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初夏、マレフィード邸にはメイヴェという女性画家が頻繁に入り浸るようになった。ケーバスルへの遊学から帰国し、エンディールへ戻るまでの夏の間は、パトロンである夫の領地で過ごすつもりらしい。ところがアパルトメントこそ他所に借りてはいたものの、根なし草な彼女はマレフィード邸で二、三泊した後ふらっと出ていくと、飲み屋や知人の家をあちこち泊まり歩き、再び我が家に戻ってくるとまた三日間程滞在して、またさ迷う、という落ち着きのない生活を繰り返していて、アパルトメントはもぬけの殻らしかった。
それならどうして借りたのかと尋ねたところ、彼女曰く、借りた部屋の役割は天体の太陽と同じで、その中心点のおかげで周囲をグルグル活動できる反面、そこには絶対に近寄らないとのことだ。確かに普段家に留まらないタイプの人間が急に腰を据えだす時というのは、往々にして本人の意思とは関わりなく、その人が死ぬときである。芸術家は変なこと考えておもしろ、と思ったけれど、その多くは、彼女のハマっている占星術からの、それも勝手な理屈だった。
初対面した夜は、私のことをあれこれと占ってくれた。レ・クロウルバッハ家は魔族とはいえ占いとは縁がなかったから、私には新鮮だった。
牡羊座の私は思い立ったが吉日、善は急げの性分で、考えも行動も何でも早く一直線なんてところは、当たっているなと思った。情熱的でもあるらしいけれど、それはよくわからなかった。ただ聞いていて感心したところは、占いは本来の自分とやらを言い当てるフリをして、新しい自分を提示してくるところだ。言われてみればそうかも、なんて感覚はハナっからありもしないのと同然で、心の内を覗かれるというよりは、仕立て屋が、これも似合う、あれも似合うと新しいドレスを推してくるのに似ていた。言われればその気になって、こちらがそれに似合うよう変わる。
もちろん私の興味は俄然恋愛占いだったから、夫との今後という名目で遊び半分にみてもらった。
結果は近い将来大きな変化がある、というものだった。如何なる夫婦も変わらない方がおかしいので、適当に驚いて遊んだけれど、この時は愛一般についての何か面白い抽象は出来なかったのでその点については残念だった。ただ私は、風変わりな彼女自身にとても好感と興味がもてて、私たちはすっかり仲良しになれたのが嬉しかった(メイヴェの方でどう思っているかは知らないけれど)。
彼女は少し険のある目付きが特徴的な美人だ。背も高く、貴族ではなく職人一家の娘であるせいか、万事があっけらかんとしていて、美人であることをよく自覚しているけれど、それを殆ど誇っていないようだった。筆を自在に操れるようになるなら、歯が抜けようが肌が荒れようが喜んで差し出すという価値観の世界に生きている彼女にとって、美人だねと言われることは、疲れているねと言われることと一緒らしかった。
注意しておくと彼女は、ありがちな、才能ではなく容貌を誉められることに憤るプライドを持っているわけでもない。実際メイヴェは、夫が支援する程の技量を有していながら、自身の才を「日陰に生えるコケ」だと自嘲していて、それもどうやら謙虚さからではなく、才能なるもの全般をそう思っている節がある。
その証拠に、この手の人(貴族ではない平民職人階級に顕著な)は、概して人間を機能や道具と見なしがちだけど、彼女は画業中心の世界にいながら、絵はなんの価値もないから、絵を描くよりも、人を思い遣ることのが遥かに偉大だと豪語して、慈善活動により熱心だった。
そんなメイヴェについて、私が何より嬉しかったのは、彼女がルークと旧知の仲で、大変親しいということである。
私は生まれて初めて、彼女のおかげで本物の嫉妬を理解することができた。
メイヴェはルークと会う度に「描かせろ!」と挨拶代わりに投げ掛ける。これは彼女の世界では、「抱かせろ」という意味と殆ど等しいことを私は彼女から学んでいた。
慣れた様子でそれを楽しそうにいなす彼の様子と彼女のやり取りは、二人の積み重ねた時間のなせることで、端から見ている私はその時だけ、自分が世界から消えて失くなるような不安に襲われて、とても寂しく辛い気持ちになった。私の視界の中の彼と彼女は、正しく、彼と彼女で、その世界によって私は「いらない」と拒まれる。世界と存在が不可分であれば、片方が失われれば、もう片方も失われるのは必然だ。一人ぼっちでそれらを眺める私は、自分が哀れで惨めで、仕方がなかった。──それにしても、恋人たちとは第三者の中にしか存在しないのでは?
けれど私にはこうした感慨が、苦しくもとても楽しかった。私はメイヴェが来て以来、愛の裏側である憎しみに舌鼓を打った。悪食な美食家である私は、胸の苦しみから逃れたい一方で、普段やっかみ合っている相性の悪そうな二人が、舞踏会では一転して華麗に踊る様や、普段歯に衣着せぬ物言いをする彼女が、その時だけはしおらしく沈黙して、彼と口づけを交わす様を想像しては、苦痛から身体を重くして楽しんだ。そして夜──
私は愛の憎しみの正体が分かったような気がした。私は当然嫉妬に限定すれば、ルークを、あるいはメイヴェを憎たらしく思うことがある。他の誰かのものになるのなら、あなたさえいなければ、と殺してしまえるのなら、それが嫉妬心には手っ取り早い。けれどそれ以上に最も効果的なのは、この今私が抱えている苦痛を、他人に被らせることではないだろうか?もし私がルークと結ばれたのなら、私は、私たちを恋人と眺める人々の、この存在が消えるような苦しみを想像し、そこに共感し、そうやって第三者の目を通じて、自分の愛を実感するだろう。もしそれが愛の真実であるならば、それ自体に善悪の有無を差し挟むのはどうでもよかった。
でもそれなら、私たちには、ちちくりあうこの星と月のために、孤独な太陽が必要ということなのかしらん?
それならどうして借りたのかと尋ねたところ、彼女曰く、借りた部屋の役割は天体の太陽と同じで、その中心点のおかげで周囲をグルグル活動できる反面、そこには絶対に近寄らないとのことだ。確かに普段家に留まらないタイプの人間が急に腰を据えだす時というのは、往々にして本人の意思とは関わりなく、その人が死ぬときである。芸術家は変なこと考えておもしろ、と思ったけれど、その多くは、彼女のハマっている占星術からの、それも勝手な理屈だった。
初対面した夜は、私のことをあれこれと占ってくれた。レ・クロウルバッハ家は魔族とはいえ占いとは縁がなかったから、私には新鮮だった。
牡羊座の私は思い立ったが吉日、善は急げの性分で、考えも行動も何でも早く一直線なんてところは、当たっているなと思った。情熱的でもあるらしいけれど、それはよくわからなかった。ただ聞いていて感心したところは、占いは本来の自分とやらを言い当てるフリをして、新しい自分を提示してくるところだ。言われてみればそうかも、なんて感覚はハナっからありもしないのと同然で、心の内を覗かれるというよりは、仕立て屋が、これも似合う、あれも似合うと新しいドレスを推してくるのに似ていた。言われればその気になって、こちらがそれに似合うよう変わる。
もちろん私の興味は俄然恋愛占いだったから、夫との今後という名目で遊び半分にみてもらった。
結果は近い将来大きな変化がある、というものだった。如何なる夫婦も変わらない方がおかしいので、適当に驚いて遊んだけれど、この時は愛一般についての何か面白い抽象は出来なかったのでその点については残念だった。ただ私は、風変わりな彼女自身にとても好感と興味がもてて、私たちはすっかり仲良しになれたのが嬉しかった(メイヴェの方でどう思っているかは知らないけれど)。
彼女は少し険のある目付きが特徴的な美人だ。背も高く、貴族ではなく職人一家の娘であるせいか、万事があっけらかんとしていて、美人であることをよく自覚しているけれど、それを殆ど誇っていないようだった。筆を自在に操れるようになるなら、歯が抜けようが肌が荒れようが喜んで差し出すという価値観の世界に生きている彼女にとって、美人だねと言われることは、疲れているねと言われることと一緒らしかった。
注意しておくと彼女は、ありがちな、才能ではなく容貌を誉められることに憤るプライドを持っているわけでもない。実際メイヴェは、夫が支援する程の技量を有していながら、自身の才を「日陰に生えるコケ」だと自嘲していて、それもどうやら謙虚さからではなく、才能なるもの全般をそう思っている節がある。
その証拠に、この手の人(貴族ではない平民職人階級に顕著な)は、概して人間を機能や道具と見なしがちだけど、彼女は画業中心の世界にいながら、絵はなんの価値もないから、絵を描くよりも、人を思い遣ることのが遥かに偉大だと豪語して、慈善活動により熱心だった。
そんなメイヴェについて、私が何より嬉しかったのは、彼女がルークと旧知の仲で、大変親しいということである。
私は生まれて初めて、彼女のおかげで本物の嫉妬を理解することができた。
メイヴェはルークと会う度に「描かせろ!」と挨拶代わりに投げ掛ける。これは彼女の世界では、「抱かせろ」という意味と殆ど等しいことを私は彼女から学んでいた。
慣れた様子でそれを楽しそうにいなす彼の様子と彼女のやり取りは、二人の積み重ねた時間のなせることで、端から見ている私はその時だけ、自分が世界から消えて失くなるような不安に襲われて、とても寂しく辛い気持ちになった。私の視界の中の彼と彼女は、正しく、彼と彼女で、その世界によって私は「いらない」と拒まれる。世界と存在が不可分であれば、片方が失われれば、もう片方も失われるのは必然だ。一人ぼっちでそれらを眺める私は、自分が哀れで惨めで、仕方がなかった。──それにしても、恋人たちとは第三者の中にしか存在しないのでは?
けれど私にはこうした感慨が、苦しくもとても楽しかった。私はメイヴェが来て以来、愛の裏側である憎しみに舌鼓を打った。悪食な美食家である私は、胸の苦しみから逃れたい一方で、普段やっかみ合っている相性の悪そうな二人が、舞踏会では一転して華麗に踊る様や、普段歯に衣着せぬ物言いをする彼女が、その時だけはしおらしく沈黙して、彼と口づけを交わす様を想像しては、苦痛から身体を重くして楽しんだ。そして夜──
私は愛の憎しみの正体が分かったような気がした。私は当然嫉妬に限定すれば、ルークを、あるいはメイヴェを憎たらしく思うことがある。他の誰かのものになるのなら、あなたさえいなければ、と殺してしまえるのなら、それが嫉妬心には手っ取り早い。けれどそれ以上に最も効果的なのは、この今私が抱えている苦痛を、他人に被らせることではないだろうか?もし私がルークと結ばれたのなら、私は、私たちを恋人と眺める人々の、この存在が消えるような苦しみを想像し、そこに共感し、そうやって第三者の目を通じて、自分の愛を実感するだろう。もしそれが愛の真実であるならば、それ自体に善悪の有無を差し挟むのはどうでもよかった。
でもそれなら、私たちには、ちちくりあうこの星と月のために、孤独な太陽が必要ということなのかしらん?
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