憎し憎しや皇帝陛下

みや いちう

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愛情のかたち

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 禁色城、南西。龍王の屋敷には今、茶葉の煎られた香りがふうわりと漂っていた。
「うーん、美味しいこの香羅茶!! やっぱり茶葉はわが国のものが一番ねっ」
 ――この物語の主人公が妻、碧玉は今、自室で凛鳴の淹れた茶を喫していた。香羅国の茶葉は、高山の多いこの地にてよく産出され、透き通るようなほのかな琥珀の色合いと、甘味のある後味で三千世界に一等旨いと目されてきた。
凛鳴は主人がため、いま必死に茶器をあたため、茶葉を焼いている。その方がより美味になるというのが定説だった。よく火にあぶった茶葉を茶器に入れて、じっとその葉が湯をめぐるのを見つめる。
「凛鳴、わたくしが見ましょう」
 そこへ声をかけてきたのは、主人の夫が伯母、果林公主であった。凛鳴の顔が緊張でこわばる。
「い、いえ、元の妃殿下がわざわざなされることでは……」
「わたくしは妃ではありません」
 ぴしゃりと言い切られ、凛鳴はしまったと思い口をつぐんだ。後宮には三つの身分区分があり、まずは皇后、これはほとんど一名体制である。なぜなら、先に宣下された方が他の皇后をたいてい殺してしまうから。次が龍王の母も上がった妃。これは三千のうち二十名ほどしか上がれなかった。ことに大帝の好んだ女性があがられる。そして、果林公主をはじめとするほとんどの女性が属した、側妻。そばめ、と読ませたのは、意地の悪い皇后白蓮であった。そのくらい、身分低く子を産むことさえ忌まれたという。
「わたくしの妹は、わたくしと変わらぬ身分ながら、腹違いで生まれ、ひときわ美しく、可憐で女らしく、慈愛深かった……それゆえ、でしょうね。気性の荒いわたくしより、あの娘が妃となり鍾愛され、龍王を産んだのは……」
 この冷たい口ぶりに、何も言えなくなる凛鳴。果林公主は今も十二分に美しく、凛としているが、確かに、女性としてのたおやかさ、やさしさは、あまり感じられるふるまいをしてこなかった。
【見てみたいものは、皇帝陛下のひざまづくところ、皇后白蓮の死ぬところ、公主果林の泣くところ】
とは後宮で愛されたざれ歌であった。
果林は侍女を連れていた。見た目は普通だが、その鋭い目と、その唇があまりに紅いのに、凛鳴は若干の恐怖を感じた。
「凛鳴、下がってよろしいわ」
「い、いやです。私はここに……」
 なんとはなしにここを離れることを危惧した凛鳴は、恐怖を殺して必死に抗弁する。凛鳴への果林のまなざしは凍てつくようだった。
「お前のことを思って、下がっていいと言っているのですよ。言うことが聞けないのですか」
 それでも凛鳴はさがれなかった。思わず瞳に涙が潤むが、それでも、ひけなかった。
「申し訳ありません、ですが、嫌です」
 凛鳴がまっすぐに見返してきたとき、自室から碧玉が駆けてきた。
「凛鳴、あなたの淹れる紅茶は最高よ! あら、果林おばさま、何のお話しをなさっていらっしゃいますの?」
 果林は、「帝王の妻たる人が、走ったりなさるものでは」とたしなめたが、次にはくっと笑って。
「碧玉、そなたは本当にいいしもべを持ったことね」
 と言った。碧玉が、不思議そうに首をかしげる。
「ええ、だって、凛鳴は私に仕えはしても、友の一人でもありますわ。本当によく私を見てくれて、私、この凛鳴が大好きですもの」
 だからよく仕えてくれているのね。
 果林が蕾のほころぶように微笑んだ。
「それより、さきほど龍王のお母様のお話をなさっていられませんでした? よかったら、お聞かせ願えませんか?」
「まあ、愛した夫の母の話を聞きたいとおっしゃるのね」
「そ、そんな、愛したなんてっ」
 てんやわんやになる碧玉へ、果林公主がまた微笑を浮かべた。
「では、話してさしあげましょう。龍王が母にして、皇帝陛下にもっとも愛された女人、春姫について……最愛の、我が、妹について、ね」
 それから果林は柔らかな調子で語りだした。
 





さて、その頃龍王は、大欧帝国の賓客と会うために、また宮城へ出ていた。
 大廊下を歩んでいく。反対側から向かってくる男に、龍王がにわかに顔をしかめた。
 軍部の長、宗厳である。彼は六十になったが、好色なうえに頭脳も容姿も平凡以下。そのくせひとにおもねることだけが得意で、つねに出世だけを狙って媚びを売ってくる。国のためなどといって、多大な税金を課し、民の生活を逼迫した。それで得た莫大な金はもちろん横領しているとの噂だ。
 宗厳は龍王をちらとみて、
「これはこれは」
 と腰をさげ、従属の意志を見せた。だが龍王には気に喰わぬ。
「宗厳、機嫌がよさそうだな。またいい女と大量の金でも手に入ったか」
と嫌味のひとつも言ってやりたかったが、あえて彼からの媚びを無視しておくにとどめた。
 宗厳は無視されたのに気付いてもまだにやにやしている。
(なんだか気色の悪い男だ。たいそれたことをしないといいが)
 そう、龍王は思い、嘆息した。


 さてそれより本題は大欧帝国の話である。
 
大欧帝国といえば、世界で知るものなしと謳われた、太陽の沈まぬ国、である。優れた文化や造船武器産業で国はよく富栄え、威ある女王の栄華のもと、世界随一ともいわれる海軍力を誇りとしている。この香羅国とも交流があり、先帝の御代も、武器やら船やら繊維やら、衣食住にいたるまで何でも買い求めた。いわば大欧帝国にとっては、世界でも他にない上客、であったのである。それがこたび、先帝が崩じた。次の王に誰がなるか誰にすりよるべきか、それを図る為にわざわざ足を運んだのであろう。大欧帝国女王側近であるデイクソン卿は、大貴族の末で、香羅文化にも造詣が深かった。
 彼の席の、すぐ隣に座すのは、先帝が長子、天狼。遠目からようやっとその姿を見たが、やはり、尋常ではない美しさがある。ふいに、天狼がこちらを見やった。目が合う。彼はにや、と笑った。龍王が睨み返す。
(まさかこいつが、碧玉の父を……)
 と、突然、宦官が、おおいに銅鑼を鳴らして、叫んだ。
「これより、先帝を偲ぶための、香羅国大喫茶を行う!!」
 宮城がざわついた。先帝を偲ぶ、大喫茶?
 「大喫茶では、みながこれぞと思う茶を持ち寄り、この大欧帝国が使者であるデイクソン卿にその味を見て頂くこととする!! これぞ、香羅国と大欧帝国との、絆の再縁となるであろう!!」
 なんだと? てんやわんやになる宮城で、微笑んでいたのは天狼だけであった。

 龍王は、すぐさま自邸にて家臣たちにより卓子を囲み、密談を行った。
「デイクソン卿は大欧帝国の女王と繋がりの深い御方。ここで縁を結べば、あとあと心強き味方となりましょう」
「まさにその通りだ。かの人を懐柔しなくてはならん」
「しかしそのためには他の皇太子よりよき茶葉を集めなくてはなりますまい」
「もう他の皇太子が銘茶を買い占めていると聞きますよ。いかにするか……」
「探すしかあるまい」
 卓子を囲んでいた配下に、一言、龍王が告げた。
「銘茶といったものは、あの香羅文化に造詣の深いデイクソン卿のこと、あらかた飲み尽くしておられるに違いない。これといった一杯を、どうしても探していかなくては……」
 そう龍王が発言し、沈思すると、家臣団のそこここから、嗚咽が次々に響いた。龍王が驚いて声をかける。
「どうした。大丈夫か」
「いえ、いえ、ただ……」
「あの腑抜けとまで揶揄された龍王様が、こうまでご立派に、我々に考えを示されるとは、わしらはもう、感激で……言葉もなく……」
 歓喜の嗚咽はしばらく啜りやまなかった。龍王は苦笑していた。確かに、以前までの自分であったなら、こんな風にはならなかったであろう。きっと皇太子という身分を迷惑がって、僧籍に入るか、太公望にあけくれたか。しかし今は違う。皇帝にのぼりつめたい。それはかような主人思いの家臣がため、妻がため。そして何より。
(民草のために、俺は皇帝になりたい。妻の言う、優しい世を、この世にあらわしていくには、皇帝にならねばならぬ)
 龍王の顔は自然と凛呼とし、それはますます父親と似通われて、と家臣の涙を誘うのだった。
(しかし、茶葉は、どうしたものか……)
 家臣を一度帰し、部屋にこもって思案にくれていると、また部屋のドアをたたく音が響いた。
「誰だ」
「あなたの一番愛する妻よ」
 ふっと、苦笑して、龍王が入ってくれ、と言った。碧玉が凛鳴を連れ、にこやかに入ってくる。
「さっきまで果林おばさまもいらしたのよ。あなたのお母さまのお話を伺っていたの」
「若くして死んだ母のこと、どうせ、大した話ではなかったろう?」
「いいえ」
 碧玉がやや興奮気味に語る。
「あなたのお母様は、それはそれは美しく愛らしく気品があって、伯母さまの自慢の妹だったんですって。お小さいころから仲良しで、二人で嫁に行っても仲良しでいましょうね、と約束したら、二人でよりにもよって同じ男に嫁いだのよって、あのおばさまが笑っていたわ。あの一笑一瞥も惜しむべし、といった風の伯母さまが」
「……それはそれは」
 龍王はその話をする伯母が、どんな気持ちで話したのか、深くは探れなかった。探るのが怖かった、というのもある。最初に後宮に入ったのは伯母上だったのだ。それが伯母にたまたま会いに来た母、春姫を一目見、父帝がそれこそ傾城の美にうたれ愛玩とした。そして自分を孕ませ、春姫は妃にあがった。それをかたわらで見つめ続けなければならなかった、伯母はいかなる気持ちであったか――。
「ところで、龍王殿下。茶葉をお探し、とか」
 そこで突然、凛鳴が口を切った。龍王が驚いてそちらを見やる。
「先ほど家臣の方々が、帰るさに口々にしておられました。ただの茶葉なら存じませんが、我が家に伝わる伝説の茶葉なら、覚えがございます」
「伝説の、茶葉?」
 ええ、と凛鳴がしっかりした眼差しをして答える。
「我が家にのみ伝わる秘茶でございます。それは禁色城近うにある、紫煙山にあると言います」
「紫煙山……」
 それは、幼き日より皇族の男児として育った龍王にも覚えがあった。ここを北西にずっとあがった、天に怒らす山脈を誇る山々。そのうちのひときわ手の届きそうに浅い一角が、紫煙の山と伝わる。
「そこには美麗な佳人の仙人が棲み、その者よりもらう茶葉の味は、筆に尽くせぬとろけるような味わいだとか」
「なるほどな。ちなみに」
 と、龍王が早速興味を示して、問うた。
「その仙人の名前は」
 答えて、凛鳴。
「邑姜仙人、と伝わります」



「くっ」
 さて、その邑姜仙人を探して、龍王は山を登っていた。大丈夫です、遠足で行きました。と明言した凛鳴はいまだ操られているのでは、と疑うほど、その山道は険しく、未来の王の足を痛めた。さらには。
「痛あいっまたとげが刺さったわあ!! どうなってるのよこの山っぱっと見た感じ二分で山頂に行けそうだったのに!!」
 余裕、余裕と、名言した凛鳴につられて、夫がいくならとついてきた碧玉も、いたく手傷を負った。仙人は山に人間が多く入るのを好まない、と伝え聞いて、最小限の人数で来たのに、これでは全滅しそうな勢いである。
「碧玉、大丈夫か」
 次第によろよろしだした妻へ、龍王が気づかいを見せる。思わず手を握る碧玉。
と、そのとき、足をかけていた巨石が転がり、土が抜けて深い深い穴が姿を見せた。
「きゃあああ」
 その隙に、落ちそうになる碧玉。
「ばかっつかまってろっ」
 龍王が思わず叫び、碧玉の手を握る。
「ばかっ離しなさいっじゃないと、あんたまで穴に落ちてしまう!」
「離すものか! 」
 そこで、碧玉がふっと、笑った。思い出したのだ。幼い日、いつものように龍王をいじめ抜き、崖にまで龍王が走っていってしまったことがあった。
「危ないっ」
 碧玉がそう叫んで、崖の先まで逃げようとする龍王を呼び止めた。しかし龍王は走り込んで、崖に落ちんとした。
「龍王っ」
 碧玉が叫び、彼の細い腕を掴んだ。
「絶対にこの手を離さないでよね」
 苦しい息のした、碧玉が龍王の腕をしっかりとつかむ。
「もういいよ、このままじゃ碧玉まで落ちちゃうよ! 離してっ」
 幼き龍王の眼には涙がたまっていた。
「どうせ僕は後ろ盾もない、ただのぼんくらで価値のない庶子なんだ。このまま死んだ方がいいっ」
「うるさいっ」
 生を諦めんとした龍王へ、碧玉が首を振ってわめく。
「あんたは確かにぼんくらかもしれないっだけど、誰より優しくて、あったかいの! 私はそんなあんたを好きになったの! だから、絶対離さないっ」
騒ぎをききつけて、大人たちがやってきて、龍王は無事救い出された。
 それを思い返し、幸福な気分で碧玉はふいに呟いた。
「あんたには、生きて優しい世を作ってもらわなきゃ、困るのよ」
 そういうなり、彼女は短刀を懐から取り出し、自分の腕を掴む夫の手の甲を裂いた。
「っつ!」
 あまりの痛みに、思わず碧玉を離しそうになる龍王。しかし、彼は痛みに耐えても、碧玉を離そうとしなかった。
「ばかっ。早く離しなさいよっ」
「嫌だっお前とつかない帝位なんぞ、興味がない!!」
 今度は碧玉が黙りこくる番だった。碧玉の顔は涙で濡れそぼっている。
「……さようなら、あなた。大好き、だったわ」
 次には龍王の手の甲をもう一度切って、彼女は深い穴の中に消えていった。
「碧玉―!!」
 我知らず絶叫し、慟哭する龍王は、穴に自分も落ちようとし、家臣にとめられた。
「離せっ離せえええ」
 その時、であった。
 穴のうちから、美しい麗人が、白い光と被布を纏って現れた。その美しさは、この世のものではなく、あたりが一様に七色に輝いた。
「おまえ、おまえまさか……」
 仙人はくす、と微笑む。
「いかにも、私がこの紫煙山の仙人、邑姜。いやー、君たちの愛をつぶさに見てしまったよ。まだ人間にも優しいこころがある者がいるんだと、再認識した。感動したよ」
 邑姜の腕のうちには、碧玉の姿があった。
「感動のお礼に、君の一番欲しいものをさしあげよう。ただし、ひとつだけだ」
 それは暗に、碧玉か、伝説の茶葉か。いずれかだった。しかし龍王は即座に答えた。
「わが妻を、どうにか返してくれ。他には何もいらないから」
 この嘆願に、仙人邑姜はあでやかすぎる琥珀の瞳を細めて言う。
「――お前は幼いころからずっといい子だね。よって君の妻と、伝説の茶葉をさしあげよう」
 また遊びにおいで。そういって仙人は消えていった。足元には、金色に光る美しい茶葉が、ちりばめられていた。
 龍王はしばし呆然としていた。あの仙人のあの瞳は、いつか、どこかで見たことがある。確か、亡き父皇帝が、いつか連れ出してくれた鹿狩りで――。と、今はそんな場合ではない。
「碧玉、大丈夫かっ」
 碧玉が目を覚ます。次には安堵の涙をこぼす龍王へ、さっそくかみついた。
「この、おバカっ私のことなんて見捨てなさいよ!! あんたまで死んじゃったら、私、死にきれないじゃない!!」
 赤面してそう叫ぶ愛妻を、龍王は力強く抱きしめた。
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