【完結】死による救済は許されるか――ペストマスクの診療カルテ

フゥル

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第七話 死による救済は許されるか

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 そして現在、雪の中二人は再び相まみえた。
 ペストマスクは言った。

「今さら何をしに来た、ミミコッテ」

 ミミコッテが切り出した。

「あなたに伝えたいことがあるの」

 彼女の背後から現れた人物に、ペストマスクは硬直した。
 先ほど殺したはずの男だった。

「なんて惨いことを」

 言い終える前に、男が頭を下げた。

「違います。改めて私が『生き直したい』と望んだんだ」
「何だと!?」
「あなたに指摘され気づいた。私は人から期待される役割に答えようとしていただけだった。今が人生の最後になってしまえば、大好きな家族よりも、嫌いな職場で過ごした時間の方が長くなってしまう。それでは、悔しすぎる」

 男は頭を上げ、笑みを浮かべた。

「それに……あなたやミミコッテさんのように、見知らぬ人へここまで尽くしてくれる人がいる世界なら、もう少し生きてみようと、思った」

 ペストマスクは、メスを握った手を額に当て唸った。

「取り返しのつかないことをしてしまった私を、賞賛するとは」
「安心しました」

 弾んだ声だった。

「あなたにも、照れることがあるんですね」

 ペストマスクは男と目を合わせて、低く言った。

「辛くなったら、いつでも相談してくれ」

 雪風が吹き、青年は消え去った。
 短い黙祷の後、ミミコッテが言った。

「メスを取らなかった、その先の断片よ。寝たきりの人、画家、配信者……救われた人もいれば、結局死を選んだ人もいた」    
「……覗き見したのか」    
「あなたの理想と現実の差を知るには、こうするしかなかった」 

 気づかぬうちに、握ったメスが折れていた。
 雪にきらめく先端を睨み、ペストマスクは言った。

「何がわかった」
「分かったことは三つ。順番に言うわね」

 白毛に包まれた三本の指が立った。

「一つ目。漠然とした死にたい気持ちは、心が叫ぶ数ある声の一つに過ぎない。死にたい、と思った次の瞬間には、サンドイッチを食べたいと思うこともある」

 黒いコートの懐を雪風が揺らした。

「来るかも分からない救いが来るまで待てと? 希望は苦痛を引き伸ばす」

 ペストマスクは苛立ちを隠さぬ声で言った。

「どれだけ辛いことか、分からないお前ではないはずだ」

 ミミコッテはためらいがちに言った。

「救われるはずだったのに、介入で歯車が狂ったことが何度もある。でもね」

 ミミコッテは深呼吸してから、指を一本折り曲げた。

「二つ目。極限まで追い詰められた人間は、自他への影響を正しく見積もれなくなる。それは利己でも、利他でもなく、視野狭窄よ」

 ペストマスクが初めて言葉に詰まった。

「もっともらしく見えても、過信は禁物よ」
「……」
「三つ目。生き残った後の人生が好転する例が、確かにあること。さっきの係長さんみたいに……ごく少数でも、助かる人がいる。死ななくてよかった、と言う人がいる」

 一呼吸置き、ミミコッテは言葉を強めた。

「幇助は必要かもしれない。でも、今のあなたのやり方だと、『変われたかもしれない人』が混ざってしまう」
「少数のために、大多数が苦しむような考えが、正しいはずがない」
「そのための線引きよ。客観的評価の下、本人の意思が明確で反復されていても、死を待つ難病の人や、終末期でない限り、幇助に誘導してはいけない」
「話を逸らすな」

 ペストマスクは再び言葉をさえぎった。メスの代わりに、言葉を振るう。

「他人に迷惑をかけることでしか生きられない人がいる。画家や、心中をもくろんだ親のように」
「誰にも迷惑をかけずに生きている人はいないもの」

 ミミコッテは淡々と言葉を紡ぐ。

「死と同じように、社会が包み隠しているだけ。人は誰とも関わらずには生きられない。周囲に与える影響も、完全にはコントロールできない。自分の行為の結果を、全部自分で背負うなんて不可能なの」
「ならば誰が背負う」

 服の中から、紙の束を投げた。診療カルテだった。

「彼らの人生に巻き込まれた者は、みんな彼らの下を去った」

 今度はミミコッテが黙る番だった。

「『皆で背負う』は理想論だ。現実には、誰が背負うかを決める前に、『誰を背負うか』選別している。トリアージだ。強者しか生き残れない」

 ミミコッテは震える声で言った。

「じゃあ、あなたはどうするの?」
「痛みに耐えられない人に、逃げてもいいと手を差し伸べたい。手を掴むかどうかを決めるのは、本人の意思だ」
「正しさは、脳が作る。『人生は無意味』『人は変われない』『愛せないし、愛されない』。……経験則からあなたは仮説を立て、証明し続けているのかもしれない。ただ、過去の意味づけと、未来の見積もりは、脳が作る仮説だから、間違うことがある」

 ミミコッテの視線の先は、男が消えた場所だ。
 ペストマスクは、幻影を振り払うように首を振った。

「だから時間をおいて、粘り強く何度も向き合っている。それでもなお『この世から消えたい』と叫ぶ声を、私は否定したくない」

 ペストマスクは一歩前へ踏み出した。ブーツの回りで雪が舞う。

「いつでも苦痛を止められるから、人は安心して生きられる」

 もう一歩。

「逃げ道がないから、巻き込みが増える。あの親子のように!」

 ペストマスクは、上からミミコッテを覗き込んだ。

「医療の軸は、本人の同意と苦痛の緩和だ。それは最後まで崩されるべきではない」

 ミミコッテは視線をそらさずに、ポツリと言った。

「最初は選択肢でも、やがて周囲の期待になる。空気は法律で裁けない」

 ペストマスクの脳裏に、寝たきり男へ向けられていた、冷たい視線がフラッシュバックした。
 ミミコッテは続ける。

「制度化すれば、社会は言う。『救えなかったんじゃない。本人が選んだんだ。だから支援が足りなかったわけじゃない』」

 あの親子を、本当に追い詰めた原因は、なんだったのか。

「可視化しなければ、水面下で行われる死の強要は止められない」
「可視化しても止まらない」

 ミミコッテは散らばるカルテを見た。

「『他人に迷惑をかけてでも生きる』って答えられる人は少ない。強い人しか生きられない」

 ペストマスクが苦々しく言った。

「トリアージか」

 もしも彼らが『生きたい』と願っていたとしても、果たしてどれほど生き延びられるだろうか。
 雪が止んだ頃、ミミコッテが言った。

「平行線ね……。お互い理屈抜きの感情で、『自分はどうするべきか』を考えてる。不幸な未来と幸福な未来。どちらが真実か分からないから。……アタシは、ほんのわずかでも生きてみようと思える方を、選びたいし、選ぶように勧めたい」
「なぜだ」

 ミミコッテは折れたメスの先端を見つめ答えた。


「死は、取り返しがつかない」

「そうか」


 ぐらりと地面が揺れた。かと思えば、ペストマスクの視界が雪の白に染まった
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