33 / 133
第二章「陰になり日向になり」
第十七話「姫の心のひとしずく」
しおりを挟む
倉庫の大量の荷物に隠れるようにして作られた、小さな小さな勉強机。
そこに刻まれた千景さんの努力の痕跡を見つけた時、千景さんはノートを閉じて隠してしまった。
千景さんは見つけてしまったことを責めるように、私をじっと見つめてくる。
もしかすると、あの隠したノートは私にとっての「妄想ノート」のように絶対の秘密だったのかもしれない。
……そう思うと、いたたまれない気持ちになってくる。
「あぅぅ……ごめんなさい。……で、でもすごいです。あの商品の膨大な知識はここで培われたものだったんだなって思って、感動してたんです!」
その言葉はお世辞なんかではなく、本心だった。
しかし千景さんは冷めた表情で机を眺めている。
「こんな場所で、こんなにも必死にならないと……なにも覚えられない。……その机は、ボクの不器用さの……ただの象徴だから」
「あぅ……。千景さん。そんなこと、言わないでください……」
その時、千景さんのお腹から大きな音が響き渡った。
千景さんはお腹を押さえながら、顔を赤らめ、うつむいている。
「……千景さん、ひょっとして、お腹減ってます?」
千景さんは恥ずかしそうにコクリとうなずく。
空腹は無理もない。部活が終わった後から夜の八時まで仕事をしていたはずなのだから。
自営業には自営業の悩みがあるかもしれないし、千景さんの場合は自分で望んで家のお手伝いをしているという話だったから、ご飯の時間にも事情があるのだろう。
むしろこんなところに閉じ込めてしまったわけなので、罪悪感が半端ない。
その時、向かいの棚の中にカンパンが置いてあることに気が付いた。
「あ、あの……。カンパンを食べるのって、どうでしょう?」
しかし千景さんは首を振る。
「ダメ。商品に手を出すのは、店員の恥」
そうつぶやいた瞬間、千景さんの目から雫が零れ落ちた。
「このお店は、父と母が……すごく苦労して作ったお店。お山と、お山のご飯が好きで、みんなにも楽しんで……欲しいって。……助けたい。困らせたく、ないです……」
千景さんはだんだんと肩をふるわせはじめ、声も涙ぐんでくる。
「……なのに、ボクはいつも……イジイジしてて。声も、小さいし、ボソボソ……しゃべるし。は……はずかし……がり屋、だし」
千景さんがかがみこむと、お腹がひときわ大きく鳴り響いた。
「……もう、ダメ。きっとここで……干からびて、死ぬ運命。ボクにお似合いの……最期」
「あぅぅ。こんなことで死にませんよ! 落ち着いてくださいっ」
「……ボクに生きてる資格なんて、ない……。ボクはどうせ、こんな影の世界がお似合い」
まるでこの世の終わりを嘆いているかのように、床に突っ伏して動かなくなってしまった。
千景さんがヤバイ。
鬱トークが止まらない。
その時、私は自分のスクールバッグの中に小桃ちゃんのお菓子が入っていることを思い出した。
チョコとバナナのマーブルチーズケーキ。
幸せホルモンで元気になれるという、魔法のお菓子。
小桃ちゃん手作りの桃印の箱を開けると、甘くて香ばしい魅惑の香りが湧きたってきた。
鼻腔がくすぐられると同時に、意思とは無関係に唾液があふれてくる。
私は生唾を飲み込み、均等に切り分けられていたパウンドケーキを千景さんに差し出した。
「これ、一緒に食べませんか? 親友の小桃ちゃんの手作りなんです。小桃ちゃんのことだから、本当においしいと思いますし……」
そんな私の言葉なんて聞こえていないように、千景さんの視線はケーキに釘付けになっている。
そうだ。説明なんていらない。
私たちは四角く切りそろえられたケーキを、口いっぱいにほおばった。
突然、景色が一変した。
真っ白で何もない空間に投げ出されたかと思うと、乳白色のふわふわな雲の中に落下してしまう。
雲は私のすべてを受け止めたかと思うと、体中を包み込んで制服も下着もすべて泡のように溶かしてしまった。
体が……軽い……。
体を包み込む雲の、このかすかに甘酸っぱい香りはチーズ……!
小さくほぐれた真綿のようなチーズの雲は、私を乗せて真っ白な世界を飛び続ける。
すると今度は、雲の周りに茶色い液体が噴き出してきて、一糸まとわぬこの体をコーティングし始める。
ほのかに甘く漂う香りは……チョコレート!
決して甘すぎず、チーズの香りを邪魔しない。それどころか、あふれ続けるチョコレートは大きな渦となり、チーズの雲に乗った私を翻弄し始める。
その時、チョコの渦の中心からクリーム色の塔が姿を現した。
その塔は横倒しになったかと思うと、つかまって欲しいとでも言っているように私に近づいてくる。
そのまろやかでフルーティな香りはまさにバナナ!
私はバナナという箱舟に寝そべり、甘く香しい大海原でひと時の楽園を夢見る。
あぅぅ……。癒される……。
「はっ……」
気が付くと、周囲には大きな棚が並ぶ倉庫の風景が広がっていた。
幻覚でも見ていたのだろうか。
まるで料理バトル漫画の実食のシーンのような幻想的なイメージに包み込まれていたような気がする。
千景さんを見ると、私と同じように呆然としながら、体中の毒素が抜け切ったようにすっきりとした顔色になっていた。
ひょっとすると、同じイメージの世界を味わっていたのかもしれない。
さっきまでの鬱トークはすっかりと鳴りを潜め、静かで冷静ないつもの千景さんに戻っていた。
恐るべし家庭部。
恐るべし……小桃ちゃん。
私は心の底から親友に感謝の念を送るのだった。
そこに刻まれた千景さんの努力の痕跡を見つけた時、千景さんはノートを閉じて隠してしまった。
千景さんは見つけてしまったことを責めるように、私をじっと見つめてくる。
もしかすると、あの隠したノートは私にとっての「妄想ノート」のように絶対の秘密だったのかもしれない。
……そう思うと、いたたまれない気持ちになってくる。
「あぅぅ……ごめんなさい。……で、でもすごいです。あの商品の膨大な知識はここで培われたものだったんだなって思って、感動してたんです!」
その言葉はお世辞なんかではなく、本心だった。
しかし千景さんは冷めた表情で机を眺めている。
「こんな場所で、こんなにも必死にならないと……なにも覚えられない。……その机は、ボクの不器用さの……ただの象徴だから」
「あぅ……。千景さん。そんなこと、言わないでください……」
その時、千景さんのお腹から大きな音が響き渡った。
千景さんはお腹を押さえながら、顔を赤らめ、うつむいている。
「……千景さん、ひょっとして、お腹減ってます?」
千景さんは恥ずかしそうにコクリとうなずく。
空腹は無理もない。部活が終わった後から夜の八時まで仕事をしていたはずなのだから。
自営業には自営業の悩みがあるかもしれないし、千景さんの場合は自分で望んで家のお手伝いをしているという話だったから、ご飯の時間にも事情があるのだろう。
むしろこんなところに閉じ込めてしまったわけなので、罪悪感が半端ない。
その時、向かいの棚の中にカンパンが置いてあることに気が付いた。
「あ、あの……。カンパンを食べるのって、どうでしょう?」
しかし千景さんは首を振る。
「ダメ。商品に手を出すのは、店員の恥」
そうつぶやいた瞬間、千景さんの目から雫が零れ落ちた。
「このお店は、父と母が……すごく苦労して作ったお店。お山と、お山のご飯が好きで、みんなにも楽しんで……欲しいって。……助けたい。困らせたく、ないです……」
千景さんはだんだんと肩をふるわせはじめ、声も涙ぐんでくる。
「……なのに、ボクはいつも……イジイジしてて。声も、小さいし、ボソボソ……しゃべるし。は……はずかし……がり屋、だし」
千景さんがかがみこむと、お腹がひときわ大きく鳴り響いた。
「……もう、ダメ。きっとここで……干からびて、死ぬ運命。ボクにお似合いの……最期」
「あぅぅ。こんなことで死にませんよ! 落ち着いてくださいっ」
「……ボクに生きてる資格なんて、ない……。ボクはどうせ、こんな影の世界がお似合い」
まるでこの世の終わりを嘆いているかのように、床に突っ伏して動かなくなってしまった。
千景さんがヤバイ。
鬱トークが止まらない。
その時、私は自分のスクールバッグの中に小桃ちゃんのお菓子が入っていることを思い出した。
チョコとバナナのマーブルチーズケーキ。
幸せホルモンで元気になれるという、魔法のお菓子。
小桃ちゃん手作りの桃印の箱を開けると、甘くて香ばしい魅惑の香りが湧きたってきた。
鼻腔がくすぐられると同時に、意思とは無関係に唾液があふれてくる。
私は生唾を飲み込み、均等に切り分けられていたパウンドケーキを千景さんに差し出した。
「これ、一緒に食べませんか? 親友の小桃ちゃんの手作りなんです。小桃ちゃんのことだから、本当においしいと思いますし……」
そんな私の言葉なんて聞こえていないように、千景さんの視線はケーキに釘付けになっている。
そうだ。説明なんていらない。
私たちは四角く切りそろえられたケーキを、口いっぱいにほおばった。
突然、景色が一変した。
真っ白で何もない空間に投げ出されたかと思うと、乳白色のふわふわな雲の中に落下してしまう。
雲は私のすべてを受け止めたかと思うと、体中を包み込んで制服も下着もすべて泡のように溶かしてしまった。
体が……軽い……。
体を包み込む雲の、このかすかに甘酸っぱい香りはチーズ……!
小さくほぐれた真綿のようなチーズの雲は、私を乗せて真っ白な世界を飛び続ける。
すると今度は、雲の周りに茶色い液体が噴き出してきて、一糸まとわぬこの体をコーティングし始める。
ほのかに甘く漂う香りは……チョコレート!
決して甘すぎず、チーズの香りを邪魔しない。それどころか、あふれ続けるチョコレートは大きな渦となり、チーズの雲に乗った私を翻弄し始める。
その時、チョコの渦の中心からクリーム色の塔が姿を現した。
その塔は横倒しになったかと思うと、つかまって欲しいとでも言っているように私に近づいてくる。
そのまろやかでフルーティな香りはまさにバナナ!
私はバナナという箱舟に寝そべり、甘く香しい大海原でひと時の楽園を夢見る。
あぅぅ……。癒される……。
「はっ……」
気が付くと、周囲には大きな棚が並ぶ倉庫の風景が広がっていた。
幻覚でも見ていたのだろうか。
まるで料理バトル漫画の実食のシーンのような幻想的なイメージに包み込まれていたような気がする。
千景さんを見ると、私と同じように呆然としながら、体中の毒素が抜け切ったようにすっきりとした顔色になっていた。
ひょっとすると、同じイメージの世界を味わっていたのかもしれない。
さっきまでの鬱トークはすっかりと鳴りを潜め、静かで冷静ないつもの千景さんに戻っていた。
恐るべし家庭部。
恐るべし……小桃ちゃん。
私は心の底から親友に感謝の念を送るのだった。
0
あなたにおすすめの小説
放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~
楠富 つかさ
恋愛
中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。
佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。
「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」
放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。
――けれど、佑奈は思う。
「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」
特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。
放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。
4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
まずはお嫁さんからお願いします。
桜庭かなめ
恋愛
高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。
4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。
総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。
いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。
デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!
※特別編7が完結しました!(2026.1.29)
※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録、感想をお待ちしております。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる
九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。
※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる