赤の女王

みや いちう

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一章

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「熱いっ熱いいいいっ」
  ――その夜、彼女は地獄の業火に焼かれていた。
 煙だしのついた、壮大にして壮麗な洋館は炎に包まれ、薔薇は焼かれ使用人たちも焼骨と化し、月のない夜を代わりに照らすように火が燃え盛っていた。彼女は
「誰かっ誰か助けて熱いいいい」
とのたうち、ドレスと足の燃える臭いによろめいた。そのまま立ち上がれなくなって、ぜえぜえと苦しみながらいずこへか手を伸ばす。ホットプレイスの近くにいた彼女の家族は全滅だった。父と母の焼ける臭いを嗅ぎながら、少女はもだえ、息絶えんとした。
 「だ、誰か、助け……」
  かくん、とうなだれた少女の右手を、なにか禍々しいものが掴んだ。

小鳥が鳴いている。赤煉瓦の屋根がどこまでも伸びていくのを、丘の美しき古城が見下ろしている。――ここは緑豊かなフィラードシェルド王国。そう聞けば、世界の誰もが口をそろえて言うだろう。
 「あの、世界一うっかりした女王が治めている国か」
と。
  世界一のうっかり女王エリザベス、通称べスは、その天才的な政治感覚と施政能力に反して、大変うっかりしたことで知られていた。それはたとえば外つ国の使者を変態と間違えて捕縛したり、海洋視察を行う際、船上から海に落ちて漂流するなど、どれも笑えるようで笑えないような話なのだが、不思議とそれでも彼女への民の信頼は揺るがなかった。それはこの小国を世界有数の経済大国にした手腕のせいもあろう。このフィラードシェルドは国土が狭く、農林業と観光だけで細々とやっていたのを、造船や武器などの輸出産業に力を入れ、べスが一気に経済大国の地位に押し上げた。他の国は普通支配地を持ち、そことの不平等な貿易で甘い汁を啜っていたものだが、彼女はそれを是としなかった。フィラードシェルド自身の力で他の大国とわたりあった。その手腕は確かに並々ならぬものがあろう。
――しかし彼女はうっかりしていた。今日もほら、城の一室に通された女王側女の最終候補者との面談に、一刻も遅れて来ている。その上彼女は、美しいブルネットの頭をかきか
 き、こう言った。
 「うわーうっかりしてしまったわー間違えてうっかりして最終面接者を二人も残してしまったわー」
(ななな、なんですって……)
 これに、最終面接者の一人、キキは驚愕する思いだった。世界屈指の大国の女王、そのうっかりした性質は伝え聞いて知っていたが、まさか、人を最終面接まで進ませておいて、人の眼前でそれを言うか、と、心底驚いたのである。キキの隣では、眩いばかりのブロンドの美女が、黒い裾の広がったドレスを纏い、にっこり笑んでいる。その美女のことを先ほどから女王も、女王の側近の騎士も侍従長も見つめてばかりいるので、キキは、
(ああ、私を間違えて最終に進ませてしまった訳ね)
と察しその場にいたたまれなくなった。
 「あ、あの私……」
  キキはただちに故郷に逃げ帰りたくなったが、父母を失くし兄妹のいる貧しい家庭に、帰る場所はもはやなかった。
 「あの、本当に下女でいいんです。炊事洗濯、何でもやります! 精一杯お仕えします! ですからどうか……!」
  これを聴いた女王は。
 「うん、いいぞー」
  と素直に頷いた。
(ちょ、超素直……!)
 そうは思いつつ、女王エリザベスの笑顔に、何か底知れぬものを感じたキキであった。

 「よかったわね、あなた。雇ってもらえて」
  女王の居室を出、薄暗い廊下に出たとき、もう一人の最終候補の美女にキキは声をかけられた。
(な、なんつー上から目線……)
と、頭をよぎる思いもないではなかったが、黒髪黒目の、上背もなくちんまりした自分と、まるで舞台女優のような美貌の、背のある長いブロンドの彼女には、何も言えなかった。
(そうよね、この方は気品もあるし、身分も才覚もある方なんだわ。その上美貌だし……私なんかが雇ってもらえただけ、ありがたいと思わなくては)
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。確かお名前は……」
 「ファタルよ、キキ。私のことはファタル様と呼んで」
 「え……」
  戸惑うキキに、ファタルは眼を眇めて続ける。
 「当たり前でしょう? あなたは下女だけど、私は女王陛下側近の侍女として雇われたのだもの。さっきの話を聞いて察せなかったの?」
(なっ……)
 キキは怒りが再びふつふつと煮たぎってきたが、しかし、それが現実なのだ、と自らを抑え、
 「はい、ファタル様……」
と呟いた。

  与えられた城の仕事は、炊事洗濯、庭にドレスの手入れなど、まさに下女そのものの仕事だった。分かってはいたが、キキはたまに、女王の傍らに侍るファタルを見るたびに切ない思いにかられた。
(ああ、思ってはいけないのだろうけど、羨ましいわ……)
 ――はるか昔、まだキキが幼かった頃、キキは一度、女王を見たことがあった。多くの従者や侍女、騎士に囲まれ、彼女は薔薇のようにあでやかに微笑んで、馬車の窓より手を振ってくれた。それをうずまく大衆の中より、熱い視線で見送っていたのがキキだった。
(あの頃、女王は十六歳、私は六歳だった。遠くから拝謁した女王はこの世のものならず美しく、私の遠い夢になった。あの悲劇があっても、いつかまたお会いしたい。そしてあのような方にそばでお仕えしたいと……そう思ってきたのだけど……)
 それから十年が経った。自分は今、下女として侍従の洗濯物を畳んでいる。その現実がキキにはひどくわびしく、寂しく感じられた。
 「キキさん、ちょっとこちらを手伝って頂戴」
  下女の一人がそう言って手招いたので、慌ててキキは涙をぬぐい、そちらへと走り寄った。
キキは女王の纏うドレスの手入れを任された。どれも質素な、それでいてクリイム色の品のある色合いで、美々しい中高の顔つきの女王の威厳を、さらに高めるようなデザインだと感じられた。
(これを纏った陛下のお姿を、一度は拝したいものだわ……)
 そんなことを思いながら、繕いをしていると。
  ドシャ―ン!!
突然、窓から何かが落下して、地に潰えたような音を聴いた。
 「なっなにっ」
  驚いてキキが窓を開けると、なんとそこには、紺のドレスを纏った女王が地に頭から刺さっていた。
 「大丈夫でございますか!」
  すぐに窓から身を乗り出して、女王べスの手を取り、引っこ抜き立たせる。二階からでも落ちたのであろうか、べスに怪我のひとつも見られなかったので、キキはほうっと一安心した。
 「僭越ながら、どうなさったのです、陛下」
  べスはまた頭をかきかき、
 「いや、うっかりして頭から落っこちてしまった」
とはにかんだ。
 「おや、お前は確かキキ、と言ったね。いやーごめんごめん、うっかりして私付きの侍女のはずが下女として採用してしまった。さぞや恨んでいるだろう?」
 「は、はあ……」
  まるで悪びれず、けれど悪意のない顔でそう言うので、キキは思わず笑ってしまった。
 「ですが、雇って頂いただけでありがたいと思っておりますので」
 「そうか」
  これを聴くと、女王は顔をややほころばせ。
 「どんな仕事でも真摯にやる、お前の評判はきちんと我が耳にも届いているよ。なかなか出来ないことだ。立派なことだ」
 「は……」
  キキはあやうく落涙しそうになって、なんとかこらえた。あの憧れであった女王と、肩を並べて木漏れ日の中座って、こんな言葉を下賜されるとは。
 「……嬉しゅうございます、陛下」
 「陛下―!」
  その時、上から落下した女王を探しにきたのは、面接の時にもちらと会った面々であった。まず騎士姿の男が口を切る。
 「大丈夫でございましたか。まあ、陛下のことですから、大丈夫なんでしょうけども」
 「うむ、大事ない。ありがとう」
キキはしばしこの麗容の青年騎士に見惚れた。
(この、青い髪を一つに結わえた方が王属騎士長のアラン様、男らしい、凛々しいお顔立ちをなさっているわ。青の軍服がよくお似合いで)
 「あらん、陛下、大丈夫う?」
   キキがアランに見惚れている間、一人の影が彼女に寄ってきた。気配を感じ振り返ってみたとき、ピンクの総レースふりふりドレスに、ごてごての化粧を施した美しい女が、キキの肩を抱いた。
 「あらまあ、可愛い子ねえ。新入りさん? お名前は」
  その声がハスキーなのにキキは驚いた。彼女は確か侍従長の――。
 「アラン、ジョセフィーヌ。この子が例の最終面接の子、キキだ。下女となっても、くさらずよくやっていると、お前たちも聞いているだろう」
 「ええ、ええ。キキちゃんは頑張り屋さんなんだってね」
  いかにも優しそうなジョセフィーヌが頷くと、キキはまた面映ゆくなって、泣きそうになった。
 「しかし、陛下困りますよ、うっかりがすぎて謁見の間のテラスから落っこちるなんて」
 「はいはい、またお小言か」
  と、三人が背を向け、優雅に歩き出す。女王がふいにキキの方を見やった。
 「キキよ、またな」
  この一言に、キキは喜色満面に浮かべて。
 「はい!」
  と頭を垂れた。
(今日はいい日だわ。アラン様にもジョセフィーヌ様にも会えたし、何より陛下にもお言葉を賜ったし……あ、でも)
 ふと、キキの頭にある疑問が残った。謁見の間は、確か城の五階部分ではなかったか?

 キキはこの日よりべスに気に入られ、よく声をかけてもらうようになった。それを妬むような下女は誰もおらず、
(おそらく陛下は、この城の誰もに、自分は陛下にとって特別、と思いこませるだけのふるまいをしているのだわ……)
 どこがうっかりか、とキキは民の伝承を笑いたくなった。彼女は決してうっかり女王ではない!
 そう思い、一人にたにたしているキキの姿を、ファタルが忌々しそうに睨んでいた。

  それから幾日が経った頃、うす曇りの日に、べスは薔薇が見たいと騒いだ。本来なら軍備についての話し合いがもたれるはずであったのだが、べスは「まだその必要はあるまい」とスケジュールを先延ばしてお茶の時間とした。芝と薔薇の織りなす均整の取れた庭には、四阿があり、そこにホットティーと、色とりどりのマカロン、雉肉の入ったパイなど馳走が饗された。ちょうど他の侍女は用を言いつけられ出払っていたので、キキに直々のご指名があり、キキはよく蒸したハーブテイーを女王の前に置いた。その時である。
 女王はちらとティーを一瞥し、それからゆっくりと口を開いた。
 「キキ、このお茶はよくやっている褒美にお前にやろう。飲みなさい」
 「え?」
  あ、はあ、とキキはティーを持つ。ちょうど喉を潤したかったし、それに、と、キキの思念は正答を導き出していた。
(おそらく毒が含まれているかどうかわからぬものを毒見させるおつもりで、女王はそれによって私の忠誠心を測るおつもりなんだわ。ならば)
 キキはティーを一気飲みした。美味しい。どのハーブも喧嘩せずに、甘くまろやかでいて、ベルガモットの香りがほんのりした。
 「美味しゅうございました、陛下」
  べスはしばしキキの方を見やっていたが、その後でまつげの影を落とし、くす、と笑った。
 「お前は信ずるに値する者だね、キキ」
  べスはそれから、胸の裏地に縫い留められてい白い粉薬を、キキに手渡してにっこりと笑んだ。
 「これは私の命にかかわる薬だ。地下室に隠してある。お前の忠誠心とまっすぐな心根を認めてこの重役を授ける。この薬を紅茶に混ぜ朝夕、私にのませておくれ」
 「は、はい!!」
  キキは嬉しさのあまり飛び跳ねそうになった。ご自分の命にかかわる薬を、陛下は私に調合せよと言って下さった! そう、命を預けて頂いたのだ!

 その日の夜も更け、キキは女王の寝室周りの警備を任された。寝室の閉じられたドアの前を、静かに行き来する。それからふいに角を曲がる。そこでは、女王の側女をつとめるファタルが、立っていた。その手元には女王が安らかに眠るよう、紅茶が用意されている。それへザアザアと彼女は白い粉を入れているらしかった。
 「何をなさっておられるのです」
  キキが思わず尋ねると、ファタルはびくり、として振り返り、その後でやや不機嫌そうな顔でなる。
 「見てわからないの。陛下の紅茶に砂糖を入れているのよ」
と言った。ああ、そうか。とは頷きながら、キキは彼女の表情になんとはなしに不信感を覚えた。
 「どうしたの。何を見ているのよ、下女のくせに。さっさと行きなさい」
 「はあ、でも……」
 「陛下は紅茶に砂糖は入れないわよん」
  このハスキーな声には二人して肩を震わせた。キキはゆっくりと首を声の方へ向けた。
 「こんばんは、可愛いお嬢さんたち」
  ハスキーな声の主は、無論ジョセフィーヌであった。彼女は白のネグリジェにピンクのガウンを纏って、壁にもたれにやりとした表情でこちらを見据えている。それからつかつかとこちらへ歩み寄ると、
 「あっ」
 「この紅茶は捨ててしまいましょうね」
  ファタルの入れた紅茶をざあと床に流した。
 「では、おやすみなさい?」
そう言い置いて、去っていく彼女の後姿を、キキはますます訳がわからなくなったまま見つめていた。

  それから幾日か経ったある夜。べスの居城にて、フィラードシェルド王国属する、ヨーロピアンヌ大陸の大国の面々を招いた舞踏会が催された。黄金の床に、映る色とりどりのドレス、礼服。キキもワインを片手に給仕しながら、その集まった面々を注視していた。
(あれは、確か新興国ワッツランドの君主様、あそこには、ネーデルランドの即位されたばかりの国王様……そのお隣は民間初の王妃様。あちらには奴隷を解放した進歩的思想の大総統。この舞踏会、何故だろう。歴史ある大国の貴顕というよりは、新興国や進歩的な考えを持った方々の集った会議のような感じさえ与えられる……)
「うふ、キキちゃんは鋭いわねえん」
  びくりっ。キキは肩を震わして振り向いた。背後からジョセフィーヌの細く、固い腕が回ってきた。
 「な、何のことでしょう、ジョセフィーヌ様……」
  ジョセフィーヌはドレスの首にかかったこげ茶のレースを煩わしそうにしながら。
 「昔の癖でね、私には顔色だけでその人が考えていることが分かるのよ」
  「え、あ……」
  しどろもどろになるキキへ、ジョセフィーヌが艶に微笑んだ。
 「あなたの読み通りよ、キキちゃん。ここには本来誰よりも来るはずの、ヨーロピアンの古き貴顕は来ていないわ」
 「そ、それは、どうして……」
 「さあ」
  ジョセフィーヌの涼しい流し目に、キキは思わず頬を染めた。
(私ったら、女の人に何照れているの……!)
「それはまた今度教えてあげるわ。今は言えないのん」
 「え」
ジョセフィーヌはさらに言葉を継ぐように。
 「べスは命を常に狙われているからねえん。そう簡単に話してはいけないの」
 「ど、どういう事ですかっ」
 我知らず身を乗り出し、ジョセフィーヌへすがりつく勢いになってしまったキキを、ジョセフィーヌがくすくすと笑っていなす。
 「少し落ち着きなさいな。まあ、キキちゃんは頭がいいから、私についてくればわかっちゃうかもねん」
  この言葉に、キキは、(試されている――)と感じた。先日の女王の試験、と同じものだ。不思議とそれに不快な感じはなく、むしろ凛とした調子で、キキは
「はい、お供させて頂きます」
と頷けた。


 キキとジョセフィーヌは、美しい蚤色の、襟ぐりの開いたドレスを纏ったべスの後ろをついていく形で、舞踏の間に入った。その途端にあたりをどよめきが走った。
 「女王エリザベス、なんという美しさだ……」
 「さすが死なぬ王、我がエリザベス……!」
 「不死の女王は、年を取らぬのか……!」
  そのすべてが感嘆と賛辞の声であった。あくまでべスは毅然としている。
(不死? 死なぬとは、どういうこと?) 
その様を見据えながら、キキは隣のジョセフィーヌへと声を低め囁いた。
 「ジョセフィーヌ様、不死、とは?」
 「ああ、それはね」
  「待てジョセフィーヌ」
   そう言ってハイテーブルより降りてきたのは、騎士団長のアランであった。
 「そのことは、俺が話す。お前はべスのお守りを頼む」
 「ああん、いけずう」
ジョセフィーヌとつないでいた手をほぐされ、キキは騒がしい舞踏の間の、カーテンの隙にアランによって連れ込まれた。
 「キキ、お前は相当べスの信頼を得ている。頭も悪くないようだ。そのお前に訊きたい。十年前の事件を覚えているか」
   十年前――。キキは探り当てた記憶という名の正解を、ゆっくりと言の葉に紡ぎだした。
 「あの、火の不始末によって、王族のほぼすべての方が焼死された事故のことで……」
 「ああ、だがそれは事故ではない」
えっと、キキは喉が詰まる思いした。あの大惨事のことは、王国民であるキキの耳にも無論届いていた。侍女の火の不始末によって、ホットプレイスちかくより出火。炎は薪を舐め人を食らい、ついには王族のほぼすべてを無残に焼き殺した。火の勢いが強かったせいもあろうか、骨はほとんどが焼き切れて、躯が誰のものかさえ判断出来なかったと聞いている。
 「それが、何者かによる放火だと、そう、おっしゃるのですか?」
 「ああ、間違いない」
  ああ、と聡いキキは合点がいった。どうしてこの人は騎士団長でありながら、いつも騎士団ではなく女王の傍にいるのか。それは、あの火災より奇跡的に助かった女王が、「あれには犯人がいる」と言われ、さらにはその者による身の危険を感じているから。それは察するところ、
 犯人はまだ捕まっていない――ということだ。
 「犯人の狙いはいったい何なのです」
 「……ここフィラードシェルドの弱体化と、それにつけこんだ王位の強奪だ。特に隣国、ヨルノディア帝国の女王エレンとその夫はそれを望んでいる」
  つまりは、その者たちの一派が犯人だと睨んでいる。アランはそうは言わなかったが、理解の早いキキはそうまで読み取った。ヨルノデイア女王とその夫の美しさは、庶民であるキキも知っているくらい、高名であった。戦争好きで、その施政が苛酷でもあるので、美貌と冷徹さを兼ね合わせた、氷の女帝とも呼ばれていると。そこと結びつくと、過酷な税制で搾り取った豊かな財源を持つかの国の融資のおかげで、支配地政策がうまくいく、と、ヨーロピアンヌの古き国々は喜んで氷の女王に膝まずくのだ、とも。
(だから、覇権主義をとるヨルノディアと思想を分かつこの国では、そういった面々を呼ばない、ということ……それにしても……)
「ご自分を除くご家族のすべてが殺されてしまうなど、痛ましいこと……」
キキは自分の中に浮かんだ素直な気持ちを、そのまま口に出してしまった。これにアランは、いたく険しい表情を見せた。
  ◆
舞踏会も終わり、漸く城に平穏が戻ってきたある宵、キキは紅茶に例の薬を含ませようとしていた。この白い粉薬の、配分を間違えてはいけない。一杯につき一包、それ以上は毒になってしまう。
 「キキ」
  ふいに背後から声をかけられた。振り向くとファタルがいた。ファタルは急におもねるような調子で、
 「それ、私が運んでもいいでしょう」
と言ってきた。
 「あ、でも……」
  キキが渋い顔をしているのを、知ってか知らずか。
 「大丈夫、私もお薬のことは知っているわ」
  これでしょう、とファタルはキキの目の前で白い薬をさあさあと入れた。
 「じゃ、これは私が持っていきますからね」
 「……」
  そう言って意気揚々とファタルが女王の部屋の中へ入っていく。キキは心配になって、閉じきられた部屋の前をうろうろしていた。すると次の瞬間。
 「ぐっぐわああああ」
  と、女王の苦しむ声と床を叩く音が聞こえた。
 「へ、陛下っ!?」
  部屋のドアをけ破って、飛び込んできた光景にキキは言葉を失くした。床に女王が夥しい血のあぶくを吐いて死んでいた。
  ファタルが笑っている。
 「ファタル……あなた何をっ! まさかあれは、薬ではなかった……!?」
 「そうともキキ。俺はかの国の女帝より遣わされしスパイ、そして暗殺者だ」
  はっと、キキは息を呑んだ。この声、女のものではない。そうだ、女にしてはファタルはやたらに上背があった。ファタルは女ではない。男だったのだ。
 「おのれ、最初からこのつもりでっ」
  怒りに頬を紅潮させるキキへ、ナイフをかざしながらファタルが歩み寄ってくる。
 「ふふ、筋書はこうだ。女王側近のキキは、庶民の出で、過酷な税制に耐え兼ねて女王の暗殺をもくろみ、薬をわざと多めに含ませ女王を毒殺した。その後で待っているだろう極刑、車裂きをおそれ、喉を突いて自殺した……どうだい。悪くなかろう」
 「ファタルっ貴様っ」
 「さあ、俺の罪をかぶって死んでくれっ」
  ナイフが喉を狙ってキキに襲いかかる。
(くっ)
 キキは生を諦め眼を瞑った。しかし。
 「ぐわっ」
  突如、ピストルの音が響いた。眼を開けば硝煙が立ち昇るのと、ファタルが右肩をおさえうずくまっているのが見てとれた。
 「あらん、もうちょっと泳がせて様子を見る予定だったけれど、可愛いキキちゃんまで殺そうとするなんてねえ、許せないわねん」
  そういいながらにこやかにこちらへ近づいてくるのは、真紅のドレスを纏ったジョセフィーヌであった。いまだその右手には硝煙立ち昇る金のピストルを持っている。その背後から騎士団長のアランも寄ってくる。
 「お前が、かの国の息がかかったスパイだというのはもう調べがついている。おとなしく、我らが女王に殺されることだな」
  「我らが、女王? くっ」
はっはっは。ファタルは右肩を紅く染めながら声高に笑った。
 「残念だったな。貴様らの女王は我が毒を飲んで死んだ。もうこの世の者ではない」
  そうだ――。これを聞き、キキは慟哭しそうになった。あの優しかった、うっかり女王の死体は先ほど自分も見ている。死相が現れ、目を剝き、夥しい喀血をして死んでいた女王――。
しかし、アランも、ジョセフィーヌもにこやかにこちらを見据えているだけだ。
 「な、何を笑っている!! 貴様らの女王はもうとうに死んだんだぞ!」
 「……へえ、それは知らなかった」
  次の瞬間、キキは眼を疑った。女王はまるで何事もなかったかのように立ち上がり、真紅に染まったキナリ色のドレスの裾をそよがせて、笑った。
 「女王、陛下……!」
 「きっ貴様あ! なぜ生きている!! あの時、俺は確かに貴様を殺したはずっ」
  ふふ、と女王は驚きに目を見開くキキへと微笑みかけた。
 「そうさ、私は確かにあの夜、うっかり殺されてしまったのだ」
  それから女王は静かな声音で語り始めた。十年前のあの日、屋敷に火を放たれ、大切な人々が焼き殺された。自分の肉の焼ける臭いをかぎながら、べスもまた絶命した。美しい天使たちが花園にいる自分の手を引きに来たのは覚えている。だが、突如黒雲が膨らみ、天使たちは禍々しい何かに恐れをなし逃げ出してしまった。霞む意識の中で、その男のさしのべた手をべスはとった。
 「それこそ、魔王サタンの魔手だった」
  魔王サタンはこの世のものならず美しかった。煙のようにうねった黒髪、金色の禍々しい瞳。通った鼻筋、真紅の唇。その唇が何か喋ったように感じられた。
それは確か――。
 「お前も俺の下僕にしてやろう」
  「そして私は魔王に唇を奪われた。その時に刻まれたのだ。この舌の呪われたエンブレムは」
  そうしてべスは、黒ずんだ舌を押し戻し、髪を一本引き抜いた。それはみるみるうちに膨らみ、炎の黒剣と化した。彼女の周りを炎が包み、ゆらゆらとそのブルネットが炎色に点じられた。
 「あの日、私を焼いた炎はいまだ消えておらぬ。うっかりしてわが身に纏わってしまったのだ」
  べスが剣を一薙ぎすると、ファタルの頭から上の壁が焼け焦がれ、燃え落ちた。
 「ひっひいいいいいいい!!」
  ファタルは腰を抜かし、そのまま逃亡をはかった。
 「まっ、待てっ」
  キキが追おうとするも、ジョセフィーヌに止められる。
 「女王、陛下……これは、一体どういう……」
  そう尋ねるキキへ、べスはおどけたように首をかしげてみせた。
 「さあてね、まあつまり私は、うっかりして魔王の下僕、魔女と化してしまったようだ。幸い奪われたのが純潔でなく唇だけだったから、完全に悪鬼と化すことはなかったが。それでも魔女として、人よりは永い、そして歪な命を得たことだけは間違いない。年はとらんしね」
 「そ……んな……」
 「まあ、悪いことばかりではない」
  べスは、泣き出しそうなキキの頭を撫で、こう言った。
 「この力があるから、私は私の家族を殺した者たちを焼き殺すことが出来る。いざとなればこの炎の魔力で、民を守ることも出来る。うっかり人間ではなくなってしまったが、そう悪くとらえても仕方あるまいし」
  ふふと、愛らしく笑うべスに、キキの心もほぐされたようだった。
 「しかし、あの男を逃してよろしかったのですか、陛下……」
 「ああ、そうだ、うっかりして忘れてたわ」
  ぽん、と女王は手のひらを叩いた。
 「あの男にわざと盗ませた機密書類の中に、私の髪の毛を何本か入れておいたのだ」
  ボーンっ!
 その途端、城ちかくの森で爆発音が響いた。おそらく炎の剣が破裂したのだろう。あのスパイごと。
 「しかし泳がせてよろしかったですわねえ陛下。おかげであちら側の情報もだいぶ洩れましたわん」
 「しかし、わざと死んでみせるのはよろしくないご趣味ですよ陛下。本当に死んだらどうするのです」
 「いやーうっかりして死ぬかもしれんな。わははは」
  人が死んだというのにこの和気あいあいぶり。キキはこれにおののくどころか、笑顔を浮かべている自分に気が付いた。それを認めた女王たちもくすり、と笑む。
 「どうだ、キキ。お前はうっかり重要秘密を知ってしまったし、我らが仲間に入る資格は十分にあると思うのだが」
 「そうねえん。ただし入ったら死ぬまで抜けられないわよお」
 「何たってここは、化け物が跋扈する恐ろしい国だからな」
  ジョセフィーヌもアランも口の端をあげている。キキはなぜだか楽しくなってきて、この化け物揃いの恐ろしい国に仕えることを誓った。
 「すべて仰せのままに。我が女王陛下。いえ、不死なる女王」
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