8 / 9
第八話 ミミコッテの救済
しおりを挟む
「ちょっと!? 大丈夫?」
ミミコッテはあわてて駆けより、左手を差し伸べてきた。
触ってはいけない、とペストマスクは言おうとした。だが、声を出す気力すら残されていなかった。
ペストマスクは、躊躇いながらもミミコッテの手をとった。
「限界だ」
「疲れたの?」
「誰も褒めてくれないんだ。私と出会い、認めてくれた人は全員、この世にいない。世間から賞賛されることも、社会が変革することもない。自分以外の手を汚したくないから、仲間もいない」
ペストマスクは、立ち上がろうとした。
「まがいなりにも、人に寄り添うために仕事をしている。なのに、人を物として扱わなければ仕事が終わらない」
足下で異音がした。カルテを踏んでしまったのだ。
足をよけた拍子に、再び崩れた。
横たわったまま、ペストマスクは言った。
「……すまない、汚れた手で触ってしまって」
ミミコッテは首を横に振って答えた。
「あなたが一番背負いすぎてるじゃない」
ペストマスクは力なく頷いた。
「患者は増えても、救い手は増えない」
喉からこみ上げる嗚咽をかみ殺し、右こぶしを地面に叩きつけた。
「信念のために、小さな事故を黙殺したこともある」
何度も叩きつけるうち、手袋が裂け、雪が紅く染まった。
「仕事中、ふと気づくとサンドイッチのことばかり考えていた」
とうとう、右手が動かなくなった。
「膨大な人数を幇助するにつれて、目的が『助けるため』なのか『仕事を終わらせる』ためなのか、境目が曖昧になってきた」
嗚咽を押し殺し、言った。
「もう逃げたい」
ミミコッテは血濡れの手を掬い上げる。
「お願い、もう止めて。さっきの人と同じよ……」
「代わりがいない。彼と違って、私の場合は、本当にいない。つらいと言って、私が歩みを止めてしまったら、大勢の人が……苦しんで……」
ミミコッテに引き上げてもらいつつ、足を踏ん張る。片手を膝につき、ようやく立ち上がることができた。肩で呼吸をしながら、ミミコッテと向き合う。
「あなたは誰かの役に立とうと、人の何十倍も考え、働き続けた。限界を超えて。もう充分でしょう?」
「幇助は自分の人生に見出した、唯一の意味だ。立ち止まるわけにはいかない」
ミミコッテは、両手を広げた。
「行かせられない」
「私から生きる意味を奪うな」
「やりたいこと、やるべきことをしている人の姿じゃない。休みましょう。ちょっとくらい休んでも、誰も責めはしないわ」
「休む……?」
ペストマスクは首をかしげた。それがどんな意味を持つ言葉かも、思い出せない。
「生きているのがどんなに大変か、あなたが一番よくわかっているでしょう。あなたと同じ人生をたどったら、ほとんどの人が脱落していたはず。あなたはここに立っているだけで偉大なの。だから、休んでもいいのよ」
しゃがみ込み、ミミコッテと視線を合わせた。
微笑む彼女に、ペストマスクは問う。
「……私は何をすればいい」
雪がいつの間にか止んでいた。地面から、春の息吹を感じる。そうだ、私達は花畑の上で話していたのだ。
「上着を脱いでから、アタシの膝の上に頭が乗るように横たわって」
ペストマスクは、ボタンを外し、コートを脱いだ。白いワイシャツと、グレーのスラックスが露わになった。
座ったミミコッテの膝上に頭を横たえると、血の通った暖かさを感じた。ふかふかの毛が髪に擦れて、くすぐったい。
「私の顔、真似できる? マスクの中でいいから」
「……」
もはや抗議する気にもならなかった。
ペストマスクはミミコッテに命じられるまま、全身の力を抜き、瞼を閉じた。頭の上を撫でられる感触に、懐かしさを感じる。
「今のあなた、とっても素敵よ」
「……見え透いたお世辞だ」
枯れたはずの目から、涙が溢れてきた。
「うう……うぅっ……」
「心の底から満足するまで、一緒にいるからね」
ミミコッテの声が遠のいていく。
久しく止まることの無かった思考が、停止していく――。
見守ってくれる人がいる。
何もしなくても、頭を撫でてくれる人がいる。
与えなくても、与えてくれる人がいる。
目を開けた。ミミコッテは口からよだれをたらして、うたた寝していた。
「そうか、わたしに必要だったのは、子供のように愛されることだったのか……」
ペストマスクの声で、ミミコッテは目を覚ました。
「あっ、ごめんなさい!」
「いいんだ。もう、何もかもいいんだ」
無意識のうちに、腹をさすっていた。
「うたた寝しちゃったお詫びしなきゃね」
ミミコッテは笑みを浮かべると、帽子の中からサンドイッチを差し出した。
「はい、どうぞ」
「知っていたのか、私の好物」
ペストマスクは、サンドイッチを手に取った。
瞬間、ありし日の光景がフラッシュバックした。
「――そうだな。このサンドイッチは、私が受け取るべき物ではない」
「えっ?」
首をかしげたミミコッテに、ペストマスクは頷いた。
「思い出したのだ。私は、数多の人間の希死念慮の塊。その核となった君の『最初の客』の想い。彼女が投身した瞬間、無我夢中で何かを願ったらしい。強力な願いによって《ダッジュエル》は変質。私の体内にもぐり込み、不死の身体と、自殺幇助能力を形作った」
上体を起こし、立ち上がった。
崩れそうな身体を、ミミコッテの笑みで保つ。
「私はこれから、集めた『想い』を使い、私の体内に取り込まれている《ダッジュエル》を再起動させる。強い願いを叶えるふしぎ魔法具なら、不可能ではないはずだ」
「再起動させてどうするの?」
「救いに行く」
「まさか……!」
今まで集めた力が、ペストマスクを覆った。
仕事を終えたことで、ようやく本当にやりたかったことが見えた。
「《ダッジュエル》よ。今こそ私は正式に願う。光を超えて、過去へ!」
ミミコッテはあわてて駆けより、左手を差し伸べてきた。
触ってはいけない、とペストマスクは言おうとした。だが、声を出す気力すら残されていなかった。
ペストマスクは、躊躇いながらもミミコッテの手をとった。
「限界だ」
「疲れたの?」
「誰も褒めてくれないんだ。私と出会い、認めてくれた人は全員、この世にいない。世間から賞賛されることも、社会が変革することもない。自分以外の手を汚したくないから、仲間もいない」
ペストマスクは、立ち上がろうとした。
「まがいなりにも、人に寄り添うために仕事をしている。なのに、人を物として扱わなければ仕事が終わらない」
足下で異音がした。カルテを踏んでしまったのだ。
足をよけた拍子に、再び崩れた。
横たわったまま、ペストマスクは言った。
「……すまない、汚れた手で触ってしまって」
ミミコッテは首を横に振って答えた。
「あなたが一番背負いすぎてるじゃない」
ペストマスクは力なく頷いた。
「患者は増えても、救い手は増えない」
喉からこみ上げる嗚咽をかみ殺し、右こぶしを地面に叩きつけた。
「信念のために、小さな事故を黙殺したこともある」
何度も叩きつけるうち、手袋が裂け、雪が紅く染まった。
「仕事中、ふと気づくとサンドイッチのことばかり考えていた」
とうとう、右手が動かなくなった。
「膨大な人数を幇助するにつれて、目的が『助けるため』なのか『仕事を終わらせる』ためなのか、境目が曖昧になってきた」
嗚咽を押し殺し、言った。
「もう逃げたい」
ミミコッテは血濡れの手を掬い上げる。
「お願い、もう止めて。さっきの人と同じよ……」
「代わりがいない。彼と違って、私の場合は、本当にいない。つらいと言って、私が歩みを止めてしまったら、大勢の人が……苦しんで……」
ミミコッテに引き上げてもらいつつ、足を踏ん張る。片手を膝につき、ようやく立ち上がることができた。肩で呼吸をしながら、ミミコッテと向き合う。
「あなたは誰かの役に立とうと、人の何十倍も考え、働き続けた。限界を超えて。もう充分でしょう?」
「幇助は自分の人生に見出した、唯一の意味だ。立ち止まるわけにはいかない」
ミミコッテは、両手を広げた。
「行かせられない」
「私から生きる意味を奪うな」
「やりたいこと、やるべきことをしている人の姿じゃない。休みましょう。ちょっとくらい休んでも、誰も責めはしないわ」
「休む……?」
ペストマスクは首をかしげた。それがどんな意味を持つ言葉かも、思い出せない。
「生きているのがどんなに大変か、あなたが一番よくわかっているでしょう。あなたと同じ人生をたどったら、ほとんどの人が脱落していたはず。あなたはここに立っているだけで偉大なの。だから、休んでもいいのよ」
しゃがみ込み、ミミコッテと視線を合わせた。
微笑む彼女に、ペストマスクは問う。
「……私は何をすればいい」
雪がいつの間にか止んでいた。地面から、春の息吹を感じる。そうだ、私達は花畑の上で話していたのだ。
「上着を脱いでから、アタシの膝の上に頭が乗るように横たわって」
ペストマスクは、ボタンを外し、コートを脱いだ。白いワイシャツと、グレーのスラックスが露わになった。
座ったミミコッテの膝上に頭を横たえると、血の通った暖かさを感じた。ふかふかの毛が髪に擦れて、くすぐったい。
「私の顔、真似できる? マスクの中でいいから」
「……」
もはや抗議する気にもならなかった。
ペストマスクはミミコッテに命じられるまま、全身の力を抜き、瞼を閉じた。頭の上を撫でられる感触に、懐かしさを感じる。
「今のあなた、とっても素敵よ」
「……見え透いたお世辞だ」
枯れたはずの目から、涙が溢れてきた。
「うう……うぅっ……」
「心の底から満足するまで、一緒にいるからね」
ミミコッテの声が遠のいていく。
久しく止まることの無かった思考が、停止していく――。
見守ってくれる人がいる。
何もしなくても、頭を撫でてくれる人がいる。
与えなくても、与えてくれる人がいる。
目を開けた。ミミコッテは口からよだれをたらして、うたた寝していた。
「そうか、わたしに必要だったのは、子供のように愛されることだったのか……」
ペストマスクの声で、ミミコッテは目を覚ました。
「あっ、ごめんなさい!」
「いいんだ。もう、何もかもいいんだ」
無意識のうちに、腹をさすっていた。
「うたた寝しちゃったお詫びしなきゃね」
ミミコッテは笑みを浮かべると、帽子の中からサンドイッチを差し出した。
「はい、どうぞ」
「知っていたのか、私の好物」
ペストマスクは、サンドイッチを手に取った。
瞬間、ありし日の光景がフラッシュバックした。
「――そうだな。このサンドイッチは、私が受け取るべき物ではない」
「えっ?」
首をかしげたミミコッテに、ペストマスクは頷いた。
「思い出したのだ。私は、数多の人間の希死念慮の塊。その核となった君の『最初の客』の想い。彼女が投身した瞬間、無我夢中で何かを願ったらしい。強力な願いによって《ダッジュエル》は変質。私の体内にもぐり込み、不死の身体と、自殺幇助能力を形作った」
上体を起こし、立ち上がった。
崩れそうな身体を、ミミコッテの笑みで保つ。
「私はこれから、集めた『想い』を使い、私の体内に取り込まれている《ダッジュエル》を再起動させる。強い願いを叶えるふしぎ魔法具なら、不可能ではないはずだ」
「再起動させてどうするの?」
「救いに行く」
「まさか……!」
今まで集めた力が、ペストマスクを覆った。
仕事を終えたことで、ようやく本当にやりたかったことが見えた。
「《ダッジュエル》よ。今こそ私は正式に願う。光を超えて、過去へ!」
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる