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第3部/語るな会・会場
実話怪談とホラー小説の『違い』
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……会場内の照明が徐々に点灯していく。
長い夢、あるいは大作映画を鑑賞した直後のような浮遊感に浸かったまま、オレは正面の高座に目を向けた。
雛人形のように折目正しく座する女、市井は艶やかな笑みを保ったままだった。
鎖女の話をする前と、まったく変わりなく。
時計を確かめ、愕然とした。
およそ二時間――一切の休憩も、それどころか一度も言葉をつっかえることなく、
文字数にしたらおそらく四万字近くある怪談を、あの女は一気に語ったのだ。
登場人物のセリフ、視点人物による地の文、それらすべてを。
しかも、彼女の手元に台本やカンニングペーパーの類いは見当たらない。
完璧に記憶しているのか。
それとも市井の脳内にあるモノを、機械みたいに出力しているのか。
戦慄していると、隣にいたよみっちがオレの袖をちょいちょいと引っ張った。
「Kくん、君、ダイジョーブ?」
「は?」
「だって、涙目んなってるよ。そんなに怖かった?」
半笑いで尋ねるよみっちに、オレはハッとした。
確かに視界が潤んでいる。
なんでだ。あんな……単なる『怖い話』に。
そうは思うが、頭から離れてくれない。
いろんなものを拗らせて、鎖女の話を広めてしまった――少女のことが。
パチ、パチ、パチ
やがて会場中からまばらな拍手が起こった。
「あー、すみません。市井さん、ちょっとよろしいですかァ?」
一人の中年男がズイッと高座の前に出る。
坊主頭にニット帽を被った、全身黒ずくめの男だ。
動画サイトで見たことがある。オカルト書物や呪物の研究家とかいう、要はただの職業不詳のオッサンだ。
オッサンは垂れ下がった目尻で、市井に言った。
「まずは、長時間お疲れサマでございました。まるでオーディブルでも聞いているかのような没入感でした」
「お褒めいただき光栄ですわ」
「ですが、これェ――『怪談』じゃないですよねェ?」
その指摘に、周囲がざわつく。
「まあ、確かに」
「『怪談』を披露……というよりは、ねえ?」
「『ホラー小説』の朗読……でしたなァ?」
オレの頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
何気なくよみっちの方を向くと、ヤツは「やれやれ」みたいな絶妙に腹が立つ顔をした。
「あー、シロートさんの間では混同されがちなんだけど。
怪談……この場合は『実話怪談』ね、それと『ホラー小説』はまったく違うんだよね」
は? 何それ?
「『実話怪談』は実際にあった話、取材した体験談を扱うものなんだ。
対して『ホラー小説』。これは完全に創作。作り話。娯楽が用途の妄想の産物。
ざっくり言うと、
実話怪談は『この世にある話』を紹介する、
ホラー小説は『この世にない話』を作り出す……って感じ。
だからホラー小説のノリで実話怪談を書いたり、実話怪談のノリでホラー小説を書くと、大火傷するから厳禁なんだ。
……って、むかーし冷やかしで参加したホラー小説の書き方講座で、講師が説明してた。もちろん諸説ある」
つらつらと説明するよみっちだが、その手にはスマホのメモアプリがあった。
その程度の知識くらい覚えておけよ。
黒ずくめのオッサンは粘着質な指摘を続ける。
「今の鎖女の話には、実話怪談にあるまじき手法が使われていましたよネー?
まずゥ、語り手の心情を書きすぎている。まるで物語の主人公だ。
途中で、視点人物がライバル女子やら好きなセンパイやらに変わっていた。漫画みたいに。
何より、『最後は鎖女になる』っていうオチ!
こんなの、どうやって体験者本人――作中で言う莉々子チャンとやらがアンタにお話デキるんです?
聞き手をゾッとさせようと、それらしい『オチ』を加えるのは――実話怪談最大のNGですヨォ?」
ニチャニチャと得意げなオッサン。正直引くわ。
バイト先にもいたっけ。女子がミスったらそりゃあもう嬉しそうに注意するジジババ。
実際、オッサン以外の参加者も鹿爪らしい顔で同意していた。
「うんうん、そのとおり。しかもホラーとしても、少女小説の感が強すぎて、我々のような大人には鼻白む内容だった」
「要は、女子高生の承認欲求の話でしょ」
「くだらないことで悩んで。いいねぇ、若いっていうのは」
ははは、と笑声。
怪談(ホラー小説?)の内容も、市井のことも、主人公の少女のことも小馬鹿にするそれが、
ひどく癪に触った。
無意識に拳を握ったし、腹の底がチリッと熱くなる。
女子高生の承認欲求の話――確かにそうだ。
加えて恋愛脳。
イケメンの男に守られて、ヒロイン願望を拗らせて、最後は痛い目を見たバカなガキ。
なのに。
オレはその矢島莉々子という少女の、心情が。
何故か……愚かだと唾棄できないでいた。
(共感……してんのかな)
要は、『分かる』ってやつだ。
莉々子の気持ちが、どうしようもなく、オレには理解できてしまった。
……スマホの画面をすがめる。
同級生たちの、就活についての情報交換がまだ続いている。
つまらなくて、何にもワクワクしない内容。
最近見えてしまった、オレの将来……人生と同じように。
(そうだよ認めるよ)
Jと一緒に動画チャンネルを作ったのも、これが動機だ。
自分が取るに足らない存在だって、単なる社会の歯車候補だって、あるいはそれ以下の存在だって事実から、目を逸らしたかった。
なんでもいい、特別な存在になりたい。
せめて好きな人の前では、唯一の主人公になりたいって莉々子は思っていた。
オレだって、主人公になれるはずの自分を諦めたくなかった。
……そう思うのって、そんなに悪いことかよ……?
ぐしゃり、と頭を掻きむしる。
そして市井を見やった。
怖い話ひとつで、オレの本音を暴いて自覚させやがった女は、
「こんなコドモ騙しが、界隈で名高い〈語るな会〉だなんて」
「がっかりですよぉ~」
「はははははは」
白けきった場の空気など物ともせず、紅く熟れた唇を動かした。
「ええ。ご指摘どおり、わたくしがお話ししたのは『ホラー小説』です。
ただし、『実話を基にした』ですけれどね」
長い夢、あるいは大作映画を鑑賞した直後のような浮遊感に浸かったまま、オレは正面の高座に目を向けた。
雛人形のように折目正しく座する女、市井は艶やかな笑みを保ったままだった。
鎖女の話をする前と、まったく変わりなく。
時計を確かめ、愕然とした。
およそ二時間――一切の休憩も、それどころか一度も言葉をつっかえることなく、
文字数にしたらおそらく四万字近くある怪談を、あの女は一気に語ったのだ。
登場人物のセリフ、視点人物による地の文、それらすべてを。
しかも、彼女の手元に台本やカンニングペーパーの類いは見当たらない。
完璧に記憶しているのか。
それとも市井の脳内にあるモノを、機械みたいに出力しているのか。
戦慄していると、隣にいたよみっちがオレの袖をちょいちょいと引っ張った。
「Kくん、君、ダイジョーブ?」
「は?」
「だって、涙目んなってるよ。そんなに怖かった?」
半笑いで尋ねるよみっちに、オレはハッとした。
確かに視界が潤んでいる。
なんでだ。あんな……単なる『怖い話』に。
そうは思うが、頭から離れてくれない。
いろんなものを拗らせて、鎖女の話を広めてしまった――少女のことが。
パチ、パチ、パチ
やがて会場中からまばらな拍手が起こった。
「あー、すみません。市井さん、ちょっとよろしいですかァ?」
一人の中年男がズイッと高座の前に出る。
坊主頭にニット帽を被った、全身黒ずくめの男だ。
動画サイトで見たことがある。オカルト書物や呪物の研究家とかいう、要はただの職業不詳のオッサンだ。
オッサンは垂れ下がった目尻で、市井に言った。
「まずは、長時間お疲れサマでございました。まるでオーディブルでも聞いているかのような没入感でした」
「お褒めいただき光栄ですわ」
「ですが、これェ――『怪談』じゃないですよねェ?」
その指摘に、周囲がざわつく。
「まあ、確かに」
「『怪談』を披露……というよりは、ねえ?」
「『ホラー小説』の朗読……でしたなァ?」
オレの頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
何気なくよみっちの方を向くと、ヤツは「やれやれ」みたいな絶妙に腹が立つ顔をした。
「あー、シロートさんの間では混同されがちなんだけど。
怪談……この場合は『実話怪談』ね、それと『ホラー小説』はまったく違うんだよね」
は? 何それ?
「『実話怪談』は実際にあった話、取材した体験談を扱うものなんだ。
対して『ホラー小説』。これは完全に創作。作り話。娯楽が用途の妄想の産物。
ざっくり言うと、
実話怪談は『この世にある話』を紹介する、
ホラー小説は『この世にない話』を作り出す……って感じ。
だからホラー小説のノリで実話怪談を書いたり、実話怪談のノリでホラー小説を書くと、大火傷するから厳禁なんだ。
……って、むかーし冷やかしで参加したホラー小説の書き方講座で、講師が説明してた。もちろん諸説ある」
つらつらと説明するよみっちだが、その手にはスマホのメモアプリがあった。
その程度の知識くらい覚えておけよ。
黒ずくめのオッサンは粘着質な指摘を続ける。
「今の鎖女の話には、実話怪談にあるまじき手法が使われていましたよネー?
まずゥ、語り手の心情を書きすぎている。まるで物語の主人公だ。
途中で、視点人物がライバル女子やら好きなセンパイやらに変わっていた。漫画みたいに。
何より、『最後は鎖女になる』っていうオチ!
こんなの、どうやって体験者本人――作中で言う莉々子チャンとやらがアンタにお話デキるんです?
聞き手をゾッとさせようと、それらしい『オチ』を加えるのは――実話怪談最大のNGですヨォ?」
ニチャニチャと得意げなオッサン。正直引くわ。
バイト先にもいたっけ。女子がミスったらそりゃあもう嬉しそうに注意するジジババ。
実際、オッサン以外の参加者も鹿爪らしい顔で同意していた。
「うんうん、そのとおり。しかもホラーとしても、少女小説の感が強すぎて、我々のような大人には鼻白む内容だった」
「要は、女子高生の承認欲求の話でしょ」
「くだらないことで悩んで。いいねぇ、若いっていうのは」
ははは、と笑声。
怪談(ホラー小説?)の内容も、市井のことも、主人公の少女のことも小馬鹿にするそれが、
ひどく癪に触った。
無意識に拳を握ったし、腹の底がチリッと熱くなる。
女子高生の承認欲求の話――確かにそうだ。
加えて恋愛脳。
イケメンの男に守られて、ヒロイン願望を拗らせて、最後は痛い目を見たバカなガキ。
なのに。
オレはその矢島莉々子という少女の、心情が。
何故か……愚かだと唾棄できないでいた。
(共感……してんのかな)
要は、『分かる』ってやつだ。
莉々子の気持ちが、どうしようもなく、オレには理解できてしまった。
……スマホの画面をすがめる。
同級生たちの、就活についての情報交換がまだ続いている。
つまらなくて、何にもワクワクしない内容。
最近見えてしまった、オレの将来……人生と同じように。
(そうだよ認めるよ)
Jと一緒に動画チャンネルを作ったのも、これが動機だ。
自分が取るに足らない存在だって、単なる社会の歯車候補だって、あるいはそれ以下の存在だって事実から、目を逸らしたかった。
なんでもいい、特別な存在になりたい。
せめて好きな人の前では、唯一の主人公になりたいって莉々子は思っていた。
オレだって、主人公になれるはずの自分を諦めたくなかった。
……そう思うのって、そんなに悪いことかよ……?
ぐしゃり、と頭を掻きむしる。
そして市井を見やった。
怖い話ひとつで、オレの本音を暴いて自覚させやがった女は、
「こんなコドモ騙しが、界隈で名高い〈語るな会〉だなんて」
「がっかりですよぉ~」
「はははははは」
白けきった場の空気など物ともせず、紅く熟れた唇を動かした。
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