悪戻のロゼアラ

yumina

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トワとロゼアラ 2

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 俺は泣いた。
「アスター!」
「どうしたのです、トワ様?」
 屋敷に帰り着くなり玄関広間に居たアスターに抱きついて泣いた。
「ごめん! ごめんな! お、俺はお前に何て酷い事をしたんだ…!」
 俺は必死にアスターに縋り付く。俺の身体を受け止めきれなかったアスターと一緒に俺もその場に頽れる。
「ご気分が優れないのですか? すぐに準備をいたします。部屋へ戻って少し横になりましょう」
「うわーん、アスターぁ! 俺、俺、なんてことをしでかしたんだ…。ゆ、許してくれなんて言えない酷いことを」
 床に座り込んだまま喚いた。
「トワ様?」
「ごめんな、俺があんなになったから、お前も巻き込まれて俺の尻拭いなんて重荷を背負わせて!」
 俺の要領は得ない。
 混乱で冷静になれなかった。
 けどアスターは何も問う事なく、あやすようにぽんぽんと俺の背中を優しく叩いてくれる。
 それが更に俺を泣かせた。
「俺、子供なんて絶対に作らない! 誰とも結婚しない! 俺はこの家で引きこもって誰にも迷惑をかけないで静かに余生を送る!」
「大公子息様と仲違いでもしたのですか? でしたら私が執りなしてきます。外出の許可と大公家へ訪問の先触れを」
 アスターは外出の用意を始める。俺は離れていく自分より一回り小さい身体を引き留めた。
「違うんだ! ラゼルは関係無い! いや、あるけどそれはラゼルのせいじゃなくて俺が馬鹿でろくでもない奴だったから…、う、うわーん! 俺、死ぬ! 今、死ぬ!」

 そうしたら俺がラゼルと結婚することも子供を産むことも無く、その子が親に手をかけることも国を滅ぼすような野望を持つこともなくなる。

 あれは俺が起きたまま見た白昼夢かも知れない。
 あれが自分の未来だとは信じれない。
 けど、あれは確かに自分の行く末で、俺は『悪戻のロゼアラ』を作り上げてしまった張本人だ。
 夢でも何でもなくて、俺はこれから先の未来で過ちを確かに犯した。
 それは紛れもない事実。
 俺はそっと自分の胸辺りをなぞった。
 帰りの馬車の中で首元のクラバットを緩めて中を確かめてみた。そこには当たり前だけど刀傷なんて見当たらなかったけれど。
 俺の生命を奪ったロゼアラの剣の一撃、その峻烈な激痛を今の俺は覚えていたのだから──

「ラゼル様は聡明な方です。トワ様をここまで嘆かせるのは不本意なはず。きちんと話し合えば誤解も解けます」
「アスタァっ、俺、俺、死んであの世で犠牲になった人たちに詫び続けるからぁ! ごめんっ、ごめんなさ…いっ、ロゼア…っ」
 泣き叫んで最後は言葉にならなかった。
「アスター、どうしたのです? トワ様の声が奥の応接間まで響いてますぞ、…な、泣いておられるのですか⁈ トワ様、どうなされました!」
「フリップ…」
 長年我が家に仕えてくれている家令だ。俺の涙と洟水はなみずで汚れた顔を見るなり顔色を無くしてその場で立ち尽くす。
「う、うわーん!」
 彼の姿にまた涙がぽろぽろこぼれる。
「トワ様⁈」
「どうしたのです、騒々しい。広間で何を騒いでいるので…トワ様? そのお顔は…! 主治医を呼びなさい! 一大事です!」
 古参のメイド長のイザベラが近くのメイド達に指示を飛ばす。
「イ、イザベラぁ」
 涙目でメイド長の名前を呼ぶ。
「トワ様、どうされたのですっ⁈」
「何事だ、トワ君がどうかしたのか?」
「旦那様、トワ様が…!」
 二階から父上が姿を現した。
「トワさん、どうしたの? 学校で何か嫌な事でもあったの?」
 その後ろからは母上が。
「父上ぇ、母上ぇ…」
 アスターにハンカチで洟水を拭われながら俺は両親を涙声で呼んだ。
「どうした、トワ君! また大公家の小倅に虐められたのか! それとも他の奴がお前を嫌な目に合わせたのか⁈  名前を言いなさい! 父様がそいつをこの国に居られないほど酷い目に合わせてあげるからね!」
「トワさん、正直におっしゃい。母様も貴婦人連合会々長の権限を使ってお相手のご家族を社交界から孤立して差し上げますわ。ウチのトワさんに手を出したらどうなるか未だに理解されない方がいらっしゃるなんて随分と舐められたものですわ」
 母上は持っている扇を今にも真っ二つに折りそうだ。
 父上、母上…!
 そんな二人に俺の涙腺は更に崩壊。
「う、うわーーーんっ!」
 
 ごめん! 
 俺のせいでこの公爵家がこの国の歴史から抹消されたんだ…!
 俺が思い出した未来ではこの公爵家は取り潰されてしまった。
 俺が直接の原因じゃ無い。
 けど切っ掛けになった。
 俺はこんなに俺のことを大切にしてくれるこの家のみんなを不幸にした…。
 
 でもこんな事、申し訳なさ過ぎて皆んなには言えないよ…!
 
 それからはもう、屋敷の玄関広間は大騒ぎ。洟水を垂らしながらわんわん号泣する俺、怒りに震える父上、悪い顔でこれからの算段をする母上、それを心配そうに見守る使用人達でごった返していた。
 我が家始まって以来の大騒動だ。
 
 その後、駆けつけた医師に、本格的な成熟期を迎える年頃のオメガにありがちな情緒不安定からくる症状だろうと診断されてその場は落ち着いた。
 そんなんじゃないと言いたかったけど、俺自身、どう説明していいのかもわからなかったからその主張はしなかった。それにいつまでも俺が取り乱したままだと屋敷の皆んなに心配をかけるから、俺は大人しくしていた。
 
 過去を思い出し精神的に疲弊していたからか、自室へ連れられベッドに寝かされるなり俺はすぐに深い眠りについた。

       ※ ※ ※ ※

 今日も夢を見る。
 昨日までと違ってはっきりとした鮮明な夢。
 ロゼアラが産まれてから、俺が人生を踏み外すまでの夢。
 俺はロゼアラを育てなかった。
 婚姻時に共に大公家へ付いて来てくれたアスターに幼いロゼアラを任せ、俺は夜な夜な家を留守にして他家の様々な集まりに顔を出していた。
 ラゼルともすれ違いの生活。
『お前が何をしようとも自由だが、親の責任は果たせ。少しでもいいからロゼアラに目を向けろ』
 たまに会えば耳に痛い苦言ばかり。
 ラゼルの腕に抱えられた小さなロゼアラの感情の乏しい目。それが俺の方に向けられている。責められているようで俺はまた目を背ける。
 その後も俺はロゼアラを顧みる事なく、華やかな社交界で身をすり減らすように人生を消耗していった。
 ラゼルはラゼルで仕事に忙しく、大公家の広い屋敷は主人不在の日が多く。
 ロゼアラはそんな孤独の中で歪んでいったのだろう。
 『やっと僕を見てくれた』
 剣を手にした少年になったロゼアラの、それは魂の叫びだったと今なら分かる。
 俺は間違った。全てを。
 だからロゼアラに殺されるのも自業自得。
 けれどロゼアラを俺の罪に巻き込んでしまい、取り返しのつかない未来に導いてしまった。押し寄せる後悔と慚愧。けれどもう手遅れ。
 俺は血に染まる視界の中で、涙に濡れるロゼアラの顔を最期に焼き付け、二日間生死の境を彷徨い、三十四年の人生を終えた。

 目が覚めてもその夢をきちんと覚えていた。
 そして、産まれてきてから死ぬまでの人生を俺が一度現実に歩んできたのだと痛切に実感した。

       ※ ※ ※ ※
 
「ハァ…」
 あれから三日後。俺は学園の敷地内の庭園のベンチに腰掛け深いため息を吐いていた。
 膝には昼ごはんの包み紙、それを抱え込むように前屈みになっている。
 正直、食欲は沸かない。
 中身は実家の料理人が朝から腕によりをかけて作ってくれた特製サンドイッチだ。食堂に近寄れない俺は昼食を持ち込んでいた。
 試験が終わり、今日から通常授業だ。
 軽いお茶ができる敷地内のカフェテリアで暖かい紅茶を買って外で昼ごはんを済ませるつもりだったんだけど。
 半端なくストレスが凄い。
 何のストレスかというと、ラゼルに会えないストレス。
 今まで金魚の糞の如くラゼルの後ろを付いて回っていた俺が急にそれを辞めたせいで早くも身体に負荷が掛かっている。
 ラゼルの顔を見れない物理的負荷。
 俺の知らないところでラゼルが他の誰かと親しくしているかもしれないという妄想による精神的負荷。
 俺はこの先一人でやっていけるんだろうか…。

 俺はあれから考えた。
 あの未来が、夢でも妄想でもなく俺が現実に歩んだ事なのだと受け入れた。そうすると次に考えるのは謎の部分。
 何故、俺の世界は巻き戻ってしまったのか。
 どうして過去の記憶が残されたままなのか。
 疑問は尽きない。
 けど、一旦その問題は横に置いておこう。
 時間を巻き戻したような今の状況は俺の事を憐れに思った神様か何かがくれた慈悲なのではないかと思うことにした。だってあまりに残酷すぎる運命だから。
 今はあの悲劇の前だ。
 俺が過去でラゼルと結婚したのはこの学院を卒業したその次の日。今は二回生の五月。卒業までは約二年間の猶予がある。
 それならその間に未来を変えることもできるんじゃないか。
 そしてそれは容易い筈。
 過去の記憶を思い出したあの日、混乱しながらもアスターに生涯独り身でいると宣言した。
 それが最善策だよね。
 俺が子供を産まなければ、それだけであの破滅の未来が回避されるはずだもの。
 俺は将来、ラゼルの伴侶となってロゼアラを産む。
 だったらラゼルと結婚しなければいい。ほら簡単。俺次第でどうにでも出来る事なのだ。もともとラゼルは俺に関心がない。
 これで俺が惨殺される未来は回避できる。
 ヴァレリア公爵家俺の実家も、ついでに国も滅ばない筈。
 
 俺は決心した。
 今回のやり直し人生ではラゼルの事は諦めようと。
 だからなるべくラゼルとは接点を持たないようにする。そうして婚約しないままこの学院を卒業する。
 これが俺が出した結論だ。
 
 けれど俺は相変わらずだった。
 記憶を取り戻して心を入れ替えたと言っても、今までの日課のようにラゼルを追いかけていた日常とは違い過ぎて、どうにも違和感だ。
 いつもならばラゼルと一緒にランチをしている時間。それが今は人気のない庭園の隅でぼっち飯。全然慣れない…!
 ラゼルとはあれから顔を合わせてない。
 学院ではラゼルは家の付き合いだとかでいつも何かしら誰かに時間を奪われている。こちらから会いに行かなければ捕まえられない相手だ。だから以前の俺はそれこそ脇目も振らずに必死に追いかけていた。
 しかし今はそれを我慢している。
 どんなにラゼル成分を摂取したくても未来のために我慢しなくちゃいけない。
 でも、三日もラゼル断ちして結構限界。
 ラゼルが足りない。
 ラゼルの顔を見たい。
 ラゼルと話したい。
 ラゼルを求める欲望が俺の理性と一進一退の攻防を繰り返している。
 俺の自制心、可及的速やかに育ってくれないものかな…
 そんなことを悶々と考えて、無理を言って作ってもらった昼ごはんは俺の膝の上で手付かずのままになっているのだった。
「せめて誰か話し相手でも居たらなぁ」
 気も紛れるのに。
 けど俺には友達といえる友達は居ない。三日前までの俺はラゼルを中心に世界が回っていた。その他の人間は眼中になかった。
 貴族社会の縮図みたいなこの場所でも利害を超えた友人を作れる機会はあったのに俺はそれに目を向けなかった。
 身から出た錆だけど今それを思い切り後悔してる。
 こんなぼっちになるってわかってたら、友達の一人や二人作ってたのに…
 まぁ、俺が作れる人間関係なんて利害だらけの殺伐としたものだろうけど。
 俺って改めて考えると友達一人さえ作れない対人関係に難ありのダメ人間じゃ…。
「いや、せっかくやり直し中なんだ。これからだ、俺の未来は…!」
 頭をブンブン振る。

「何一人でぶつぶつ言ってんだよ。気味悪りぃ奴だな」
「!」
 フリュウだ。
 相変わらず金髪をたてがみみたいに立てて後ろへ流している。制服のジャケットを肩に引っ掛けてるし襟元はボタンを外してくつろがせて太い首が丸見えだ。前見た時と変わったのは、やたらとアクセサリーを身につけている事。一つ一つの装飾品はシンプルなデザインのそれなりの品みたいだけど、こいつが身につけると途端に治安が悪くなる不思議。
 こいつともあの日以来だ。
 フリュウは肩を怒らせながらめんどくさそうに俺の隣に座ってきた。
 同席したいならまず先客に許可を取るのがマナーだろ。これだから元庶民は。
 ………。
「なんだ?」
 フリュウが片眉を上げて睨んでくる。
「いや、何でも無い」
 俺って本当にこの性格矯正出来るのだろうか⁇

 俺はやり直しに当たってもう一つある決心をしていた。
 性格矯正。
 あの未来はひとえに俺のこの性格のせいでもあった。高い理想を追って、周りが見えなくなってしまう愚かさ。一途といえば聞こえはいいが過ぎれば毒でしかない。
 前回の俺は思うままそれを発揮して破滅した。だから今回は慎重に生きていこうと思っている。また間違ってラゼルを選んだりしないように。
 そう思うとじんわり涙が浮かんできた。
 だって俺はまだラゼルを好きなままなんだ。あんな未来を見せられても長年募らせた恋心はそう簡単に消えてはくれない。それなのに諦めなくちゃいけないなんて…。
 つい感傷に浸り、隣にフリュウが居るのに泣きそうになる。いけない、泣き顔なんて見せては事だ。
 俺は慌ててさりげなく目を擦る。
「………」
「………」
 それにしてもこいつ、なにしにここへ来たんだろう?
 フリュウは背もたれに身体と両手を預け、長い足を左右に投げ出してだらしない格好で空を仰いでいる。
「あー、腹減った…」
 ……。
「お腹空いてるなら食堂でお昼食べてきたら?」
「あ? 冗談じゃねぇ。あんな小洒落たとこで飯食っても食べた気になんねぇよ。盛りもいちいち上品だし鼻持ちならねぇ」
 本当に嫌そうだ。
「あ、そう…」
 仕方ないか。平民出だもんな。育った環境ってあるよな。
 俺も食欲は無かったから、カフェテリアで購入した紅茶をちびちび飲む。すっかり冷めていて余り美味しくない。
「なんかいい匂いがする」
 ふとフリュウが形のいい鼻をくんくんさせた。
「え…」
 俺はドキッとする。
 アルファの嗅覚は鋭い。オメガのフェロモンを嗅ぎ分ける。
 頭の中で警鐘が鳴る。
 オメガのフェロモンはヒトの生殖衝動を本能的に掻き立てさせる。それはもう、誰彼お構いなく見境なしに。だからオメガはフェロモンを抑える抑制成分の含まれた薬やそれに準ずるものを定期的に摂取し自分の身を守っている。
 俺たちオメガには月に一回程度発情期がくる。自分の意思とは関係なくフェロモンを平時より多く撒き散らす期間がある。この期間は妊娠しやすく、またオメガ自身もスイッチが入ってしまい抗い難い衝動に襲われるのだ。
 つまり、こっちの準備はできてるからいつでも来てね♡ ということ。
 まだ発情期でもないし、俺は未成熟なオメガだからフェロモンが薄い。いつも抑制効果のあるオリジナルのブレンドハーブティーを日に一回飲んでおけば防ぎ切れるほどフェロモンは微量。
 だから油断した。
 そもそもラゼル以外のアルファをこんな側まで近寄らせたことは無かったから、警戒心が薄れていても仕方ないだろう。
 俺はこの場から逃げようと慌てて腰を浮かす。
 悲しいかな、オメガはアルファにとって与し易い相手でもあるのだ。力で劣り、頸を噛む事で支配下に置ける弱者のオメガ。万能と言われるアルファだけど、それが人格に直結しない。普通の人間がそうであるように、正邪どちらにも属している。悪党だって居るのだ。アルファの無体に人生を狂わされるオメガは絶えない。だから俺たちは首を保護したり抑制剤を服用したりと、人一倍自衛に努めなければならなかった。
 あんまり慌てていたから膝に置いたサンドイッチの包み袋の存在を忘れていた。
 立ち上がった瞬間、俺の膝からそれがこぼれ落ちる。
「あ…!」
 それに気づいたけど利き手に紅茶を持っていて、反対の手は咄嗟に動かず、落ちていく包み袋に反応できなかった。
 せっかく作ってもらったのに。
 いや、包んであるから落ちたとしても問題ないんだけど。人間こんな時はそんな事も忘れるもんだ。
「よ…っと」
 フリュウが素早く身体をかがめてそれを上手くキャッチした。筋肉質で機敏性は無さそうなのに意外と俊敏。
「あ、ありがと…」
 俺が中途半端に腰を浮かせた格好で礼を言うとフリュウは片手に乗せた袋に顔を近づけてまた鼻をくんくんさせた。見知らぬ餌を警戒している野犬みたいだ。
「いい匂いはこれか。中身は食いもんか?」
「え? ああ、サンドイッチだよ」
 なんだ。
 俺の勘違いだったのか。
 フリュウが興味を示したのは俺ではなくサンドイッチの方だと知って胸を撫で下ろす。
 絶賛ぼっち中の俺は教室へ戻っても居場所がないし、そもそもラゼルとばったり会うかもしれないし、やっと見つけた隠れ場所のここをできれば離れたく無い。
「食わねぇの?」
 フリュウが不思議そうに聞いてくる。
「あんまり食欲なくて」
 せっかく作ってもらったけどこれ以上置いておくと具材が傷むからもう廃棄するしかないかも。申し訳ない。
「じゃあ俺にくれ」
「は?」
「なんだよ。お前は食べないんだろ? だったら俺が代わりに食って何が悪い。大体食べ物を粗末にするのは見過ごせねぇ」
「あ、あぁ。そうだね。良かったらどうぞ。味は保証するよ」
 俺が作ったんじゃないからな。味に間違いは無い。
 その言葉にフリュウは口笛を短く吹いて嬉々として中身をがさごそと取り出した。
「ああでも君にはやっぱり物足りないかも」
 俺は食が細い上に、肉よりも野菜が好きだ。だから俺好みの配分で作られているサンドイッチはガッツリ系っぽいフリュウには合わないかも。
「旨い。ソースもきちんと効いてるのに野菜本来の味がちゃんとわかる。お前のとこの料理人、腕が良いな」
 豪快にかぶりつきもぐもぐと片頬を膨らませて咀嚼するフリュウから素直な賛辞が贈られて俺の顔は緩んだ。身体は一人前の立派な大人の男なのに食べる仕草は小さな子供みたいに幼い。
「はは。気に入ってもらえて良かったよ。それを作ったうちのコックにも伝えておくよ」
 王族様のお墨付きだと。
 そこまで考えて俺はハッとする。
「って、なんで? 食べて良かったの?」
「は? 意味わかんねぇ」
 フリュウは指についたソースを舐めている。
「だって毒味もしないで…。君にとっては誰が作ったかも分からない物じゃないか。ラゼルだって食べるものには気を遣っているよ? 君なら尚更警戒しないといけないんじゃ」
 そこまで言って、フリュウの顔が剣呑になった事に気がついた。
「…お前、なんで知ってる?」
「え…?」
 どうしてそんな事を聞くのかと不思議に思ったけど、俺はここで自分の大きな間違いに気づいた。
 そうだった。フリュウが第二王子だという事はこの時点では限られた人物しか知らないんだ。
 今の俺は巻き戻し前の情報があるから、フリュウの母親が平民だという事も市井で育った事も当然のように知っていたけど、本来フリュウの出自が世間に明らかになるのはもっと先。四年後の彼の立太子のタイミングだ。
 正妃を母に持つ第一王子ハールの腹違いの弟。複雑極まる立場のフリュウ。彼の生い立ちの取り扱いは慎重にされていた。それを俺が知っているのは流石におかしい。フリュウが過敏に反応するのも納得だ。
 やってしまった。俺の落ち度だ。やり直し三日目の俺には許容量を超えた状況の連続でこんなポカも仕方ないと言えば仕方ない。
「えっと、その」
 どうしよう。どう言い繕おうか。
 動揺する俺の胸倉をフリュウは掴みそのまま強引にベンチに押し倒した。
 その弾みで紅茶のカップが手から滑り落ちてしまった。
「苦し…っ」
 押さえつけられて俺は顔を歪める。
「お前は何者だ? なぜそれを知っている?」
 目がギラギラしている。一瞬にして纏う空気が変わった。
 怖い。
 オメガの本能か、それとも人としての本能か。アルファの威圧を正面からまともに受けて俺は恐怖で身が竦んだ。
 こんな扱い、一回目の過去を通しても初めてだった。いつも誰相手でも俺が優位な立場にいて物事を進めていたから。公爵家の一人息子と産まれた俺は他人から舐められないよう立ち回れと幼い頃から教育されていたから。いろんなことが起こって隙を見せたのが悪かったと気付いた時は後の祭り。
「は、なんて顔してんだ」
 呆れたような声に顔をあげる。
「え?」
「男を誘う顔してるってゆーの。お前、いつもこんな顔アイツにしてんのか」
 フリュウは顔を歪めて嗤った。
「アイツ…?」
「アイツって言ったらお前が飽きもせず追いかけ回している男に決まってるだろ」
「し、してない!」
 それにそんな顔ってどんな顔だよ!
 俺、今は決してラゼルに向けるあざとさ満載の媚び顔してないぞ! むしろ恐怖で怯える情けない顔だと思うんだか⁈
 俺の必死の反論にフリュウは目を細めた。
「どうせアイツとはもうそれなりの関係なんだろ? と、いう事は俺の出自も奴から聞いたんだな」
「聞いてない! ラゼルは一言も俺にそんな話をした事はない!」
 そう、やり直し前の過去にも。

 俺はラゼルに全く相手にされてなかったから。
 ここにきて素直に認めるのは悔しいけど。俺はラゼルから過去でも一貫して冷遇されていた。
 けど今はそんなことでくよくよしてる場合では無い。
 ラゼルの名誉の為にきちんと否定しなければ。ラゼルが私情で簡単に王族の機密を他人に漏らすような浅薄な人間だとこいつには思われてはならない。
 俺にとってもラゼルをダシに言い逃れ出来るチャンスでもあったけど、それをすることは俺の中で許容できなかった。
 こう言うのを惚れた弱みって言うんだろうな…。
「じゃあ、誰がお前にこの事実を教えた?」
 過去の人生で知ったと言いたいが誰も信じないだろうし、俺すらそんな主張、受け入れられない。
 俺は絶体絶命のピンチだった。

       ※ ※ ※ ※

 俺は結局気絶した。
 自分より二回りも体格のいいアルファに伸し掛かられて襟元を圧迫され続けた結果そのまま気を失ったのだ。気がついたら救護室のベッドの上で横になっていた。
「トワ様、気分はどうですか? どこか違和感はありませんか?」
 目を覚ますと心配そうなアスターの顔がこちらを覗き込んでいる。
「アスター? なんでここに?」
 従者は建物内に入れないのに。
「君、外で倒れたんだよ。聞けば昼食も食べずに居たらしいね。軽い貧血だと思うけど今日はこのまま帰りなさい。担任には伝えてある。荷物はそこの従者君が取りに行ってくれたからこのまま下校しなさい。これ、一応報告書ね。ご両親に渡して。君、オメガなんだからもう少し周りに気を払って。一瞬の気の緩みが取り返しがつかないことになるんだからね」
 縁無しの眼鏡をかけた救護教諭が事務的に説明してくれる。
「すみません。以後気をつけます」
 俺は身体を起こして素直に頭を下げた。
「…うん。じゃあこれ、早退届け。あと君の彼氏にもお礼を言っておくんだよ」
 教諭の喋り方が少し柔らかくなった。
「彼氏?」
「隣のクラスの大公家のベルン君だよ。君をここまで運んでくれたんだよ」
 ベルンはラゼルの家名。
 けど、どうしてラゼル? フリュウじゃなくて?
 あの時、最後に一緒にいたのはフリュウだ。それなのにラゼルの名前が出て困惑する。俺に塵すらも興味を見せてくれなかったあのラゼルがどんな経緯があって俺をここまで運んでくれたのだろう…。

 フリュウは悪い奴ではない。人並みに良識がある。過去の記憶からそれは把握している。自分の素性を何故か知っている疑惑の人物相手でも、目の前で気を失われたら放っておけなかったのだろう。けれど自分でどうにかしようとはしたくない。だから公然の仲であるラゼルを呼んで後始末をさせた?
 辻褄は合うな。
 制服の袖を嗅いでみる。
 確かにラゼルの香りがほんのりする。制服は毎日洗濯されているし、ここ数日、ラゼルには近寄らなかった。となるとこの残り香は救護室までラゼルが運んできてくれた証拠とも言える。
 俺、ラゼルに抱っこされたの?
 俺は一回目の過去を含めてもラゼルに抱き抱えられた事なんか無かった。
 それなのに俺ってば全然記憶がないなんて! 
 神様はなんて意地悪なんだ…!
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