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五日目の今日も、トーノと平穏、かつ、ぐーたらに過ごした。
クラスメイトが真面目に勉強しているのに、世の社会人が懸命に働いているのに、我ながら結構なご身分だ。
自嘲しつつも、明日の口止め料のことを考える。財布を覗くと数枚あった札がすべてレシートに変わっていた。この数日間で結構な出費をしてしまった。
(金か……)
この世でもっとも強い存在感を放って、現実感のある代物。
一度連想すれば否応なく引き戻される。
……このオレの、『現実』に。
キリッと胃に痛みが走った。制服のネクタイを外して、ベッドに横になろうとした時だった。
「享兄ちゃん」
妹のひとりが、ドアの隙間からこちらを覗いていた。
「享子、どうした?」
ただならぬ様子だった。通学帽も脱いでない享子は、ランドセルの肩かけヒモをぎゅっと握り、小刻みに震えながら言った。
「パパ、呼んでる」
一瞬で、さぁっと血の気が引いた。
まだ十九時前なのに。
父さんの早すぎる帰宅に、嫌な予感しかしない。
「……この間の、怖いおじさんと一緒」
予感は的中した。
即座に胸の中に暗澹とした闇が広がる。
眩暈を覚えていっそ気絶したかったけれど、どうにか堪える。
「享子。享絵たちは?」
「ママと一緒におばあちゃんち……享子だけ、帰ってきたの」
「そっか」
気がかりが晴れると、オレはクローゼットを開けた。ぐちゃぐちゃに物を詰め込んでいるが、享子ひとりぐらいは身を隠せる。
携帯電話とイヤホンを渡し、クローゼットの中に入るよう促す。
「それで好きな動画見て待っとけ。いいか。兄ちゃんが来るまで絶対出てくるなよ」
享子は素直にコクッと頷いた。その拍子に、瞳に溜まっていた涙があふれてこぼれ落ちる。
クローゼットを閉めて、念のために部屋の外から鍵もかける。
深呼吸をしたけどうまく吸えず、息苦しさを感じながら、オレは父さんたちが待っているだろう階下に向かった。
五月晴れの見事な今日は、トーノと出会って六日目。
いつもの倍の荷物を抱えて、『つばき産婦人科』内に不法侵入する。
満開だったバラやツツジが、徐々に枯れてきている。
代わりに紫陽花が、花を咲かせて観賞される準備を整えていた。
季節はごく自然に、さりげなさを装いながら変わりゆく。
春を少しずつ否定して、初夏に変わる。
心なしか緑が濃くなった植え込みの間をすり抜け、いつもの場所に到着する。屋根がないこの場所は、夏になればさぞや暑いんだろうと想像した。
オレの姿を認めたトーノが読書をやめて、言った。
「やぁ、千風」
「『来てくれて嬉しいよ』、だろ?」
台詞を先取りしてやった。トーノはオレの些細なイタズラに、口のはしっこをニッとつり上げた。
オレも笑い返そうとしたけどうまくできそうにないので、単刀直入に用件に入った。
「今日の口止め料と――これ、やるよ」
うちの近所にある、子どもの頃から通っていたパン屋の袋と共に、紙袋を渡す。中身は制服の夏物ワイシャツだ。
「冬はともかく、夏は毎日換えとけ。せっかくイケメンなんだから身だしなみはきちっとしとけよ」
何で?
と、力の抜けた声音でトーノが問う。予想どおりの反応だ。昨日必死で考えた文章を淡々と口にする。
「オレさ、転校するんだ。親の都合で。だからここに来るのも最後」
(あー声震えてるなぁ)
「財布的に痛かったけど、まーまー楽しかったよ」
顔が引きつってるのが自分でも分かるし。初めて知った。オレって嘘が下手だったんだ。
これ以上ボロを出さないように、さっさと切り上げることにする。
「じゃあな、トーノ。元気でな」
病気でもうすぐ死ぬヤツに、この台詞は無神経かな――とは思ったけど、一秒でも早く立ち去りたい。本当は行きたくないけど。
なのにトーノはオレの腕をつかんだ。強い力で。強い瞳で。
「千風……」
読んでいた本を投げ捨て、トーノは立ち上がってオレの腕を引っ張った。
痛い。そして近い。
至近距離でオレを見据え、穏やかさの失せた声音で問うた。
「手首を、切るの?」
思いがけない言葉に、理解が遅れた。
「刃物で手首を縦に切るの? 高い場所から飛び降りるの? 猛スピードで走る電車や車の前に飛び出すの? 胃が破裂するまで睡眠薬を飲むの? 目張りをした部屋で炭を焚いて閉じこもるの?」
トーノは次々と捲し立てた。『ある目的』を遂げる方法を。
真剣な顔つきで、でも少しずつ、苦々しくなっていく。
「それともまた、木にロープを垂らして、首を吊るの」
……口にするのも辛そうに、訊いた。
「初めて会った時みたいに」
ぎゅうっとトーノの手がオレの腕を強く握る。爪が食い込んで痛い。その痛みが、五日前の出来事――トーノと初めて会った時の場面を想起させた。
クラスメイトが真面目に勉強しているのに、世の社会人が懸命に働いているのに、我ながら結構なご身分だ。
自嘲しつつも、明日の口止め料のことを考える。財布を覗くと数枚あった札がすべてレシートに変わっていた。この数日間で結構な出費をしてしまった。
(金か……)
この世でもっとも強い存在感を放って、現実感のある代物。
一度連想すれば否応なく引き戻される。
……このオレの、『現実』に。
キリッと胃に痛みが走った。制服のネクタイを外して、ベッドに横になろうとした時だった。
「享兄ちゃん」
妹のひとりが、ドアの隙間からこちらを覗いていた。
「享子、どうした?」
ただならぬ様子だった。通学帽も脱いでない享子は、ランドセルの肩かけヒモをぎゅっと握り、小刻みに震えながら言った。
「パパ、呼んでる」
一瞬で、さぁっと血の気が引いた。
まだ十九時前なのに。
父さんの早すぎる帰宅に、嫌な予感しかしない。
「……この間の、怖いおじさんと一緒」
予感は的中した。
即座に胸の中に暗澹とした闇が広がる。
眩暈を覚えていっそ気絶したかったけれど、どうにか堪える。
「享子。享絵たちは?」
「ママと一緒におばあちゃんち……享子だけ、帰ってきたの」
「そっか」
気がかりが晴れると、オレはクローゼットを開けた。ぐちゃぐちゃに物を詰め込んでいるが、享子ひとりぐらいは身を隠せる。
携帯電話とイヤホンを渡し、クローゼットの中に入るよう促す。
「それで好きな動画見て待っとけ。いいか。兄ちゃんが来るまで絶対出てくるなよ」
享子は素直にコクッと頷いた。その拍子に、瞳に溜まっていた涙があふれてこぼれ落ちる。
クローゼットを閉めて、念のために部屋の外から鍵もかける。
深呼吸をしたけどうまく吸えず、息苦しさを感じながら、オレは父さんたちが待っているだろう階下に向かった。
五月晴れの見事な今日は、トーノと出会って六日目。
いつもの倍の荷物を抱えて、『つばき産婦人科』内に不法侵入する。
満開だったバラやツツジが、徐々に枯れてきている。
代わりに紫陽花が、花を咲かせて観賞される準備を整えていた。
季節はごく自然に、さりげなさを装いながら変わりゆく。
春を少しずつ否定して、初夏に変わる。
心なしか緑が濃くなった植え込みの間をすり抜け、いつもの場所に到着する。屋根がないこの場所は、夏になればさぞや暑いんだろうと想像した。
オレの姿を認めたトーノが読書をやめて、言った。
「やぁ、千風」
「『来てくれて嬉しいよ』、だろ?」
台詞を先取りしてやった。トーノはオレの些細なイタズラに、口のはしっこをニッとつり上げた。
オレも笑い返そうとしたけどうまくできそうにないので、単刀直入に用件に入った。
「今日の口止め料と――これ、やるよ」
うちの近所にある、子どもの頃から通っていたパン屋の袋と共に、紙袋を渡す。中身は制服の夏物ワイシャツだ。
「冬はともかく、夏は毎日換えとけ。せっかくイケメンなんだから身だしなみはきちっとしとけよ」
何で?
と、力の抜けた声音でトーノが問う。予想どおりの反応だ。昨日必死で考えた文章を淡々と口にする。
「オレさ、転校するんだ。親の都合で。だからここに来るのも最後」
(あー声震えてるなぁ)
「財布的に痛かったけど、まーまー楽しかったよ」
顔が引きつってるのが自分でも分かるし。初めて知った。オレって嘘が下手だったんだ。
これ以上ボロを出さないように、さっさと切り上げることにする。
「じゃあな、トーノ。元気でな」
病気でもうすぐ死ぬヤツに、この台詞は無神経かな――とは思ったけど、一秒でも早く立ち去りたい。本当は行きたくないけど。
なのにトーノはオレの腕をつかんだ。強い力で。強い瞳で。
「千風……」
読んでいた本を投げ捨て、トーノは立ち上がってオレの腕を引っ張った。
痛い。そして近い。
至近距離でオレを見据え、穏やかさの失せた声音で問うた。
「手首を、切るの?」
思いがけない言葉に、理解が遅れた。
「刃物で手首を縦に切るの? 高い場所から飛び降りるの? 猛スピードで走る電車や車の前に飛び出すの? 胃が破裂するまで睡眠薬を飲むの? 目張りをした部屋で炭を焚いて閉じこもるの?」
トーノは次々と捲し立てた。『ある目的』を遂げる方法を。
真剣な顔つきで、でも少しずつ、苦々しくなっていく。
「それともまた、木にロープを垂らして、首を吊るの」
……口にするのも辛そうに、訊いた。
「初めて会った時みたいに」
ぎゅうっとトーノの手がオレの腕を強く握る。爪が食い込んで痛い。その痛みが、五日前の出来事――トーノと初めて会った時の場面を想起させた。
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