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19.いちゃいちゃしないと出られない部屋(桜庭視点)

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例の夢の原因は俺にあるかもしれない。
そんな突拍子もない話を山吹にどうやって切り出せばいいものか。
頭を悩ませているうちにあっという間に1週間が経過した。

あの後、地蔵に関する新しい情報が手に入らないかとネットで検索をかけてみたが、やはりこんな田舎で大昔に流行った噂話など出てくるはずもなく。
地方のローカル情報に特化した匿名掲示板にも書き込んでみたが、そもそも掲示板自体の過疎化が進んでいるせいで反応すらなかった。

あの婆さんから聞き出した情報をまとめると
①地蔵のご利益は『夢を介して意中の相手と結ばれる』こと
②ご利益を得るためには特定の儀式をする必要がある
③儀式をした本人が告白をすると夢の共有が終わる
④告白された側は夢に関する記憶が消える
⑤夢の中では飲食物や無機物を出現させることも可能

こんなところだろうか。
真偽は不明だが、あの夢を終わらせる方法が見つかったかもしれないということは大きな収穫だった。

しかし、問題は「なぜ夢の相手が山吹なのか」という点だ。
仮に『好きな相手が居ない場合は身近な人間からランダムで1人抽選される』のだとしたら、それこそ桃瀬あたりでも良かっただろうに。

となると残された可能性は「深層心理では山吹のことを好いていた」というものだが、それは絶対に無いと言い切れる。
なぜなら俺は男に興味などないからだ。

そもそもまともに恋愛をしてこなかった俺には恋愛感情というものがイマイチ分からない。
映画やドラマから得た知識と、一緒に酒を飲んだ時に山吹がベラベラと話す内容から、だいたいこんな感じだろうと見当をつけているに過ぎない。
恋をするとドキドキする、些細な相手の言動に一喜一憂する、会えない日が長く続くと寂しくなる。

一緒にいると幸せな気持ちになる。

そういうものらしい。
残念ながら俺が山吹といてドキドキする事もなければ、些細な言動で一喜一憂した記憶もない。
山吹の隣は居心地がいいし楽しいとは思うが、それは俺に限ったことでは無いと思う。
だってあの男は老若男女問わず人から愛されるタイプの人間なのだから。

「ふわ……」

ぐるぐると考え事をしている内に欠伸が出た。
頭が重いのは寝不足だからか、それとも脳に栄養が足りていないからか。
どちらにせよ今の俺には考える事が山積みだ。

仕事を終え帰宅した俺は手早く入浴を済ませベッドに潜り込んだ。
そして、スマホで流行りの恋愛記事を斜め読みする。
「ドキドキ……会いたい……触れたい……」
正直、内容が頭に入ってこない。
あまりにも共感できないのだ。

まるで異国の文化にでも触れているような感覚だ。
しかし、こんなめんどくさいことを世の中の大多数の人間が当たり前のように行っていて、しかも世間一般では「恋愛は価値のある尊いもの」とされている。
つまり、そこに適応することのできない少数派の俺の方が異物なのだ。

「……っと」
活字を目で追っているうちにだんだん瞼が重くなってきてついスマホを顔面に落としそうになる。
今日はもうこれ以上情報収集をしても無意味だろう。
枕元にスマホを放り投げると、俺はそのまま目を閉じた。

「ん……?」
次に目覚めた時には、見覚えのある白い部屋の中にいた。
フリルがたっぷりあしらわれた天蓋付きのベッドに、真っ白な壁。
部屋の出入り口は扉が一つだけで、扉の上にホワイトボードが置いてあるだけの殺風景な空間だ。

しばらくこの夢を見ていないと思っていたが、よりにもよってこんなタイミングとは。

俺はベッドに横たわったまま視線だけを動かして室内の様子を伺った。
右隣にはまだスヤスヤと寝息を立てる山吹の姿があった。
これまでは山吹の方が先に起きていることが多かったため、なんだか新鮮な気分だ。

俺は山吹を起こさないよう、ゆっくりと彼の方へ寝返りをうつ。
こうして改めて見ると、整った顔立ちをしているのがよく分かる。
長いまつ毛に縁取られた大きな瞳は閉じられているが、鼻筋はすっと通っていて、薄い唇は綺麗な形をしていた。

髪も肌も眉も手入れが行き届いていることがよくわかる。
たぶん、こういうのをイケメンと形容するのだろう。
そういえば、だいぶ前にカミソリで切った頬の傷も綺麗に治っている。
俺は無意識のうちに山吹の頬へ指を滑らせていた。
たしかこのあたりだったはずだ、と傷跡のあった場所を確かめるように指先で軽くなぞっていると彼の身体がぴくりと跳ねた。

そして目を覚ました山吹と至近距離で目が合う。
彼はまだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりとこちらを見つめていたが、やがて状況を理解したらしく慌てて飛び起きた。
「えっ……なん、桜庭!?」

俺から距離をとった拍子に勢いよくベッドから転げ落ちそうになる山吹の腕を咄嵯に掴む。
「落ち着け」
「あ、ありがと……あれ?ここって、またあの夢ってことだよな……?」

体勢を立て直しながら山吹は辺りを見回した。
「ああ。まだ今日の脱出条件は出てないみたいだけど」
俺はベッドの上にあぐらをかき、腕組みをしながら答えた。

「えーっとこれで7回目?前は好きなとこ10個だっけか」
「じゃあ今回は“相手の嫌いなところを10個言え”とかかもな」

つい毒づいてしまったが、山吹はとくに気にする様子もなく顎に手を当てて何やら考え始めた。
「うーん、桜庭の嫌いなとこなぁ……好きなとこ答えるよりも難しいな」

普通、短所の方が簡単に思い浮かぶと思うのだが。
今の一言で彼が他人から好かれる理由がわかった気がした。

「……あ、桜庭あれ」
不意に山吹が扉の上のホワイトボードを指差す。
【いちゃいちゃしないと出られない部屋】
そこにはいつの間にか、そこに新たな文字が追加されていた。

「い、いちゃいちゃ……って」
山吹は口元に手を当て、難しい顔をしていた。
俺だって同じ気持ちである。
いやむしろ俺の方こそ、何をどうすればいちゃついたことになるのかさっぱりわからない。

「こういうのなら山吹の方が得意だろ」
「どういう意味だよそれ~」
だってお前モテるから、と小さく付け足すと山吹は困ったように笑った。
「まぁ、いちゃつくの定義とかはよくわからんけど、とりあえずやってみるしかないよなー……。よいしょっ、と」

山吹は四つん這いでベッドの上を移動して俺の隣に腰掛けた。
ぎしり、とスプリングが軋んだ音を立てる。
「嫌だったら振り解いてくれていいから」
「多分平気だろ」
相手がお前なら、と言おうと思ったが、何だか酷く恥ずかしい発言になりそうだったのでやめた。
山吹だって男同士でこんなことを強いられていい気はしない筈なのに、嫌な顔一つせず俺のそばに来てくれる。
本当に良い奴だと思う。

「んじゃ、失礼します」
すると次の瞬間、右手に暖かな感触が伝わってくる。
それが山吹の手だということを理解するのに時間は掛らなかった。
そのまま指を絡ませ、いわゆる恋人繋ぎの形をとる。
「……」
俺は特に抵抗することなく、されるがままに手を委ねた。
細い指先からは山吹らしい優しい温もりがじんわりと染み込んでくるような心地がした。

「これでいちゃついてることになるのか」
そんなこと山吹が知るはずもないのに、俺は思わずそう呟いた。
「いやぁ~まだ序の口でしょ。まぁ、ここは恋愛上級者の山吹先生に任せなさい」
山吹はそう言って繋いだ手に力を込めると、今度は俺の肩に頭を乗せるようにして身体を密着させてきた。

首筋に当たる山吹の髪がくすぐったい。
山吹は俺の反応を楽しむかのように、さらに体重をかけて寄りかかってきた。
「重い」
「あはは、ごめん」
悪びれもせずに笑った山吹は俺の身体に寄りかかったまま、繋いだ手の感触を確かめるように親指の腹を滑らせる。

「なぁ、山吹」
「うん?」
「恋愛ってどんな感じ?」
「……うん??」
山吹は不思議そうな声を上げると、俺の顔を覗き込んでくる。
俺みたいに恋や女に縁のなさそうな男がそんな質問を投げかけてくるのは意外だったのだろうな。

「恋愛ドラマ観てたらなんとなく気になったんだよ」
俺は適当に誤魔化しながら続けた。
「好きな人がいるってどんな感じなんだろうって」
この夢が本当に恋の後押しをしているのかは分からないが、今は少しでも情報が欲しい。
山吹は少し考える素振りを見せた後で口を開いた。

「んー。人生が明るくなる、っていうのかな」
「なんだそれ」
「辛いことがあっても、その人のこと考えてるとなんか元気になれたり幸せな気持ちになったり……頑張ろうって思える、みたいな」
「それなら別に恋愛じゃなくて家族愛とか好きな芸能人とかでも当てはまるよな」

家族の顔を見ると元気が出るとか、好きなアイドルが活躍しているさまを想像すると幸せになれるとか、そういった感覚ならば俺にも多少は理解できる。

「……もしかして誰か好きな人でもできた?」
山吹は探るように俺の目を覗き込んだ。
「いないし、いたこともないからどんな感覚なのか知りたいんだよ。お前なら経験豊富っぽいし」

目を逸らさず答えると、山吹は「別に人並みだと思うけどなぁ」と気恥ずかしそうに呟いた。
普通に生きていれば10代前半あたりで自然と身につくであろう恋愛に関する経験を、俺は何一つ持ち合わせていない。

「うーん……恋と愛の違いかぁ」
そう言って山吹は俺の手をにぎにぎと弄ぶ。
「ベタなとこだとやっぱ、触れたりキスしたいとか……それ以上もしたい、とかじゃない?」
“それ以上”
その言葉が性行為のことを指しているのは明らかだった。

「……なるほど」
やっと腑に落ちた気がした。
「やっぱり経験豊富なやつに聞くのが一番だな」
「いやいや!俺なんて全然普通だから!」

山吹は俺の肩から顔を上げ、ぶんぶんと首を横に振って否定した。
お前レベルで普通なら恋愛感情すらまだ未知の俺はなんなんだと言いたくなったが、ぐっと堪える。

「てか開かねーなー。いちゃいちゃしてるつもりなんだけど」
山吹は再びホワイトボードに視線を向ける。
「もしかして、桜庭の方からも何かしてくれないとだめなのかも」
「えー、めんどくせえ」

恋愛経験のない俺に「いちゃいちゃ」の正解など分かりようもないが、目覚めるためにはやるしかない。
俺はため息をつきながら山吹から少し距離をとり、彼の全身を観察する。
「な、なに」
「どこに触れたらいちゃいちゃ判定になるのかと思って」
「スキンシップじゃなくて愛の言葉とかでもいいんじゃない?例えばー……『愛してるよダーリン♡』とか」

山吹のわざとらしい声色に、俺は思わず顔をしかめた。
「きしょ」
「ひでぇ~せっかく真面目に考えたのに」
自分がそんなセリフを吐く姿を想像するだけで鳥肌が立ちそうになる。
そんな歯の浮くような台詞を言うくらいならスキンシップの方がまだ幾分かマシだ。
ブーイングをする山吹を無視して、俺は両手でペタリと彼の身体に触れてみた。

肩、胸、腹、太もも。
布ごしに伝わる感触は間違いなく男そのものだったが、不思議と嫌悪感はなかった。

「……ふはっ」
突然、山吹が吹き出した。
「なんだよ」
「なんかこれ、身体検査でもされてるみたいでおかしくて」
全然いちゃいちゃしてる感じじゃないな、と山吹は笑いながら言う。
確かに傍から見たらおかしな光景に違いない。

山吹はくくくと笑いながらも、両手を広げて続きを促した。
「次はどこを調べますか?お巡りさん」
「じゃあ……」
俺は山吹の脇の下へ腕を滑り込ませ、指先でそこを軽く撫ぜた。
「うおっ」
山吹はびくりと体を震わせながら素頓狂な声を上げる。
そのまま指を不規則に動かすと、山吹は身を捩って逃れようとする。

「ちょ、待って、くすぐった……んふふ、ふっ」
山吹は身を捩らせながら必死に逃げようとするが、俺は構わず山吹をくすぐり続けた。
「うるせー、俺を笑った罰だ」
「あはは!ねぇ、桜庭!まじで待っ……あははは!うひひひひ」

山吹は目尻に涙を浮かべながら、俺の腕を掴んで引き離そうとするが、力が入らないのか、その動きは弱々しい。
次第に体を支える力すら失った山吹はベッドの上に倒れ込み、仰向けで大の字になるような形で身悶えた。

「山吹ってくすぐり弱いんだな」
足をばたつかせ、どうにか逃げようと試みる姿が妙に面白くて、俺は馬乗りになって山吹を更に責め立てた。
「いひひひっ!ねぇ、も、だめだってぇ……あーっはっはっはっ」
体に触れるか触れないかの距離を保ちながら、腋下から肋骨にかけてをなぞっていく。

「あーもうっ……ごめんなさい。降参、ぎぶ、ギブアップ……」
両手を上げ、無抵抗の意思を示す山吹を見て、ようやく満足した俺はゆっくりとその手を引っ込めた。
ふうふうと息を整えている山吹を膝立ちになりながら見下ろす。

頬は紅潮し、眉尻は下がり、瞳は潤んでいる。
荒い呼吸を整えながら、とろん、とした瞳を向けてくる山吹の顔を見ているとなぜか心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。
さっきまでなんとも無かったのに、突然体温が上昇していくのがわかる。

「桜庭?」
山吹が俺の下で不思議そうに首を傾げた。
俺は黙って手を伸ばすと、そのまま仰向けになっている山吹の両手首をシーツに押し付けた。
「え~なに、まだ怒ってんの?」
もうくすぐりは無しな、と笑う山吹の上に覆い被さるようにして首筋に顔を近づける。

次の瞬間。
扉の方からガチャリ、という音が聞こえてきた。

「え?」
俺達は同時に音のした方を見た。
そうだ、俺たちはミッション遂行中だったのだ。

「あー、よかった!てかくすぐりっていちゃいちゃに入んの!?」

山吹は明るい声でそう笑いながら俺の下から抜け出した。
まだ心臓がバクバクと鳴っている。
なんだこれ、俺は今なにをしようとしてたんだ。
「はー、これでやっと出られるなー」
山吹はベッドから降りると、足早に扉の方へ駆けて行った。

「また会社で」そう残して去っていく山吹の背中を見つめながら、俺はしばらくその場から動けなかった。

そうこうしている間に俺も現実世界へと戻されていた。
カーテンから覗く空はまだ暗く、スマホを確認するとまだ午前4時を回ったところだった。

「……はー……」
久しぶりにあの夢をみた。
ぼんやりとする頭の中で、今日見た夢の断片が浮かんでは消えていった。

「……山吹」
無意識のうちに、その名前を呟いていた。

山吹のあの表情を見た瞬間、自分の中の何かが変わったような感覚を覚えた。
今もじんわりと顔に熱が集まっているような気がする。
けれど、それが何を意味するのかまではよくわからなかった。

いや、ただ気付きたく無いだけなのかもしれない。
「なんだったんだ、マジで……」
俺は頭を振って雑念を振り払うと、スマホの明かりを頼りに立ち上がった。
シャワーを浴びて寝直そう。
そう思い、重い足取りで風呂場へ向かうことにした。
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