憎し憎しや皇帝陛下

みや いちう

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そして彼女は

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 そうして、大喫茶当日。
 天井を広くとられた、豪奢な紫景殿にて、喫茶という名の果し合いは行われた。といっても既に茶葉は宦官に預けられ、あとは判定を待つのみ、である。しかし、龍王はしくじった、と内心思っていた。平等であるはずの大喫茶。デイクソン卿を囲むその席次は既に、天狼の家臣たちに埋め尽くされていたからである。彼らはにこやかに歓談をしながら、まずい紅茶は床に流して笑っている。神々しいまでの美貌を花咲かせる、天狼もその一人だ。
(これは既にデイクソン卿に、かの男の息がかかったとみるべきであろうか。我ながら、拙速を尊ぶべきであった)
 すまぬ、と心から思った。自分のために必死になってくれた家臣にも、凛鳴にも、妻にも。宦官が銅鑼を鳴らす。
「次は、龍王殿下の選ばれた茶葉です」
 ははっと、笑う声音が聴こえた。天狼が茶葉を一瞥し、思わず声をもらしたらしい。「茶葉らしくない色合いですな」
 そう、天狼の流麗な欧語で聞こえた。対するデイクソン卿はどうも、その茶葉を見てじっくり考えこんでいる。
「ま、飲んでみましょう」
 そのような意味の言葉を発して、デイクソン卿は茶を一服した。
「はっ」
 と、デイクソン卿の声。ダメだったか……。龍王は家臣団の前にてうなだれぬよう、精いっぱい気をはっていた。
すると、深い闇の主のような、デイクソン卿のその顔からは、クマが取り除かれ、白い歯を見せてさわやかな笑みが漏れた。そして。
「この茶葉を選ばれた、龍王殿下に拝謁したい」
 これに、家臣団はおおいにわいた。他に仕える家臣たちも、当初は天狼殿下の一人勝ちだと思われていただけに、驚きを隠せない。

「デイクソン卿、初めてお目にかかります、かの貴人、龍王殿下と申されます」
 宦官がそう紹介すると、デイクソン卿は眼前の龍王を一目見るなり、席をたち、白い手袋をとり、深々と頭を下げた。
「いや、あなたがかの有名な、龍王殿下で、いらっしゃいますね。おっと失礼、欧語を話してしまいました」
「いえ、私も少しなら嗜んでいますので」
 ははっと、デイクソン卿が笑った。
「あなたの発音は女王陛下のご一族と同じそれです。少しなどと、ご謙遜をおっしゃいますな」
 龍王は幼いころから伯母により、貴賓の挨拶を徹底されていたから、知らず知らず、それが流暢に口をついて出たのであろう。
「して、あの茶葉はいずこより? 聡明と名高い龍王殿下」
「誰が我が名を高名にしたかは存じませんが、これは妻付きの侍女よりこの茶葉のことを知らせてくれました」
「それは素晴らしい侍女をお持ちで」
 デイクソン卿はその青い瞳をしばたいて、感慨深そうに告げた。
「あなたのことを、先の帝は大層愛でていらした…最愛の妻の子が聡明で慈愛深く、おもざしは自分に似ているのだと、にこやかに話されたときは、失礼ながらかの人も人間であられたのだと、感銘を受けました」
「そうでしたか……」
 龍王はそうは呟きながら、内心は驚きでいっぱいだった。自分とろくに話もしなかったままにみまかった父。その父が母も亡きあと、自分の成長を楽しみに、自慢するほど、自分を愛でし子とされていたのか――。
「あなた様の美貌と英知なら、我が女王陛下も国交を結び続けることに異は申されますまい。どうか、これよりも、末永く――」
 そうして龍王ははたと気が付いた。デイクソン卿は手袋を脱いで、何か手持ち無沙汰にしているようだ。そうだ、身分高き者からしか、握手は求められないのであった。これは、つまり、龍王を次期皇帝と目した、ということ。
 龍王は思わずこみ上げたのをこらえ、しかとそのデイクソン卿の手を握った。家臣団からわああと歓声が起こる。
(しかし……)
 聡明な龍王は次の展開を読んでいた。
(これだけ決定的になった場面にも、天狼は眉ひとつ動かさずに微笑している。いったい、どうして。何か、裏があるのか?)
 そうは
訝しがりながら、今のところは何も出来ないでいる龍王であった。

 夜には大欧帝国で日夜開かれているという、舞踏会が催された。みな、舞踏の心得はあるようで、くるくると回っては舞踏靴を金の床に打ち鳴らした。見方によってみれば、龍王の皇帝への一歩を祝うような催しものであるのに、敵陣は楽しげである。特に、人々の眼をひいたのは、天狼の連れてきた、眼のくらむような美女であり正妻、紅艶であった。紅艶は名の通り、白い陶器のような肌に、美しい漆黒の瞳と、品のある口元や鼻筋をのせた大変な美女であった。これに、龍王へ敵対する家臣たちは、
「まさに大帝にふさわしい嫁だ」と手をたたいて自分たちを鼓舞するのであった。小国の出だというから、その美々しさが彼女をその高みまで引き上げたのであろう。みなみなが天狼、紅艶を中心に舞踏へ繰り出すなか、龍王は待っていた。凛鳴に連れられ、大欧風の化粧と装いに着替えてくるはずの碧玉が、いまだ、戻ってきていないのだ。龍王はさして舞踏に興味がない。それより、美しい妻が、より一層美しくなっている姿が見たい。ただそれだけであった。と、その時。
 会場が美にうたれ、騒然となった。その美しさは、まさに月下天女の如し、あまりに美しく、清らかで、その顔は慈愛に満ちている。
「碧玉……」
 龍王はそのあまりの美しさにうたれ、言葉をなくした。碧玉がサテンドレスを纏って現れたとき、千はいる宮廷人のなかでここまで彼女の美しさゆえの危うさを危惧したのは龍王しかいないであろう。つまり、あまりの美しさにかどかわれされそうだ、と本気で思ったのである。
「龍王殿下! どうかしら、このドレス」
「素晴らしく綺麗だ」
 龍王はそう褒めたたえて手をとろうとすると、向こうから近づいてきた男がある。なんと天狼だった。
「へえ、第四皇子のくせに、過ぎたるものをいくつももっているというのは、本当だったんだな」
 と、甘い声音で勝ち誇ったように、彼は告げた。その美麗さに、心奪われないか心配になる龍王だったが、まじまじと碧玉を見つめる天狼を、碧玉は心底わずらわしそうにしていた。
「殿下、早く舞踏に戻りましょう」
 紅艶が厭そうな雰囲気で腕をとると、わかった、と天狼が頷いた。
「では、近々会おう。龍王、そして碧玉」
 龍王はなぜかそのあともいやな予感がした。天狼側の家臣が、つどって何かを密談している。それは天狼につく家臣のなかでも、側近中の側近の集いであり、それはあるいは、「碧玉をさらってこい」という命が下ったのやもしれなかった。

  紫景殿に設けられた、皇族のみに許された部屋。龍王にあてがわれた薄闇の延べた部屋にて、龍王はいつまでも碧玉の麗姿ばかり見つめていた。
「あなた、いつまで見つめているおつもりですの? もうあの綺麗なドレスは脱いでしまいますわよ」
 碧玉がやや呆れながら上目遣いで龍王を睨む。どうやら碧玉は夫がドレスに気を取られていると思ったらしい。龍王は笑って、いや、と首を振った。
「俺の天女は、ドレスを取り去った姿も、さぞや美しいのだろうな」
 そう言って、香淡くけぶる部屋の腰かけより立ち上がって、碧玉へと手を伸ばした。
「もうっ」
 碧玉も恥じらうばかりで嫌がるそぶりをしなかったので、凛鳴が察して、はいはいと部屋を出ていった。
その凛鳴の背に礼を言うと、凛鳴は、
「あんまりおいたをしすぎないでくださいよ。姫は何もかも初めてなんですから」
 とおせっかいを焼き碧玉に怒られた。戸の閉まる音。手をとりあう二人に落ちる沈黙。恥じらって顔を赤らめる碧玉から、口を切った。
「ド、ドレスを脱がなくちゃ、ね……ってきゃあ」 
半ば強引にベッドに押し倒される碧玉。その首筋に、深く淡くキスを落とす龍王。それは蝶の舞うように色づいて、より龍王の官能を刺激した。
「やめて、龍王、痛くしないで……」
 自分にも知られぬ碧玉の甘い声音に、龍王はそのうえでただただ微笑むばかり。
「大丈夫だ。おとなしくしていれば、いずれ快楽に変わるから……」
「やめ、やめて、ああ、いや……」
「大丈夫だと、言っているだろう? 可愛いやつめ」
 そう言って、碧玉の唇を深く舐めとろうとする。その時。
「あっ」
 思わず鋭い声を碧玉が出したので、龍王は碧玉のドレスを脱がす手つきをとどめた。
「どうした」
「約束を、思い出したの。舞踏会が終ったら龍王より誰より先に、伯母さまに会いに行くって」
 龍王が大きくため息をつく。
「そんなに伯母上が好きか」
「好きよ。だってあなたを立ててくれる方だもの。お約束は、守らなくてはならないわ」
まったく……。龍王が、苦笑まじりに手をたたき、凛鳴を呼んだ。
「姫の衣装を直してやってくれ。そしてとっとと伯母上に会いに行ってくれ。続きはそのあとだ」
「え、あ……はい……」
 恥じらいながら凛鳴に衣装を直される碧玉である。
龍王はその様を愛らしく憎く思いつつも、伯母上はいったい何の御用だろう、と思案した。
「りゅ、龍王……」
 それを怒っていると思い違いした姫が、おそるおそると言った風に、口走る。
「ちょっとだけ、待ってて、ね。そしたら、その、続きを……」
 そう言って、顔を真っ赤にして、部屋を走り去る。
「龍王殿下、鼻血出てますよ」
 凛鳴にこのえろじじい! みたいなまなざしで射抜かれ、お、おうと龍王はやっと鼻紙でおのが鼻をふいた。

 衣装を直され、急いで紫景殿の北の窓辺に碧玉が駆けていくと、そこに果林公主は、あでやかな緋の衣装を纏い立っていた。ただ、常とは違い、なよやかに、壁にその身を押し付けているようだ。なにか、あったのだろうか。こわごわと背後より近寄って、碧玉はあっと声を漏らした。
 あの果林公主が、泣いているのである。それも世の女にあるように、唇をかみしめ、くやしさ惨めさに、耐えかねたように。誰かを、泣くほど恋うるかのように。
「お、伯母さま、なぜ……」
 そうまで口に出せない碧玉へ、果林が何事もなかったような平静な顔で振り返った。
「おや、遅かったですね。もしや龍王殿下と一緒にいらしたの」
「そ、そんな……!!」
「首元に接吻のあとがついていますよ。ふき取りなさい。あなたは私と違い、妃になるおなごなのだから」
「は、はい……」
 常より一層厳しい果林公主の声音に、おののきながら、手巾で首元をぬぐう碧玉。
「一緒、ね……」
「え?」
 碧玉が驚いて目を見開く。次にはその口元に白いハンカチがあてがわれ、薬によって彼女はこんこんと眠りに落ち、倒れかけた。それを抱えたのは、あの深紅の唇をした侍女であった。
「連れていきなさい」
「はいはい。私の愛しい人がもとへ、ね」
 謎の侍女はにやにやしながら、碧玉を連れかかえ、機敏に屋根にあがって消えた。
「一緒ね、一緒だわ。あの女もそうだった……」
 一人になった果林公主が、ほとばしるような憎しみをひそめて紡ぎだす。
「あの憎い妹と、同じことをするのね、碧玉」
 それをひそかに聞いていたのは、心配して足音をひそめ近づいていた凛鳴だけであった。
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