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しばらく兄と他愛もない話を続けていると、メイド長のメリルが今度はルーク殿の来訪を報せに来た。
それを聞いた私は、反射的に、横目で兄を見てしまっていた。
本来この視線はおかしなものではないはずだった。夫が懇意にしているあの青年を、兄に紹介することは当然だ。
けどこのときの私の視線は、他人に見られたくないものをしまっておいた引き出しの側を、誰かが通った際に、ついその引き出しへと向けてしまうのによく似ていた。
確かに、兄の中には、思い当たるものがあった。今の今まで兄と接していた、マレフィード夫人ではない、レ・クロウルバッハ家の私である。
そう考えると、後者の私は、人より多少横柄な物言いをしてしまう自覚があったから、ルーク殿を不快にさせてしまう懸念はあれど、別に無理して隠す程のものでもないなと思った。私は、待たせては悪いと、すぐにこちらへお通しするようにメリルへお願いした。
「お客様みたいだね、お暇しようか」
「いいよ。 夫の元従者だった方で、そのうち紹介することになっただろうから」
「そうか。 それじゃ、お前のマレフィード夫人としての新しい人間関係とやらを、少し拝見させてもらうとするかな」
そう言うと兄は姿勢と襟元を正した。
血を分けた兄妹であるだけに、好奇心の強い兄のその仕草は、相手への礼節を欠かないためにする配慮というよりは、これから仕事に取りかかる人間が、気を引き締めるために行う準備のように見えた。
私はその様子を見て、先程の兄への視線の違和感について、重大な勘違いをしていたことに気がついた。
普段おちゃらけていて能天気に見えるけど、妙に鋭いところのあるこの兄は、引き出しの方ではなく、その捜索にやってきた衛兵の方ではないのか、と。
私は、あの美しい黒髪と宝石のような瞳を、確かにしまったのだ。
でもそれならば何故、恐らく誰もが見て称賛するあの夜の装飾品を、そもそも私は隠したのか?
私は、自分の気に入ったものが、無闇に人に発見されるのを嫌がる、収集家特有のあの気質が自分にもあるんだと思って少し驚いた。そんなことはあり得ないけど、兄には絶対あの髪に触れさすまい、なんて考えていた。見せてはやるけど。
何はともあれ、私の心は、またあの綺麗な夜が見れるのだと、少しだけ弾んでいたと思う。
*
結局、兄とルーク殿は、妙に気があった。
案の定私同様に黒髪を誉めそやし、ルーク殿が「差し上げましょうか」と言ったときは、「ぜひ」なんて言ったものだから、殺してやろうかと思った。
他にも色々と話していたけど、兄の方にあまり時間がなく、四半時間もしないうちに兄は帰っていった。
私たちは二人で夫を待っていた。
「愉快なお兄様ですね」
「そんな、実際長くいると、うるさいだけなんですよ? 不躾な兄で、お恥ずかしいですわ」
「私は貴族特有の堅苦しさよりも、お兄様のような親しみやすさのが、断然好きですよ。 あのようなお兄様がいて、貴女が羨ましい」
「そういえば、ルーク殿に、ご兄弟は?」
「兄が一人と、姉が一人います。 ですが、どちらも絵にかいたようなお堅い優秀なお貴族様で、私とは、あまり馬が合いません」
はにかんだような、少し悲しいような、そんな表情を浮かべる。
「要するに、ヤな奴らなんです」
わざと苦い顔を作って小声でそう言うと、またすぐに、冗談ですよといった風に朗らかに笑った。
彼の話し方が、私にはとてもとても不思議だった。
表情が豊かで、ずっと見ていても飽きなさそうだった。
もしかしたら深刻な不和があり、辛い思いをしているのかもしれないというのに、そうした様々な冷たい感情も、彼の笑顔を通すと、春の陽に優しく包まれたような、自然と心地よい、暖かなものに感じられてしまう。
もし私の中の暗い感情を、彼に手渡すことが出来たのなら、彼はきっと魔法のように綺麗な色をつけて、私にそれを返してくれるのだろう。
私は、私達魔族の者でさえ見たことも聞いたこともないその魔法を見てみたかった。
でも所詮、それは彼に負荷を与えるだけの、こちらの身勝手な願望だ。
それでも押し付けたい程の。
「夫があなたを気に入る理由がよくわかりますわ。 あの人も、貴族然とした人たちが嫌いで、マレフィード家は新しい価値観が大好きですもの」
ほんの少し目を細めて間を置くと、彼は続けた。
「こんな私に目をかけて頂いて、伯爵様には、感謝してもしきれません」
こんな私、か。 いったい、どんな貴方なんだろう。
人には事情というものがあるから、知りもしないで彼のその低そうな自己評価を、こんなだなんてことありませんわ、などと否定するつもりはない。
ただ、笑顔の合間にいつもより長く、それでも一瞬、憂いを覗かせた彼の顔が、とても寂しそうで目に焼き付いてしまった。黙っていると恐ろしいほど冷酷そうなのに、話すとよく笑っていて、そんな豊かな表情の移りめに、どこか悲しそうな色を見せる。
訳がわからないのに、あるいは訳が分からないからなのか、私は彼が生み出す彼のそうした移り気な様々な印象に、否応もなしに引き込まれてしまって、特に彼が此方を見ていない間は目が離せず、だんだんイライラしてきていた。
だから私は、そのまんま聞いてしまった。
「こんなって、どんな?」
時が止まったかのように、彼は目を丸くしてこちらを見て固まると、やがて大笑いし始めた。
何がそんなに面白いんだかサッパリだ。
「クククク…… あー、ごめんなさい… 貴女があまりにも真顔で真っ直ぐに聞いてくるものだから、自分でもどんなだっけと思ってしまって」
私もちょっと笑ってしまった。
「何それ。 自分でも分かってないんじゃん」
「本当だね、わかんないや。 分かったら、必ず教えるよ」
またいつものようにニコニコしてやがった。
この日私は、いつも陽気そうな彼は、"本当は"凄く寂しそうな人なのかもと思い、その発見に隠れてニヤニヤした。
でも本来それは、人の認識の錯覚であり、罠であると分かっていたはずなのに。
それを聞いた私は、反射的に、横目で兄を見てしまっていた。
本来この視線はおかしなものではないはずだった。夫が懇意にしているあの青年を、兄に紹介することは当然だ。
けどこのときの私の視線は、他人に見られたくないものをしまっておいた引き出しの側を、誰かが通った際に、ついその引き出しへと向けてしまうのによく似ていた。
確かに、兄の中には、思い当たるものがあった。今の今まで兄と接していた、マレフィード夫人ではない、レ・クロウルバッハ家の私である。
そう考えると、後者の私は、人より多少横柄な物言いをしてしまう自覚があったから、ルーク殿を不快にさせてしまう懸念はあれど、別に無理して隠す程のものでもないなと思った。私は、待たせては悪いと、すぐにこちらへお通しするようにメリルへお願いした。
「お客様みたいだね、お暇しようか」
「いいよ。 夫の元従者だった方で、そのうち紹介することになっただろうから」
「そうか。 それじゃ、お前のマレフィード夫人としての新しい人間関係とやらを、少し拝見させてもらうとするかな」
そう言うと兄は姿勢と襟元を正した。
血を分けた兄妹であるだけに、好奇心の強い兄のその仕草は、相手への礼節を欠かないためにする配慮というよりは、これから仕事に取りかかる人間が、気を引き締めるために行う準備のように見えた。
私はその様子を見て、先程の兄への視線の違和感について、重大な勘違いをしていたことに気がついた。
普段おちゃらけていて能天気に見えるけど、妙に鋭いところのあるこの兄は、引き出しの方ではなく、その捜索にやってきた衛兵の方ではないのか、と。
私は、あの美しい黒髪と宝石のような瞳を、確かにしまったのだ。
でもそれならば何故、恐らく誰もが見て称賛するあの夜の装飾品を、そもそも私は隠したのか?
私は、自分の気に入ったものが、無闇に人に発見されるのを嫌がる、収集家特有のあの気質が自分にもあるんだと思って少し驚いた。そんなことはあり得ないけど、兄には絶対あの髪に触れさすまい、なんて考えていた。見せてはやるけど。
何はともあれ、私の心は、またあの綺麗な夜が見れるのだと、少しだけ弾んでいたと思う。
*
結局、兄とルーク殿は、妙に気があった。
案の定私同様に黒髪を誉めそやし、ルーク殿が「差し上げましょうか」と言ったときは、「ぜひ」なんて言ったものだから、殺してやろうかと思った。
他にも色々と話していたけど、兄の方にあまり時間がなく、四半時間もしないうちに兄は帰っていった。
私たちは二人で夫を待っていた。
「愉快なお兄様ですね」
「そんな、実際長くいると、うるさいだけなんですよ? 不躾な兄で、お恥ずかしいですわ」
「私は貴族特有の堅苦しさよりも、お兄様のような親しみやすさのが、断然好きですよ。 あのようなお兄様がいて、貴女が羨ましい」
「そういえば、ルーク殿に、ご兄弟は?」
「兄が一人と、姉が一人います。 ですが、どちらも絵にかいたようなお堅い優秀なお貴族様で、私とは、あまり馬が合いません」
はにかんだような、少し悲しいような、そんな表情を浮かべる。
「要するに、ヤな奴らなんです」
わざと苦い顔を作って小声でそう言うと、またすぐに、冗談ですよといった風に朗らかに笑った。
彼の話し方が、私にはとてもとても不思議だった。
表情が豊かで、ずっと見ていても飽きなさそうだった。
もしかしたら深刻な不和があり、辛い思いをしているのかもしれないというのに、そうした様々な冷たい感情も、彼の笑顔を通すと、春の陽に優しく包まれたような、自然と心地よい、暖かなものに感じられてしまう。
もし私の中の暗い感情を、彼に手渡すことが出来たのなら、彼はきっと魔法のように綺麗な色をつけて、私にそれを返してくれるのだろう。
私は、私達魔族の者でさえ見たことも聞いたこともないその魔法を見てみたかった。
でも所詮、それは彼に負荷を与えるだけの、こちらの身勝手な願望だ。
それでも押し付けたい程の。
「夫があなたを気に入る理由がよくわかりますわ。 あの人も、貴族然とした人たちが嫌いで、マレフィード家は新しい価値観が大好きですもの」
ほんの少し目を細めて間を置くと、彼は続けた。
「こんな私に目をかけて頂いて、伯爵様には、感謝してもしきれません」
こんな私、か。 いったい、どんな貴方なんだろう。
人には事情というものがあるから、知りもしないで彼のその低そうな自己評価を、こんなだなんてことありませんわ、などと否定するつもりはない。
ただ、笑顔の合間にいつもより長く、それでも一瞬、憂いを覗かせた彼の顔が、とても寂しそうで目に焼き付いてしまった。黙っていると恐ろしいほど冷酷そうなのに、話すとよく笑っていて、そんな豊かな表情の移りめに、どこか悲しそうな色を見せる。
訳がわからないのに、あるいは訳が分からないからなのか、私は彼が生み出す彼のそうした移り気な様々な印象に、否応もなしに引き込まれてしまって、特に彼が此方を見ていない間は目が離せず、だんだんイライラしてきていた。
だから私は、そのまんま聞いてしまった。
「こんなって、どんな?」
時が止まったかのように、彼は目を丸くしてこちらを見て固まると、やがて大笑いし始めた。
何がそんなに面白いんだかサッパリだ。
「クククク…… あー、ごめんなさい… 貴女があまりにも真顔で真っ直ぐに聞いてくるものだから、自分でもどんなだっけと思ってしまって」
私もちょっと笑ってしまった。
「何それ。 自分でも分かってないんじゃん」
「本当だね、わかんないや。 分かったら、必ず教えるよ」
またいつものようにニコニコしてやがった。
この日私は、いつも陽気そうな彼は、"本当は"凄く寂しそうな人なのかもと思い、その発見に隠れてニヤニヤした。
でも本来それは、人の認識の錯覚であり、罠であると分かっていたはずなのに。
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