれたことを無駄にしていらっしゃいます。いかにしたらよいでしょう」
「ああ、嘆かわしいこと……龍王殿下のお父君は姉であろうが、妹であろうが男であろうが何でもお手をおつけになったのに……!」
 え……最後に今何と……龍王は思わず肩をさする。というか、凛鳴。
「凛鳴! お前何言っているんだ! 何でつぶさに見聞きしたみたいに知っているんだ」
「私はお姫様世専属の薬師であり、侍女でございますよ。何でも知っていなければ、よいお薬もアドバイスもおだし出来ないではありませんか。ただちょっと夜中お部屋に忍び込んでいるだけでございます」
「とりあえず夜中は出ていけ! まったく、朝から調子の狂う……」
 龍王がため息を重ねると、果林もまた別の意味でと息を落として。
「龍王殿下? かつてこの香羅国では、恐ろしい行事がございましたのよ。皇帝候補に、一夜に五十人の女をあてがって、孕むまで続けるという……」
 ひいいと碧玉が顔に手をあて悲鳴をあげる。おやめください、と龍王。
「そんなの今やっているのは義兄上たちだけだと聞きましたよ。俺はそんな真似はしない」「おや、噂をご存知でいらっしゃるの」
「――俺は真実と聞きましたがね」
 これに、果林の顔が一瞬こわばったのを、まるで気が付かぬように龍王はそう口にした。果林が肩を落とし、語り始める。
「それならば話が早いですわ。現在、あなた様の敵は三人。皇帝が第三子、白幻。第二子、幽來。そして、あなた様にたちはだかる至上の敵、皇帝が第一子、天狼殿下……」
「……三人とも、冷徹で怜悧な性質は父上そっくりとお聞きしましたよ。ことに長子、天狼の残忍さ、美しさは、筆も追い付かぬほど……父上の生き写しだとか……」
 思わず龍王が声を低めたのは、いまだこの美しき苛烈な伯母が、亡き夫を偲んでいるから、と知っているゆえだろう。
「……初めて天狼殿下にお目見えしたときは驚きました。あの御方が生きて再びわたくしの前にお立ちになったかと思ったほど。その残忍さ、冷酷さもやはり生き写しで、わたくしは呆れましたけれどね」
 天狼、幽來、白幻――、恐ろしく美しく、残酷な自分の義兄たち――。いつかは、あいまみえて闘わなくてはならぬ。おそらく、碧玉の父を殺したのは、この三人のなかのいずれかなのだから。
「伯母上、私は必ずこの戦いに勝ってみせます。それゆえ、お力をお貸しくださいますよう」
「無論、そのつもりです。今日とて、危急の要件がありましてお目にかかったのですよ」
「それは?」
 龍王が尋ねると、果林は目くばせをして家臣たちを下がらせた。
「亡き皇帝が第三子、白幻があなた様を狙っています。かの皇子はひときわ残忍で、むごい拷問や卑怯なふるまいがお好きだとか。くれぐれも、お気をつけ遊ばして」
「はい、伯母上」
「……では、また」
 龍王が重々しく頷くと、椅子から果林は腰をあげ、部屋を辞した。


 さて、伯母から助言を受けたとはいえ、いずこよりくるかもしれぬ敵の襲来を、どう防ぐかが問題である。とにかく龍王は、碧玉より目を離さぬよう、留意した。
 しかし、そこで問題になるのが、夜分の褥問題である。
「ご一緒にお眠り遊ばせ」
 凛鳴が強く助言するも、
「厭よ! だって、一緒に褥で横になったらお前が出来たって父上が……」
抵抗する碧玉。
「……それは嘘だ碧玉。本当はもっとすごいことをする」
「えええ、なおさら厭よ! というか何であんたそんなこと知っているのよ! この変態!
私以外に誰か一緒に眠りに入った女がいるのね! この浮気者っ」
「違うって! いや、でもほら、俺一応皇太子だしちょっとは……って、そうじゃなくて!」
「不潔よ! 私、違う部屋で休ませて頂きます!」
 そう言って、碧玉は凛鳴を連れて自室に下がってしまった。龍王はなんとはなしに不安になって、碧玉に侍る侍女、凛鳴を見張るよう、他の侍女に命を下した。


 そうして自分の部屋の褥に入って、古書をひらきうとうとしていると。
 突如ノックの音が響いた。
「誰か」
 そう尋ねると、私です、と、酔ったような、陽気な、甘える声音がした。
「まさか、碧玉!!」
 部屋の扉を開けて、すぐさま龍王は口をあけはなした。碧玉がなんと、寝間着をだらしなく纏って、こちらへ秋波を送ってくるのである。
「あの、殿下……一緒に、寝てくださいませんか」
いったい、これはどうしたことか。
常はねぼけているので、言葉を交わすこともなく、終始無言であったのに。
「姫様に、少し、お薬をさしあげたのでございます」
「なっ」
 背後にいた、侍女であり薬師である凛鳴がそう語ると、龍王は鋭く睨み返した。
「凛鳴、貴様、いったい何を……」
「いえ、ただ、身も心も正直になられる薬を、配合させて頂きましただけで」
「身も、心も?」
 思わず、聞き返す龍王。と、にわかに碧玉が、龍王の鍛えられた胸に飛び込んできた。
「殿下……愛していますわ……殿下」
 愛妻からそう囁かれて、むらりとしない夫がいるだろうか。少なくとも龍王は天にも昇る気持ちだった。それゆえ凛鳴の妖しげな笑顔にも気が付かず、姫を部屋に招き入れた。それから部屋の椅子をすすめ、潤んだ瞳を瞬かせる姫を、龍王はデレデレしながら見つめた。
(身も、心も正直に、なるとは……)
「姫、その……私を愛していると言ったな」
「ええ、だって私、愛しているんですもの」
 龍王はもはや嬉しさのあまり、姫を腕のうちにいれて、強く抱擁した。
「それがお前の本音か……」
「ええ、だって殿下は、私の父の敵を取ってくださるんでしょう」
 龍王は、この一言に、いたく胸をうがたれた気がし、しばし呆然としてしまった。
(この女は、純粋に俺を愛しているのでは、なかったか)
 少々の落胆と哀しみに沈む竜王の目に、ぐらりと倒れ伏し、せき込む碧玉の姿が映った。
「碧玉!!?」
 青白い顔に、紅潮する頬。これはおそらく、毒を盛られたのだ。しかし誰によって。それは決まっている。
「凛鳴、貴様」
 急ぎ、姫の自室に戻る。凛鳴のいた碧玉の自室には、倒れた見張りの侍女が見受けられた。やはりこちらも、毒を盛られたと解すべきであろう。
「くすくす」
 龍王の背後に、いつの間にやら彼女が立っていた。
「凛鳴、解毒剤はどこだ!! 誰の息がかかってやった! 」
凛鳴はにたにたしている。まるで罠にはまった獲物をこの手に捕らえるときのように。
「失礼な。僕を下女なんかの名で呼んで欲しくないなあ」
 この声音は――。男のものだ。凛鳴はまるで何者かにのっとられているように、言った。
「おや、ばれたか。さすが聡明の聞こえ高い龍王殿下、といったところ。僕から拍手を送ってあげる」
「貴様、もしや皇位継承権第三位の、白幻か!」
 龍王はこの義兄の声を覚えていた。どこか甘く、どこか冷たさを内包する声だ。なぜ、凛鳴の喉から、この男の声が……。
「そうさ、龍王。君の妻には、侍女の一人に意識を飛ばし、毒を盛らせてもらったよ」
 やはり、凛鳴は乗っ取られていた! 道理で、そうか。自分と碧玉を二人にさせようとするのも、その方が殺傷率を高められるため。先王の話題を知っているのも、第三皇子に凛鳴が操られていたから。
「なかなかいい作戦だろう?」
そう語る白幻の愉快な調子に、龍王は怒りくるった。
「ふざけるな! 攻撃をしかけるならば、俺を狙えばいいだろう!」
 白幻に乗っ取られた、凛鳴の顔が愉快そうに歪む。
「君には守りが多すぎて、なかなか意識が手に入らない。それゆえ奥さんを使わせてもらったよ」
 ふふ、とほくそ笑む白幻。対する龍王は怒りが振り切れそうで。
「解毒剤を出せ。貴様のような者ならもっているだろう。早く出せ。出さないと殺す」
「おや、殺すとは穏やかじゃないね。でも教えてあげよう。解毒剤のありか、を」
「……卑怯で知られた貴様のこと、何か条件をつけるのであろう」
 ご名答、といった風に白幻が拍手を送る。そのあとで、愉快さを顔から消し去って、彼はこういった。
「今すぐ皇太子争いから落伍したまえ。そうしたら愛しい新妻が助かるよう、解毒剤のありかを教えてやろう」
「なっ」
 龍王は驚き、一瞬、逡巡した。が、もだえ苦しむ妻を見据え、すぐさま、首を振り、返答しようとする。
「……わかった。下りてやろう。そのかわりに」
「ダメよ龍王!!」
 床に臥していた碧玉が、龍王の裾を掴んだ。
 その顔は上気し、毒のせいか青白くなっていたが、まなざしだけは変わらぬ、
凛とした碧眼だった。
「ダメ、よ。龍王。あなたには、誰もに優しい天下を作って、くれるって、期待しているん、だからっだから、下りちゃだめ……お願い」
 龍王にそうせがむ愛妻、碧玉。どうしたら、どうしたらいいんだ……。
 悩み苦しむ龍王の耳に、凛鳴から何かあわただしい声音が響いた。
「なにっ何だとっ僕の屋敷に、あの女が現れただと!?」

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