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第8話 臨海公園
うたたね
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水槽の前に半円形に円座が並べられている。ツキは左側の座席を指さした。
「12:00からスポットガイド――スタッフさんによるクロマグロの解説があるそうです。早めに座って、休憩しませんか?」
「そうじゃな」
十時前には入館していたから、二時間近く水族園にいたことになる。あっという間だった。黒狐さまと水槽、二つを同時に観覧しているから、いくら時間があっても足りない。
「それにしても、壮観ですね」
「一メートル超えの大魚が60以上。凄まじいのぉ」
クロマグロはメタリックな紡錘形ボディだった。1メートルから1.5メートル以上の個体まで、様々だ。上側はやや黒く、下側は銀。見上げれば太陽光と腹の銀が混じり、上から見れば深海の黒と背中の黒が混じる。。いいあんばいの体色だった。
背びれから尾びれにかけて、黄色いとげとげがついている。
「平安時代はマグロってどうでした?」
「鮮度の問題で不味かった」
「マグロが……不味い……」
「旨くなったのは、漬けマグロが登場する江戸時代からじゃな。当時、トロは脂っこくて不人気じゃった。平気で捨てておったぞ。ただ同然で食えるから、庶民には人気じゃった」
「罪深すぎますね」
大きな個体になるにつれて、口元やほっぺに傷がある個体が増える。顎が外れているのか、大きく口を開いたままの個体もいる。よく見ると、方向転換するときに、腹びれを展開していた。
大水槽に数十匹のクロマグロが泳ぐ様は圧巻だった。泳ぐ速度はそこそこ速く、カメラのピントが合わない。
少々窮屈そうに泳いでいる。右へ行き、左へ曲がり、左へ行き、右に曲がり、また右へ行き……。
「見応えがありますね」
つぶやいたが、返事がない。
ふと横を見ると、黒狐さまはクロマグロをぼんやり眺めていた。
「黒狐さま?」
「へ? あっ、すまん。どうしたんじゃ?」
「少し、疲れましたね」
「そうじゃな」
黒狐さまは、大きくのけぞった。口を隠すと、小さくあくびをした。
「少し休んでいいか?」
「かまいませんよ。僕を気にせず、ゆっくりとお休みください」
「ツキ、ありがとうなのじゃ」
クロマグロたちは、相変わらず、のんびりと水槽を往復している。あと二十分くらいしたら、スタッフさんによるマグロの解説がある。
二の腕に柔らかいものが当たった。同時に香る、透き通った匂い。
「ん!?」
隣を見ると、黒狐さまがよりかかっていた。スースーと、愛らしい寝息を立てている。
どうしよう。クロマグロどころではなくなってしまった。ドクドクと全身が震えんばかりに心臓が騒ぐ。全身がガッチガチに硬直。黒狐さまとは逆に、呼吸が荒くなった。
「いくら『気にせず』っていっても、限度があるでしょう」
「んー」
どんどん、二の腕にかかる圧が強くなってきた。
肩に黒狐さまの首が、乗っかった。警戒感がなさすぎだろう。
「ちょっと!」
とはいえ、起こすわけにもいかない。ツキは、一番大きなクロマグロを探すことで、気を紛らわすことにした。あれは小さい。あれは惜しい。あっちの方がでかい。そういえば、あの個体、顎がひしゃげている上に口が開きっぱなししだな……。
黒狐さまは、上半身全体で寄りかかってきた。腕に黒髪がかかって、くすぐったい。さらには、頬を肩に擦りつけてきた。
やられてばっかりでは、しゃくだった。
ツキは意を決して、黒狐さまの手に、自分の手を重ねた。
「えっと、こうだっけか?」
手は敏感な部位だ。最初は、手のひら全体を使い、なでる。接地面を広くすることで、くすぐったさを軽減する。次に四本指に腹で、黒狐さまの指を一本ずつ丹念に、さする。
「んん……」
気持ちよさそうに、声を漏らした。ツキはさらに、黒狐さまの手の下に指を滑り込ませた。黒狐さまの手のひらを、細かく何度も刺激する。
ぴくっ、とかすかに体が震え、呼吸が乱れた。
ゆっくりと黒狐さまの上半身が持ち上がり、潤んだ黒い瞳で、こちらを見てきた。
「上手になったのぉ、おぬし」
「あなたのご指導のおかげです」
「そうかぁ、わらわのおかげかぁ~」
黒狐さまはうれしそうにぼやくと、また目を閉じた。
不意に黒狐さまの手が動き、ツキの手指が絡め取られた。
「んぅ……!」
ふわっふわの指だ。触れるか触れないかの絶妙な距離感で、掻いたり、こすったりしてくる。背中にゾクゾクしたものを感じて、思わず身じろぎしてしまった。
このままでは、まずい。
黒狐さまの手に、指を絡ませる。そして、親指で、黒狐さまの人差し指の側面をもむ。
「そうくるか。だったら」
黒狐さまは、人差し指以外の四本で、ツキの指を挟み、さすりはじめた。
一進一退の攻防が続く。
ツキの体が熱くなり、頭に血が上る。黒狐さまも、だんだんと余裕がなくなってきた。
後ろから聞こえてきた子供の笑い声で、現実に戻った。変な目で見られてないか、周囲を見渡す。何組かに、目をそらされた。
「やっちまったのじゃ」
「すいません、僕のせいで」
「12:00からスポットガイド――スタッフさんによるクロマグロの解説があるそうです。早めに座って、休憩しませんか?」
「そうじゃな」
十時前には入館していたから、二時間近く水族園にいたことになる。あっという間だった。黒狐さまと水槽、二つを同時に観覧しているから、いくら時間があっても足りない。
「それにしても、壮観ですね」
「一メートル超えの大魚が60以上。凄まじいのぉ」
クロマグロはメタリックな紡錘形ボディだった。1メートルから1.5メートル以上の個体まで、様々だ。上側はやや黒く、下側は銀。見上げれば太陽光と腹の銀が混じり、上から見れば深海の黒と背中の黒が混じる。。いいあんばいの体色だった。
背びれから尾びれにかけて、黄色いとげとげがついている。
「平安時代はマグロってどうでした?」
「鮮度の問題で不味かった」
「マグロが……不味い……」
「旨くなったのは、漬けマグロが登場する江戸時代からじゃな。当時、トロは脂っこくて不人気じゃった。平気で捨てておったぞ。ただ同然で食えるから、庶民には人気じゃった」
「罪深すぎますね」
大きな個体になるにつれて、口元やほっぺに傷がある個体が増える。顎が外れているのか、大きく口を開いたままの個体もいる。よく見ると、方向転換するときに、腹びれを展開していた。
大水槽に数十匹のクロマグロが泳ぐ様は圧巻だった。泳ぐ速度はそこそこ速く、カメラのピントが合わない。
少々窮屈そうに泳いでいる。右へ行き、左へ曲がり、左へ行き、右に曲がり、また右へ行き……。
「見応えがありますね」
つぶやいたが、返事がない。
ふと横を見ると、黒狐さまはクロマグロをぼんやり眺めていた。
「黒狐さま?」
「へ? あっ、すまん。どうしたんじゃ?」
「少し、疲れましたね」
「そうじゃな」
黒狐さまは、大きくのけぞった。口を隠すと、小さくあくびをした。
「少し休んでいいか?」
「かまいませんよ。僕を気にせず、ゆっくりとお休みください」
「ツキ、ありがとうなのじゃ」
クロマグロたちは、相変わらず、のんびりと水槽を往復している。あと二十分くらいしたら、スタッフさんによるマグロの解説がある。
二の腕に柔らかいものが当たった。同時に香る、透き通った匂い。
「ん!?」
隣を見ると、黒狐さまがよりかかっていた。スースーと、愛らしい寝息を立てている。
どうしよう。クロマグロどころではなくなってしまった。ドクドクと全身が震えんばかりに心臓が騒ぐ。全身がガッチガチに硬直。黒狐さまとは逆に、呼吸が荒くなった。
「いくら『気にせず』っていっても、限度があるでしょう」
「んー」
どんどん、二の腕にかかる圧が強くなってきた。
肩に黒狐さまの首が、乗っかった。警戒感がなさすぎだろう。
「ちょっと!」
とはいえ、起こすわけにもいかない。ツキは、一番大きなクロマグロを探すことで、気を紛らわすことにした。あれは小さい。あれは惜しい。あっちの方がでかい。そういえば、あの個体、顎がひしゃげている上に口が開きっぱなししだな……。
黒狐さまは、上半身全体で寄りかかってきた。腕に黒髪がかかって、くすぐったい。さらには、頬を肩に擦りつけてきた。
やられてばっかりでは、しゃくだった。
ツキは意を決して、黒狐さまの手に、自分の手を重ねた。
「えっと、こうだっけか?」
手は敏感な部位だ。最初は、手のひら全体を使い、なでる。接地面を広くすることで、くすぐったさを軽減する。次に四本指に腹で、黒狐さまの指を一本ずつ丹念に、さする。
「んん……」
気持ちよさそうに、声を漏らした。ツキはさらに、黒狐さまの手の下に指を滑り込ませた。黒狐さまの手のひらを、細かく何度も刺激する。
ぴくっ、とかすかに体が震え、呼吸が乱れた。
ゆっくりと黒狐さまの上半身が持ち上がり、潤んだ黒い瞳で、こちらを見てきた。
「上手になったのぉ、おぬし」
「あなたのご指導のおかげです」
「そうかぁ、わらわのおかげかぁ~」
黒狐さまはうれしそうにぼやくと、また目を閉じた。
不意に黒狐さまの手が動き、ツキの手指が絡め取られた。
「んぅ……!」
ふわっふわの指だ。触れるか触れないかの絶妙な距離感で、掻いたり、こすったりしてくる。背中にゾクゾクしたものを感じて、思わず身じろぎしてしまった。
このままでは、まずい。
黒狐さまの手に、指を絡ませる。そして、親指で、黒狐さまの人差し指の側面をもむ。
「そうくるか。だったら」
黒狐さまは、人差し指以外の四本で、ツキの指を挟み、さすりはじめた。
一進一退の攻防が続く。
ツキの体が熱くなり、頭に血が上る。黒狐さまも、だんだんと余裕がなくなってきた。
後ろから聞こえてきた子供の笑い声で、現実に戻った。変な目で見られてないか、周囲を見渡す。何組かに、目をそらされた。
「やっちまったのじゃ」
「すいません、僕のせいで」
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