【完結】死による救済は許されるか――ペストマスクの診療カルテ

フゥル

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第八話 ミミコッテの救済

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「ちょっと!? 大丈夫?」

 ミミコッテはあわてて駆けより、左手を差し伸べてきた。
 触ってはいけない、とペストマスクは言おうとした。だが、声を出す気力すら残されていなかった。
 ペストマスクは、躊躇いながらもミミコッテの手をとった。

「限界だ」
「疲れたの?」
「誰も褒めてくれないんだ。私と出会い、認めてくれた人は全員、この世にいない。世間から賞賛されることも、社会が変革することもない。自分以外の手を汚したくないから、仲間もいない」

 ペストマスクは、立ち上がろうとした。

「まがいなりにも、人に寄り添うために仕事をしている。なのに、人を物として扱わなければ仕事が終わらない」

 足下で異音がした。カルテを踏んでしまったのだ。
 足をよけた拍子に、再び崩れた。
 横たわったまま、ペストマスクは言った。

「……すまない、汚れた手で触ってしまって」

 ミミコッテは首を横に振って答えた。

「あなたが一番背負いすぎてるじゃない」

 ペストマスクは力なく頷いた。

「患者は増えても、救い手は増えない」

 喉からこみ上げる嗚咽をかみ殺し、右こぶしを地面に叩きつけた。

「信念のために、小さな事故を黙殺したこともある」

 何度も叩きつけるうち、手袋が裂け、雪が紅く染まった。

「仕事中、ふと気づくとサンドイッチのことばかり考えていた」

 とうとう、右手が動かなくなった。

「膨大な人数を幇助するにつれて、目的が『助けるため』なのか『仕事を終わらせる』ためなのか、境目が曖昧になってきた」

 嗚咽を押し殺し、言った。

「もう逃げたい」

 ミミコッテは血濡れの手を掬い上げる。

「お願い、もう止めて。さっきの人と同じよ……」
「代わりがいない。彼と違って、私の場合は、本当にいない。つらいと言って、私が歩みを止めてしまったら、大勢の人が……苦しんで……」

 ミミコッテに引き上げてもらいつつ、足を踏ん張る。片手を膝につき、ようやく立ち上がることができた。肩で呼吸をしながら、ミミコッテと向き合う。

「あなたは誰かの役に立とうと、人の何十倍も考え、働き続けた。限界を超えて。もう充分でしょう?」
「幇助は自分の人生に見出した、唯一の意味だ。立ち止まるわけにはいかない」

 ミミコッテは、両手を広げた。

「行かせられない」
「私から生きる意味を奪うな」
「やりたいこと、やるべきことをしている人の姿じゃない。休みましょう。ちょっとくらい休んでも、誰も責めはしないわ」
「休む……?」

 ペストマスクは首をかしげた。それがどんな意味を持つ言葉かも、思い出せない。

「生きているのがどんなに大変か、あなたが一番よくわかっているでしょう。あなたと同じ人生をたどったら、ほとんどの人が脱落していたはず。あなたはここに立っているだけで偉大なの。だから、休んでもいいのよ」

 しゃがみ込み、ミミコッテと視線を合わせた。
 微笑む彼女に、ペストマスクは問う。

「……私は何をすればいい」

 雪がいつの間にか止んでいた。地面から、春の息吹を感じる。そうだ、私達は花畑の上で話していたのだ。

「上着を脱いでから、アタシの膝の上に頭が乗るように横たわって」

 ペストマスクは、ボタンを外し、コートを脱いだ。白いワイシャツと、グレーのスラックスが露わになった。
 座ったミミコッテの膝上に頭を横たえると、血の通った暖かさを感じた。ふかふかの毛が髪に擦れて、くすぐったい。

「私の顔、真似できる? マスクの中でいいから」
「……」

 もはや抗議する気にもならなかった。
 ペストマスクはミミコッテに命じられるまま、全身の力を抜き、瞼を閉じた。頭の上を撫でられる感触に、懐かしさを感じる。

「今のあなた、とっても素敵よ」
「……見え透いたお世辞だ」

 枯れたはずの目から、涙が溢れてきた。

「うう……うぅっ……」
「心の底から満足するまで、一緒にいるからね」

 ミミコッテの声が遠のいていく。
 久しく止まることの無かった思考が、停止していく――。

 見守ってくれる人がいる。
 何もしなくても、頭を撫でてくれる人がいる。
 与えなくても、与えてくれる人がいる。

 目を開けた。ミミコッテは口からよだれをたらして、うたた寝していた。

「そうか、わたしに必要だったのは、子供のように愛されることだったのか……」

 ペストマスクの声で、ミミコッテは目を覚ました。

「あっ、ごめんなさい!」

「いいんだ。もう、何もかもいいんだ」

 無意識のうちに、腹をさすっていた。

「うたた寝しちゃったお詫びしなきゃね」

 ミミコッテは笑みを浮かべると、帽子の中からサンドイッチを差し出した。

「はい、どうぞ」
「知っていたのか、私の好物」

 ペストマスクは、サンドイッチを手に取った。
 瞬間、ありし日の光景がフラッシュバックした。

「――そうだな。このサンドイッチは、私が受け取るべき物ではない」
「えっ?」

 首をかしげたミミコッテに、ペストマスクは頷いた。

「思い出したのだ。私は、数多の人間の希死念慮の塊。その核となった君の『最初の客』の想い。彼女が投身した瞬間、無我夢中で何かを願ったらしい。強力な願いによって《ダッジュエル》は変質。私の体内にもぐり込み、不死の身体と、自殺幇助能力を形作った」

 上体を起こし、立ち上がった。
 崩れそうな身体を、ミミコッテの笑みで保つ。

「私はこれから、集めた『想い』を使い、私の体内に取り込まれている《ダッジュエル》を再起動させる。強い願いを叶えるふしぎ魔法具なら、不可能ではないはずだ」
「再起動させてどうするの?」
「救いに行く」
「まさか……!」

 今まで集めた力が、ペストマスクを覆った。
 仕事を終えたことで、ようやく本当にやりたかったことが見えた。

「《ダッジュエル》よ。今こそ私は正式に願う。光を超えて、過去へ!」
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