葛城依代の夏休み日記~我が家に野良猫がきました~

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8月2日 火曜日 『ご飯の味』

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8月2日 火曜日 天気:曇り
 
 朝起きて、何かを握りしめていることに気づいて手を開くと、黒い布。その持ち主はと言えば、ベッドにもたれかかっているマオ。ちゃんと一緒に寝てくれたことにほっとしてもう一度目を閉じようとしたとき、私が起きたことに気配で気づいたのか、振り向いたマオがへらっと笑顔を見せた。

「おはよぉ、依代ちゃん」
「……おはよう。起きるの早いね」
「こんな可愛い子がそばにいたら、ゆっくり寝られないよぉ」

 まだ八時を過ぎたばかりだというのに、私を見つめるマオは随分とご機嫌らしい。渋々私も眠い目をこすり起き上がる。ちゃんと起きているらしいマオは、まだぼんやりとしている私を見て楽しそうだ。寝起き姿を見られていることに恥ずかしくなった私は、ベッドから飛び降りた。

「着替えるから先に行ってて」
「はぁーい」

 存外素直に部屋を出て行ったマオにほっとして、私は今日の服を選んだ。真夏の太陽はこの時間でも空気を熱くする。新しめの薄い桃色のTシャツと、ショートパンツ。それに髪をポニーテールにすれば今日のスタイルは完成だ。肩に触れる毛先を揺らしながら、私もマオの後を追った。リビングに入ると、既にマオが自分で食パンを焼いていた。私の家なんだけど、という無粋な言葉を飲み込んで台所に回り込む。

「お、可愛いー。依代ちゃん華奢だねぇ」
「マオってばそんなこと言って恥ずかしくないの?」
「本当のことだからねぇ」
「もう! マオのバカ!」
「ええー。ひどいなぁ」

 照れ隠しの罵倒にも、マオはにこにことご機嫌なまま。手際よく私の分のパンを焼いている間に野菜をちぎるマオ。お皿を出してくれと出された手に応えてから、冷蔵庫にあるお母さんのスケジュールを確認する。午前までの勤務ならお昼には帰ってくるだろう。

「ご両親、いつ帰ってくるって?」
「お昼かなぁ。食べていく?」
「ううん。今日は天気もいいからねぇ。お散歩でもしてくるよぉ」
「夜帰ってくる?」
「来ないよ。朝かなぁ。また外に拾いに来てくれる?」

 確信を持った悪戯っぽい顔に、私は肩をすくめて頷いた。嬉しそうなマオからパンとサラダの乗ったお皿を奪い取った私はテーブルに置いて照れ隠しだとわかっていながら言い訳がましく理由を添えた。

「一回拾ったものは最後まで面倒見なきゃいけないからね」
「良い子だねぇ」
「ちょ、ちょっと!」

 私の気持ちなど見透かされているのか、また頭を撫でられて私は慌てて距離をとった。恥ずかしい。そんな心境などお見通しといわんばかりに、マオはご機嫌そうに鼻歌まで歌いだす。二人で向かい合って食事を終えると、片付けようとするマオを押し切って今度は私が片づけをする。これ以上世話を焼いてもらうのも違う気がした。ぼーん、と時計の鐘が鳴り9時を知らせる。

「よし、それじゃあそろそろ僕は行くね。ちゃんと鍵は閉めるんだよぉ?」

 自分のいた痕跡を綺麗に消したマオは、さっさと玄関へと向かう。見送ろうとそのあとを追った私は、閃いて台所へと駆け戻った。

「ほら、これ持って行って。どこかで倒れてたら困るから!」

 驚いた顔のマオに押し付けたのは、ペットボトル。いつでも飲めるようにと冷蔵庫で冷やしてあったものだ。ずっと家にいる私は冷えている飲み物に困ることはないが、見るからに荷物を持っていないマオはそうはいかないだろう。また頭を撫でようとした手を今度はきちんと避けて、持っていくように再度促した。

「ありがと。それじゃあまた明日ね」
「うん。気を付けてね」

 このやり取りになんとも言えない気持ちを覚えながら、玄関を出て敷地からも出て行ったのを見て玄関の鍵を閉める。マオのおかげで朝ご飯の片付けも終わっているから、今日はすんなりと自分の部屋に戻った。そして日課の宿題に取り掛かる。
 


 集中が解けたのは、家がわずかに揺れたせい。玄関の真上にあるこの部屋は、玄関の開閉でわずかに揺れるのだ。お母さんが帰ってきたらしい。時計を見ると12時少し前。私は宿題を片付けると、階段を駆け下りた。

「おかえりなさい!」 
「ただいま。ご飯は食べた?」
「まだ。そろそろ作ろうと思ったんだけど」
「久しぶりにお母さんが作るから、待ってなさい。依代は食器でも出していて」
「うん」

 私がマオと交わした会話と似た流れを、立場を変えてお母さんと交わしくすぐったくなる。マオもこんなくすぐったい気持ちだったのだろうか。言われたとおりにテーブルを布巾で拭き、食器を並べる。お箸と飲み物を用意している間にも、部屋中においしそうな匂いが漂い始めていた。

「そういえば」

 と、お母さんは自分で作った天津飯を満足そうにつき崩しながら口を開き、私は持ち上げたばかりのレンゲを下ろした。

「市からのメールで最近泥棒が増えているらしいから、依代も戸締りには気を付けるのよ」
「うん」
「二丁目の山田さんも入られたって聞いたから、他人事じゃないわ」
「それでサイレンがよく鳴ってるんだね」
「泥棒によっては人がいても入ってくることもあるみたいだし、何かおかしいと思ったらきちんと逃げなさい」
「うん」

 話はそれで終わりらしい。まだ湯気の立ち上るご飯を冷ましながら食べるお母さんは、もうほかのことに意識が向いているようで、手が止まったままの私を促すこともしない。期待した私が愚かだったのだと反省し、冷め始めた料理を食べ始めた。マオがいた時は、私の食べているところをさりげなく見守ってくれていたのに。たった数回、それも今食べているより簡素な食事なのに、随分と美味しく感じた。もちろん、私が作った拙い料理より美味しいのはお母さんの作ったご飯なのだけど。

「ごちそうさまでした」
「ああそうだ依代。エアコン代もったいないから、ここで宿題しなさい」
「うん、わかった」

 どうやら宿題を見てくれるわけではないらしい。それも既に知っていた事実。私は空になったお皿をシンクに運んでから、一回部屋に戻って途中だった宿題を持ってくる。その頃にはお母さんはソファの上で丸くなって寝ている。猫のような体勢だが、ついマオと比べてしまって可愛さを感じられないでいた。お母さんの寝息を微かに聞きながら日課をこなす。今頃マオは何をしているのかな。そんなことを無意識のうちに考えていた。
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