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裏切者
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◆第四章
「お目覚めかしら」
碧玉が次に目覚めたとき、自分は見知らぬ優雅な部屋にいて、寝かされていた。女らしいやや媚びた大欧風の香水が漂うのを感じた。
少し身を起こして、周囲を見渡してみる。すると、白い腰かけに美しく、なよやかな女人……とおぼしき者が座っているのを認めた。また、その隣には、自分をさらった深紅の唇の侍女の姿も。
「あなたは……まさか」
うふ、と、その女人がはにかんで告げる。
「そうよ。わたくしこそ、先帝が第二皇子、幽來というの。どうぞおよろしく? 龍王殿下が妻、碧玉ちゃん?」
碧玉は急ぎ身を起こしたちがあろうとするも、すぐにベッドに自然その身崩れ倒されてしまう。めまいがひどく、血圧も低く身を起こせないのである。そういう薬を配合されたのであろう。
「おか……じゃない。幽來殿下。これは何の真似でございますか」
「今おかまって言いそうになったでしょ。次言ったら舌切り取って目をくりぬくわよ」
幽來が、銀髪を波打たせたたおやかな女人姿で、亡き先帝や義理母と同じことを言う。
「大体、わたくし女なんて大っ嫌い。いい男とみるとすぐに犬みたいに腰ふって近づいてこようとするし。わたくしにもそうだったわ。わたくしが男の恰好で町に出たときなんて、このうつくしさと身分に数百の女が蟻のように群がってきたもんだわ。まあ、天狼お兄様には負けるけれど……でも、みいんな壺に入れて殺してやったわ。愛する天狼お兄様に近づいた分も、もちろん、みんなよ」
そう毒づいてから、幽來は。
「嘘だと思うなら、そこの壺を見てごらんなさい。血肉でびっしり詰まっているわ」
ああ、そうか。だからこの部屋は香水がふんだんに用いられているのだ。女の匂いを、ひそますために。
聡い碧玉はこれもどういうことか、なんとはなしに理解できた。いやしくも、第四皇子龍王の妻にこれだけの暴言を吐けるというのは、何かしら、龍王を殺すべく準備が出来たあかし。それに、天狼殿下の息がかかったあかし。
(おそらく独断じゃないわ。誰か、力のある者から言われて私をさらったんだわ。第二皇子より力がある者、それは第一皇子天狼しかありえない)
その賢い判断を、ほめたたえるように天狼が、この典雅な部屋を訪れた。
「天狼、殿下……」
「お兄様っ」
たぐいまれなく美しい、男の女人が、天狼にぶつかるように駆け寄って抱き留める。
「お兄様、わたくしちゃんとこの女を連れ去らってまいりましたわ。ねえ、だから口づけして? お願い……」
「ああ、あとでな」
まるで発情した猫のような声音で、天狼にまとわる幽來。碧玉は鳥肌が立った。幽來が男だから、ではない。そうではないのだ。おそらく、この男は自分が母を天狼たちの母に殺されている。幽來が媚び、その実母が崩じている今、彼が生かされているのが何よりのあかしだ。なのに、彼は天狼を恨むでもなく、ただひたすらにその身すりよわせている。ふつうの人間に、そんなことが出来るだろうか。否、ゆえに彼は女を憎み、むごい方法で殺すのだ。そうでないと、壺に女の血を満たさないと、とても気が保てないのであろう。
「ふん、俺様の美しい碧玉は賢いと見えるな」
まるで大帝のように眩い天狼が、すりよる幽來をのけて、こちらへ迫ってくる。碧玉は袖をつかみ、きっと睨み据えた。
「天狼殿下、何のおつもりでしょう? 私を、夫がもとへ返してくださいませ!」
「はは、あんな男のものになりたいのか? 碧玉はそう見えてなかなか淫乱だな」
なぜ、いきさつを知っている……凛鳴が操られている? いや、そうではない。そのそぶりは全くなかった。誰だ、自分たちの秘事を、知っているのは。碧玉は慟哭しそうになった。そう考えれば、それはただ一人しかいないではないか。
「案ずるな。続きは俺がやってやる」
「ああん、お兄様」
恨みのこもったまなざしで、天狼を見つめる幽來。それをいなすように、天狼が言う。
「そうねたむな、お前にも極上の獲物をやるから。ああ、来たようだぞ」
扉をこじあけ、激しい足音をたててやってきたのは、龍王であった。
「遅かったな、我が愚弟よ」
「妻の侍女が文を預かってやってきた。俺の妻を返してもらおう」
龍王の顔は怒りでまっしろになっている。それをちらと一瞥し、天狼が微笑む。幽來はその端正な容姿に見惚れているらしい。
「ああ、いいぞ。ただし、少し俺様にも遊ばせてもらうがな」
「ふざけるな!!」
龍王の怒号が飛んだ。
「誰かに言ったら妻を殺すと記してあった。それゆえ一人で来たのだ。何が目的だ」
「ああん、怒ったお声も素敵」
父も同じくするはずの義兄に、龍王は怒り心頭ながら若干のおののきをみせた。男に言いよられるが初めてなのであろう。
「そうだ。お前、幽來の機嫌をとってやれよ。そうしたら碧玉は返してやる」
「なっ」
これに碧玉が驚きを禁じえず、声をもらした。つまりは幽來とその、そういったことをしろというのか。なんてあさましいことを言うのか。
「さすが、冷徹で知られた天狼殿下……私はそんなことになるくらいなら、自害させていただくわ」
強く叫んで、舌をかもうとする碧玉へ、龍王が視線をなげた。よせ、とたしなめられたようだった。
「……いいだろう。ただし部屋を変えてもらうぞ。いくら男でも、妻の前で別の者の機嫌はとれないからな」
そうして幽來と龍王が部屋を変えて十分間。そのあいだ、碧玉は天狼を睨みつけていた。天狼は、女をとろかすようなまなざしで、碧玉を見つめる。
「なあ、碧玉、俺の女にならないか。お前なら妃にしてやるぞ」
「おあいにく、私には夫がいますので」
ふん、と天狼が、碧玉の顎を柔らかくとる。
「そういうお前も綺麗だ。なあ、あんな男はもうじき死ぬぞ? 生きて、俺様のものになった方がいいんじゃないのか。ただ一人の妻ではないにしろ、大事にしてやるから」
「なっ夫が死ぬなら、私も死にます! それはどういうことですか!」
思わず碧玉が激すると。十分後。
もはや腰もたたぬほどにふらついて幽來が現れた。
「あはん、もうダメ……」
そう甘くとろけるように言って彼は天狼の前にうち臥した。龍王が、
「ふん、たわいもない」
と言った風になよやかに倒れた彼を見下ろす。
(じゅ、十分でここまで……おそるべし、我が夫よ……)
と碧玉はあらためて夫に畏怖を感じた。「さあ、機嫌は存分にとってやった。俺の妻を返せ!!」
「ふん、ならばよい」
そう、強い声音で言った龍王へ、天狼が刀剣を投げ、自分も鞘をはらった。
「こうなっては命の取り合いしかのこるまい。かかってこいよ、我が弟よ」
「望むところだ」
二人が激しい剣劇を始める。碧玉が涙まじりのまなざしで、
「やめてえええ」
と声を張り上げる。
その時、であった。
「殿下っ殿下、至急の要件がございます。この戸を、開けさせてください」
家臣の一人が、悲痛な声を絞りだすように叫んで、そして、彼の身体は次にはドアごと貫かれていた。
剣先が、ドアをかききって、見慣れぬ軍服の男どもが平伏もせずに笑いながら入ってきた。
「なにや、つ……」
幽來が思わず凍り付いた。軍服は既に白幻と、凛鳴をからめとって、その首筋に剣をあてがっていた。
「ま、まさか」
「そのまさかさ」
居並ぶ軍服の男たち。その中心の白髪の男がにやりと笑んで、皇族たちを縛り上げるように命じた。
「さあ。このわしが皇帝になるための、とびきりの見世物の始まりだ!!」
◆第四章
そう、軍部最高司令官英 宗厳は、この日を待っていた。龍王たち皇族がいる限り、自分に栄華の春がやってくることはない。いつも悠然と、平伏する自分の前を一顧だにせず通りすがる美しき皇族たちのことを、この醜く出世欲の非常に強い男は悪しく思っていた。いまだこのクーデターのことを知る者は宮廷人には少なかったが、知ったとて何も出来る訳ではなかった。彼は軍部の全権を掌握している。一人、ふたりが立ちあがって、下手に逆らえばどうなるか、聞くまでもあるまい。
宗厳たち軍部の反逆軍は、まずこの紫禁城の皇族派を一掃した。抵抗するものは皆殺しとされ、敵の兵数も多く、油断していた皇族派家臣たちは瞬く間にとらえられてしまった。
龍王たちは手足を縛られ、天狼、幽来、白幻、碧玉、凛鳴たちともに、地下牢に押し込まれた。その目元はみなみな白い布で覆われ、世界に靄がかかった気がする。
「これからどうなるんでしょう、私たち……」
思わず凛鳴が震え声で漏らすと、怜悧で、他人にも自分にも冷淡な天狼が彼女を嘲った。
「はん。答えはもう決まっている。皇族が国を疲弊させ、民に豊か生活を送らせない元凶である。自分たちは血税で優雅にすごし、それにあかせて贅沢三昧と、でも言う気であろう。よって、これ、私が皆殺しにする、って死刑台で首を刎ねられるってところか」
「そうねえ、そして自分は国民たちを救った英雄として、新しき王になり替わる気だわ。今は皇帝受継式まであと8日ある。きっと、新しい皇帝が決まる前にそうするつもりよ」
「ははは、ご名答」
拍手をし、虫の這いずり回る地下牢へ入ってきたのは、首謀者の宗厳であった。彼は緑の軍服を身にまとい、鈍重そうな顔立ちをゆがめて笑って、こう言った。
「まさにその通りだ、第二皇子様。さすが聡明で知られた先帝のお子だけありますなあ」
その感嘆にはちっとも心が入っておらず、むしろどこか嘲笑している気さえ感ぜられた.
「ご安心下さい。この国のことはわしが好きなように、より強くしていきますので明後日には安心して極楽浄土をお楽しみ下さい」
「くっ頼む。せめて妻たちだけでも生かしてやってくれ!」
焦る龍王の声音に、宗厳、冷たく告げて。
「残念ですが、もはやあなたの妻も皇族でいられますな。そんな存在が生きていると非常に目障りだ。まあ……」
そこで60に手が届くこの中年はくくくと笑った。
「私の玩具になりさがるなら、秘密裡に生かしてやってもよいが。くく」
はははは! 声音大きく叫んで、睨みつける皇族たちを尻目に宗厳は去っていった。
「くそっやつは以前から軍部の暴君と呼ばれた男。あんな奴に国政を任せたら、まずいことになる! どうにか、せねば、どうにか!」
「落ち着け、我が愚弟よ」
龍王がふと、天狼を振り返った。もう、みなの白いあてがわれた目隠しは外されて、今は光の届かぬ異臭漂う牢の様子がありありと見てとれた。
「このような時に焦ってもどうにかなるものではない。体が動けぬ時は、知恵を使うのだ」
そう言って、天狼は袂に隠してあった薄様の文を筆でしたため始めた。
(こいつ、文を誰かに届けさせるつもりか!?)
確かに、この文が誰かにわたって、異常を知った全国の皇族派が挙兵してくれれば、状況はどうなるかわからない。それを狙って天狼は文をしたためているやもしれなかった。
(ちっ、悔しいが、確かにこの男にはそれを狙うだけの力がある)
忌々しそうに天狼を睨みつけながら、番兵がこちらへ来ないことを祈る龍王。
「よし、書き上げたぞ」
「何をだね」
みながびくりと身を震わせ、牢の鉄格子の方角を見た。宗厳が番兵を連れてにやにやしている。
「それを、渡してもらおうか」
最悪だ、終わった……。龍王は溜息をついて、苦しげな表情で顔を俯けた。だが天狼はさして慌てる様子もなく、その文を宗厳の皺にたかられた手に渡した。宗
厳が、一読する。そして。
「ははははは、これはこれは、素晴らしい御手紙を頂いた!」
と歓喜に絶叫した。龍王が、いったい何を天狼は書いたのだ、と不安になる。不安は的中した。
「われら皇族は、助命と引き換えに宗厳元帥のもとに従うことを約する。いやあ、ありががたいですなあ。しかし皇族たる人が、命欲しさに身分をお捨てになさるとは、いさkさか笑止と、言わざるをえませんな」
笑いのとまらぬ宗厳が、顔をもたげてにやりとした。
「では、この手紙は明日の朝議で読みあげさせて頂きますよ。さすればあなたたち用済み、他国でのたれ死んでいって下さい」
宗厳はにこやかに軽い足音たてて去っていった。龍王が、途端に天狼に噛みつく。「なんてことをしてくれたんだ。あいつはどうあっても俺たちを殺す気だぞ! なのになぜ」
「少し、黙れ」
「うぐ」
天狼が龍王の体を蹴飛ばし、それを見下ろして笑んだ。
「それくらいのことはわかっている。あの手紙の効果が出るのは、まもなくだ」
それは、いったい? 龍王があきれ果てながら、とかく泣き出しそうな碧玉と凛鳴の肩を抱いた。
「お目覚めかしら」
碧玉が次に目覚めたとき、自分は見知らぬ優雅な部屋にいて、寝かされていた。女らしいやや媚びた大欧風の香水が漂うのを感じた。
少し身を起こして、周囲を見渡してみる。すると、白い腰かけに美しく、なよやかな女人……とおぼしき者が座っているのを認めた。また、その隣には、自分をさらった深紅の唇の侍女の姿も。
「あなたは……まさか」
うふ、と、その女人がはにかんで告げる。
「そうよ。わたくしこそ、先帝が第二皇子、幽來というの。どうぞおよろしく? 龍王殿下が妻、碧玉ちゃん?」
碧玉は急ぎ身を起こしたちがあろうとするも、すぐにベッドに自然その身崩れ倒されてしまう。めまいがひどく、血圧も低く身を起こせないのである。そういう薬を配合されたのであろう。
「おか……じゃない。幽來殿下。これは何の真似でございますか」
「今おかまって言いそうになったでしょ。次言ったら舌切り取って目をくりぬくわよ」
幽來が、銀髪を波打たせたたおやかな女人姿で、亡き先帝や義理母と同じことを言う。
「大体、わたくし女なんて大っ嫌い。いい男とみるとすぐに犬みたいに腰ふって近づいてこようとするし。わたくしにもそうだったわ。わたくしが男の恰好で町に出たときなんて、このうつくしさと身分に数百の女が蟻のように群がってきたもんだわ。まあ、天狼お兄様には負けるけれど……でも、みいんな壺に入れて殺してやったわ。愛する天狼お兄様に近づいた分も、もちろん、みんなよ」
そう毒づいてから、幽來は。
「嘘だと思うなら、そこの壺を見てごらんなさい。血肉でびっしり詰まっているわ」
ああ、そうか。だからこの部屋は香水がふんだんに用いられているのだ。女の匂いを、ひそますために。
聡い碧玉はこれもどういうことか、なんとはなしに理解できた。いやしくも、第四皇子龍王の妻にこれだけの暴言を吐けるというのは、何かしら、龍王を殺すべく準備が出来たあかし。それに、天狼殿下の息がかかったあかし。
(おそらく独断じゃないわ。誰か、力のある者から言われて私をさらったんだわ。第二皇子より力がある者、それは第一皇子天狼しかありえない)
その賢い判断を、ほめたたえるように天狼が、この典雅な部屋を訪れた。
「天狼、殿下……」
「お兄様っ」
たぐいまれなく美しい、男の女人が、天狼にぶつかるように駆け寄って抱き留める。
「お兄様、わたくしちゃんとこの女を連れ去らってまいりましたわ。ねえ、だから口づけして? お願い……」
「ああ、あとでな」
まるで発情した猫のような声音で、天狼にまとわる幽來。碧玉は鳥肌が立った。幽來が男だから、ではない。そうではないのだ。おそらく、この男は自分が母を天狼たちの母に殺されている。幽來が媚び、その実母が崩じている今、彼が生かされているのが何よりのあかしだ。なのに、彼は天狼を恨むでもなく、ただひたすらにその身すりよわせている。ふつうの人間に、そんなことが出来るだろうか。否、ゆえに彼は女を憎み、むごい方法で殺すのだ。そうでないと、壺に女の血を満たさないと、とても気が保てないのであろう。
「ふん、俺様の美しい碧玉は賢いと見えるな」
まるで大帝のように眩い天狼が、すりよる幽來をのけて、こちらへ迫ってくる。碧玉は袖をつかみ、きっと睨み据えた。
「天狼殿下、何のおつもりでしょう? 私を、夫がもとへ返してくださいませ!」
「はは、あんな男のものになりたいのか? 碧玉はそう見えてなかなか淫乱だな」
なぜ、いきさつを知っている……凛鳴が操られている? いや、そうではない。そのそぶりは全くなかった。誰だ、自分たちの秘事を、知っているのは。碧玉は慟哭しそうになった。そう考えれば、それはただ一人しかいないではないか。
「案ずるな。続きは俺がやってやる」
「ああん、お兄様」
恨みのこもったまなざしで、天狼を見つめる幽來。それをいなすように、天狼が言う。
「そうねたむな、お前にも極上の獲物をやるから。ああ、来たようだぞ」
扉をこじあけ、激しい足音をたててやってきたのは、龍王であった。
「遅かったな、我が愚弟よ」
「妻の侍女が文を預かってやってきた。俺の妻を返してもらおう」
龍王の顔は怒りでまっしろになっている。それをちらと一瞥し、天狼が微笑む。幽來はその端正な容姿に見惚れているらしい。
「ああ、いいぞ。ただし、少し俺様にも遊ばせてもらうがな」
「ふざけるな!!」
龍王の怒号が飛んだ。
「誰かに言ったら妻を殺すと記してあった。それゆえ一人で来たのだ。何が目的だ」
「ああん、怒ったお声も素敵」
父も同じくするはずの義兄に、龍王は怒り心頭ながら若干のおののきをみせた。男に言いよられるが初めてなのであろう。
「そうだ。お前、幽來の機嫌をとってやれよ。そうしたら碧玉は返してやる」
「なっ」
これに碧玉が驚きを禁じえず、声をもらした。つまりは幽來とその、そういったことをしろというのか。なんてあさましいことを言うのか。
「さすが、冷徹で知られた天狼殿下……私はそんなことになるくらいなら、自害させていただくわ」
強く叫んで、舌をかもうとする碧玉へ、龍王が視線をなげた。よせ、とたしなめられたようだった。
「……いいだろう。ただし部屋を変えてもらうぞ。いくら男でも、妻の前で別の者の機嫌はとれないからな」
そうして幽來と龍王が部屋を変えて十分間。そのあいだ、碧玉は天狼を睨みつけていた。天狼は、女をとろかすようなまなざしで、碧玉を見つめる。
「なあ、碧玉、俺の女にならないか。お前なら妃にしてやるぞ」
「おあいにく、私には夫がいますので」
ふん、と天狼が、碧玉の顎を柔らかくとる。
「そういうお前も綺麗だ。なあ、あんな男はもうじき死ぬぞ? 生きて、俺様のものになった方がいいんじゃないのか。ただ一人の妻ではないにしろ、大事にしてやるから」
「なっ夫が死ぬなら、私も死にます! それはどういうことですか!」
思わず碧玉が激すると。十分後。
もはや腰もたたぬほどにふらついて幽來が現れた。
「あはん、もうダメ……」
そう甘くとろけるように言って彼は天狼の前にうち臥した。龍王が、
「ふん、たわいもない」
と言った風になよやかに倒れた彼を見下ろす。
(じゅ、十分でここまで……おそるべし、我が夫よ……)
と碧玉はあらためて夫に畏怖を感じた。「さあ、機嫌は存分にとってやった。俺の妻を返せ!!」
「ふん、ならばよい」
そう、強い声音で言った龍王へ、天狼が刀剣を投げ、自分も鞘をはらった。
「こうなっては命の取り合いしかのこるまい。かかってこいよ、我が弟よ」
「望むところだ」
二人が激しい剣劇を始める。碧玉が涙まじりのまなざしで、
「やめてえええ」
と声を張り上げる。
その時、であった。
「殿下っ殿下、至急の要件がございます。この戸を、開けさせてください」
家臣の一人が、悲痛な声を絞りだすように叫んで、そして、彼の身体は次にはドアごと貫かれていた。
剣先が、ドアをかききって、見慣れぬ軍服の男どもが平伏もせずに笑いながら入ってきた。
「なにや、つ……」
幽來が思わず凍り付いた。軍服は既に白幻と、凛鳴をからめとって、その首筋に剣をあてがっていた。
「ま、まさか」
「そのまさかさ」
居並ぶ軍服の男たち。その中心の白髪の男がにやりと笑んで、皇族たちを縛り上げるように命じた。
「さあ。このわしが皇帝になるための、とびきりの見世物の始まりだ!!」
◆第四章
そう、軍部最高司令官英 宗厳は、この日を待っていた。龍王たち皇族がいる限り、自分に栄華の春がやってくることはない。いつも悠然と、平伏する自分の前を一顧だにせず通りすがる美しき皇族たちのことを、この醜く出世欲の非常に強い男は悪しく思っていた。いまだこのクーデターのことを知る者は宮廷人には少なかったが、知ったとて何も出来る訳ではなかった。彼は軍部の全権を掌握している。一人、ふたりが立ちあがって、下手に逆らえばどうなるか、聞くまでもあるまい。
宗厳たち軍部の反逆軍は、まずこの紫禁城の皇族派を一掃した。抵抗するものは皆殺しとされ、敵の兵数も多く、油断していた皇族派家臣たちは瞬く間にとらえられてしまった。
龍王たちは手足を縛られ、天狼、幽来、白幻、碧玉、凛鳴たちともに、地下牢に押し込まれた。その目元はみなみな白い布で覆われ、世界に靄がかかった気がする。
「これからどうなるんでしょう、私たち……」
思わず凛鳴が震え声で漏らすと、怜悧で、他人にも自分にも冷淡な天狼が彼女を嘲った。
「はん。答えはもう決まっている。皇族が国を疲弊させ、民に豊か生活を送らせない元凶である。自分たちは血税で優雅にすごし、それにあかせて贅沢三昧と、でも言う気であろう。よって、これ、私が皆殺しにする、って死刑台で首を刎ねられるってところか」
「そうねえ、そして自分は国民たちを救った英雄として、新しき王になり替わる気だわ。今は皇帝受継式まであと8日ある。きっと、新しい皇帝が決まる前にそうするつもりよ」
「ははは、ご名答」
拍手をし、虫の這いずり回る地下牢へ入ってきたのは、首謀者の宗厳であった。彼は緑の軍服を身にまとい、鈍重そうな顔立ちをゆがめて笑って、こう言った。
「まさにその通りだ、第二皇子様。さすが聡明で知られた先帝のお子だけありますなあ」
その感嘆にはちっとも心が入っておらず、むしろどこか嘲笑している気さえ感ぜられた.
「ご安心下さい。この国のことはわしが好きなように、より強くしていきますので明後日には安心して極楽浄土をお楽しみ下さい」
「くっ頼む。せめて妻たちだけでも生かしてやってくれ!」
焦る龍王の声音に、宗厳、冷たく告げて。
「残念ですが、もはやあなたの妻も皇族でいられますな。そんな存在が生きていると非常に目障りだ。まあ……」
そこで60に手が届くこの中年はくくくと笑った。
「私の玩具になりさがるなら、秘密裡に生かしてやってもよいが。くく」
はははは! 声音大きく叫んで、睨みつける皇族たちを尻目に宗厳は去っていった。
「くそっやつは以前から軍部の暴君と呼ばれた男。あんな奴に国政を任せたら、まずいことになる! どうにか、せねば、どうにか!」
「落ち着け、我が愚弟よ」
龍王がふと、天狼を振り返った。もう、みなの白いあてがわれた目隠しは外されて、今は光の届かぬ異臭漂う牢の様子がありありと見てとれた。
「このような時に焦ってもどうにかなるものではない。体が動けぬ時は、知恵を使うのだ」
そう言って、天狼は袂に隠してあった薄様の文を筆でしたため始めた。
(こいつ、文を誰かに届けさせるつもりか!?)
確かに、この文が誰かにわたって、異常を知った全国の皇族派が挙兵してくれれば、状況はどうなるかわからない。それを狙って天狼は文をしたためているやもしれなかった。
(ちっ、悔しいが、確かにこの男にはそれを狙うだけの力がある)
忌々しそうに天狼を睨みつけながら、番兵がこちらへ来ないことを祈る龍王。
「よし、書き上げたぞ」
「何をだね」
みながびくりと身を震わせ、牢の鉄格子の方角を見た。宗厳が番兵を連れてにやにやしている。
「それを、渡してもらおうか」
最悪だ、終わった……。龍王は溜息をついて、苦しげな表情で顔を俯けた。だが天狼はさして慌てる様子もなく、その文を宗厳の皺にたかられた手に渡した。宗
厳が、一読する。そして。
「ははははは、これはこれは、素晴らしい御手紙を頂いた!」
と歓喜に絶叫した。龍王が、いったい何を天狼は書いたのだ、と不安になる。不安は的中した。
「われら皇族は、助命と引き換えに宗厳元帥のもとに従うことを約する。いやあ、ありががたいですなあ。しかし皇族たる人が、命欲しさに身分をお捨てになさるとは、いさkさか笑止と、言わざるをえませんな」
笑いのとまらぬ宗厳が、顔をもたげてにやりとした。
「では、この手紙は明日の朝議で読みあげさせて頂きますよ。さすればあなたたち用済み、他国でのたれ死んでいって下さい」
宗厳はにこやかに軽い足音たてて去っていった。龍王が、途端に天狼に噛みつく。「なんてことをしてくれたんだ。あいつはどうあっても俺たちを殺す気だぞ! なのになぜ」
「少し、黙れ」
「うぐ」
天狼が龍王の体を蹴飛ばし、それを見下ろして笑んだ。
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ファンタジー
家庭事情により給金の高い職場を求めて転職したリンリーは、縁あってブラウンロード伯爵家の使用人になった。
彼女は伯爵家の第二子アッシュ・ブラウンロードの侍女を任された。
ブラウンロード伯爵家では、なぜか一家のみならず屋敷で働く使用人達のすべてがアッシュのことを嫌悪していた。
アッシュと顔を合わせてすぐにリンリーも「あ、私コイツ嫌いだわ」と感じたのだが、上級使用人を目指す彼女は私情を挟まずに職務に専念することにした。
淡々と世話をしてくれるリンリーに、アッシュは次第に心を開いていった。
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