人の心と少年少女

菅原 龍飛

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第5話

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「ふあぁぁ……」
 上半身を起こし、両腕を広げて伸びをする。ベットから降りてカーテンを開ける。差し込む暖かな日差しが、寝起きの目に染みた。そして外には見慣れた住宅街が広がっている。
 うん、今日もいい朝だ。そして今日から……。
「ゴールデンウィークだ。することがない」
 そう、することがない。というのも俺は部活に入っていない。正確に言えば入っているのだが滅多に活動していない。つまり、ゴールデンウィークがフルタイムあるのだ。することがない。しなければならないことはあるが見ないふり。
 そんなことをベッドに腰掛けてぼんやりと考えていたらトラックの走ってくる音が聞こえた。音は目の前で止まった。
 うちに宅配だろうか。
 チャイムが鳴った。どうやら予想通り宅配だったらしい。
 ふと、こんなことが最近もあったことを思い出した。単なる日常に思えるこの光景も、俺にとっては重大な記憶になり得るのだ。

 時は遡り、春休み。
 朝起き上がり、ふと嘆いた。
「暇だ」
 カーテンを開けて見慣れた景色を見ていると、その日もトラックの音が聞こえた。宅配だろうとその日も思ったのだ。
 立ち上がって窓の外を見ると、どうやら引越し業者のようだった。どうやら向かいの家に入居する人がいるらしい。
 この辺りは閑静な住宅街だった。大抵の家には人が入っていて活気がある。ただ、どうしたものかここ数年向かいの家には人が住んでいなかった。前にいた家族とは知り合いで、幼馴染がいて、昔はよく遊んだものだった。しかし、その家族も引っ越してしまった。最近は連絡も取っていない。
 どこかで彼らの帰りを待っているような気がした。
 トラックからは続々と荷物が運び込まれていた。もう新しい住人は中にいるのだろうか。車庫には白いワゴンが見える。やはり既にいるらしい。あとで挨拶に行かなければ。いや、多分向こうから来るのだろう。人当たりのいい人であることを願いながら、そっと窓を離れた。
 腹の虫が鳴り、腹を摩った。青いチェック柄のパジャマが擦れ、乾いた音が聞こえた。
 思えば、まだ時計を見ていなかった。何時なのだろうと壁に掛けられた時計を見ると、針は八時を指していた。休日にしては早い方だ。
 部屋の扉を開けて廊下を渡り階段を降りて、一階にあるリビングに向かう。コーヒーの匂いが香り、カチャカチャという食器も音が聞こえる。
「あ、兄貴おはよう。今日は早いね」
 弟のヒロが食卓でコーヒーを啜っていた。母さんはキッチンで朝食の用意をしている。
「おはよ。あれ父さんは?」
「会社でトラブルが起きて、呼び出されて行っちゃった」
 母さんが答える。
「そうなんだ。大変だなそりゃ。あ、そういえばお向かいさんが引っ越してきたらしいけど」
「らしいわね。どんな方なのかしら。早く会いたいわね」
「中学生がいたら仲良くしてあげてもいい」
「友達いないもんな」
「いるから!兄貴と違って」
「いや、俺もいるから」
「嘘つき!」と母さんが乱入。
「母さん⁉︎息子を信じて⁉︎」
「ほら、母さんも言ってるし」
「おい」
「朝ごはんできたわよ。運んで」
「ちょっと……誤解を解かせて」
「はーい」
 ヒロが立ち上がってキッチンへ朝食を取りに行く。
「カオルもほら、持ってって」
「……はい」
 いいし。別にいいし。どうせからかってるだけだろ?そうなんだろ?そう言ってくれ。
 朝食を食べ終わり、歯を磨いて顔を洗い、何をしようかと考えながらソファーに座る。何も決まらぬまま時間が過ぎていきそうなので、とりあえず自室からお向かいさんの様子を見ることにした。
 部屋に戻り、窓から覗く。気づけばトラックはいなくなっていた。すると、家の中から三人ほど人が出てきた。眼鏡をかけた爽やかな男性と白い服に身を包んだお淑やかそうな女性、そしてヒョウ柄の服を着てサングラスを掛けた女子小学生。
 ……どんな英才教育を受けさせたらあの親からこんな服のセンスの子が生まれるんだろうというのがとても気になる。だがしかし、もしかしたらああ言った服装が流行っているのかもしれない。世代も性別も違う流行りには一般男子は疎い。
 その女の子は辺りをキョロキョロと興味津々に見渡していた。どうやら、転校した後も元気にやっているような様子だった。年度を跨いで転校というのもよくある話なのだろうが不運な話だ。人の事情を考えるだけ野暮だと思い、頭を振った。
 その家族は何軒か家を回って挨拶をしていった。やがてうちの前にも来た。小さくだが、心の声が聞こえた気がする。
『伊田池さんか。変わった名前だな』
『……どんな人がいるかな』
『伊田池さん……お向かいさんだから仲良くできるといいけれど』
 やはり、変わった名前に思われるようだった。俺たちだってそう思う。
 チャイムが聞こえた。
 俺は一階に降りることにした。
 ヒロとリビングで合流したところで、母さんが玄関に出た。
「どうも栗鼠と申します。朝からお騒がせしました。以後、お世話になります。よろしければこちらを」
 ……くりね。変わった名字だなと思った。
「ありがとうございます。伊田池と申します。そちらは三人家族ですか?」
「ええ、そうなんです。そちらは?」
「うちは、四人です。高校生と中学生の息子いまして。呼びましょうか?」
「ええ、よろしければ」
「二人とも聞いてるんでしょ?おいで」
 俺とヒロは玄関に出ていった。
「薫です。よろしくお願いします」
「尋です。家族共々よろしくお願いします」
「薫くんだったかな?もしかしたら娘と同じ高校かもしれないから仲良くしてあげてくれないかな」
 俺は目を丸くして、眼鏡のお父さんを見つめた。
『え。兄貴、あの子小学生じゃないの?』
『そ、そうみたいだな。サングラスで顔見えないけどもしかしたら顔は大人びてるのかも?』
『兄貴……実在するロリはダメだって』
『どういう意味だよ、手はださねぇよ』
『そういう問題だっけ。ていうか早く反応しろよ。向こうのお父さん困惑してるよ』
「どうかしたのかい?」
「あ、いや、ごめんなさい。その、小学生みたいだったから……」
「やっぱり言われた!」彼女はサングラスを外した。「謝らなくていいですよ、よく言われることなんで!」
 なんだろう。とてもポジティブ。
「心葉って言います。心に葉っぱ。ところで北高ですか?」
「はい。次から北高の一年です」
「じゃあ全く一緒ですね!よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくお願いします」
「弟くんもよろしくね!」
「よ、よろしくお願いします」
「じゃあ、子供たち同士の挨拶も済んだようですし、我々はここでお暇させていただきます。それでは」
「ええ、それではまた」
 栗鼠一家の両親は向かいの家に帰っていった。心葉さんも二人についていきかけて、途中で振り返る。
「伊田池くん、ちょっといいですか?」
「え、はい」
 なんだろう。
 サンダルを履き、外に出る。
「まず、同い年なんだから敬語やめにしません?」
「それもそうですね」
「じゃあ今から禁止!」
「あー、それで他に何かあるの?」
「あー、なんというかさ、せっかくご近所さんなったんだし、連絡先交換しない?何かあったときのために」
 敬語禁止とはいったが急だと馴れ馴れしく感じるもんだな。別にいいけども。
「うん、いいよ。でも、すぐにうち来れるじゃん」
「それはそれで恥ずかしいじゃん!」
「それもそうか。じゃあこれ」
 俺はスマホを取り出してQRコードを表示した。
「え、なにこれ」
 栗鼠は驚いたようにそれを見つめる。
「いや、だから、LINEの」
「やってないんだよね」
 ワオ、華のJK旧時代。
「じゃあ、これから始めたら?同じ高校になる女子知ってるし、そいつの連絡先もあとで教えるよ。向こうがよければだけど」
『そんなことできるんだ』
 できるんだよ。すごいよね今の時代。ていうか心の声か今の。鮮明すぎて気付かなかった。
 そんなこんなで栗鼠はLINEをインストールし、俺と連絡先を交換した。
「これで良しっと」
「じゃあまた学校で」
「うん。またね」
 小さく手を振ってきたので軽く手を挙げて返す。俺たちはそれぞれの家に帰った。
『やったー!もう友達一人できたぜ!』
 という栗鼠の心の叫びを聞きながら。
 帰ったら家族の総攻撃にあった。
「え、なに恋人になったの?」
「違うし展開が急すぎるだろ」
『じゃあなに?』
「友達。ていうか心で訴えかけんな」
「青春ねぇ」と母さん。
「言うほど?」
「兄貴に友達がいたとはなあ」とヒロ。
「だからいるっての。あとお前ナオヤに良くしてもらってるだろ」
「その節はありがとうございます」
「分かればよろしい」
「ていうかあの人心の声すごそうだね」
「そうなんだよ」
 怒涛の展開を終え、自室に戻ってベットに倒れこむ。
 今日、もう、疲れた。寝る。
 時計は二十二時を指していた。
 なにもやる気が起きなかった。
 俺には分かる。さらば、我が平穏なる生活。
 ……ていうか家が向かいってことは登下校一緒にならん?
 青春ルートになりそうでならなそうなかわいそうな通学路。
 安らかに眠れ。
『寝るのは兄貴だろ』
『どっから聞いてた』
『聞こえたのは通学路の辺りから』
『お互い心の声が聞こえるってのも便利だが不便だな』
『大抵分からないけど、分かるときは筒抜けだからね』
『挨拶のときわかっただろうけど栗鼠の娘さんのせいで心乱れる気がするから耳塞いどいたほうがいいかもよ』
『善処する。恋煩いも大変だね』
『んなわけねぇだろ』
『おやすみ』
『おいゴラ』
 ああそう。言い忘れていたが、弟も心の声が聞こえる。以降、お見知り置きを。
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